プロローグ 彼らは転生トラックに轢き殺される
勢いだったんだ……後悔はしていない。
「きゃーっ! やっぱり可愛いわ祐希ちゃん!」
「ふむ。ゆうちゃんには白ワンピースが一番ね。清楚系、素晴らしいわ」
「男姉ちゃん男姉ちゃん! 次はロリィタいこうよ! 男姉ちゃんならクラロリが良いと思うんだ! あ、甘ロリも良いかも!」
「いやよ久美ちゃん、次に着せるのはこっちのいい感じに透けるやつよ! やだ、祐希ちゃんの白い肌が目の毒だわ!」
「…………」
素晴らしくどうでも良いと言いたげな表情で、彼は三人の女性の着せ替え人形と化していた。
肩を少し過ぎたラインで整えられた艶のある黒髪。宝珠の如き美しさを持つ鳶色の瞳が嵌った眼は垂れていて他者に優し気で落ち着いた印象を与え、顔のパーツは見事なバランスで整えられている。
控えめに言って美少女。付け加えれば、十人いれば八、九人は振り返りそうな、と言うほどである。
――が、事実、彼は美少女などではない。
「私、生物学上は男な筈なんだけど……」
全てを諦めたような調子で呟いた声は、鈴が鳴るように高い。この声、この見た目で、彼を男と断ずる者は無いに等しいだろう。私という一人称も含めると、もう絶望的である。
その事は生まれて十七年で良く身に染みている。――もっとも、小学校五年生に上がるまで、彼はその事が異常だとは思っていなかったのだが。
「男姉ちゃん、何言ってるの? 当たり前じゃん、男姉ちゃんが男なのは」
「えぇ……じゃあ何なんなの、この状況は?」
身に纏う服は純白清楚型ワンピースから既にいかがわしいちょい透けのネグリジェにチェンジしており、死んだ目の濁り率が更に加速している。
ものの見事に着せ替え人形になっている彼は、文月祐希。都内の高校に通う十七歳の男子である。
そう、ここで間違えていけないのは男子。ワンピースもロリィタもネグリジェまでも似合うこの美少女は、生物学上、そして戸籍登録も男であるのだ。一応。
――が、中身が男だろうと、見た目が美少女な事に何ら変わりはなく、現在彼は二人の姉と妹に弄ばれているのである。男の尊厳はどこへやら、矜持も既に地平の彼方らしい。……そもそも、彼は元々男子としての意識は一般の男子とは微妙にズレているのだが。
祐希が生まれた時から既に父は働き詰めで滅多に家に帰らず、必然的に母や姉妹たち、即ち年中女性に囲まれて過ごした為、態度や言葉遣いが殆ど女の子のそれになってしまっているのである。
その事に気付いたのが小学校高学年。中学からは男前にデビューしてやると意気込んだが長年の習慣は抜け切れずにあえなく撃沈、高校は既に諦めの境地にあったので男にモテる美少年の出来上がりだった。
因みに中学時代、女子に告白して「私より可愛い男子はちょっと……」と言われた事が地味にトラウマになっている。
綺麗なソプラノボイスで溜息を吐く祐希に、妹――久美は二人の姉たちと共ににやりと笑い、
「「「女の子の買い物!」」」
どうやら男という概念は吹き飛んでしまったらしい。
◆ ◆ ◆
「あー、もう嫌。何なんなの、三人とも」
つい先ほどまで自分の体を使って色々好き勝手していた家族に恨み言を吐きつつ、祐希はデパート内にある有名アイスクリーム店で買ったチョコミントを、ベンチに腰掛けつつ舐めていた。
小さい口でキングサイズのアイスを舐める姿は非常に可愛らしい。しかも、現在祐希が着ている服は姉妹たちに無理矢理着せられたワンピースのため、完全なる清楚系美少女であった。ちらちらと周囲から視線が集まるのも仕方がないと言えるだろう、本人は全く以ってこれっぽっちも嬉しくない――というか殺意しか湧かないのだが。
ともあれ、あの恐ろしい姉妹たちから見事脱出出来たのは僥倖と言えるだろう。恰好は悲しいが数年前から慣れてしまったので気にしないとして、今はとりあえず、一人で静かな休日を謳歌する事に決める。
「うーん……ここだと、ゲーセンくらいかなぁ」
