俺の幼馴染
「動かないな。やっぱり巻かないと動けないのかな。……ネジは、持っていないのか」
意識が覚醒すると、恋次の声が間近で聞こえた。
「敵に奪われたのか? もしくは紛失したか、いずれにせよ彼女が動けないなら、僕がネジを探し出さないと。えっと、ネジ穴は背中か……僕がまだ見ぬ秘境か」
恋次は何事か呟きながら俺の服をたくし上げ、下半身をまさぐり始めた。
お、お前、ホモかよおおおおお‼
男に、それも小学校から見知った奴に下半身を撫でまわせされて、平気でいられる奴がいるだろうか。
「……いあっ‼」
俺は叫びながら、恋次を振り払う。何故か声も出ず、体が思い通りに動かないので、ジタバタともがく形になってしまう。暴れた際に振り乱された長い髪が、鞭打つように恋次の頬をはたいた。
「痛っ!」
「……あ」
ごめん。よく思い出したら、俺は今人形の姿だった。
思い起こせば、恋次の台詞はどうにも、ゼンマイ式の人形を動かそうとしたものだった。純粋に動かない俺を気遣って、恋次なりに助けようとしていたのだろう。しかし、電池やバッテリーではなく、ゼンマイ式
と決めつけたのはどういう理由だろうか。
理由はどうあれ悪いことをしてしまった。
俺は痛みに震えてうずくまる恋次へと声をかけようと、
「最っ……高だ」
「ぅえ?」
「夢にまで見た髪ビンタをされるなんて、ああ、僕は今日戦いに巻き込まれて死んでもいい!」
悦んでいた。
体を歓喜に震わせて、恍惚の表情で頬を赤らめ、天井を仰ぐ恋次。
気持ち悪い。ひたすらに気持ち悪い。
悪寒が全身を駆け巡り、俺は這いずるようにして恋次と距離を置く。
「あ、ごめんごめん。僕の名前は恋窪 恋次。美術室で何度か君に話しかけていたけど、覚えているかな?」
俺は無言で首を振る。
というか、コイツは動かない人形相手に話しかけていたのか。いよいよ変態じみてきたぞ。
身の危険というか、言い知れぬ狂気を感じるが、コイツ以外に頼れる当てがない。俺は意を決して、恋次にすべてを打ち明けることにした。例え姿が変わっても、コイツにだけは『嘘』はつきたくない。
「えんぃ」
「え? 何て言ったの? もしかして、日本語通じなかったりする?」
しまった。『恋次』と発音することすらできない。
俺はあたりを見渡し伝達手段を見つける。ちゃぶ台に投げ出された、やりかけの宿題ノートと 鉛筆だ。それを両腕でかき集めて、恋次に向き直る。声でダメなら、筆談である。そう思い鉛筆を握ってはみたが、いつものように持てない。まるで足の指を動かしているようだ。仕方なく幼児がクレヨンを握るようにグーで鉛筆を持つ。
鉛筆を取り落としたリ、格闘するほど数分。つたなくはあるが、なんとか字にできたそれを、律儀に待ってくれた恋次に見せる。
『おれはぶちょう』
恋次はしばし、ノートに書かれた字を眺め、
「おれはぶちょう……俺は部長……君が部長ってことかな。はは、嘘だよね?」
「うそ、ない」
声を絞りだし、恋次を真っ直ぐ見つめる。
大丈夫だ。きっと恋次になら伝わる。現に恋次は何かを察したように、口元に手を当て表情を険しくしている。
「『嘘の匂い』がしない、人形だからか……それとも本当に部長?」
「うん」
俺は大きく頷いて、恋次に最後通告。
「うおおおぉぉ! マジかよおお‼ こんなのあんまりだああああ‼」
すべてを理解した恋次が崩れ落ちて、マジ泣きする。大の男がボロボロと涙を落とすその姿は、やっぱり気持ち悪かった。クラスメイトの女子どもよ。これが、お前らが憧れる『愛しの恋次君』だぞ。
俺は恋次が泣きやむまで、傍らにあり続けた。
■■■
恋窪 恋次。彼は人の嘘に敏感だ。それは洞察力が優れているとか、心を読めるなんてものではない。皆さんは『共感覚』というのをご存知だろうか。音楽や音を聞いて色を感じる『色聴』を筆頭に、実際に存在する神経の病だ。まあ、これを病気と定義してよいのか俺には分からないのだが。
