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女王と奴隷  作者: 右近橘
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地獄絵図

月明りが綺麗な夜中。

ペルシア軍は急いで移動しなければいけないという状態にあったが、視界の悪い夜に動くわけにもいかない。兵達の休息も必要なため、夜は野営して身体を休めている。

しかし、そこにカンビュセラの姿はなかった。

彼女は既に別行動を取っていたのだ。

多くの兵が小さな天幕の中で休んでいる中、アフラムは手枷を嵌められたまま、砂の上に布を広げてそこに丸まっている。

何とか眠ろうとしているが、連日ろくな食事にもあり付けていないというのにひたすら砂漠を走り続けていたため、空腹が遂に限界を迎えて腹がグーグー鳴って眠れずにいた。

目を閉じて必死に眠ろうとしていると、突然食べ物の匂いがアフラムの鼻をくすぐる。

その匂いに反応して、アフラムは両目をパッチリと開けて起き上がった。


「これ食うか?」

そう言って老将ヒュダルネスが一切れのパンを持って、アフラムの視界に映り込んだ。


「い、いいのか?」


「ああ。陛下がもしもお前が欲しそうにしていたら、与えても構わんとの仰せだったのでな」


陛下、と聞いてアフラムは一瞬躊躇うが、空腹に負けてパンを受け取ると貪るように食べる。


「陛下より、お前がエジプト人の魔導士部隊を蹴散らしてくれたと聞いた。陛下はあのご気性なので、私が代わりに言わせてもらう。ありがとう。感謝する」

ペルシア帝国の老将が砂の上に跪いて頭を下げ、礼の言葉を述べた。

アフラムは何とも言えない恥ずかしい気持ちになって頬を赤くする。

「べ、別に大したことじゃないよ」


「本当ならもっと豪勢な食事でも振舞いたいところだが、こんな砂漠でこれだけ大勢の兵士の食糧を用意するのも大変でな。今はこれだけで我慢してくれ」

しかも特に補給線を断たれるかもしれないこんな状況では、パン1つでも貴重である。


「なあ。そんなことより、1つ聞いてもいいか?」

まだ育ち盛りの胃袋は満足していないものの、とりあえずの空腹は免れたアフラムには気になることがあった。


「何だ?せめてもの恩返しに、私に答えられることなら何でも答えよう」


「あの女ってどうして、あんな性格なんだ?」


「ん?陛下のことか?んん、難しい質問だな」

ヒュダルネスは険しい表情を浮かべる。

まだカンビュセラと出会って数日だが、アフラムにはなぜ彼女があんな性格になったのかが理解できなかった。

それも無理はない。

カンビュセラが生まれた時にはもう既にペルシア帝国の重臣の地位にいて、彼女の成長をずっと見守って来たヒュダルネスでさえ、カンビュセラの全てを理解できるとは言い難かったのだから。


「お前にはまだ難しいかもしれんが、世界一の大帝国ともなると色々としがらみが多くてな。恐らくそう言ったものを煩わしく思われた末に、今のような性格になられたのではないかと私は思っている」


「柵、か」

正直、分かるようで分からないというのがアフラムの本音だった。

ワルフラン族の小さな集落で生まれ育ったアフラムに、世界一の大帝国の裏事情なんて理解できるはずもない。そもそもアフラムはまだ純粋無垢な子供なのだ。




─エジプトのとある海岸─

ポルクラテス軍が夜営をしているすぐ近くの海岸に、三段櫂船さんだんかいせんと呼ばれる軍船が数百隻もずらっと並んで停泊していた。

ここに集まっている軍船は、いざという時にポルクラテス軍がすぐにエジプトから逃げられるようにこの海域にいる。

その艦隊に向けて今、悲劇が巻き起ころうとしていた。

綺麗な満月を背に、その悲劇の元凶は姿を現す。

「さあて、始めましょうか」

カンビュセラは不敵な笑みを浮かべて言う。

彼女が今立っているのは地上ではない。まして海上に浮かぶ船の上でもない。

空中に浮いているペルシャ絨毯の上だった。

豪華に幾何学模様が描かれたペルシャ絨毯は当然の如く夜空に舞って、カンビュセラの身体を空高くへと導いている。

カンビュセラが徐に右手を軽く上に上げた。

それと同時に彼女の周囲に無数の光の粒が集まり出し、矢のような形を形成していく。その数は裕に100を超えているだろうことは一目で分かる。

「この世の地獄を妾が見せてあげましょう」

ほぼ全ての矢が完成すると、カンビュセラは上に上げている右手を前に下ろした。

それを合図に、闇夜に浮かぶ魔力の矢は一斉に地上に向かって降り注いだ。

その余りの多さに地上から見れば流星群が何かだと思うだろう。現にたまたまそれを目にした見張りの兵士は最初はそう思った。

しかし、すぐに自身の浅はかさを悔いることになる。

流星群のような矢の群れは、真っ直ぐ艦隊へと落下した。

1本1本がそれぞれ軍船に命中すると爆発を起こして、就寝していた水夫や兵士達を衝撃と爆音で叩き起こす。

「な、何だ!?敵襲か!」


「見張りは何をしていた!敵はどこにいる!?」


急いで臨戦態勢を布くも、遠く離れた空中にいるカンビュセラを見つけられるものはいない。

その間にもカンビュセラは次の矢の用意をしているが、地上からは無限に広がる星空と同化してしまっていて星と見分けがつかない。

「寝ている間に地獄を見れた人と目を覚ました間に地獄を見る人。果たしてどちらの方が幸せですかねえ」

カンビュセラは再び100以上もの矢を天から落とす。


矢は軍船の船体を貫いて内部へと侵入し、そして爆発する。

木造で作られている軍船で爆発が起きれば、次に発生するのは火災である。

水夫も兵士もどこからか攻撃を仕掛けてくる敵の前に、軍船に付いてしまった火を何とかしなくてはならない。これほどの攻撃なのだからさぞ大軍勢が攻めてきたのだろうと、艦隊の者達は誰もがそう思いながら必死に火を消す。

