前進
さて、意を決して出発してみれば、扉の先はこじんまりとした一本道。
この体には十分広いが、大勢が頻繁に行き来するような道ではないことがうかがえる。
「さてさて、どこまで続いてるかな」
思ったことを、わざわざ口に出して確認する。
この体になってから、まともに話せるようになった。それはいいのだが、なんだかうまく言葉が発せられないような気がするので、練習がてらしゃべっているのだ。
早口言葉? やりません。
それにしても、周囲に魔物の気配が一切しない。あの幽霊さんはいったいなんであんなところで扉に挟まっていたんだ?
通路は思ったよりも早く、行き止まりを迎えていた。
体感距離にして100メートル進んだかどうかというところだろう。
目前には上り階段。
しかしその先には石造りの天井。
わかる、わかるぞ。
これはあれだな。つまりこれは隠し階段で、今歩いてきたのは隠し通路。そしてこの天井は隠し扉になっている、と。
ふふふ、冴えてるね。さすが私!
などと自分を鼓舞しないと寂しさに押しつぶされそうです。孤独だ……。思えば何がなにやらわからず怪人になってからも、常に周囲には誰かしらいてくれたからなぁ。
博士ー。ボスけてー。
さて、現実逃避はここまでにして周囲を確認。
おお、上り階段そばの壁面に取っ手を確認。こいつを引っ張ればいいんだな。
さーて、引こうか……ん?
おやおや。なにやら、階段の先、隠し扉と思われる天井の向こうから話し声のようなものが聞こえてくるぞ。
ここは慎重にいこう。切り札というべき流水拳は魔力不足で使えない。あの後卵の殻は全部食べたが、全回復までは至らなかったのだ。現状で8割に満たない程度だろう。これくらいはいちいちステータスなんぞ見ずとも、自身のエネルギー残量として確認できるのだ! ビバ怪人、秘密結社の科学力は世界一イイイ!
さて、何を話しているかなぁ。
「……おい、そっちには落とし穴があるはずだぞ。気ィつけろ」
「落とし穴つったって、動いてねえんだろ。だったら平気だ」
「ばかやろう、下手に刺激して他の罠まで作動したらどうすんだ、ちった頭使え!」
「はっ、てめぇに言われたかねえよ!」
「んだと!」
「てめぇらうるせえぞ、少し黙っとけ」
「……ちっ」
……。あーはい。なんだろ、えらい粗野な言葉遣いですね。山賊とか盗賊の皆さんでしょうか。
今の会話からすると、少なくとも3人は確実にいると。
おや。遠くからどかどかと足音が近づいてきますねぇ。また人数が増えるようですよ、奥さん。
「いやっ、放して、放してください!」
うーん? 若い女性の声?
どさり、と人間が投げ出される音が響く。
「かしらぁ、なんですその女? 冒険者には見えませんぜ」
「なに、この迷宮のそばをうろついてやがったからな。ちょいとご招待したってわけよ」
「ううぅ。こ、こんなことはお止めください! 悔い改めれば、女神はあなた方にも必ず祝福をくださいます!」
「……お頭、その女、神官ですかい。辛気臭い説教は勘弁ですぜ」
「なぁに、神官でも何でも、裸にむいちまえば一緒よ」
男たちの下卑た笑い声が重なる。
「こ、ここはまだ未踏破の迷宮のはず。こんな危険な場所にどうして……」
女性は気丈に男たちに問いかけるが、その言葉の最後は震えが混じっている。
「なに、難しいこっちゃねえよ。このボス部屋は、なぜか迷宮のボスが出現しねえんだよ。おまけに迷宮1階からこの最深部に通じてる隠し通路があるときてる。便利なもんだぜ」
「おい、余計なことをしゃべるな!」
「ひっ、す、すいやせんお頭っ!」
「ふん。……ま、見つけたのは偶然だがな。そこの馬鹿がいったとおりってわけよ。騎士団どころか冒険者すらたどり着いてねぇ。こんな隠れ家はそうないぜ」
再び、男たちの笑い声が重なった。
「さて、ここまで知っちまった以上、帰すわけにはいかねえってことだ。なあに、おとなしくしてりゃ可愛がってやるぜ。ふざけたまねをしたら、すぐにモンスターのえさにしてやるから、そのつもりでいろよ」
「ひっ……!」
それから女性の悲鳴が響くと、盗賊か山賊かわからないが、頭と思しき男の順番だという叫び声、順番を決める男たちの下品な笑い声、そしてやがて、獣欲に満ちた息遣いが伝わってきた。
……ふむ。
なかなか得るものの多い情報収集だったな。
え? 女性? 助けませんよ? というか助けられません。無理無理。自分の身もまともに守れないこの体で、他人まで守れると思ってるんですか。大体おっさん、怪人よ。正義の味方じゃありません。
さて、ここは研究所だと思っていたが、迷宮だったのか? いやしかし、迷宮の奥底に放置はさすがにないだろう。それにあの部屋の設備は間違いなく研究所のそれだ。おそらく、迷宮を研究所として作り変えたのではなかろうか。
そしてこの隠し扉の先が迷宮最奥のボス部屋兼守衛部屋。
ボス部屋には落とし穴などのトラップが多数仕掛けられており、そのうちのひとつにカモフラージュされてこの隠し通路があると。
うむ、なかなか凝った仕掛けだな。秘密基地にふさわしい。1階からの直結路ってのは、あれだな。たぶん魔方陣型エレベーターじゃなかろうか。
しかしボス部屋にボスがいないとはなぁ。
……ん? んんん?
