第十二話 巨神の伝承
遅くなってしまい、本当に申し訳ございません。
今回は、コメディ成分少なめです。
図書館というと空調設備の整った静かで快適な空間というイメージが強いが、それは現代文化の賜物であり、文明レベルがそこまで行っていない時代では多少異なる。
まず部屋の温度を整えるクーラーなど存在しない。似たような役割を持つ魔道具――魔術や霊素術と呼ばれる超常の業で作成した特殊な器具の事らしい――がある程度温度や湿度を調節しているとはいっても、現代科学の逸品が持つスペックには遠く及ばないため、上下五度ほどの誤差が発生する。
しかしそれでも高級品なようで、図書館に頻繁に出入りする研究者然とした人達はとても有り難く思っているようであった。……現代文明に慣れ切ったルナ達には微妙に苦痛に感じるのだが、これでも贅沢らしいのでこのレベルにこれから慣れなくてはならないだろう。正直ちょっとキツイ。
あと清潔面なのだが、紙類が多い影響で乾燥気味の空気にされているせいか、埃っぽさが際立ってしまっている。喘息持ちにはキツそうだなーとか火が放たれたら激しく燃え盛るだろうなーとか、えらく他人事のように思っていた。
どうやらこの新しい身体は喘息持ちではないようなので、それほど困っていない。……いや女性体の時点で困り果てているが。
しかしいくら反発しようとも性別は変わらない。いや魔術やら魔法(?)やらが存在する世界なのだから性転換の術なども存在するかも知れない――というか無かったらいっそのこと自分で完成させてやろうかとも思う――けれど、まだ異世界に来てから二日目。流石にどうしようもないだろう。
(でもそんなに簡単に慣れるものでもないしなぁ……いや男心的には慣れたくないんだけど)
そんな有ったかどうかも分からない男心を持ち出して考えるルナ。もし前世の友人達がこの台詞を聞いていたら、「いやお前完全に女でも大丈夫だっただろ」と真顔で言われる事間違いないのだが、本人的には認めたくない事であった。
さて、そんな事をつらつら益体もなく考えているのは、ここに来てから一つ問題が浮上したからだ。
それは至って簡単で、むしろ何故今まで思いつかなかったのかと責めるべき事である。
そもそも気付くチャンスはあったのだ。他でもない冒険者ギルドにて。
だがあの時は問題なかったのだ。なにせ、『絵』というものが付属されていたお陰で、ソレが分からなくても目的を果たす事はできたのだから。
しかしここでは大問題である。なにせ全てに『絵』というお助けが付いていた、言ってしまえば教養無しの集まりである冒険者ギルドとは違い、思慮深く礼儀を知る知性ある者が集う図書館では、ソレが情報の九割を占めていたのだから。
そう、今ルナの前に立ちはだかる超難敵、魔王級……いや邪神級の強敵とも呼べるソレとは――‼
「文字、読めない……」
……つまり、本を読んでも何一つ理解できなかったのである。
◆ ◆ ◆
ルナは図書館にいくつも設置された椅子と机を一つ占領して、子供向けの優しい民話が載る絵本と睨めっこしていた。
「知ってた。……というか分かってたし……読めない事ぐらい……」
ただ、忘れていたのだ。『異世界転生』+『ファンタジー世界』=『日本の現代知識だけでは生きていけない』=『とりあえず常識を知るために図書館で情報収集』の方程式を意識しすぎていたので、『会話はできても文字が読めない』という基本がどこかへ吹き飛んでしまったのである。
「うん、だって言語チートないしね……というかチート能力はくれないって言ってたもんね……」
女神アストレアは、試作用の転生トラックなのでチートを与えるのは不可能だと言っていた。だから当然、言語理解系統の必需品的なチート能力も貰えない。
しかしルナが項垂れているのは、単純にそれだけが理由ではない。
それは、一緒に異世界転生した仲間達の事だ。
アホのデルタは早々にどこかへ行ってしまったのでどうでも良いとして。
