サルトゥスの森2
シャヘルが目覚めると、目の前には顔を赤くしたラヴァンの姿があった。
ゆっくりと額に手を当て熱が篭っている事を確かめる。
ラヴァンはゆっくりと目を開けて目覚めると目を擦りながら笑顔を作った。
「おはよー……こほ、こほっ!」
「熱があるみたいだけど、昨日ドコ行ってたんだ?」
「んーちょっちね」
シャヘルが卓の上に置いていたケーキが消滅しているのに気付く。
ラヴァンは舌を出しながらおどけるとシャヘルは呆れた様子で2階へと向かった。
寝台を整え敷布を取り替え、ラヴァンを横抱きに抱え寝台へと移す。
「ねへへ、新郎新婦の入場です……けほっ!」
「無理して言う言葉がそれか! とりあえず今日は休んどきな」
軽口を叩くラヴァンを見て、深刻な病状ではないとシャヘルは判断。
氷嚢や玉子酒を用意、容態が安定してラヴァンが眠りに着いたのを見計らい。
ウィンクルム商店は昼頃まで開ける事にした。
とはいえ客足は多くはない、シャヘルは二階から聞こえる音に時折耳を済ませ。
不意を着いたように現れた者達の方へと振り向いた。
「おー、タデウスのおっちゃん。
この店に来るなんて珍しいじゃん?」
「あぁ、今日はお主に頼みごとがあってな」
しばらくすると店内に仰々しい男達が次々に入店する。
シャヘルはその様子に気を悪くしたのか片眉を下げて、タデウスを見詰めた。
タデウスはその威圧を誤魔化すように咳払いすると要件を告げた。
「そう悪い話ではない、できればこの場ではない方が良いのだが……」
「ん~悪いな、今ラヴァンが寝込んでるんだ」
「それなら私が……」
傍らに立つソムニウムが手を上げ、シャヘルは椅子から立ち上がる。
玄関の扉にかかる看板を閉店にすると、倉庫にある転移門からコルリスへと飛んだ。
転移門に初めて触れた男達はひそひそと耳打ちをしながら後を着ける。
其処にはシャヘルの見知ったパターソンや各ギルドの長が集っていた。
「コルリスの畑だよ。まぁ適当に座わんなよ。
それで、用件って何さ?」
「ワスティタースの王になる気はないか?」
タデウスがそう口にするや否やギルド長から驚きの声が上がる。
彼等が集められた際には用件を告げられていなかった故にまさに寝耳に水。
背後から食ってかかろうとする戦士ギルドの長をパターソンが手を上げて静止する。
「え?……」
「結論はまだだ……率直に言おう。
最早、お主の存在は我等だけでは手に余るのだ」
国家とは暴力装置によって国民を法の統制の下に纏める集団を現わす。
騎士団が領民を庇護下に置き、税という名のみかじめ料を領民から徴収する。
それは暴力団となんら変わる事のない古代から続く習俗の一つでしかない。
フォルティスを単騎で壊滅させうるシャヘルを城下に置くことは国家の信任。
ひいては領民の統治に疑問を投げかける事となる。
市井では騎士団の代行組織である戦士ギルドへの不信感が高まり。
有事に実績を残せなかった各ギルドを不要とする論説が高まっているのだ。
「お主がワスティタースを落城させた事で、領民の意識が緩まっている。
戦士ギルドの定員削減と再編成が必要となる。
魔術師ギルドの研究開発費にしても見直しが迫られる」
何も兵士とは戦争の為だけに存在する訳ではない。
社会からあぶれた労働者のセーフティネットとしても機能するのだ。
それ故に経済が縮小する程、軍を失業者の受け皿として拡大する性質を持つ。
これらは業務から生産剰余を産まないので、増員する事は元来望ましくはない。
剰余を産まない労働は社会保障と同じく、生産性の向上には繋がらないからだ。
それでも社会保障の一環として、不景気には増員する必要性もある。
しかしながら国を守れぬ兵や、物を生み出せない研究に意味はあるのだろうか?
