俺と連続女児誘拐事件【後編】
「ただいま」
恋次が帰宅したのは、俺が家に駆けこんで数分の頃だった。全身ずぶ濡れの恋次はくしゃみを一つして身を震わせる。恋次の背後では雨と風が荒れ狂っていた。
「うぁ、凄い雨だね。ほらタオル」
「ありがとう」
恋次は俺から受け取ったタオルで頭をガシガシと拭いて、家に上がる。
「いくら暖かくなったといっても、冷えたままだと風邪をひくからね。お風呂沸いてるから、まずは体を温めてきなよ。着替えは風呂場に出してあるからさ」
「……」
恋次は何か言いたげに俺を見つめて、いやいやと首を振りながら風呂場へと向かった。何だろう。俺の完璧な対応に不満でもあるのだろうか。俺は居候の身なのだし、最低限家の事はやっているつもりだ。今だって傘を忘れた恋次が濡れて帰ってくると予想して、お風呂の準備もしていたのに。昔から恋次は湯船派なので、気を使ったのだが、余計なお世話だったかもしれない。
俺はレンジ用のコーヒー(角砂糖2個入り)と、俺用のココアを準備していると恋次が風呂から出てた来た。
「お疲れさん。学校どうだった?」
「……」
ちゃぶ台にコーヒーを置きながら、恋次に近状を聞いてみる。もしかしたら、美術室の魔法陣の手がかりを見つけたかもしれないしな。しかし、恋次の表情を見ると、長い付き合い故に察してしまう。
「……また例のあれか?」
「……ん、ああ。部長には隠せないか。そうだよ。慣れたと思っていたんだけどね。今日は久々に酷い嘘《におい》だったよ」
恋次は人の嘘に敏感だ。臭いとして五感で感じ取れる恋次にとって、どれほどのものなのか想像できない。しかし、昔から辛そうにしている幼馴染を見ている俺としては、何とかしてやりたいのだ。
「歳を重ねるごとに、吐き出す嘘も臭くなっている気がするよ。今日はさすがに堪えたよ。あんな至近距離で臭い嘘を吐きだされた僕の身にもなってほしいね」
「お前にとっては拷問以外の何物でもないからな。食欲なかったりするか? コーヒー下げる?」
「いや、せっかく部長が淹れてくれたんだからいただくよ」
恋次はカップを包み込むように持ち、コーヒーに視線を落とす。
「そうか、あまり無理するなよ。しかし、俺の部屋のアロマセットがあれば役に立てたのにな」
恋次が臭いでやられたときは決まって俺の部屋に避難しいた。母さんが海外からお土産で買ってきたアロマセットが臭いを緩和してくるらしい。
「なんなら明日にでも取ってこようか? 鍵の隠し場所はだいたいわかるし」
「いや、どうやら必要ないみたい。僕も今日、いや、今気づいたんだけど……あの香りはアロマじゃなかったんだ。うん、だいぶ楽になって来たよ」
恋次が僕を見ながら、一人納得したようにつぶやいた。表情も和らいできたし、本当に大丈夫そうだ。恋次も長年嘘の臭いに晒されている分、耐性がついてきたのだろう。
「はぁ、僕によって来る女子は決まって嘘吐きなのはどうしてだろうね」
「恋次が女難なだけで、世の女子すべてがそうじゃないだろう。男子だってくだらない嘘をつくしな」
「でも、部長はつかないよね」
「母さんが厳しくてな。幼稚園の頃にどうでもいい嘘をついて、半殺しにされてからだな。病的に嘘がつけなくなったんだよ。脅迫概念に近いね。だから嘘をつかないじゃなくて言わないだけなんだよ俺は」
「初めて聞くねその話」
「聞かれなかったからな」
言いたくないことは話さない。嘘はつけない俺だが、語らないことはできるのだ。なので、今のように質問されなければあえて喋るようなことはしない。
「つまり、部長は嘘がつけない病気なわけだ。通りで嘘の残り香すらしないわけだ」
「病気とか仰々しいものじゃないけどな」
俺が訂正を加えてみるも、恋次はそうかとひとりごち、コーヒーに一口つけた。
「……いい匂いだ」
