第三話 ボーイ・チェンジ・ガール
――これは夢だと、祐希は直感で悟った。
体の感覚はなく、ただふわふわと意識の海に浮いているような状態。何も見えず、何も感じず。けれど、不意に音だけが届いた。
『突然呼び出してしまって、御免なさい』
それは女性の声。優しく包み込むようなその声は、魂まで震わせる劇薬のような性質を含んでいる。
ともすれば溺れてしまいそうになるその声音は、祐希に言葉を挟む間を与えさせずに続いた。
『でも、どうしても貴方達でなければならなかったの』
何の事だろうか。理解が追い付かないまま、けれど女性の語りは続く。
『あの世界の歴史は、ある転生者の存在が大きく関わっている。けれどその転生者は、勝手に現れてはくれなかった』
転生者――それは、自分達と同じ境遇の人間の事か。
しかし歴史に関わっているというのは、どういう事だろう――その問いは女性に届くことはなく、ただ彼女の一人語りだけが夢世界に響いていく。
『だから呼んだの。私が、貴方達を呼んだのよ。歴史の通りに、世界を創る為に』
意味が分からない。彼女が、呼んだ? 自分達を? そんな、馬鹿な。祐希たちは、女神アストレアが天使の管理を怠って、その結果天使の悪戯で殺されたのだ。そこに、彼女の存在は関係ない。
『さあ、世界を紡いで。歴史を刻んで。史実の通りに、時を歩んで』
そんな事を言われても、全く訳が分からない。
けれど疑問は口に出来ず、一つの問答もこの夢世界では許されない。語るのが許されているのは彼女だけであり、祐希は音を出す事すら認められていないのだ。
だから彼女は一方的に、世界史の是正を祐希に押し付ける。どうせ、意識が戻ったら、祐希は覚えていないのだと知っているから。
『――千年後の、魔法大国の為に』
◆ ◆ ◆
二度目の意識の覚醒は、何の違和感も無く行われた。
と言っても、別に何も問題無くするっと目覚められた訳ではない。最初はぼんやりと瞼を押し上げ、たっぷり十秒かけて呼吸を確認し、それからやっとの事で目玉を動かし始める。きょろきょろと可愛らしげな擬音でも鳴らして周囲を確認し終えれば、今度はゆっくりと上体を起こす事から始めるのだ。
「――――んぅ」
体に若干の怠さが見られる。長いこと意識が無くて、体が鈍ったからだろうか。
――いや、それは違うか。何故なら文月祐希の肉体は、トラックが衝突して挽肉なのだから。
であれば、ベッドに座るこの肉体は何だろう――そう考えて、やっと脳が追い付いてくる。
「……あぁ、転生……だっけ」
あの神域と呼ばれる真っ白の空間で対面した女神と死神との会話を思い出し、現在の状況を理解する。
肉体は有る。意識も若干鈍っていたが有る。となれば、転生は成功という事か。
「まぁ、神様が失敗するとは思えないけど」
言いながら、あのアホ女神なら有り得るか――と苦笑する。
アストレアと呼ばれていたあの正義の女神様とやらは、どうにも阿呆さ加減が目立っていたので信用し難い。だがまぁ、実際に起こった転生という超自然的な現象を見れば、その凄さも少しは伝わってくる。……初っ端の印象が悪かったので、あくまで少しだけなのだが。
ともあれ、
「二度目の人生って事だよね……」
ここから始まるのは新たな人生、それも異世界で繰り広げられる剣と魔法のファンタジーな生活だ。不安も有るが、それよりも期待が強く、気分が高揚する。
早く魔法を使ってみたい。早くダンジョンを攻略してみたい。早くいろんな種族に出会ってみたい――楽しみが止まらず、祐希は胸躍らせてベッドから跳ねるように降りた。
ふわり、と風に乗って髪が靡く。ふよん、と胸部が揺れた。
「…………………………うぇ?」
……何かがおかしい気がした。
恐る恐る胸部に触れてみる。
「…………ふよん?」
両手に伝わるのは、柔らかい幸せな感触。
大きさは手で包めば少し零れる程度、だろうか。まぁそこそこ、誰が何と言ってもそこそこ。趣味によるけれどちょうど良いと言えばちょうど良い大きさ。
いや、そこは問題ではない。
――コレハ、ナンダ?
