第十六話 百合っ娘と阿呆と苦労人と
今回はルナが出てこず、セント視点です。
宿の一階、受付兼酒場となっている場所で、セントとデルタはビールのジョッキを付き合わせていた。
部屋を借りる時に頼めば朝夕の食事を出してくれるここでは、多くの客がアルコール類を飲み交わしている。その傍らにはツマミがちらほら。そして、彼らの顔には、笑顔が決して絶えない。
「良いところだな、ここ」
ぽつりと零したデルタに釣られ、セントも視線を周囲に向ける。
「……あぁ、そうだね。みんな、笑顔だ」
「面白ぇことだけじゃねぇのにな。怪我してる奴もいる。でも、みんな笑って……なんつぅか、良いところだよ、ホント」
「義務と家族に追われて命を磨り潰していく凡人も、いつまでも子供のように夢を追い続ける愚者も、金と女に溺れて虚脱しきった愚図も、この世界では社会のゴミとして捨てられない。救いがあるとは言えないけれど、それでも強く生きられる『基盤』があるんだ」
「冒険者、か」
「うん」
まだ社会人になったばかり……正確にはなる日に死んだデルタは、社会の歯車に組み込まれた時の、快とも不快とも取れない感触を知らない。それはそれで良かったと言うべきかは微妙だが、少なくとも『消耗品』になったと気付いた時に感じる、死よりもなお虚しいソレを知らないのは多少幸福だったろう。
セントはどちらも、知っている。彼の前世――四島奈子は天道三大家・一条の分家の令嬢だから、幼い頃から魔術を学び、武術を嗜み、数多の学問を詰め込んできた。そして、パーティーなども経験し、様々な四島コーポレーションの子会社の手伝いもしたので、人より沢山の現実を見ている。
ふと思い出しかけた前世を酒で流し込み、セントは湿らせた唇を動かす。
「……でも、冒険者も楽じゃないだろうね。あれは、自身の命を賭け金に、お金を稼ぐ職業だ」
「んなこたぁ承知済みだ。それで問題ねぇから、お前も登録したんだろ?」
「俺はね。でも、あの二人はどうだろう」
今世も前世も、見た目は十代のうら若き少女達。果たして彼女らは、冒険者という危険な職に、進んで就きたいと思ったのだろうか。或いは、セント達に流されてなっただけなのか。
セントの問いかけに、デルタはスルメイカ(のようなもの)を噛みながら、
「さぁな、知らねぇ」
「……随分勝手だね」
眉を寄せ、若干低くなった声が響く。けれど酔いが回り始めてうっすら顔の赤くなったデルタは、なおも酒を喉に流し込み、
「だってそうだろ? この世界は自己責任。死んでも誰も責任取らねぇ……それは、冒険者ギルドでも言われたことだろ?」
「そうだけど……でも、まだあの子達は子供だ」
「地球じゃ、な。この世界じゃどうかは知らねぇ」
「……だから、突き放すって? それは流石に、」
目をすっと細め、だんだんと殺気を滲ませ始めたセントを、デルタは酒瓶を向けることで止めた。くいくいっと瓶の口を振るデルタに、セントは一つ吐息を零してから、ジョッキを差し出す。そこにデルタの手で注がれる麦色の液体を眺めながら、
「酷なことだと思うよ。正直、大人の俺達でもキツいんだ」
「でも楽しいだろ? なら気合いで乗り切れる」
「そう簡単じゃない。特に、女の子はね」
「そりゃ、お前さんが抱く幻想だ。女は誰しも繊細な訳じゃねぇ。時に男より胆力のある奴だっているぜ」
オレの妹なんかマジでそうだった、と苦笑するデルタ。もう二度と会うことのないであろう肉親のことを口にし、彼は少しの間、目を伏せる。
満タンになって泡の溢れたビールを音を立てて嚥下し、セントは沈黙するデルタを眺める。――と、
「あら、やっぱり二人は飲んでいたのね」
銀髪セミロングの美少女――セリアが声を掛けてきた。恐らく寝る前に少し話でもしようとしたのだろうが、セントとデルタが借りた部屋にいなかったから降りてきたといった感じか。寝間着代わりの麻の服の上に薄手の上着を羽織り、艶やかな銀髪を自然に下ろした彼女は、子供と大人の間の年齢だからこその危ない色香を放っている。
「よう、セリアちゃん」
「席、良いかしら?」
「おうとも。ついでに酌をしてくれると超嬉しい」
「はいはい、適当で良いならね」
酒にだらしない父親に接するような調子でセリアはデルタをあしらい、空いていた椅子の一つに腰掛ける。近くを通った店員に飲み物を注文すると、彼女は「少し話しても良いかしら」と切り出した。
「それは、ルナがいないところじゃないとできない話なのかい?」
ジョッギの中で泡を立てる麦色の液体を揺らしながらのセントの言葉に、セリアは「鋭いわね」と軽く賞賛する。
「ええ。あの子に関係する話だけれど、本人がいるとちょっと都合が悪いのよ」
「それがパーティーに不和を齎すようなモンじゃねぇなら話して良いぜ」
いつもふざけたようなことばかり口にするデルタだが、これでも有力会社に就職できたエリートだ。頭も良く回るし、きちんと必要か不必要かを見分けることもできる。
彼の気楽な調子だが存外に鋭い視線で投げかけてきた言葉に、セリアはどこか妖艶に微笑んで、