恋次もこれに近いものでないだろうか。彼は声や言葉が聴覚以外に『嗅覚』として感じ取れる。初めは皆の口臭と思っていた恋次も、小学生に上がるころには自分が異常である気づき始めた。きっかけは、友達の悪意ある『嘘』であった。
その言葉は強烈な異臭を放っていたという。それ以来、恋次は『嘘』の匂いに敏感になった。心を閉ざすとまではいかなかったが、他人と距離を取り始めた。あえて嘘を指摘せず嘘から逃げて回った。
中学生に上がるころ、恋次は逃げることを諦めた。小学生のうちはまだよかった。単純な嘘は微々たる異臭で済む。しかし、中学では体も心も成長したクラスメイトの嘘は複雑化し、悪意に満ちたものに変わっていく。気づくと、教室は嘘の臭いが充満し、恋次自身もその異臭に慣れてしまった。
そして、恋次は人形を愛するようになった。
ある程度落ち着いた恋次と俺はちゃぶ台を挟んで向かい合う。いくら嘘の臭いがしないとはいえ、いきなり知り合いが人形になりましたと、信じ切れない様子だった。なので、筆談という形で俺しか知りえないような情報のやり取りをした。
恋次との出会いについて尋ねられたが、何分小学生の記憶だ。素直に『おぼえてない』と伝えると、妙に納得した顔で信用してくれた。
「本当に部長なんだよね?」
「うん」
「なんで喋らないんですか?」
『こえでない』
俺は慣れてきた鉛筆さばきで、ノートに文字を書きなぐる。
「そうなんだ。もしかして、まだ体になれていないのかな。鉛筆の扱いが上達したところを見ると、リハビリすれば日常生活はおくれそうだね」
恋次が言うように、俺はこの小さい体に馴染みつつあった。いまだに全身が鉛のように重く、硬く感じられるが、徐々に解れてきている。しかし、急激な運動は控えた方がよさそうだ。恋次の家までたった数百メートルの道のりを歩いただけなのに、足がしびれて動けない。とういうか関節や節々が痛い。
「とにかく、寝床を用意しないとね。それに寝間着も必要だろうね。そんな上等なドレスにしわでもついたら手入れに手間がかかるし、なにより少し汚れているから洗濯しないと」
「お、おう」
あまり意識していなかったが、今の俺はフリルのついたドレス姿なんだよな。しかも世でいうゴシックロリータである。それを身に纏う俺を想像し、少し吐きそうになる。俺の感覚では俺の『姿』は、男であったあの時しか想像できないのだ。美術室に飾られた愛らしい人形の顔が自分であると、どうしても結び付けられない。
「部長、この汚れ……血だよね」
「おう」
すっかり忘れていたが、俺の体はどうなってしまったのだろうか。出血が明らかに致死量にしか見えなかったが、大丈夫だよな。
俺はスカートの端を摘み、こびりついた血痕に視線を落とす。
「何があったかは、詳しくは明日きくからさ。今日はいろいろあったし、休んだ方がいいよ。僕は部長が着れそうな寝間着をもってくるから待っててね」
俺が着れそうな服があるのも、どうかと思う。
恋次が隣の部屋に移り、手持ち無沙汰になってしまう。
暇なので、テーブルを見渡すと工作用のハサミがちゃぶ台に置かれてある。家庭科の時間に裁縫の授業で見かけるでかいハサミだ。布を切るのに使った覚えがある。
この長い髪、邪魔だな。
いちいち体にまとわりつくし、重いしで不便なことこの上ない。女子がロングヘア―にしない理由が、少しわかった気がする。
俺はハサミ持ち上げ、快適な長さにしようと髪に刃をかける。
「やめろおおおおおおおおお!!」
横から突っ込んできた恋次に、ハサミを取り上げられる。その衝撃で、髪が数本切断され、宙に舞う。
「あああああああ!! 芸術に傷があああ! 言え! なんでこんなことをした! 髪を切ろうとした! 答えろよおおお!」
『じゃまだったから』
「ばかあああああ!! うあああああ!」
大の大人が床を転げまわり、泣きわめく。
それは想像を絶するほどにきつい光景だった。