恋次は瞼を閉じて、インスタントコーヒーの香りを絶賛するのだった。
翌日。昨日の豪雨が嘘のように晴れ晴れとした天気だった。恋次をいつものように見送り、食器を洗い掃除を軽く済ませる。最近は曇りが続いていたので、ここぞとばかりに洗濯物を干して、布団も干しておく。それらが終わるころには、幽霊の声が聞こえる時間になっていた。
やることもなくなったので、俺はお絵かきボードを担いで、いつもの公園へと繰り出した。地面はやや湿気っており、水溜りもちらほら見られる。雨上がりの香りが木々の香りと合わさり、自然と心が落ち着く。未来が来るにしてもあと数時間はかかるだろうし、適当に絵でも描いてすごすのもありかもしれない。特にここは自然も多いから構図には困らないだろう。
俺が恋次の家から絵具セット取ってこようと踵を返したところで、ある人物が目にはいった。未来の担任である硬い雰囲気の田中先生だ。今日もネクタイ姿でいるのだが、焦った様子で公園内を走っているためか、せっかくのスーツも乱れ、汗でぐっしょり濡れていた。
何かあったのかと眺めていると、田中先生と目があった。
「こんにちは」
今は午後の3時くらいなので、適当な挨拶をする。田中先生は俺の前まで駆けてくると、立ち止まり息を整える。なにも止まらなくてもいいのに。急いでいるならなおの事である。
「はぁはぁ、君は確か、未来さんの……すまないが、未来さんを見なかったかい」
なるほど。田中先生が急いでいた理由も、俺の前で立ち止まった理由も分かった気がした。
「いいえ、今日は見ていません。何かあったんですか?」
「今日は給食もなくて、午前授業だったんだが、今になっても家に帰ってきていなくてね。校内にも残っていない。今、近辺を捜索している所なんだよ」
「先生、それって誘拐ですか?」
連続女子誘拐事件。
脳裏にかすめる不吉な単語。少なくとも1時には帰宅しているはずの未来がいまだに見つからない。親も学校も普通ならば大事にせずに、捜索などしないだろう。しかしそれは、今この町が女児が連続で行方をくらませている事実さえなければだ。
「……まだ決まったわけじゃない。なに、意外とどこかで遊んでいるかもしれない。君も友達として不安だろうけど、今日はもう帰りなさい。それとも先生が自宅まで送って……」
「ちょっと、僕の親戚に何かようですか?」
突然、僕と田中先生の間に割り込むようにして恋次が現れた。その表情は穏やかに微笑んでいるが、目が全く笑っていなかった。
「恋次、今のその人と話してるんだけど」
「部長は黙ってて」
恋次は俺を背中で隠しながら、田中先生から遠ざける。
やばい、絶対変な勘違いしてるぞ。
「君は、未来さんが言っていたキララさんの保護者ですか?」
田中先生が恋次を正面から見つめながら質問する。
「それがなにか?」
「いえ、誤解されるようなことをしてしまい、申し訳ありませんでした。自分はそちら、キララさんの友達である未来さんの担任をしております田中です。未来さんのことにつて、少し話を伺っていただけす。それと、例の事件の事もあります。できればキララさんを自宅まで安全に送り届けてください」
「言われなくても、話はそれだけですか?」
「ええ、そうですね。……キララさん。そして、恋次くん。もし、未来さんを見かけたら鳳来小学校まで連絡お願いできますか?」
「はい、見かけることがあれば連絡します」
「すみませんが、お願いします。それでは」
田中先生は挨拶もそこそこに走り去ってしまった。
「部長、帰るよ。誘拐事件のこともそうだけど、警察がこの辺をうろついてるんだ。部長が見つかるのはまずいでしょ。だから……」
「……恋次」
身勝手にも俺の身を案ずる恋次の言葉を遮り、
「未来を捜す手助けをしてくれ」
未来創作の協力要請をした。