フォルティスの民衆もまた、その有用性を疑っているのだ。
「皆は……オレの事を知ってんのか?」
シャヘルの言葉に盗賊ギルドのべスパが歯を見せにかりと笑うと返答した。
「えぇ、そりゃもう。
シャヘルちゃんの大活劇で市中の話題は持ちきりでさぁ」
「べスパ」
「……あぃ、すいません」
べスパはパターソンの言葉に割り込まれると指を動かし口にチャックした。
個人の能力に依存する国家・組織はいずれ遠からず破綻する。
人間には寿命があり、後進を育て、次の者に襷を渡さなければならない。
個人の能力に頼りきっていては社会は成り立たなくなるのだ。
シャヘルは額を抑え弱った様子で唸ると、後ろの者には聞こえぬよう小声で呟く。
「ワスティタースじゃないとダメか?」
「どういう意味です?」
「ワスティタースは資源を自国のみで賄える“完全自給国家”だ。
つまり、その……えーと」
シャヘルの煮え切らない言葉に一同は眉を顰めるが、パターソンの顔に影が差す。
経過的にワスティタースはその資源埋蔵量から、超大国となると予想したのだ。
パターソンがシャヘルの真意を周囲に伝えると憤慨にも似た声が挙がる。
「ワスティタースが我がフォルティスを超える大国になるというのか!」
「ふはは、大臣殿、底が知れましたな、神柱とはいえ所詮は小娘。
如何に武勇が優れておるとはいえ、それだけでは政は纏まりますまい!」
戦士ギルドと魔術師ギルドのギルド長は珍しく息を合わせ。
ここぞとばかりに声を上げ、聞いていたタデウスは彼等に見えぬよう親指で差した。
それを皮切りに声を荒げた議論となると、タデウスは小声でシャヘルに問いかける。
「御覧の通りだ。おそらくお主の予見も杞憂ではあるまい。
それも構わぬ上での提案なのだ」
「おっちゃん、オーランド王家の家臣なんだろ?」
「緊張のない国家は長くは続かぬ。
お主の“存在“……“脅威”こそを我々は必要としておるのだよ」
人類が如何に発展したと仮定しても地球に存在する問題が無くなる事はない。
何故なら問題がなくなれば集団足りえる国家の存在意義も消え失せるからだ。
仮想敵を失えば軍は不要になり、如何なる災害も耐えれば対策も不要になる。
貧富の差がなければ社会保障も不要となり、政府の規模は縮小し続ける。
政府は常には問題の解決よりも火に油を注ぐ事を好む。
国家は国民を窮乏させればさせるほどに規模を拡大。
ワスティタースをシャヘルが統治するとなれば国防意識も変わるだろう。
「わりぃ、やっぱムリ」
「……そうか、残念だが仕方あるまい」
「おっちゃんに、もう迷惑はかけないから」
シャヘルのその言葉にタデウスは目を丸くして驚くと、困惑した声で唸った。
その表情には微かに罪悪感の表情が浮かび、目を伏せて立ち去る。
ギルド長の者達もその後に続き、口々に不満を吐き捨てた。
「無駄足でしたな、これではワスティタースの統治は……」
「いずれ民主化という話になるのでは?」
「しかし、あの口の聞き方は何とかならんのか“傲慢”な小娘め」
シャヘルは無言のまま、畑の周りで転がり回るプリンの親子の姿を目で追っていた。
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慌しい客人達が帰途に着いた中、会計台に座るシャヘルは店内を眺め。
パターソンは興味深げに商品を物色しながら、指を差しては説明を求めてくる。
シャヘルは頬杖を着いて溜息を吐くと、パターソンから話を切り出した。
「やはりフォルティスを発つのですか?」
「ん、あぁ、ソーいう事になるかな」
いずれにせよ宙ぶらりんのまま、ここに定住する事は出来ないであろう。
商店の扉の開く鈴の音が鳴ると、我が物顔でデブネコが侵入。
2人の様子を一瞥すると興味なさげに食堂に向かい、皿に置かれた煮干を食んだ。
「弱ってる所をつけ込むようですが、冒険者は如何です?
