俺がドール
「一つ、嘘があるね」
俺の話を聞き終えた恋窪 恋次は、探偵気取りで呟いた。そこに謎なんてありもしないのに、日常に見つけた僅かな違和感を嬉々として弄び始めていた。
恋窪 恋次とやたらと恋の字躍る名前だが、俺の知る限り恋次に浮ついた話は聞かない。
俺は面倒臭そうに恋次を流し見て、鉛筆でキャンパスをうるさく描き鳴らす。
無言でキャンパスに闇を掘り進めながら理詰めしてみるも、俺の言葉に嘘はなかった。
「今年度をもってして美術部は廃部となり、これからは手芸部に吸収される形で、アート部として活動することになる。どこに嘘があるんだ?」
俺の憮然とした物言いに、恋次はやや考えて、
「本当に知らないんだね。手芸部に吸収されるのは美術部だけじゃないんだよ。他にオカルト部、写真部……それと探偵同好会も加わると聞いたよ」
鉛筆の芯が折れ、沈黙した美術室に乾いた音が落ちていく。
衝撃の事実に手元が狂ってしまったが、いや、それよりも、
「探偵同会? その話は本当なのか? 探偵同好会はそもそも部活ですらなかっただろ。それに会員は今年も一人のはずだ」
「部長、美術部も僕と部長の二人だけだよ」
美術部もどんぐりの背比べであるのだが、去年は三年生が五人もいて、俺と恋次を加えると七名としっかり部活の体をなしていたのだ。万年一人ぼっちの探偵同好会と同一視されると釈然としない。
そもそも、自らを名探偵と自称する彼女と俺は相成れない関係なのだ。
「くそっ、こんなことなら新入部員勧誘にもっと力を入れるべきだった。俺は本田先生が今まで通り美術室は使えると言うから、アート部創設に賛成したんだぞ。こんなの詐欺だ」
「くっくっ、本田先生にうまくやられたね」
他人事のように笑う恋次だが、お前はもしっかり巻き込まれてるんだぞ。
俺は名探偵の悪質さを、いまいち理解していない親友から、視線を外し被写体である人形を眺める。
ゲージに囲われ椅子に鎮座する人形は、等身大の7、8歳の少女を模られたものだ。実はその少女は生きていますと言われれば、俺は信じてしまうだろう。それ程にその人形は精巧に作られていた。俺も初めはゲージに少女が閉じ込められていると勘違いして驚いたものだ。
絹のように繊細で艶やかな髪は栗色で、少女を包み込むようにふわりと腰まで伸びていた。肌は透けるような純白で、頬は健康的な色艶をほんのりと含んでいる。眠るように瞳は閉じられているが、瞳を開けばより美しく映えるのだろう。
「じゃあ、部長。僕はもう帰るよ」
「ああ、明日は部会に遅れるなよ」
俺はひらひらと手を振り、恋次を送り出してまたキャンバスの世界に没頭する。
暇つぶしで昨日から書き始めた人形だが、なかなかに奥が深い。ゲージに阻まれその質感を確かめることができないのが煩わしい。いっそのことゲージを取り払ってしまおうか。
思考がいけない方向に傾きかけたところで、俺は練消しが手元にないことに気づく。
少々めんどくさいが隣の美術準備室に取りに行かなくてはならない。完全に根を張っていた腰を上げて、俺は美術室から直接つながる準備室へと移動する。
「えっと、確かこの辺に」
椅子を踏み台にして、棚を漁ろうとした時だ。突如として椅子の足が折れて俺の視界は回転する。そして、ガツンと頭の奥で鈍い音を聞いたのを最後に意識が沈んでいった。
「……っいつ」
激しい頭の痛みで目を覚ました。あたりは真っ暗で一瞬自分のおかれた状況が理解できなかった。スマホを取り出して、時刻を確認すると夜の11時をまわっていた。
ああ、そうだ俺は練消しを取ろうと棚を漁っていて、スマホの光で踏み台にしていた椅子を照らしてみると、見事に片足が折れていた。
最悪だ。早く帰って夕飯の支度をしないと生活能力ゼロの母親が餓死してしまう。俺はふらつきながらも立ち上がり、先生や親にどんな言い訳をしようか考えながらドアに近づく。
「■■■■■■ ■■■■■」
誰かの声がドアの向こうから聞こえた。やばい、先生か警備のおっさんか?
