報い
まずい。
まかりまちがっても、盗賊たちを相手に勝利するのは不可能だ。
そもそも流水拳以外には有効な戦闘力を持たない今の自分には、複数人を相手取るという選択肢がない。
たった二人の盗賊が相手でも、勝率は0だ。流水拳で一人を斃した後、瞬殺される自分の姿は想像に難くない。
そして一対一で考えても、幽霊さんと盗賊……一人生き残るならばあの頭だろうが、両者を敵として想定した場合、組しやすいのは間違いなく幽霊さんだ。
幽霊さんの最大の武器は防御力の高さだろう。攻撃がそもそも効きにくいというのが最大の武器なのだ。だから盗賊たちとの戦いを見ても防御に気を使う様子がまるで感じられない。あえて攻撃を受けて自身の攻撃を当てるという戦い方すら見えた。
それに対して、盗賊の最大の武器は回避力だ。攻撃力が足りないためにてこずっているが、これは相手が幽霊さんだからだろう。人間相手ならば、毒などを用いて攻撃力を上乗せするはずだ。
流水拳は回避可能なのか? それはわからない。そしてそんな不確定情報に命を懸けるようなばかげたギャンブルはできない。
幽霊さんならば確実に勝てる。だが、盗賊相手に流水拳が回避されれば終わりだ。だからこそ、幽霊さんに勝ってもらわねば困るのだ。
くそ、幽霊さんが勝つだろうという予想は願望が多分に入りすぎていたのか?
あの女性、神官である女性がどう動くかだが、そもそも盗賊たちに対幽体系モンスターの備えがあったらどうだったか。計画は最初から破綻していたはずだ。
いや、落ち着け! 今必要なのはここから状況の変化に合わせて最善手をとることだ。
読みが甘かった。
それがどうした。
そんな反省をしている暇があったら状況を見定めろ。反省はゆっくり時間ができてからやればいいのだ。轍鮒の急に雨乞いをしている場合か。
幽霊さんが勝った場合は予定通り行動する。
盗賊が単独勝利の場合は、不意打ちにかけるしかない。
気配察知に優れる盗賊に不意打ちは効かない。それが普通だ。であればとるべき手段はこの戦闘終了直後か……この外見を利用して一撃にかけるか。
あるいは戦闘直後にこの場を逃げるかだな。
そして盗賊複数が勝利した場合は、逃げの一手。つかまった場合は、殺されないことだけを祈ろう。人買いにでも売ってくれればまだ生き残るチャンスが広がるというものだ。
盗賊の頭が一人、女性神官のもとに走り寄った。
「おい、起きろ!」
怒鳴りつけるとともに平手打ちを加えていく。だが、女性の瞳はその焦点を狂わせたままだ。
「ちっ、仕方ねえ」
盗賊頭は懐から何か取り出すと、小瓶に詰まったその液体を女性に無理やり飲ませる。ほとんどは口の端から零れ落ちているが、それを気にする様子はない。
む、女性のところどころにあった痣が消えていく。それに体全体をぼんやりと光が包み込んだぞ。
ポーションの上位薬、ハイポーションか何かか?