各地を渡り歩き定住しないとならば……」
「お店」
「はい?」
「昔は5人でお店をやってた気がするんだ。
記憶が曖昧で思い出せないけどさ……」
パターソンは会計台へと歩き寄るとシャヘルの視界に入るよう体を乗り出す。
眉を上げて怪しむ少女に対して、男はにこやかに微笑み返した。
「よく一緒に居られる、お友達ですか?」
「いや、もっと古い友人だよ。
何で……何で思い出せないんだろ?」
「……」
「このお店をやっていたら、また逢える様な気がして。
でもきっと、無理なんだろうな……最近はそう思えてきた」
パターソンはシャヘルの弱気な言葉に表情を暗くすると唇を噛んだ。
何故彼が悔しそうな顔をしているのか、シャヘルには理解出来ず視線を避け。
パターソンは極めて冷静に勤めるよう口を開く。
「御存知でしょうか? フォルティス六百年に及ぶ歴史を……」
「いや、悪いけど」
「何もなかったのです。えぇ、本当に何もね。
神柱の遺した遺産の研究や組み合わせの試行は幾つか。
それでも我々には何も発見は出来ず、何も生み出せなかった」
彼等NPCに教科書を読む事は出来ても、書く事は出来ない。
600年という歳月を経てしても未だに文化水準は中世のまま止まっていた。
パターソンはその現状に不満を抱き、冒険者という仕事に強い憧れを抱いたのだ。
「歴史の最中、既存の既得権を抱えた団体はその思想を硬直化しました。
何も変わらない世界を見て、私は冒険者になって……」
パターソンは顔を伏せてシャヘルを横目に見詰めるといつもとは違う笑顔を見せた。
「全部ブチ壊したくなったんですよ」
「アハハ、おっかねー」
「すいません、それでも結局無理でしたけどね。
新しい物を作るよりも、今ある物を使った方がずっと楽だった。
そんな時、貴女の試合を見て胸の支えが取れたようで……」
男はそういうと少女の顔を見下ろした。
シャヘルはこほんと一つ咳払いすると、いそいそと衣を正して背筋を伸ばす。
2人はお互いの顔を見合わせて笑い出すと2階からごとごとと物音が聞こえた。
2階の病人が2人が良い感じになったのを本能で察知したようだ。
「私はきっと英雄を欲していたのだと思います。
この世界に風穴を開けるような何かを……」
「オレはそこまで大層な人間じゃないぜ?
破天荒っていうならミナミのヤツの方がよっぽど――」
「どうかされましたか?」
「――いや、なんでもない」
シャヘルは綻んだ笑顔から一転して真顔に戻るとパターソンを見送った。
店を閉め食堂へと向かい、病床のラヴァンに食事を用意する。
食事を作る途中、何度も手を止めラヴァンが指輪をしていなかった事を思い出す。
食堂の奥から倉庫に入り、ラヴァンの作業部屋に入ると錬金台を起動。
一枚の金貨を台の上に乗せると、自らの魔力を収束させ複製を生み出す。
作り出された金貨の複製は安定しないシャヘルの魔力によって歪んでいた。
錬金台は利用者の魔力によって変数が変わり、“全く同じ物は作れない”のだ。
「オレは?」
『私は?』
シャヘルは頭を抱え唸り声を上げると、頭部に走る激痛に思わず蹲った。
何処からともなく聞こえてくるシステムの声と意識が少女の脳裏に働きかける。
シャヘルは作業部屋から這い出すと水を口に含み飲み込んだ。
「はぁ、はぁ」
シャヘルは息を整えると、焦げ臭い空気が彼女の鼻に届いた。
慌てて料理鍋の火を消し、もう一度作り直すと深皿に掬い、寝室への扉を開く。
陽光に照らされたラヴァンの髪は輝き、その紺碧の瞳がシャヘルを捉え。
ラヴァンの頬がぷすっと膨らむと不満を表明した。
「パターソン帰った? 何かあった?」
「帰ったし、な~んもなかった」
「ホント~?」
ふんす、ふんすと鼻を鳴らすラヴァンの頭を撫でると、少女の機嫌はようやく治った。
雛鳥のように口を開けて待つラヴァンの姿にシャヘルもほっとした様子を見せ。
匙でシチューを掬い取り少女の口元へと運んだ。
▼
翌日、シャヘルはウィンクルム商店の移転手続きを、冒険者ギルドに提出した。