しかし、彼等はそれが間違いであることを知ることすらできぬまま冥界の門を潜ることになるのだ。

「早く火を消せ!敵はまだ見つからんのか!?」


「どこにも見当たりません!」


「よく探せ!暗闇に潜んでいるんだ!照明弾を上げよ!急げ!」


艦隊は、ペルシア軍の補給線と同じくポルクラテス軍の生命線である。幾ら危機に陥ろうとも、艦隊を捨てて陸上に逃げることは味方を一気に不利な状況に追い込むことになる。

それを皆分かっているからこそ、必死になって消火に励んで軍船を守ろうとしていた。


天という高みから、それを見下ろすカンビュセラにとって、そんな努力は道化師の戯れとそう差は感じられない。

「しょせん地蟲シャラートの足掻きとは言え、妾の目を楽しませる程度の働きはしてくれましたね。ですが、次の一撃はこれまでの比ではありませんことよ」

カンビュセラの周辺の空間には、これまでに放った矢の2倍3倍の量の矢が夜空に浮いて矢先を海上の軍船へと向けていた。

諸王の王(シャーハンシャー)たる妾に背いた報いです。消えない、地蟲シャラート

夜空を埋め尽くさん程の無数の矢は、一斉に地上に向かって放たれる。

それは止めであった。

夜空より降り注いだ無数の矢は軍船の船体を破壊して炎上させ、水夫や兵達に軍船の消火を諦めさせた。

彼等は我先にと海へと飛び込み、身の安全を図る。

海の上で燃え盛る艦隊のその様は正に地獄絵図である。逃げ遅れた者は炎に焼かれ、沈んでいく船に巻き込まれて溺死してしまう者が続々と現れた。


「フフフフフ。まったく惨めな光景ですわねえ。死に損ないの後始末は妾の趣味ではありません。精々頑張って生に縋り付きなさいな」

そう言い残して、カンビュセラは闇夜の中に消えていった。


艦隊は1隻残らず炎上している。

この状況を生み出した元凶が去っても、それが変わることはない。

艦隊を包み込む炎はさらに勢いを増し、海へと逃れた乗組員達に看取られながら、海の藻屑と化していく。



ポルクラテス軍の退路を担う艦隊が全滅したことは、すぐにポルクラテスの下へと知らせられた。

「そ、そんな馬鹿な!」

夜間に突然現れた艦隊よりの使者に、何事かと思っていたポルクラテスは艦隊全滅の報に眠気が一気に吹き飛んだ。

「そんなことあるはずがない!私の艦隊は世界最強なのだぞ!100隻を超える大艦隊なのだぞ!それが、たった1夜にして・・・」


「ど、どうしますか?ポルクラテス様」


「こうなっては仕方ないだろう。生き残った水夫達と合流して、海岸沿いを通って逃げるぞ」


「で、ですが、それではスメルディス様との協定が!」


「あのような男との協定よりも、今は私達の安全が第一だ。1度故郷近くまで戻り態勢を立て直す。なあに、心配は要らんさ。スメルディスもエジプトもそう簡単にやられはしない。そんなことよりもすぐに撤退だ。夜明けと共に撤退できるように各部隊に伝えて来い!」


「は、はい。分かりました」

不利と判断するや、ポルクラテスはすぐに戦いを放棄して逃げ出すことを決意した。

敗戦色の濃い戦いを避ける姿勢は評価できるかもしれないが、少なくとも部下達はこのポルクテラテスの即決で協定破棄を決めたことを腰抜けと心底で嘲るのだった。




夜明け頃。

砂地の上に布いた布地に丸まって眠っていたアフラムは、先日までの疲れもあってか、とても寝心地の悪い環境の中でも気持ち良さそうに大口を開けて眠っている。

そこへ強烈な衝撃が腹を襲った。

「ぐわッ!」

鈍い音と共に訪れた衝撃にアフラムは眠りを覚ます。

手枷を嵌められて不自由な両手で痛む腹を抑えながら辺りの様子を窺う。


「まったく。玩具がいつまで寝ているのですか?」

少し不機嫌そうにしているカンビュセラが、アフラムを見下ろしていた。

アフラムの腹を襲った衝撃は、カンビュセラの足蹴りだったようだ。


「な、何なんだよ。こんな朝っぱらから暴力なんて」

悪態をつきながらもアフラムは痛む腹を抑えてつつ立ち上がる。


「すぐに行きますわよ。ポルクラテスは尻尾巻いて逃げるようですから、あなたは奴等が反転して妾の背後を襲って来ないか見張っていなさい」


「はあ!?何で俺がそんなことを!」


「ヒュダルネスからパンを持ったんじゃなくて?食べ物を恵んでもらった恩も返さないなんて、ワルフラン族のレベルもたかが知れていますね」


「うぅ。・・・わ、分かった。あのおっさんに浮けた恩は返す」


「では、頼みましたわよ」

カンビュセラは不敵な笑みを浮かべる。

アフラムも徐々にではあるが、カンビュセラに何だかんだ言って従順になり始めていた。

そのことを見抜いているカンビュセラは自分の躾が行き届いているからだと内心で己を褒めた。

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