刺客
幾多の国や民族が自分達の平和のため、自分達の利益のために戦争を繰り返す時代。
父王が何者かに暗殺され、貴族達の思惑が渦巻く中即位したカンビュセラは、自分を利用しようと目論む者達を次々と処断して絶対的な権力を掌握する。
やがて周辺諸国へと攻め込んで領土を広げ、占領地域には王の権力に逆らえないよう厳しい法制を布き、臣民に平和と秩序を与えた。
彼女の強力な統治能力に、民衆はカンビュセラを世界を統べる王、『諸王の王』を呼んで喝采を挙げた。
─ペルセポリス大宮殿─
東の空から太陽が昇り始めた早朝。
眠りから覚めたカンビュセラは、まず大浴場に向かう。
これが彼女の日課だった。
朝から長い入浴を終えた彼女は風呂から上がり、いつもの黄金のドレスに着替える。
そして諸王の王としての仕事を始めるのだった。
カンビュセラが玉座の間に現れる頃には、もう既に数十人の臣下がこの広間に集まっていた。
「皆、ご苦労様です」
そう言って、カンビュセラは玉座に座る。
どこまでも相手を見下すような傲慢な眼差しを目の前にいる臣下達に送りながら、カンビュセラは彼等に重大な発表をした。
「来月に控えたナウル祝祭ですが、今年を持って廃止しますわ」
ナウル祝祭。それはペルシア帝国にとって重要な宗教行事である。
国と王の繁栄を神々に感謝するこの行事を廃止することは、神々を蔑ろにすることを意味していた。
そんなことをさらりと言ってしまうカンビュセラとは対照的に、集まっている貴族達の間には動揺が走る。
特に神官のガウマタは我慢ならなかったのか、死刑も覚悟でカンビュセラに異議を申し立てる。
「お待ちください陛下!無礼を承知で、あえて申し上げます!ナウル祝祭は帝国の繁栄を神々に感謝するペルシアにとって重要な国家祭祀の1つ。これを廃止とは、納得できませんッ!」
「分かりませんか?あなたは今、神々に感謝と言いましたね。しかし、このペルシアをここまで発展させたのは誰ですか?神々でしたか?いいえ、この妾です!この諸王の王カンビュセラですわ!妾と共に戦場を駆けた将軍が、兵士が血を流して戦っている間、あなたが感謝すると言った神々を何をしていたのですか?ただ天に座して妾達を見下ろしていただけでしょう。そんな奴等に国庫の金を割いてまで一体何を感謝するのです?」
カンビュセラが一言一言を発する度に、玉座の間に稲妻でも落ちたかのような感覚が貴族達を襲う。
徐々に機嫌を悪くするカンビュセラに貴族の中には息をするのも忘れる者すらいた。
「し、しかし。これはペルシア帝国の伝統でして・・・」
高圧的に振舞うカンビュセラに対しては、いくら神官と言えども威勢の良い態度はあまり長続きできないらしい。
ガウマタはもう息切れしたように、腰が低くなり縮こまっている。
「地蟲が勝手に作った伝統に、なぜ妾が従わねばならないのです?」
カンビュセラの暴言とも言える発言の連発には、もう誰も歯向かうことはできない。
神官ガウマタはすっかり脅えて許しを乞い始めた。
「あなたのような地蟲が妾に意見を言おうなどと不敬不遜も甚だしい。時には臣下の陳言を聞くのも諸王の王たる妾の務めと思って最後まで聞いて差し上げましたが、時間の無駄でしたわね」
これだけ好き放題しているカンビュセラだが、彼女の優れた統治能力はペルシアを繁栄の道へと導いていた。
街道整備に地方行政の制度造り、さらに地方の行政長官と言える太守の監視等を行なう直属機関の創設など中央集権化を推し進め、ペルシア帝国の支配体制は盤石なものへとなっていく。
その一方で征服した異民族には寛容な姿勢を取り、自分に従う範囲内でなら活発に行動させる事を許したりした。
また上質な金貨や銀貨の鋳造・流通を図って、貨幣経済の構築も進めている。
これ等の改革は、急速な変化を帝国にもたらすため、それ等全てに対処し切れず様々な困難を伴ったもののほとんどは成功と言っていい。
この名君ぶりもあってペルシア臣民からカンビュセラは高い支持を集めていた。
尤も彼女は、地蟲が自身に従うのは当然だとして、臣民からの評価は特に気にしていないが。
やがて朝の御前集会も終わり、カンビュセラは解散を告げた。
早々と貴族達は玉座の間から立ち去り、最大収容人数は100人の広大な広間にカンビュセラ1人だけになると、彼女は徐に玉座から立ち上がる。
「これでやりやすくなったでしょう?そろそろ出てきたらどうです?」
1人しかいないはずの広間で突然叫び出すカンビュセラ。
次の瞬間、天井から黒い人影が彼女の前に飛び降りてきた。
黒の軽い服装をした彼は、まだ幼さを残す容姿をした少年だった。
艶やかな黒髪は、ろくな手入れもされておらずボサボサな髪型をしている。
袖の無い肌着から伸びているか細い腕は、鍛え上げられてほどよく引き締まっており、彼がただの子供でないことを物語っていた。
