幕開け
「あうぅ」
姿見の中の子供が情けない声をあげる。ちなみに全裸である。
まさかこんな姿かたちになってしまうとは。精神年齢がおっさんなだけに、思った以上に苦痛だぞ、これは。
いくら「心は少年のまま!」なんていっても、そんな訳ない。それは「大人から見た少年の心」だ。
しかし一方で、人間の精神は肉体に引っ張られる。博士も言ってたとおりだ。
さて、自分は果たしていつまで自分でいられるのか。それとも、もうとっくに自分ではなくなっているのかな。
(その可能性はなきにしもあらずだよなぁ。あんだけ血まみれで平気とかなかったもんな)
ここら辺は以前も思ったが、なるようになるしかない。
さしあたって、まず生き残ることだな。そしていったい何がどうなっているのか確認すると。
周囲をうかがいつつ、何か役に立ちそうなものはないか、生きている機械やシステムはないかを探していく。
「あ、う」
おっと、足元がふらつく。
こてん、と尻餅をついてしまった。
「うううむぅ」
こりゃいかん。あんよがお上手レベルの動きしかできないぞ。
強化改造をしたはずがこの状況だ。以前の自分とはまったく別物と考えたほうがいいな。ああ、苦労して肉体強化したのになぁ。なんでこんなことになったのやら。
さて。
周囲に生きてるシステムはまったくなし。
そして出入り口すらどこにも見当たらない。なんだここ? 座敷牢?
そんなわけないな。あの謎テクノロジーの塊だった秘密結社の研究所だ。どっかに出入り口があったんだろうが、エネルギーがきてないからまったく意味がなくなってるんだろう。
ううむ、さて、ファーストミッションはこの部屋からの脱出か。
タイムリミットはエネルギーが切れるまで。……卵生の野生動物が最初に迎える凶悪ミッションだな。子供のころから動物番組が好きでよく見ていたが、卵からかえって、成長の軌道に乗れるかどうかはほぼ運だ。いきなりリアルラック頼りというのはきついです。おっさん、リアルラック悪かったんですよね。
目が慣れてきたのもあるのか、それとも視覚情報を脳みそがうまく処理できるようになってきたのか。周囲の様子が、最初に比べてわずかに鮮明になってきている。
おや。
部屋の片隅に鎮座しているカプセルのなかに、何か入っているぞ。
おお、これはエネルギーパック!……の、残骸。
むぅ、どれもこれも破損しているか、空っぽだ。これがひとつあるだけでだいぶ安心感が違うのだが、仕方ない。
ちょっと不安になったので、今の自分のエネルギー残量を探ってみる。
ふむ、7割といったところか。
今すぐ動けなくなることはないが、余裕はなさそうだ。幸い、この体には口がある。早めに魔物を駆る手段を確立して、安定的にエネルギーストーンを入手できる環境を整える必要がある。
そういえば、昆虫なんかだと卵の殻を食べて最初のエネルギーにするケースがあるな。
トタトタと、まだまだおぼつかない足取りで最初の位置に戻る。
穴を開けて出てきたときにちらりと確認していたが、やはり、自分が閉じ込められていたのは卵のようなものだ。
割ったときに地面に散らばったその破片の中からひとつ、掌の半分ほどの大きさのものを手に取り、口に含む。
カリッ。
歯が生えていてよかった。難なく噛み砕くことができる。
カリカリカリカリカリカリカリカリ、こっくん。
結構なお手前で。
などとあほなことを考えている場合じゃない。
どうやらこの卵の殻はエネルギーに還元できそうだ。わずかではあるが、満たされたような感覚がある。
よし、ならばすべて食べてしまおう。
ふぅ、食べた食べた。
まだ殻は半分ほど残っているが、お腹いっぱいだ。残りはお弁当代わりに持っていくことにしよう、ここを出られればの話だが。
そのためには持ち歩くための袋がほしいな。何かないか?
お、壁際に布っぽいものの端切れ発見。あれに包もう。
よいしょ。
あれ? 何かにひっかかってるのか、取れないぞ。
うーーーーーーーーん!
はぁはぁ。と、取れない。
よく見てみると、布の反対側が壁の中に入り込んでいる。
むむむ? もしかして、この壁、扉じゃないか?
よくよく観察してみると、やっぱり扉だ。布は扉の向こう側から伸びている。閉めたときにはさまれてしまったんだろう。
偶然にも脱出路が見つかったな。
問題はどうやってあけるかだ。まったく、ハイテクノロジーってやつはどこか一箇所が壊れると役に立たなくなるから困ったもんだ。
さて、こういった扉は非常時には手動で開閉ができるようになっていると思うのだが。ロック解除はどこかにないかな。闇雲に部屋中を探していたときとは違って、扉と思われる壁周辺だけを集中して調べるから、見落としも少なくなるはずだ。じっくり見ていこう。
お、壁の一部にへこみ発見。あそこが開いてハンドルあたりがでてくると見た。
よし、次は踏み台になるものを探そう。
さて準備完了。この体だと本当に不便だ。博士たちをさっさと見つけて成長させてもらおう。
へこみに手をかける。
足場があまり安定しないので力を入れづらいが、手前に引くと思ったよりも簡単に開く。中にはハンドルとハンドルの差込み口があった。よし、予想通りだ。
うおおおおおお! ハンドル重い!
肉体に命令を出す、奥の手である肉体リミッター解除を使ってもいいが、この体では反動がきつそうだ。その回復にエネルギーを消耗してしまうことが怖い。ここは素直にがんばろう。
ゆっくりと扉が開かれていく。しかしそんなことに気をとられている余裕は今の私にはない!
うおおおおお回れハンドル! 貴様を回すことこそ我が野望! 我が夢なのだあああああ!
ズルッ。
「ほげぇ」
勢い込みすぎて足元が崩れてしまい、踏み台ごとひっくり返る。
「いたたた……」
危ない危ない。ついつい夢中になって目的と手段がひっくり返ってしまった。素っ裸だから怪我には気をつけないとな。
扉を見れば、ほぼ全開。
良し、ミッション完了だ。あとは扉に挟まっていた布に卵の殻を包んで出発しよう。
そう思って布があった場所を見ると、布がない。
「……」
ぞわり、と背中を悪寒が駆け上がる。
開け放たれた扉の奥から感じられる気配は死臭が漂う。
部屋の奥へと後ずさった私を追うようにその気配は近づき、姿を見せた。
端がよれよれになった、汚れたドレスを身にまとった、青白い、半透明な顔をした女性。
詳しく知るすべもないが、間違いない、不死者の類、簡単に言えば幽霊さんだ。
何で幽霊が物理的な布を身にまとってるんだよおおおお!
心の中で突っ込みを入れるが、わかってる、それどころじゃない。
こいつ、間違いなくこっちを狙ってる。
いかん、おしっこちびりそう。なんていうか、ラスボスみたいなプレッシャーすら持ってるぞ、こいつ。目茶目茶格上だ。
そしてスライム以上に物理攻撃の利かない相手であり、おまけにこちらはこの幼児体型。
詰んでる。打つ手がない。なにか、なにかないのか!?
頭の中はすっかりパニックになっていて、だから。
その行動は無意識の、この身体の根っこに刻まれた本能的なものだったに違いない。
襲い掛かってきた相手に対して放たれたそれは、流水拳。
流水拳(極)。
今、おっさん(現幼児)の伝説が幕を上げた。




