俺と公園
困った事態になった。
先ほど化け物らしき叫び声に驚いて、外に飛び出してしまった。なら、部屋に戻ればいいじゃないと思うだろうが、ドアに鍵がかかってしまい締め出されてしまった。
こんなボロアートがオートロックを採用しているはずもないし。
俺は古ぼけたドアを見上げてドアノブをガチャガチャと回してみるが、やはり開かない。
「……ゆうれい」
幽霊なぞ信じていなかったが、現に俺が幽霊みたいな存在だ。しかも、ひと昔に風靡した死者の魂が人形に宿るなんてベタなやつだ。だったら語り継がれるような、典型的な幽霊がいてもおかしくない。
空を見上げると、見事なまでの晴天だ。廊下に差し込む日光に目を細める。容赦なく俺の肌をじりじりと焼かれる錯覚に陥る。
『外に出れば紫外線による劣化は避けれない』
恋次の台詞が頭の中で反芻される。連想されるのは干上がった大地のようにひび割れる肌と、抜け落ちる髪の毛。まだ人の形をしている分、正気を保ってはいるが、そんな見るも無残な姿になったら耐えられる気がしない。それ以前に、この体の劣化が進むほど、俺の寿命が縮まるのだから。
「……ひかけに」
日陰に避難しなければ。恋次が帰ってくるまでここに座り込んでいては、劣化が進んでしまう。
俺はアパートの敷地からトボトボと出ると、向かいの公園が目に入る。公園には小さな林があり、その中には屋根付きの休憩所があったはずだ。そこなら日差しも避けられるし、恋次が帰ってくる姿もすぐに見つけられる。
吸血鬼じみた思考になっているが、これは俺の延命処置である。決めるが早いか、お絵かきボードを抱えて、公園へと移動する。木製のベンチに腰掛けて陣取り、一息つく。柔らかな風が肌を撫で、木々を揺さぶり過ぎ去っていく。
公園でのんびり過ごすなんて、何年ぶりだろう。中学生のころはよくスケッチに訪れていたが、いつしかここに来ることはなくなった。高校になってから来るのは、初めてではないだろうか。俺の家から目と鼻の先なのに不思議なものだ。
「なぁ……にぃ……ぬぅ……ねぇ……」
恋次がいつ帰ってくるのか見当もつかないので、お絵かきボードで時間を潰しておく。かれこれ一時間ぐらい続けていることもあり、舌の回りも良くなってきた。今なら最低限の会話ならできそうである。
「リーゼちゃんを返してよ!」
「何がリーゼちゃんだよ。こんなのただの人形だろ」
砂場の方から、子供たち声が聞こえた。目を向けると二人の男の子が、一人の女子を囲んではしゃいだ声を上げている。年の頃は八歳くらい、小学校二、三年といったところか。男の子の手には少女の人形が握られていた。気に食わないのが、人形の扱いが乱暴なことだ。以前の俺なら風景の一部として捉えている所だが、どうしても他人事には思えなかった。
あんなに振り回したら、人形が壊れてしまう。
人形は脆い。文字通り身をもって体験している俺にっとてはただ事ではない。小学生の戯れに、高校生が口を挟むのをどうかと思うが、居ても立っても居られなかった。
「やぁめお」
やめろ、と言おうとして少し発音を間違ってしまった。まあ、いい。俺は子供たちの間に割って入り、男の子から人形を取り上げる。男の子の一人は少し体躯のデカい、ガキ大将といった風体だ。睨み上げる形になった俺を見て、何故か怯えた表情をする。なんでお前が怖がるんだよ。
「やべぇ、外人だよ。俺、英語とか分からないぞ。今の何語だよ」
「わかないよケンちゃん。なんか怒っているみたいだし逃げようよ」
ああ、俺も外人に話しかけられたら意味もなく逃げたくなるわ。
今の俺の容姿は、栗色の髪に日本人離れした顔の造形。雪のような白い肌をしている。瞳の色も日本人のそれとは違うのだ。さっきも変な発音をしてしまったし、勘違いするのも無理はない。
俺は逃げ去る二人の男を見送り、女の子に振り返る。