まずセリアとセントは文字が読めない事を覚えていたのか、簡単な童話のような絵本を読んで言語習得から始めた。これはルナも良いと思ったので真似したし、精一杯努力した。
だがちょっと、いやかなり無理があった。
なにせ新しい言語なのだ。いくら喋る言葉が一致していたとしても、それはせいぜい単語や文法が同じなだけ。書く文字は全く別物な訳だし、そもそも記述では倒置前提だったり変な記号が混入したりとそのまま順に読んでも分からない仕様の可能性も考えられる。
そんなものを、ただの高校生だった人間に短時間で習得しろというのは無理がある。
偏差値七十超の頭の出来が違う奴ならば可能だったかも知れないが、ちょっと偏差値の良い学校の多少成績が上の方だったかなー……程度の文月祐希には難題だ。しかも、どちらかというと理数系だったので。
なのに、なのにだ。
セリアとセントはやりやがった。
次の言葉は、一時間の間に読む書物のランクを辞書レベルに分厚い歴史書まで引き上げた彼と彼女が、同じだけの時間を費やして未だ幼少向けの民話で戸惑っていたルナに向けて放った、強烈凶悪な刃である。……ただし言った本人達に、ルナの精神を致命的に抉った自覚はない。
「え、言語習得が早い? 俺は別に普通だと思うよ。だって会話をしてきちんと通じる程度には単語も文法も同じなんだよ? じゃ、後は文字を覚えれば終了だ。絵が付いてあるやつもあったんだし、誰でもできるくらい簡単なんじゃないかな」
「なんでもう小難しい歴史書が読めるかって? う~ん、まぁ思ったより記述文法が難しくなかったからかしら。歴史書も伝記も読んでいて面白かったし、すぐに覚えられたわ。魔道書は流石に分からなかったけれど……あ、次は神話でも読もうかしら。貴女も挑戦する、ルナ? 大丈夫よ、ちょろっと古語が混ざってたりもするけど、そんなに難しくないから」
どこのゲーマー兄妹だッッッ‼ と悲鳴混じりに怒鳴ったルナはある意味当然の反応だろう。
……因みに種明かしをすると、セントやセリアは全て自力で解読した訳ではなく、分からなくなったらそこら辺の人に訊いて教えて貰っていたので、これだけ早く読めるようになったのだ。まぁそれでも常人よりかなり早いので、頭の出来が良いのは事実だろうが。
しかしその方法を聞いても、ルナには不可能だっただろう。コミュ力の低さの弊害である。
いや、ルナはコミュ力が特別低い訳ではない。ただ、前世から男なのに美少女美少女と言われ続け、一部の友人を除いて他人からも可憐な少女として扱われ続けてきた影響で、すっかり他者と接するのが苦手になってしまったのである。……まぁ要は軽いコミュニケーション障害だ。自分の所為ではなく、周囲――特に家庭環境――が原因だが。
『貴方は文月の人間なの。偉大なる望月崇夜様の血が流れる、魔女』
『だから強い魔女になるのだ。全てを魅了し、数多を退け、「望月」の女王となる存在に』
『貴方ならできる。だってこんなにも可愛らしいのだから』
『男姉ちゃんなら問題ないよー! 例え生物学上が男でも、その魔力は魔女のモノなんだからっ!』
『ゆうちゃんなら大丈夫よ。だって私たちよりも、ずぅっと優れた才能を持っているのだから』
「――分かってる。分かってるよ。それはもう、何回も聞いたから」
それは呪詛のように――或いは子守歌として、或いは朝のお祈りの後に、或いは■■を学ぶ最中に、言われ続けていた言葉。目を瞑って何も考えていなければ、無意識に呟いてしまうほどに記憶に深く根付いている。
聞きたくない。だって自分は男だ。魔女? 知った事か。自分には関係ない。誰だ望月崇夜って。
――いや、今の自分は女だ。魔女? なれるのか? 知らない。もう関係ない。だって自分は一度死んだのだ。ここはもう、異世界なのだ。文月なんて関係ない。望月崇夜なんていない。ルナなのだ。セリアがいて、セントがいて、デルタ……もいる、冒険者の、ルナ。文月祐希ではない。
「だから、出てってよ……私の中から、出てってよぉ……っ」
「――誰に、出て行ってほしいのですか?」
