俺が見たもの
「幽霊?」
「そう」
玄関前で自分の恐怖体験を書いて伝えたが、恋次の反応はいまいちで、痛い人をみるそれであった。
「あの、部長。僕はこの部屋に一年近く住んでいるけど、心霊現象なんて起きたことないよ」
「なせ、いない、いえる?」
恋次をじっと見上げて、自分を指さす。
「おれもゆうれい」
「いや、部長は生きてるでしょ」
「え、いきてるの?」
最悪の事態を覚悟していただけに喜びも大きい。そもそも恋次が出かけた目的は、俺の体の安否を確かめるためだった。
「くわしく」
「言われなくても話すけど、ひとまずは部屋に入ろうか。廊下でする話じゃないよ」
そうではあるが、お前の部屋には幽霊が出るんだよ。それも悪霊と断定できるほどに、憎悪を向けてくる危険な奴だ。絶対にあの部屋には戻りたくない。
「あ、本当に鍵がかかってる。おかしいな、部長が飛び出したはずみでかかったのかな」
俺が何とか場所を他に移せないか思案していると、恋次がかってに玄関のカギを開ける。
「な、なにしてぇう!」
「いや、鍵開けないと部屋に入れないし。それに、幽霊とかいるわけないでしょ」
俺の忠告を無視して、恋次は封印されしドアを開け放ち普通に足を踏み入れる。恋次の言動はホラー映画では即死級に危険なものだ。幽霊の存在を馬鹿にして心霊スポットに突入する愚か者に続く勇気はない。ないのだが、このまま日差しに晒されるわけにもいかない。なので、恋次の服の袖を掴み、盾にしながら部屋へと入る。
恋次の体越しに見る部屋はいたって普通で、あの恐ろし気な声も聞こえてこない。しかし、これはホラーの定石だ。完全に安心したところで襲われる映像は腐るほど見てきた。俺は油断なくキョロキョロと視線を散らして、警戒を怠ることなくちゃぶ台まで辿り着く。
「部長、狙ってやってるの?」
「なに?」
「いや、何でもない。それより服、離してくれないと座れないんだけど」
「おお、すまん」
どうやら大丈夫そうなので、恋次ガードから離れて向かいの座布団に座る。恋次は目頭を揉みながら深く息を吐き、手にぶら下げていてたコンビニ袋から焼きそばパンを取り出して胡坐をかく。
「食べながらになるけどごめんね。朝から何も食べてないんだよ」
恋次はそう断りを入れてから開封する。部屋にソースの臭いが広がり、空腹感を刺激する。
腹減ったな。昨日から何も食べていないし。
「順を追って話そうか。まず始めに、部長のお母さんが警察に捕まっていたよ」
食欲も吹き飛ぶ新事実。俺の母親はまたしても警察の厄介になっていた。これが初めてではないので驚きは薄いが、経緯が分からない。
「なんでも現場にいた被害者の少女を脅迫して、逃げられたんだって。現場で暴れて捜査を妨害、重要参考人の少女を逃がす失態。おばさんクビになるんじゃないの?」
なりません。そんな失態、過去の事件に比べれば可愛いものです。
今回だって暴走しないように一時的に拘束しているだけだろう。あの人は、人でも殺さない限りクビにはならないんじゃないだろうか。
「で、おばさんとの面会手続きをするために僕の親父に手伝ってもらったり、大変だったんだよ。病院の場所を聞き出すだけで時間はつぶれて、結局病院は電話で確認するしかできなかったわけ」
恋次の親父さんにも迷惑をかけたようだ。後で折り菓子でももって挨拶に行かないといけない。
「そっか。それてぇ、おれのからたぁは?」
「手術は無事に成功。刺しどころがよかったらしくて、命に別状はないってさ。だけど、不思議なことに意識が回復す兆しか見られない、と言っていたね。原因はおそらく……」
俺がここにいるからだ。意識、ここでは魂と言うべきだろう。それが肉体を離れて、何の因果か人形に宿っている。
「はやくもとぉらないと、おれにあいに」
俺の体と接触できればあるいは戻れるのではないだろうか。
