椅子の傷
宇多法皇は、お供の良利を連れて、内裏に入る許可を得て中に入った。
「やれやれ、かつての我が住み処だというのに、許可を得なければ入れないとはな。これも因果応報というものか」
院(法皇)はそう言って、御椅子の間に入ると、椅子を見て言った。
「おお、この椅子、まだ残っておったのか。懐かしいこの椅子よ」
そう言って、椅子の手すりをなでて、良利に言った。
「分かるかな。この手すりのところが少し欠けているだろう。この傷は、私がつけたものなのだよ」
「どういうことですか?」
「私が、一度は皇族から外されて、臣籍に下ったことは知っているだろう」
「はい。存じております」
「あの頃、私は他の者達と共に源氏の姓を賜って、源定省と呼ばれていたものだ。
そのころ私は、業平と…あの歌人の、在原業平だよ。業平と、この御椅子の間で相撲をとって、その時に二人して倒れ込んでこの椅子にぶつかり、それでこの手すりが欠けてしまったのだ。
ああ、もうあれから、三十年近く経つのだなあ」
「そんな事があったのですね。今ではとても考えられませんが」
「そうだな。それから思いがけず、また皇族に戻ることになって、私が天皇の位を継ぐことになった…フフフ、さすがの業平も、そうなってはとても相撲をとる気にはなれなかっただろうなあ」
そうして、院は言った。
「のう、良利よ。人にとっては、位が高いことと低いことと、どちらが幸せなことだと、お前は思うかね」
「そうですね…。人にとっては、自らの望みを果たすことができて、妨げられることが無ければ、どのような位にあっても、それが幸せなことだと、私は思います。
とはいえ、一般的に言って、位が高いほど妨げられることが少ないものですから、普通は位が高いほうが幸せであろうと思います」
「そうであろうな。私は、位を継いでからも、藤原基経に何かと妨げられて思うに任せず、基経のことを疎ましく思っていたものだ。
私はその頃、自らが基経であればと思っていたものだが、あるいは基経のほうでも、自らが定省であればと思っていたのかも知れないな。
その後も、藤原氏の一部や、先の院や、女御たちとの付き合いにはずいぶん悩まされたものだ。
上皇になってからも、自らが位につけてやったと思っていた我が子から、思わぬ反発をくらって、菅原道真が太宰府に流されて死んだ時も、それを止めることができなかった。
そんな日々に、私の心を慰めてくれた、あの黒猫も、今はもういない…。
位は高くても、人生はなかなか思い通りにはいかないものよ。もっとも、こんな私の悩みなどは、世の常の人々の悩みからすれば、贅沢な悩みなのだろうが」
「いえ、そんなことは…。人には皆、それぞれの悩みがあるものでございます。
天人にさえ、五衰の憂いがあると申します。ましてや、命短い我々は言うまでもございません」
「そうであろうか。そうかも知れないが、人には、他の人の悩みは、なかなか分からないものだからな。
ああ、今になってみると、ああやって業平と相撲をとっていた頃が、私にとっては、一番幸せな時であったように思えてくるものよ。
しかし、なぜなのだろうか。その頃にだって、やはり悩みも苦しみも持っていたはずであるのに。それは、今になって、その時のありがたみが分かるからなのであろうか。それとも、年をとると、昔の悩み苦しみなどは忘れてしまうから、昔は良かったかのように思えてくるのであろうか。
いや、おそらくはこれも一つの迷いなのであろう。先のことを悔やまず、後のことを恐れず…。いかにもそうでありたいと思ってはいても、なかなか迷いとは断ち難いものであることよ」