不意に、声が掛かった。
ビクリと体を震わせて、ルナが慌てて顔を上げると、目の前には見知らぬ男性が座っていた。
複数人が共同で使う丸机なのだから他の利用者が正面に座っていてもおかしくはない。けれどいきなり声を掛けられた事に驚いたルナは、思わず大きな声を出してしまう。
「だ、だだだ誰っ⁉」
「どうどう、落ち着いてください可憐な少女。貴女のその宝石すら霞んでしまう綺麗な顔が歪んでしまいますよ。それは人類の喪失です、愛の消滅です、美の壊滅です。許されざる事なのですから、貴女は心の平静を保ち、その可愛らしい顔のまま僕に愛らしい微笑みを見せてください。……あぁ、申し遅れました。僕は知的なイケメン商人、アルターです」
「え、自分でイケメン言っちゃう人なの? 痛い人なの? というかその歯の浮くような台詞をポンポン口にするとか、恥ずかしくないの?」
「初対面で酷い言われようですね……まぁ良いでしょう。落ち着いたみたいですし」
突然話しかけられた事よりも彼の痛い言動の方が衝撃が上回ったようで、何故か落ち着いたルナ。ただし、引き気味だが。
そんなルナの反応に微妙に傷ついたような表情を浮かべつつ、アルターと名乗った自称知的なイケメン商人は続ける。
「それで……随分苦しそうな様子でしたが、大丈夫ですか?」
「え、っと……はい、大丈夫です。あっ……その、ルナ、と言います」
「そうですか。ルナさん、気分が優れないようでしたら一度外の空気を吸う事をお勧めしますが……」
一度言葉を区切ると、アルターはルナの顔を観察するかのようにじっと見詰める。いや、顔色を見ているのだろう。しかし異性に――いや、心情的には同性のはずだ……多分――見詰められると流石に恥ずかしいというか擽ったいというか、徐々に顔に熱が集まってしまう。
と、少し涙目になってきたルナに気付いたのか、アルターは「あぁいや済みません、不躾でしたね」と言って視線を外す。数秒目を閉じ、開いてから、微苦笑して言葉を紡いだ。
「いやはや本当に可愛らしい。まるで天使のようだと良く言われませんか? ……いえ、口説いている訳ではありませんよ。率直な感想です。貴女ほど可憐な女性に、僕は会った事がない」
「それは……その」
「可愛い」と言われて反抗したい自分と、密かに嬉しく感じている自分。果たしてどちらが本当の自分なのか答えが出せない間にも、アルターの話は続いていく。
「王国の令嬢でもこのレベルはなかなかいない。そうですね……龍帝国には傾国の美姫がいるという噂ですが、まさか貴女の事ではありませんか?」
「え、ええ? 別に私はお姫様じゃないですけど……というか龍帝国出身でもないし……」
そもそも龍帝国が何か良く分かっていないのだが。
ルナの困惑混じりの否定に、アルターはしかしニコニコしたまま、
「そうでしたか。いやまぁ流石にお姫様が護衛もつけずに一人でいるなんて有り得ませんよね。……しかしここで会ったのも何かの縁です。せっかくですから一つ、僕の話を聞いて行ってはくれませんか?」
「……はい?」
何の話なのかは知らないが、初対面の人間からいきなり言われても困惑するばかりである。
しかしアルターに止まる気は無いようで、商人の必須スキル笑顔の仮面を顔面に貼り付けたまま語り続ける。……そんなスキルが本当にあるかは知らないが。
「その昔、それこそ神話の時代……天霊樹の近くに、『ある存在』が封印された、沢山の遺跡が造られたそうです」
「遺跡……ですか?」
伝承か神話か、語り始めたら途中で止めるのは容易ではなさそうだったので、適度に相槌を打つルナ。アルターは機嫌よく舌を滑らせる。
「ええ、遺跡です。それが今でも古代遺跡として時偶に発掘されるそうですが……さて、ルナさん。『十二の英雄』の話はご存知ですか?」
「えっと……確か、巨神大戦で活躍した十二人の守り人の事……でしたっけ?」