「…………………………いやまぁどう考えても母性の象徴っていうか大きいのが好きな奴と小さいのが好きな奴と黄金比が至高とか気取る奴とが居て熱い討論が繰り広げられる夢と希望が詰まったアレな訳なんだけどまぁなんと言うかつまりはおっぱいだよ畜生ォォォオオオオ――ッッッ‼‼」
二度目の人生開始から約一分。
早くも帰りたい系男子、改め――女子。
が、既に致命傷を受けた筈の精神へ、無慈悲にも追撃が降りかかる。
「……なにこれ、手紙?」
ベッドの上で絶望のポーズで打ちひしがれていた祐希が見つけたのは、一枚の便箋。封筒に入っていないのでメモ書きのようにも見えたが、二つ折りになっているその紙の白地には、『To Yuki』と書かれていた。
なんかもうファンタジーへの期待感とか転生の高揚感とか何もかも霧散していたが、とりあえず自分宛ての手紙のようなので、手に取ってみる。何か今後の異世界生活に役立つあれこれでも書かれているのかな、などと淡い期待を懐きつつ手紙を開いて――。
『祐希ちゃんへ
転生☆成功!
はろはろ元気にしてるー? みんなのアイドル女神んだよー☆
さてさて、おいでませ『ラグナスヘイム』へ! って言ってもその世界は私が管理者な訳じゃないから正確には行ってらっしゃいませなんだけど、それはともかく、ファンタジーな世界だよー! 嬉しい? 嬉しいよね? あはははは泣くほど嬉しいか! そりゃ私も転生させた甲斐があったってもんだよ~♪
その世界は貴方達の言うところのファンタジーな世界! 剣と魔法と友情と努力と勝利、時に笑いあり涙あり、そして恋愛関係でこじれて泥沼一直線! 血みどろの争いの果てに誰が真実の愛を掴み取るのか⁉
その辺期待してるよ~♪ ガンバッ!
最強☆で天才☆で至高☆な正義の女神アストレアより
追伸
もう気付いたかも知れないけど、祐希ちゃんの前世の体は胸がちょっと寂しかったから、今度は大きくしてあげたよ♪』
…………………………。
グシャッ、と手紙を握り潰し、
「貴様の仕業かクソ女神ぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいい――ッ‼」
魂の咆哮が轟いた。
◆ ◆ ◆
太陽系第三惑星地球に住む文月祐希という人間を一言で表すなら、『生物学上は男の美少女』だ。
そして、転生を経て『ラグナスヘイム』という異世界に新たな肉体を得た祐希を一言で表すならば、『十人中十人ついでに二、三人は振り返る超絶美少女』と言ったところだろう。
美形も美形、綺麗な美人というよりは可憐さ溢れる美少女と表現するのが適切だろう。大きな黄金の瞳に小ぶりな鼻、可愛らしい桜色の唇などの顔のパーツが黄金比的に整えられ、儚げな天使の如き少女を創り出していた。
身長百五十六センチの肉体は細く柔らかく、触れれば折れてしまいそうなほどに頼りない。前世も弱々しい印象はあったが、更に加速していた。
処女雪のような肌はモチモチで、いつまでも触れていたくなるような触り心地。燃えるような深紅の髪は腰まで伸ばされており、金色の瞳と相まって、どこか超越的な美しさを醸し出していた。
そんな、神が創ったような――事実その通りである――美少女は現在、薄いシーツ一枚の木製ベッドに四つん這いになっていた。
「……神は、死んだ」
軽く崩壊していた精神を何とか戻し、再起動した祐希が最初に呟いた言葉はソレだった。
そう言えば確かに、自分は男だと、一度も祐希は言っていなかった。が、女だとも言っていない。
その結果、見た目は美少女な祐希をアストレアが勘違いして、転生先の肉体を少女のものにしてしまったのだろう。しかも、胸を大きくしたと言う(祐希にとっては)有り難くないオプション付きで。
「寂しいも何も元々男だから胸がないのは当たり前だよぅ……ぐぬぬぬ」
何が悲しくて自分の胸を揉まねばならぬのか。いや、別に揉む必要はないのだが、元男としての感性――人より圧倒的に少ない――が揉める状況ならば揉めと囁くので、つい手が行ってしまう。
が、別に揉もうが撫でよう捏ねようが、全く以って興奮しない。
「えぇぇ……」
思わず零れる絶望の溜息。
なんかもう、男としての胸躍るあれこれが、全て打ち砕かれた気分だった。
因みに彼――訂正、彼女が女性である事は既に疑いようがないまでに確認済みである。膨らんだ胸然り、アレが無くなった股間然り、完全に女体である。
二度目の人生、TSスタート。
「泣きたい……」
もう既に泣いているのだが。
しかし、いつまでもこうしてはいられないというのが現実というやつで、
「――あ、起きたみたいだね」
ガチャリ、と音を立ててドアが開き、一人の男性が祐希の居る部屋へと入ってきた。
――上半身、裸で。
「きっ……きゃぁぁぁああああああああああああああああああああああ――っ⁉」
祐希の絹を裂くような悲鳴が響き渡る。
その叫びが完全に少女のものだと、本人に自覚は無い……。
次回も宜しくお願いします。
◆ 5月25日:プロローグから第二話までの、男装の麗人の口調を若干修正。彼女のイメージに合うよう、最初のものより少し柔らかくしました。