俺の事情
「どうやら、昨夜学校で殺人未遂事件があったらしくてね。休校だってさ」
翌朝、恋次がスマホを片手に俺に話しかける。
俺は昨日の運動がたたり、全身筋肉痛で身動きが取れず布団に転がったままだ。
「もしかしなくても、部長が関係しているよね。お疲れのところ悪いけど、詳しい説明を希望するよ」
容赦なくノートと鉛筆を押し付けてくる恋次を、恨めし気に睨み上げる。今日は勘弁してもらえないだろうか。身じろぎ一つするのも辛いのだ。
「そ、そんな目をしてもダメだからね。僕は部長を匿っているんだ。命の危険がある以上、事情を知る権利がある」
そう言われると頭が上がらない。現在、恋次なしでは警察→病院→実験動物のコンボが決まりかねないのだ。有無も言わさず、実験室送りになることはないだろうが、体が人形なんて知られたら、どの道ろくでもない事態になるだろう。
ここで下手に恋次の機嫌を損ねて、追い出された日には詰んでしまう。
俺は悲鳴を上げる体に鞭を打ち、鉛筆でこれまでも出来事を書きだしていく。時間にして一時間。恋次が俺の身に降りかかった不幸を把握するのに、ずいぶんな時間を要した。
「……つまり、部長の話をまとめると、①僕が返った後、練消しを取ろうとして足を滑らせ、頭を強打。しばらくの間気絶していた。②気づくと真夜中で、美術室には怪しげな魔術師がいて、簀巻きにされた女子生徒と人形を魔法陣に並べていた。③魔術師が短刀で女子生徒を刺し殺そうとしたので、部長が割って入ったが、返り討ちに合い腹部を刺されてしまう。④しばらくすると救助隊員や警察がきて保護されたが、部長は人形の姿になっていた。⑤部長の体は病院に搬送され、その後どうなったのかは分からない。⑥人形であることがばれるとまずいと思い、現場から逃走。僕の家に転がり込んだ」
時系列順に並べたノートの文字を指でなぞり、恋次は俺に確認してくる。
「おう」
「僕はオカルトは好きだけど、にわかに信じられないんだよね。それこそ、部長があの人形に似た普通の女の子で、なんらかの洗脳で自分が部長と思い込ませている方が現実味がある」
そうだよな。魂が人形に乗り移るなんて考えられないものな。俺だって自分の身に降りかからなければ、絶対に信じないだろう。視線を自分の小さな手の平にやり、握り開きを繰り返す。
非常識で、ファンタジーで、馬鹿らしいことだが、これは現実なのだ。俺は美術部長で、恋次の幼馴染。記憶も自我もある。だから、
「うそ、ない」
この嘘みたいな真実を受け止めなければならない。
恋次は真っ直ぐ俺ののぞき込み、軽く息を吐く。
「そんな思いつめた表情をしないでよ。確かに部長の話は非現実的だよ。でも、少なくとも『嘘臭くはない』。だから、とりあえず信じておくよ」
肩をすくめて笑顔を浮かべる恋次は、久々にまともな高校生に見えた。ここにきて彼の醜態しか目撃していなかったので、ギャップでよりまともに見える。だが、恋次は人形に欲情する、いや人形にしか欲情できない変態だ。中学生の頃、ノックもなしに家に上がり込んだら恋次が人形相手に『いたしていた』場面に出くわしたこともある。
うん、やっぱり恋次は変態だな。
自分の結論に納得したところで、今後の身の振り方について考える。
『かあさんにはなす』
俺がそう伝えると、恋次は難しい表情をする。
「やめておこう。おばさん超現実主義者だし、魔法で部長が人形の女の子になった、なんて話信じるとは思えないよ」
思い返してみると、母さんは心霊番組を見てもくだらないとテレビを消すタイプの人間だ。ありのままに伝えたら、信じてくれないばかりか、「ふざけるな!」と襲いかかってきそうだ。
「……ぅう」
「その魔術師を捕まえれば、話は早いんだけど、そこは警察に任せよう。僕らができることといえば、部長の体がどうなっているか調べるくらいかな」
そう、そうだ。俺の体は無事だろうか。元の体に戻る手段があるのか不明だが、体が死んでしまってはどうにもできなくなる。
「おれ、いく」
「部長は目立つからお留守番。それと、勝手に外出しない事」
そう言って、恋次は昨晩俺が切り落とした髪を収めたビニール袋を差し出した。
捨てなかったのかよ。
「部長は人形については素人だから、考えにないかもしれないけど人形は劣化するんだ。分かり易く言えば、部長が切断したこの髪の毛は二度と元に戻らない。人形は人間と違って再生しないいんだよ」
恋次の言葉に俺は衝撃を受ける。
考えてみれば当然のことだ。人形の髪なんてホラーでもない限り、伸びるなんてありえない。これは髪の毛で終わる話ではない。
「気づいたようだね。人形は永遠の美貌を保つと言うけれど、それは環境の行き届いたゲージの中で、適切な整備がされていた場合だ。部長は野ざらしにされた人形がどうなるかぐらいわかるでしょ」
俺はゴミ捨て場に捨てられたリカちゃん人形を思い浮かべる。頭髪がすべて抜け落ち、表面が劣化してひび割れ、化け物じみた風体になっていた。
「見落としがちだけど、外に出れば紫外線による劣化は避けられない。それに部長は歩いて動き回るから、どんな破損をするのか想像できない。それでなくても、部長のことは警察が探し回っているだろうから、外出は危険すぎる」
考えていた以上に、俺のおかれた状況は深刻だった。
動き回る人形の寿命は、普通の人間よりも儚そうである。怪我をしたらそのままだ。細かい傷も蓄積していくだろう。これは今すぐにでも元の体に戻らないとやばいかもしれない。
「分かってくれたかい。じゃあ、僕はおばさんに連絡して病院の場所を聞き出してくるから、大人しくしていてよ」
恋次は「それと」と、言葉をつなげて四角いプラスチックの板を取り出した。
それは子供がお絵かきで使う、マグネット式のお絵かきセットだった。ペン先の磁石で板の中の砂鉄を吸い上げて、文字を書くあれである。
「ノートを毎度使われると建設的ではないから、それで練習しておいてね。何度も書いたり消したりできるから便利でしょ」
俺は泣きたくなるような気分で、お絵かきセットを受け取る。これで黙々と文字を書く練習する姿を想像するだけで、情けなくなってくる。これでは本当にただの幼女である。
恋次が玄関先に消えていくのを見送り、俺はお絵かきセットで文字を書き始める。
数時間後。
「あ・い・う・え・お・かぁ・きぃ・くぅ……」
文字を書きながら発音していく。これは俺が編み出した画期的なリハビリ方法だ。指先を鍛え、喋る練習にもなるという一挙両得の方法である。欠点と言えば、客観的に見ると平仮名の勉強をしている幼女にしか見えない事である。
「れ・ん・しぃ……れぇんしぃ……ぐぅ」
せめて同居人の名前ぐらい発音できなくては不便である。だいぶ舌が回るようになったが、濁点や半濁点は無理だ。もう少しで発音できそうなだけにもどかしい。
『……許さない……』
「……ん?」
俺が練習に没頭していると、声が聞こえて気がした。あたりを見渡すが、夥しい数の人形が鎮座するだけでなんの気配もない。空耳だろうか。俺は木を取り直してペンを握り、
『許さない許さない許さない許さない絶許!』
確かに聞こえた。部屋全体を響き渡る女性の声が、許さないと叫び続ける。
「ひゃああ。おはけぇ!!」
俺は自分の存在を差し置いて、涙目で部屋から飛び出した。