そして少年の両目の大きな黒い瞳は一点の曇りもなく澄み渡っていながらも、殺意に満ちた目でいる。
「ふん。地蟲ふぜいが許可無く妾を見るとは、礼儀の成っていない子供ですね」
少年は軽く舌打ちをしながら、右手に握っている短剣をカンビュセラに向ける。
「お前に殺された同胞達の仇!今日ここで取らせてもらう!ワルフラン族の誇りに賭けて!」
「あら。あなたはあの北方の戦闘民族の生き残りですか。山の中で野垂れ死にするだけと思って、残党は捨て置きましたが、まさか妾の命を狙う度胸のある者がいたとは。流石は戦闘民族。地蟲にしては中々興味深いですねえ」
「さっきから人を虫なんて呼んで偉そうにすんじゃねえ!」
「何を言うのですか。しょせん人は甘い蜜を欲して、我先にと利のあるところに群がる虫。地蟲の名がお似合いですわ。そして、その地蟲どもの上に立つ権利を持つのは古今東西広しと言えども、この諸王の王カンビュセラ、ただ1人を置いて他に存在しはしませんことよ!」
もはや暴言を通り越して狂言にしか聞こえない。そんな発言をさらりと言ってのけるカンビュセラ。
「その妾の命を取ろうなどという不敬者にはお仕置きが必要ですわね」
右手の人差指を少年に向けると、小さな稲妻が出て少年へと襲い掛かる。
右へ移動して稲妻を避けた少年は、全速力で走ってカンビュセラへと一気に迫ろうとした。
カンビュセラはニヤリと笑い、少年に向かって稲妻を次々と放つ。
その全てを避けて少年は徐々に距離を詰めていき、短剣を彼女に向かって突き立てる。
「カンビュセラ!覚悟!殺された皆の仇ッ!」
少年は高く飛び上がって、上から一気にカンビュセラに刃を突き立てようとする。
「フフフ。元気な地蟲だこと。ですが、妾の命を取るには力不足過ぎますわ」
カンビュセラの緑色の瞳から笑みが消え、逆に殺意が帯びた。
そして少年の短剣を糸も容易く避けると、そのまま両手で少年の腕を掴む。
「くはッ!」
背中から一気に床へと叩き付けられ、少年の表情が痛みで歪んだ。
少年が右手に握っていた短剣は、痛みに手を離してしまいそのまま遠くへと飛ばしてしまう。
その間にカンビュセラは少年の上に跨る。
「妾に直接手を使わせるとは大した地蟲ですね。褒美に妾の口からあなたの名を呼ぶ栄誉を与えます。あなたの名は?」
「く!お前に名乗る名なんかない!さっさと殺せッ!」
少年がそう叫ぶと、カンビュセラは何か悪いことを思いついたかのように、悪意に満ちた笑みを少年に向ける。
「いいえ。あなたには妾の玩具になってもらいますわ」
「じょ、冗談じゃねえ!お前は俺の家族や友達を皆殺した敵だ!そのお前に何で俺がッ!」
「あなたの意見に興味はありません。これは諸王の王たる妾が決めたことです」
そう言って、カンビュセラは少年の首を掴み、何やら呪文を唱え出す。
「ぐわあああああッ!」
少年は突然苦しみ出した。
「く。お、お前、俺に何しやがった!?」
カンビュセラは少年の首から右手を離すと、少年の服を上に上げる。
少年の上半身には、まるで鎖で縛られているような黒い文様が浮かんでおり、それが赤く点滅していた。
「これは奴隷を主人に従わせる、妾にだけ許された魔法。主従契約ですわ。もし、妾に逆らったりしたら、容赦なく今と同じ痛みを与えます。それに魔法の出力はこの主従契約によって妾の思うままに調整できます」
「な、何!」
「しばらくは玩具として身の程を学んでもらうために一切の魔力を封じますので、変なことを考えないで下さい」
「くそッ!何で俺を殺さないんだ!」
「フフフ。あなたみたいに強情で反骨精神旺盛な子供は躾がいがありますからねえ。それによく見ると、顔立ちも中々良いですし。妾の玩具にするに相応しいです」
「げぇ。お前、子供相手に何するつもりなんだよ!」
激痛に身体を蝕まれながらも、少年は精一杯強がってみせた。
しかし、カンビュセラの自尊心の高さはそれを遥かに上回っている。
「あら。勘違いしないで下さい。あなたの役目は妾の暇潰しです。地蟲が妾の夜伽の相手をできるだなんて大それたことを夢を見ないことよ」
そう言うと、カンビュセラは少年から離れる。
それと同時に少年を襲っていた激痛も収まった。
ようやく落ち着いた少年は、全身に汗を流しながら荒い息をして呼吸を整える。
楽し気にその様子をカンビュセラは見ると、振り返って玉座に戻った。
「さて。まずは自己紹介でもしてもらいましょうか?」
玉座に座り、頬杖をついて彼女は問う。
「だ、誰がお前なんかに!く、ぐあああッ」
上半身をなんとか起こした少年を、再び激痛が襲い床に倒れ込んだ。
「玩具は黙って妾の質問に答えなさい」
主従契約の苦痛が治まると、少年は地に伏したまま観念したように口を開く。
「アフラムだ」
この日より世界一の大帝国の女王とその女王を暗殺しようとした少年奴隷の歪んだ主従関係が始まるのだった。