「大丈夫よ。少なくとも、悪いようにはならないわ」
「そーか。じゃ、遠慮なく言ってくれ」
酒が入ると受け答えが適当になるのか、デルタは即答する。そんな彼の様子を気にせず、セリアはまるで重大発表でもするかのような調子で、告げた。
「あたし――ルナちゃんの血が吸いたいの」
「…………」
「…………」
ぴしり、と時が止まった。
まさか人の血を啜りたいなどと言い出すとは思わず硬直してしまった二人を放って、セリアは続ける。
「あの子めっちゃ天使でしょう? 外見だけじゃなくて中身も超天使級なのだけれど、あの子の項の辺りを見てると……こう、何というか、不埒な感情と食欲に似たものが湧いてきて、ちょっとでも気を抜くと襲いそうになっちゃうのよ」
「……いや、ちょっと待とうか」
ようやっと硬直から解放され、制止の言葉を投げるセント。セリアは額から冷や汗を流す彼にきょとんとした顔を向ける。なんとか衝撃的な語りを中断させることに成功したセントは、一度喉を酒で潤すと、真剣な表情で問いかけた。
「あのさ。……まず、なんで血を吸うんだい?」
「え? そりゃあたしが吸血鬼種だからよ」
衝撃的な内容をさらっとカミングアウトしてくる銀髪少女に、セントは頭を抱えた。
「……マジ?」
「マジよ」
証拠として牙を見せつけてくるセリアに、セントは「ちょっと待って」と言い、再び頭を抱える。
(……吸血鬼? いや、現実にいるのは知っていたし、この世界にもいるであろうことは予想していたけど……なんでそんな重大なことを、彼女はこんなにも軽く話す? というかそもそも、人間じゃなくなっていたら混乱するものじゃないのかい!?)
まさか、前世から吸血鬼だったのか――という考えが浮かぶが、しかしそれはセリア本人が否定した。
「転生したこの体、あたしは心当たりがあったのよ。地球にいた頃にやっていたゲームで使っていたキャラなの。だから、種族とかその他の能力とかも大体把握しているわ」
といっても、現段階できちんと使えるものはあんまりないんだけどね、とセリアは補足する。しかしその事実は、多大な衝撃を二人に与えた。
「能力を把握してるって、本当なのかい!?」
「ゲームキャラ転生……だと……!?」
……それぞれ違う場所に衝撃を受けていたようだ。
セントとデルタは顔を見合わせ、どちらが先に質問をするのか視線で話し合う。が、順番が決まってどちらかが質問を口にするより早く、セリアが話を続けた。
「で、吸血鬼種だから、当然血を吸わなきゃならない訳じゃない? まぁ真祖だから本当は吸血しなくても死ぬことはないんだけれど……でもやっぱり、週一くらいで血を吸わないと不快みたいなのよ」
詳しく調べたことはないが、本能的なもので感じているらしい。
しかしそんなことを相談されても、セント達に言える言葉は一つだけだ。
「……本人と相談してきなよ」
「とりあえず土下座して頼んでみれば案外イケるんじゃねぇの?」
……やはり微妙に違うが、まぁ似たようなニュアンスなので良しとする。
二人の返答に、セリアはむぅ……っと膨れっ面になって、
「それじゃ、相談した意味がないじゃない」
「でも、それ以外にはなんとも言えないからねぇ」
種族の違いによる問題はセントもデルタも他人事ではないのでなるべく力になってあげたいが、こればかりは本当にどうしようもない。本人同士で話し合う以外に解決方法が浮かびそうにないのだ。
「……まぁ良いわ。本当に堪えきれなくなったら、デルタさんが言うように土下座でもして頼み込むことにするわよ」
「それが良いぜ。……はっ、オレも胸揉ませてくれって土下座したら案外イケ――ゴバァッ!?」
阿呆なことを宣ったデルタの顔面が、セリアの拳によって弾け飛ぶ。床で二度ほど跳ねて三つ隣のテーブルに突っ込むとようやく止まったが、普通の人間だったら重傷か、下手をしたら死んでいただろう。
しかしデルタはすぐにむくりと起き上がると、
「いってぇーなっ! ちょっとしたジョークじゃねぇかよっ!!」
「アンタそれ、本人に言ったらマジで殺すわよ」
ドスの効いた声で告げるセリアに、さすがのデルタも怖じ気づいたようだ。しかしすぐさまにやりと口の端を吊り上げると、
「くくくっ、ルナちゃんと恋仲になっちまえば貴様も文句を言えまい?」
「なっ……! そう、だけど……でもアンタなんかにあたしの天使は渡さないわっ!」
「それを奪ってみせるのが燃えるところだぜっ!」
なぜかルナの取り合いに発展した光景を呆れ顔でセントは眺め、そしてぽつりとこう零した。
「セリアが真祖吸血鬼種、デルタが恐らく鬼人種か悪魔種、そして俺が暫定妖精種……さて、これでルナだけがただの人間種なんてことはないよね?」
あの女神の差し金か、それともなるべくしてなったのか。真実は、セントには分からない。
ただ、まだまだ謎は一杯あるが、それでも楽しい異世界ライフになりそうだと、自然に口元を綻ばせていた。
次回も宜しくお願いします。