「その可能性は限りなく低いよ。部長は意識が覚醒してすぐに、自分の体に戻ろうと触れたはずだよね」
そうだった。警察の人に止められるまで、顔や手に触れた覚えがある。
「つまり、部長が体に戻る条件は接触以外の『何か』だ。現状、それを知っている人物は、事件の犯人でもある魔術師だけだ。部長、よく思い出してほしい。部長は魔術師がもつ銀の短刀、床に転がる女子生徒と人形を目撃している。これは事件発生時刻を考えると、不自然なんだ」
恋次の言っている意味が分からない。異常な光景ではあったが、俺の記憶は確かである。その証拠に詳細を語ることだってできる。事件が起きた時刻は11時過ぎあたりだ。それはスマホで確認したし、そのあと俺はスマホの明かりで壊れた椅子を確認して、
「くらい……みえない」
「そう、すでに消灯時間は過ぎていて、美術室ももちろん明かりはついていなかった。にも関わらず、部長は鮮明に現場の様子を覚えている。なら、もう一つ部長は目撃しているはずなんだ。現場にあった光源を」
現場には明かりになるようなものはなかった。蝋燭や蛍光灯という分かり易いものなら覚えているはずだ。思い出せ。光っていた場所は床だった気がする。魔術師に刺されて、うずくまったときに床に走る青白い線を見た……ような。
「ひかる……あおいせん、たくさん」
思い出した。意識を失う直前。青白く光る幾何学模様を見ていた。
「それだよ部長。部長が元の体にもどるもう一つの手がかり……『魔法陣』だ」
魔法陣。えらくファンタジーなものが出てきたが、俺自体がファンタジーの塊なので、気にしないことにする。
「僕もどんなものか知らないけど、現場に魔法陣が残されていたら間違いないと思う。なにせ、光ったということは何かしらの『力』が働いたと考えるべきでしょ」
映画やアニメでも魔法陣は光るしな。でも、間違いないと断言できるものでもないはずだ。俺達の魔法に対する常識は、ほぼアニメやゲームで補完されている。そんなにわか知識で魔法に挑んでもいいのだろうか。
「僕たちには魔法使いの知り合いもいないし、犯人探しができる能力もない。魔法陣も見当違いかもしれない。でも、人形になった原因を目のつく限り調べることは、間違いでないと僕は思うよ」
「おお」
恋次がいいことを言った。口元のソースをふけばかっこよかったのにもったいない。
魔法陣の捜査は無駄ではない。次の行動を決める材料にもなるし、なにより俺が元に戻れる可能性が少しでもある。
深く考えず、今やるべきことをやる。そう決めると自然と心が軽くなり、同時に空腹も蘇ってくる。
ちゃぶ台に広げられた食品は、ポテチに食べかけの焼きそばパン、じゃがコリ。どれも健康に悪そうな食べ物だ。しかし、恋次はやはり分かっている。俺のために『ドライ焼き』をきちんと買ってきている。
餡子のアイスをどら焼きの皮で挟んだ菓子である。冷たくておいしい、俺の大好物である。
「いたたきます」
俺は礼儀正しく食事の挨拶をして、ドライ焼きを開封。大きく口を開いてかぶりつくが、一口では餡子まで届かなかった。だが、皮もしっとりとしておいしいのがドライ焼きの魅力である。
「ちょ、ちょと部長。何してるの!?」
「え?」
「今、部長は人形でしょ! 消化とかできるの? ほら、吐き出して!」
「あうくあぉ、ひゃめろぉ!」
恋次が俺の口に指を突っ込んで、ドライ焼きを掻き出してくる。俺は必死に抵抗して、ドライ焼きを飲み込む。いきなり何しやがる。
「ああ、飲み込んじゃったよこの人。どうするのさ、お腹の中で腐ったら」
「……!?」
そうだった。俺は人形だった。どうしよう、お腹から腐敗していくなんて嫌過ぎる。
「……いや、でもあの作品では普通に紅茶やケーキを飲み食いしていたっけ。部長の場合はどうなんだろう?」
俺に聞くなよ。