言語習得のために読んだ絵本にあった話だ。子供向けに作られた簡単な内容だったが、有名なのかその話は様々な種類があり、全種類読破すると色々な角度から見た物語を知る事ができたので、その内容にはかなり詳しくなっている。
神が地上に降りていたという時代。上層世界から天霊樹を下ってこの地に降りてきた巨神や沢山の巨人族が、当時栄えていた種族達を喰らい、街を破壊し、大地を焼き払ったという。
数多の種族達は協力するも、元々種族同士で争っていた時の傷が残っていて、巨神や巨人族の圧倒的な力の前に為す術もない。
そこで立ち上がったのが、女神の加護を受けて眷属となった十二人の英雄。彼らはついに巨神や巨人族を滅ぼす事は叶わなかったが、封印する事に成功したという。
「そう、その話。――で、居るんですよ」
「……何が、ですか?」
こてん、と可愛らしく小首を傾げるルナ。
アルターは浮かべる笑みに、どこか妖しげな色を含ませて、告げた。
「――巨神が、この街に」
……。
…………。
………………。
「……………………冗談、ですよね?」
「さぁ、どうでしょう?」
今のアルターの笑みには、もう先ほどのおかしな雰囲気は混じっていない。けれど本心を掴ませないその仮面は、話の内容が嘘か真か曖昧にする効果を持っていた。
嘗て地上で、暴虐の限りを尽くした巨神。それがこの街に居るなど、恐ろしい事この上ないだろう。
数々の童話や民謡では、巨神は腕の一振りで岩山を砕き、足を振り下ろせば大河を割り、大口を開けば森を呑んだという。そのような強大な存在がこの街に現れたら、ひとたまりもないだろう。数歩歩いただけで平らになる。
地球に居た頃ならばそんな生物有り得ないと鼻で笑っただろうが、ここはファンタジーで構成された異世界。高層ビルより高い巨人が存在してもおかしくはない。
恐怖がじわじわと込み上げてきて、思わず自身の体を抱くルナ。
そんな怯える少女に対してふっと笑ったアルターは、不意に立ち上がって、
「まぁ、そんなに怖がる事はありませんよ。何でも物語というのものは、成るべくして起こり、決定された結末へと自然と導かれるものですから」
「……それは、つまり……もし巨神が復活しても、再び英雄が討ち倒す……って事ですか?」
上目遣いに見上げるルナの問いに、アルターはただ微笑み返すだけであった。
「――では、さようなら。またお会いできる時を楽しみにしていますよ、天使の如き少女」
「え? あ、はい」
唐突に現れて、唐突に話し始めて、唐突に去る。掴み難い人だ。
去っていくアルターの背中をぼんやりと眺めるルナ。と、また唐突に立ち止まり、思い出したかのように振り向くと、彼はこう訊いてきた。
「そういえばルナさん。貴女のその力、もしや『双星種』の片割れの力では?」
「……え? そう、せい、しゅ?」
何の事だろう。聞き覚えの無い単語だ。
首を捻るルナに、アルターは彼女が本当に分からないのを悟ったのだろう。「そうですか」とだけ言って、再び前を向き今度こそ本当に去っていった。
ルナは、自称イケメン商人が消えていく方を、暫く不思議な顔で眺めていた。けれどやがて、周辺に誰の気配も感じなくなると、ぽつりと呟くように言葉を零した。
「……私の力は、魔女……のはずなんだけどね」
別に思春期特有のあの病気にかかっている訳ではないし、実際にその力とやらがどんなものなのかなど欠片も分かっていない。
けれど深層心理に刷り込むように囁かれた言葉は、いつまでも消える事なく少女の中に根付いていた。
八月に一話しか更新できていない事に気付いてショックを受けている月詠です。
済みません、本当に済みません。……でも亀更新は直りそうにないです。
『ヤンデレ後輩』の第三章か『白百合の姫』の第二章が終わるまではゆっくりな気がします。……多分、月に一、二話くらいになるかも……?(エタはしません。絶対に。……問題が発生しない限りは)
因みに、セリアやセントは頭が良いです。セントはイイトコのお嬢様でしたし、セリアは偏差値の高い高校で上位に食い込むレベルだったので。
次回も宜しくお願いします。