俺は音をたてないように警戒しながらドアを少し開き、隙間から美術室の様子を伺う。
そこにいたのは先生でも警備員でもなかった。魔法使いのコスプレをした不審者が、蝋燭の明かりの中で意味不明な呪文を唱えていたのだ。
「……何だあいつ……やべぇ、あいつやべぇよ」
俺は熱くないのに吹き出す汗をぬぐい、見間違いでないことを確かめるために、もう一度ドアの隙間から美術室を覗き見た。
いる。黒ローブをまとう不審者が。顔はフードを目深にかぶり、白塗りの能面をつけているので男女の判別すらつかない。そして、右手には煌びやかな装飾がなされた銀の短剣、凶器が握られている。
「ん~~~! んん~~~!」
不審者以外にも、誰かの声が聞こえた。見ると不審者の足元にうちの学校の制服姿の少女が転がされていた。鎖で簀巻きにされて、身動きが取れないのだろう。必死に身をよじっているが、鎖がちゃらちゃらと擦れるだけだ。口と目はガムテープで覆われ、少女は暗闇の中で拘束されながら不思議な呪文を聞いていることになる。俺なら怖くて泣いちゃうね。
そして、少女の隣にもう一人、いや、あれは俺が先ほどまで被写体としていた少女の人形だ。見ればゲージのガラスが叩き割られている。
何なんだあいつは。何が目的で少女と人形を並べているんだ。まさかこれは儀式とかで、あの少女を生贄にでもするつもりなだろうか。いやいや、漫画やアニメの見過ぎだ。こんな平和なド田舎の高校に、テレビや新聞でしかお目にかかれない猟奇的な事件が起きるはずがない。起きてたまるか。
考えてもどうにもならない。俺はスマホを取り出し、110と番号を打ち込む。
「も、もしもし、警察ですか」
『はい、どうされました?』
「今、鳳来高校にいて、不審者が短剣を持っていて……ええっと……」
言葉足らずながら、状況を説明しようとした時だった。不審者が短剣を少女の胸元へとめがけて、高々と振り上げるのが見えた。
あいつ、マジかよ!
「おい!」
俺はスマホを放り出し不審者にとびかかり、短剣を押さえつける。不審者も突然の襲撃に驚いたようで、俺を振り払うように必死に抵抗して、あれ?
不審者が動揺したように一歩、二歩と後ずさる。何だ?
俺は自分の腹部に違和感を覚えながらも逃がすものかと一歩踏み出し崩れ落ちた。
腹に手をやると、生暖かい液体が服に染みついていた。そして、こつんと爪先が冷たく硬いものに触れた。恐る恐る見てみると、短剣の柄が俺の腹から生えていた。いや、俺の腹は短剣に刺し貫かれていた。
「お……あぁ……」
短剣の存在を自覚したとたん全身の力が抜けていくの感じる。不審者が美術室を飛び出していく姿を、視界の端にとらえながら俺はその場にうずくまる。
大丈夫だ。俺が呼んだ警察もじき来るだろうし、さほど痛みはない。きっと急所を外したのだろう。ほら、漫画や映画では主人公は刃物でざっくり斬られてもピンピンしてただろう。そう、抜いたら出血するからダメで……だから……何だ……とても、眩しい……
「……き……だ……じょ……」
誰かの声が聞こえる。やった警察が来たのか。
「君、大丈夫かい?」
無事だと伝えようと口を開くが、喉からはか細い息しか出てこない。俺は重い瞼を無理やり開き、声のほうへ目を向ける。心配そうにこちらをのぞき込む警察のお兄さんと目があった。
「よかった。意識があるようだ。誰かこの娘を見てやってくれ。もう一人は重傷だ」
そう、腹を刺されて重傷で、俺は視界を横にやると血の海に沈む『俺』がいた。
俺は一瞬のうちにパニックに陥る。
これは幽体離脱とういうやつか。『俺』の顔を見ると死人のような酷い顔色をしている。それに、出血が尋常ではない。
「うあぁぁ……あああ!」
俺は手足をばたつかせ、急いで『俺』に縋りついた。早く体に帰らなければ!
「ちょ、君、よすんだ。いま彼を動かしてはいけない! 先輩、少女がパニックを起こしている!」
警察が俺を抱え上げ、『俺』から引き離す。
くそ、何をする。俺は早く体に帰らないといけないのに。
そこで、俺は気づく。なんで俺は警察に簡単に抱き上げられたのだろうと。
俺は美術室の壁に立てかけられた鏡に視線を向ける。
すると、警察に抱きかかえられた人形の少女が俺を見つめ返していた。