本屋巡りも良いかも知れないが、それだとすぐに姉妹たちに見つかってしまいそうだったので、数か月ぶりにゲームセンターへと赴く事にする。
お気に入りのチョコミントアイスを食べ終え、カップを近くに設置されていたゴミ箱に放り込むと、祐希は立ち上がって近くの階段を下りる。ゲームセンターは記憶の通りであれば二階だった筈なので、二度下り階段を通過すると、懐かしい騒音に満たされた電飾だらけの部屋に突入した。
「久しぶりだと、やっぱり内装も変わってるなぁ。……あ、これ懐かしい」
見慣れないゲーム機や流行のキャラクターのぬいぐるみが景品のクレーンゲーム、反対に昔から配置は変われど消えない格闘ゲームやカラフルなお菓子を落とすゲームに軽く触れる。どれも初見、または久し振りのため、新鮮味があってかなり楽しめた。
が、しかし根が女の子思考に汚染された為か、男子のように長時間ゲームセンターに留まる精神は無いようで、適当に遊んだあとはすぐに出てしまう。
「……別に、女の子でもゲーセンは遊べる筈なんだけど」
一般人がどうとか、そういうのは彼には分からないが、大多数の女子はゲームセンターで長時間遊べるような精神構造は出来ていない気がする。騒音は酷いし、何より男子向けのゲームが若干多いので、二、三十分が限度だろう。
「ただし、コインは別である……なんてね」
周囲の人が聞けば意味不明な事を独り言ち、祐希はエスカレーターで一階へ。姉妹たちに無断で外へ出るのは少し気が引けたが、連絡の一つでも入れれば即行場所を捕捉、そして拘束されそうだったので、マナーモードだったスマートフォンの電源を切って炎天下の路上へと繰り出した。
途端、じりじりと照り付けてくる太陽。真っ白でシミ一つない肌が焼けるような陽光に辟易するが、あの姉妹たちに掴まって玩具にされるよりはマシである。
「でもやっぱり暑い……アイス、もう一つ食べようかなぁ」
ちょうど、道路を挟んで向こう側にアイスクリーム屋を見つけたので、向かう事にする。先ほどはチョコミントだったので、次はストロベリーにでもするか……などと、考えていた時だった。
「ちょっと、そこの彼女」
「はい?」
……正直、どこのナンパだと思いつつ、祐希は振り返る。
そこに居たのは、黒髪ショートのイケメン……だと、見た瞬間は思った。見た瞬間は、の話であるが。
「えっと……私に何か用ですか?」
何か面倒な予感がひしひしと伝わってくるが、とりあえず首を傾げてみる。仕草が女の子っぽいとか、もう気にする段階は過ぎているが、どうやら相手方は完全に祐希の事を女の子だと思ったようだ。次に発せられた言葉がその証拠である。
「ああ。君、可愛いね。一人かな? どうかな、少し話したいんだけど、そこのアイスでも食べに行かない?」
――本気でナンパだった。
実はこういう状況、彼にとっては珍しくもない。
下手な女子より可愛い上に、現在の服装は清楚系ワンピース。内股気味で仕草まで少女だし、身長も百五十センチ台と日本の中高生女子の平均的な高さだ。一人で居ればナンパホイホイ、姉や妹と居てもナンパホイホイ、男友達と居ても「そんな冴えない彼氏なんて放っておいて、俺たちと行こうよ」などと言われる始末。
なのでその対応も、もう慣れたものである。
「えっと、すみません。彼氏と待ち合わせているので……」
この断り文句は精神がガリガリ削られるが、背に腹は代えられない。男だと無理を通す――認めたくないが――主張をするよりも効果的なのである。まあ先ほどの例に有る通り、大体この次の台詞で「そんな冴えない彼氏なんて放っておいて、俺と行こうよ」と言われるのが定番パターンなのだが。
が、今回はどうやら違うようだ。
「そう、なのか。ふむ……君のような可愛らしい子は、やはり男が放っておかないか」
――実際は彼氏なんていないし、絶賛彼女募集中なのだが。
恥ずかしい台詞をぽろぽろ吐き出すナンパ君に愛想笑いを向けつつ、そろそろ我慢の限界だった祐希は、ずっと気になっていた事を口にする。
「……あの」
「なんだい?」