女の子も俺を見るなり、戸惑いの表情を浮かべる。もしかして、客観的に見ると俺の見た目は怖かったりするのだろうか。借り物の体なので気にするほどの事でもないのだが。
「……ん」
「えっと……ありがとう」
俺が差し出した人形を、おずおずと受け取る女の子。
いいことをしたとは思っていない。この子たちの人間関係もよく分かっていない俺が、それを壊していたとしても不思議ではない。人と人のつながりとは、簡単なことで解れて戻らなくなるのだから。例えばあの男の子は悪気なんてなく、純粋にこの女の子と遊びたかっただけかもしれない。
だから、俺のしでかしたことは善行ではない。脊髄反射で人形を救い出しただけである。
要件はすんだので、俺は踵を返してベンチへと戻る。少しでも日光から逃げるために。
「ちょっと、あなた、ここらへんに住んでるの?」
ベンチに腰掛けた俺を追って、女の子がやってきた。もしかしたら、遊び相手になってほしいのかもしれない。子供の世話は従妹の面倒をよく見ていたので、慣れている。俺はお絵かきボードにさらさらと文字を書き上げる。
『むかいのアパートにすんでいる』
既に漢字を書けるほどには上達しているのだが、彼女が漢字をどこまで読めるのか分からないので、片仮名と平仮名で書いてみる。
「もしかして、日本語はなせないの?」
『そう、れんしゅうちゅう』
事実をそのまま書いて見せる。
「そっか、日本語は難しいって、先生がいってたもの。でも字は書けるんだ。すごいね」
『すごくない』
英語も話せないくせに、母国語を書けるだけで自慢はできない。
「えっと……えへへ」
会話に詰まった少女がはにかんで俯く。今の俺の返しは少女の会話を寸断するのには十分だったらしい。しょうがないので会話を繋げぐべくボードに書き込む。
『にんぎょうのなまえ、リーゼ?』
「え? うん、そうだよ。リーゼちゃん」
人形の話題になったとたん笑顔を爆発させて、人形を掲げて見せる少女。
『かみもふくも、きれいにていれしている。すごい』
「うん、毎日くしでお手入れしているの」
『へえ、どんなていれをしているの?』
きっかけは人形の話で、少女との会話は弾んでいった。人形の身である俺も彼女の話は興味深かった。少女も人形について喋る時には生き生きとしている。しかし、彼女の年代で人形を持ち歩いて遊ぶというのは、普通なのだろうか。小学校時代に女友達は皆無だった俺だが、人形を持っていた女子が果たしてどれだけいただろうか。
「ねぇ、そういえば自己紹介まだだったね。私は大和 未来。小学二年生。あなたは?」
言われて気づく。彼女、未来の名前すら知らずに一時間近くも話し込んでいたことを。問題なのは俺の本名で伝えるべきかどうかである。俺の名前は完全に男のものだ。ならばこの体、人形の名前を名乗った方が自然だろう。美術室のゲージにはプレートがはめ込まれ、名前が彫り込まれていた。たしか、
『キララ』
正確にはキララなんちゃらという名前だったが、覚えていないのでそう伝える。
「へえ、キララちゃんっていうんだ。ねえ、この公園にはよく来るの? だったら明日も一緒に遊ぼうよ」
『いいよ』
どうにも話してみると、未来は友達がいない様子だった。少しの間は未来の遊び相手をしても罰は当たるまい。
穏やかなひと時が過ぎ去り、ふとアパートに目を向けると血相を変えた恋次がこちらへと走ってくるのが見えた。すごく大切なことを忘れている気がする。
「部長、部屋で大人しくしてろと言ったのに、なに出歩いてるんだよ」
こちらにも事情があるのだが、恋次は聞き入れてくれなさそうだ。
「なに、あのお兄ちゃん。怖い」
『だいじょう、しりあい』
俺は未来に大丈夫だよとアピールして、恋次へと駆け寄る。
「部長、心配したんだよ。部屋にはいないし、テレビでは女児連続誘拐事件が報道されているしで」
『ごめんごめん』
俺は恋次をなだめながら、隣を歩く。
そうだ。忘れるところだった。
「またね」
俺は声に出して、未来に向かって手を振った。