あれ? ボス部屋から通じる隠し通路があり、その先の扉に引っかかって動けなくなってた幽霊さんがいた、と。そしてボス部屋にはなぜかボスが沸かない、と。
これって考えるまでもなく、あの幽霊さんがボスなんじゃね。
そうなると……ちょっと考えなければならないぞ。今の状態では流水拳は使えない。流水拳が使えない状態であの幽霊さんを倒すのはまず不可能だ。もし幽霊さんがリポップしてこの部屋に出現したら、脱出は不可能になる。おっさん、詰み。
い、いかん! ボスのリポップって大体何分くらいだ!? ゴブリンキングは……だめだ、あいつは再戦してない。参考にならん! 情報端末でその点も確認しておけばよかった……!
とにかく落ち着け。ひっひっふー。ひっひっふー。素数を数えるのは難しいから偶数を数えよう。2、4、6、8。
うむ、良し。
とりあえず、今すぐでも幽霊さんが出現したらどうするか考えよう。
おそらく、出現した幽霊さんと盗賊と思しき男たちが戦闘に入るはず。その隙を狙って脱出するのが一番いいだろう。これだな。
……いや、待て。なにか重大な点を見落としてる、忘れているような気がするぞ。
ゴブリンキングと戦ったときのことをよく思い出せ。
準備を整え、エネルギーパックを確認し、部屋に突入。すると背後で扉が……。
そうだ、扉が消えた。ボスを倒すまで扉は開かなかったはず。何で忘れてたんだ。
くそ、そうなるとまずい。さっきの手は使えないぞ。
とりあえず、幽霊さんと盗賊どもを戦わせるのはいい。二虎競食の計だ。だがどちらが勝ち残るにせよ、残ったほうを片付けるためには、流水拳が使えないのはまずい。逃げるにしてもだ。
だとすれば。
頭の中で自分のとるべき行動を確認する。
正直、都合よく物事を考えすぎだと思う。だが、それしか生き残る道がなさそうだ。
よし、作戦は決まった。隠し扉から離れ、扉を開閉するためと思しき取っ手の傍に立つ。
あと必要なのは覚悟だけだ。
心臓が激しく鼓動を打つ。まったくもって自分が小心者だとつくづく感じさせてくれる。
そんなことは昔から重々承知だ。踏ん張れ俺! 気持ちが怖がるのは昔から、ならば頭で、理性で自分の行動をコントロールする。気持ちを押さえつけるのは理性だ! 打算だ!
この感覚、怪人になってからは久しく味わってなかった。なんだかこの幼い体になって、精神性が人間だった頃に近づいているような気がするなぁ。自分を俺と呼ぶのも、久方ぶりだ。
背筋に寒気が走った。
来た。この感覚、間違いなくあの幽霊さんだ。まもなく出現するだろう。
「なんだ!」
「お、お頭、扉がしまっちまいましたぜ!」
盗賊どもが騒ぎ出した。
まだ、まだだ。
「うわああ、なんだコイツ!」
「ちっ、おめえら、武器を取れ、急げ!」
ばたばたと男たちの動く気配と足音がする。
「オオオオオオオオオオオ!」
おぞましい叫び声が響いた。
「ひるむな、やっちまえ!」
「うおおお!」
男たちの怒声が重なる。
今だ!
取っ手を力いっぱい、体重を乗せて引っ張る。
--ガゴン、ガゴン。
小さくきしみながら、隠し扉がゆっくりと開かれていく。
さあ、行くぞ!!