祐希の彼氏発言で残念そうな表情だった先ほどまでと打って変わってキラキラオーラで笑顔を見せるナンパ君に、祐希は半歩後退りながら問いを発した。
「えっと……貴女、女性ですよね?」
「…………」
「…………」
そして流れる沈黙。
暫しののち、ナンパ君――改めナンパちゃんはサッと笑顔を消して、
「女が女の子を好きで何が悪いッ⁉」
「マジギレするほどなの⁉」
本気度が素晴らしいほどだった。そして彼女の必死過ぎる形相に後退りする祐希。しかしナンパちゃんは距離を詰めるようにグイッと踏み出し、
「だって可愛いじゃん⁉ 天使じゃん⁉ 良い匂いするし柔らかいし思わず食べたいって思っちゃうでしょ⁉」
「知らないよそんな事⁉」
他人向けの丁寧口調が崩れている祐希。しかしナンパちゃんの勢いは一向に衰えない。
「別に俺が女でもいいじゃん! 抱きたいんだよ! 可愛いんだよ女の子‼ つぅかこれでも精一杯男っぽくしてんのになんでみんな分かるんだよ⁉」
「貴女が美女だからだと思うけど⁉ 確かに男装してイケメンに見えるけど、女子から見れば一目瞭然……ぐはッ」
言っていてダメージを受ける祐希。思わず口にしたが、今日一番のダメージだった。
「なん……だと? そんな、じゃあ俺の今までの努力って一体……いや待て、でも何人かは引っかかったけど?」
「居たんだ、引っかかった人……可愛そうに」
犠牲者は既に居たらしい。ご愁傷様である。
しかしこの女性、確かに男装してイケメンだが、女性の姿ならかなりの美人ではなかろうか。まったく、勿体ない残念美人である。
だがこの様子だと、祐希と同じく異性にはモテないだろう。いや、ある意味モテそうか。友達になっておけば、異性と仲良くなれるチャンスなのだから。
「というか、往来の場で何を叫んでるのかなぁ。台詞が完全に署へ同行レベルなんだけど。周りの人たち完全に引いてるから」
周りの人たち、と言っても二人しかいない。新品のスーツに身を包んだ新入社員らしき男性は苦笑いを浮かべており、もう一人の女子高生らしき少女は……何故かナンパちゃんの台詞に小さく頷いていた。この少女もしや、ナンパちゃんと同じ趣味の人なのだろうか。正直、関わりたくないと思った。
「馬鹿な、周りなど気にするような恥ずべき事はしていないし、この程度ならセーフだよ。俺は何度か警察に声を掛けられたから、加減は分かっている」
「やっぱり警察に目をつけられてるんだ。というか気にしようよ……って、いや、さっきのはアウトでしょ」
「まぁ逃げれば大丈夫だよ。さささ、その為に一緒にアイス屋に入ろうか」
「ちょ、私を巻き込まないでよ⁉」
さりげなく連れて行こうとする男装の麗人に必死に抵抗する祐希。が、何故か女性な筈の人に力で負ける男子の図が出来上がる。……外見は完全に逆なので、犯罪臭が半端ないが。
――そんな、全く以って日常的ではないが、それでもハラハラドキドキ(?)の日常系コメディが始まりそうな予感がする時の事だった。
ギュギギギギギギギギギギィィィイイイイイイイイイイイイ――ッッッ‼ と。
ゴム製物質がアスファルトに削られて焼き切れる音と共に、祐希の体は宙を舞った。
いや、彼だけではない。この場に居た四人が、冗談のように浮いている。
(――――え?)
声を出そうと思ったが、口から音は出ない。いつもの少女声を作り出す喉は役割を果たさず、代わりにぬめりとした液体が鼻と口から溢れ出た。
体が動かない。思考だけが、まるで何かを振り絞るようにして無理やり加速されている。
宙に浮いているが、しかし別に無重力空間でもないし、竜巻が起きた訳でもない。重力操作系超能力者な訳でもなければ箒で大空を飛べる魔法使いでもない彼には、全く状況が理解出来なかった。
――けれど。
最期の最後に、視界の端に、拉げたトラックが見えた気がした。
そして、段々と時間が進む速度が戻れば。
無慈悲にも彼らは地面に叩き付けられ――そこで、意識は消失した。
次回も宜しくお願いします。