あの頭、ポーションがもうないとか手下が言ってたのに、自分用に隠し持ってやがったな。
だが、見たところ女性のダメージは肉体ではない。精神面だ。精神面の傷を癒すことなどできまい。どうするつもりだ。
そう考えている私の視線の先で、盗賊頭はさらにふくらはぎに巻いたベルトから針を抜き、また懐から今度は手のひらにすっぽり収まるくらいの小さな金属容器を取り出した。
慎重な手つきでその金属容器のふたを開け、針をその中に差込み、抜き出した。素早く金属容器のふたを閉める。
いやな手つきをする。あの中身は毒だな。
男はその針を、無造作に女性の腕に刺した。
「……っうああっ!!」
今までまったく反応を示さなかった女性が、まるで飛び跳ねるように転げた。
「どうだ、痛ぇだろ。ヒィッツヒトゥって植物からとれる毒よ。こいつは便利でな。痛みはすげぇのに毒性はそこまで高くねぇ。拷問にはよく使われるんだぜ。ほらよ」
今度は太ももだ。
「ああああ!」
再び転げまわる女性。かなり痛いようだな……。
「さて、俺の言うことが聞けねぇってなら次はそのかわいい乳首に刺してやってもいいんだぜ」
「ひぃっ!」
痛みに顔をゆがめながらがくがくと震える女性。
「手前ぇ、神官だな。武器に光属性をつけることはできるか?」
「はぁはぁ、で、できます……」
「おう、できるのか!」
「た、ただ……」
「なんだ、何かあるのか、早く言え」
「い、1回が限界、です。あと、杖が……ないと」
「杖だな、待ってろ!」
盗賊の頭はすぐさま荷物が置かれた一画へ走ると、あまり高級そうには見えない杖を持って戻ってきた。
「これでいいな、すぐにやれ!」
「ひっ、は、はぃ」
男はちらりと手下たちのほうへと視線を走らせる。
すでに手下たちは幽霊さんの餌食となりつつある。男が女性の下に来た時点では3人が残っていたが、それから2人がやられ、もう残るは1人だ。
「……女神よ、邪悪を祓う力を勇者に与えよ」
女性神官の詠唱完了とともに、盗賊頭の武器に光が宿る。
これは……一対一でも、この盗賊とやりあうのはきつい。拷問道具を扱う手つきといい、ただのチンピラ盗賊や山賊とは思えない。裏社会にかなり深く踏み込んでいる人間と見た。
選択は逃げだ。
決着しだい、出入り口が開く。その瞬間を逃さずにここから脱出だ。
「おい、回復魔法も使えるな!?」
「は、はい」
「ならついてこい、俺が傷を負ったらすぐに回復しろ、いいな!」
そう言うや否や、女性神官を引きずるように幽霊さんに向かって駆け出す。
盗賊2人、それに女性神官か。
幽霊さんの勝ち味が薄くなったな。そして、自分が動くタイミングも今がベストだろう。
再び隠し扉、今はもうすっかり開いているが、その奥から部屋へと飛び込む。
戦いの行方には目もくれず、一目散に出入り口が出現する壁面に向かう。背後から聞こえてきた悲鳴にちらりと視線を向ければ、唯一残っていた手下が幽霊さんに縊り殺されていた。その手から滑り落ちた長剣が甲高い音を立てて床に跳ね、盗賊頭の背後へと転がっていく。
幽霊さんの両手がふさがってる好機を逃すことなく、盗賊頭は斬りかかった。
「ぎゃああああああ!」
この悲鳴は幽霊さんのものだ。
女性神官のかけた魔法はだいぶ効果を発揮しているようだな。
その間に、こちらは目的地にたどり着いた。
できる限り気配を殺しつつ身をかがめ、床近くで体を小さくする。
戦いの様子をじっくり見るようなまねはしない。
人間に限らず、視線というものはなかなかに力があるものだ。こちらの存在を気づかせる可能性はできるだけ少なくしなければならない。
「死ねえええええ、クソ化け物があああああ!」
盗賊頭の渾身の一撃が幽霊さんをとらえる。
決まったな。
わずかに腰を浮かし、いつでも動き出せるようにする。
おそらくだが、あの男の意識は幽霊さんを倒したあとに出現するエネルギーストーン……私も手元に持っているわけだが、そこに向くだろう。その呼吸を逃さず、脱出だ。
それにしても。せめて何か着るものを手に入れたかったなあ。まだすっぽんぽんなんですが。ぷらんぷらーん。
「GUUUAAAAAA……」
呪詛のようなうめきを残して、幽霊さんの姿が薄れていく。
盗賊の頭も肩を大きく上下させて荒い息をついている。神官の援護でだいぶ楽になったとはいえ、手下も全員失い、決して楽な戦いではなかっただろう。
よし、これならうまく逃げ出せそうだ。
そうして出入り口が再び出現するのを待っている私の視界の隅で。
女性神官が、自身の目の前にいた男に体当たりをした。
振り返った男の目が驚愕に見開かれる。
「て、手前ぇ……」
震える腕で長剣を振り上げるが、そこで力尽きた。
男の体を、背後から長剣が見事に串刺しにしていた。最後の手下が持っていた長剣だ。
杖だけならばと、油断したな、盗賊頭。
強敵をようやく倒し、一瞬、気が抜ける。その瞬間。
その瞬間を待っていたのは私だけではなかったということか。
そして私が自身の安全性から捨てた選択肢を、それしか選べない者がいたということだ。
ふむ。新しい選択肢が出現したな。さあどうしようか。