移転先はコルリス領のアゲルという色とりどりの花々が咲く平原にある街だ。
突然の移転にラヴァンは若干困惑した様子であったが、問題なく受け入れられた。
引越しを翌日に迎えたある日、シャヘルはアエテール大聖堂へと足を運んだ。
かつてのヘンの村教会を建て直した物でシャヘルはここで肉体を得て。
それが借金苦の始まりとなった事を思い出し、少しイラッとした。
背後の物音に振り返ると両腕を組んだミカが教会の入口に立ち塞がっている。
「よぉ、ミカエル」
「ようやく、思い出しましたのね」
「ま~な、ほんじゃやるか?」
「勘違いしておられるようだけれど。
私にその気はございません」
シャヘルは戦杖を握りその場から立ち上がるが、其処からは戦意は見られない。
対するミカも両腕を組んだまま身動ぎもせず目を向けた。
「それにしてもまぁ、いいザマですわね。
可愛くなっちゃって、ま」
「う、うるへー!」
ミカがシャヘルの容姿を下から上まで嘗め回すように見詰め。
ぷふっと吹き出しながら笑いを堪え、それを見てシャヘルは慌てて反論した。
お互いの顔を見合わせながら、双方は目を逸らすとミカから話を切り出す。
「それで? 容姿が変容したのは置いておくとしても。
どうして記憶に欠落があったのかしら?」
「ラヴァンが私の“分霊”から逆解析したみたいだ。
だけど、凍結したシステム領域に私のバックアップを……」
ラヴァンが分裂したプチヘルのコードを解析する事で定着した情報を書き換え。
削った記憶をこの世界のシステム領域へと記憶を保存、パスワードを掛けていた。
武芸会のドゥルケ戦の際にそれを破られ、記憶領域の復元を開始していたのだ。
ミカが南の名前を知っていた事でシャヘルも疑問を口にする。
「南を知ってるのか?」
「知っているも何も、私がこの世界に来た用件は彼と接触する事ですもの。
ここが“運命の結節点”現時点では――私の望む通りですわ」
完全真球は宇宙開闢の発生時にのみ存在しうる現象である。
初期パラメーターが0。相互作用のない状態でのみ、その球体は存在できる。
角運動量を持つ真空球体、即ち“第一初動体”。
南の達した行いは仮想空間内部とはいえ、危険を十分に想起する代物であった。
「人の身でありながら神の真似事など……不遜なこと」
「まだ、そんなコト言ってんのかよ」
「人の身に過ぎたるモノもあるのではなくて?」
人間は法則の定めた原理原則から踏み出す事は出来ない。
ゲームにルールがあるように宇宙もルール外の行動は取れない設計なのだ。
南が知りえた知識はまさに管理者の予測だにしないバグであり、修正を必要とする。
とはいえ彼女達は現実に神というものを見た訳ではない。
この宇宙を運行する上での初期設定を神格化しているだけに過ぎないのだ。
「宇宙はその運行を維持する為に監視されなくてはならない。
混沌に陥れば“修正”も辞さない覚悟ですわ」
「へっ、相変わらず頭のオカテーこって」
「貴女とここで議論するつもりはございませんの。
もそっと建設的なお話をなさいません?」
シャヘルはその言葉に大して返答に詰まると、視点を虚空に彷徨わせる。
「話すまでもない、私が死ねば終わりだ」
「正確には貴女とラヴァンが――ですわね」
ミカは前宇宙から今宇宙にかけて結果に蓋然性が生じているのを伝える。
初回ではラヴァンは南に敗北して、シャヘルが南を打ち倒す展開であった。
彼女達の記憶は過去から持ち越されるので情報優位になり対策を練りやすい。
ここに来てプレイヤー達はラヴァンの壁さえも抜ける事が不可能になり。
敗れ続ける展開が繰り返され、運命が固着化しはじめていた。
プレイヤーは行動を誘導され結果的に敗北するパターンに嵌まったのだ。
成長限界を突破したとしても、それらを無にする固有能力も存在。
最終的には固有能力の相性のみが問題となる。
相手の手札が透けて見える敵に勝てる筈もなかった。
「自分が死ねばなんて……。
貴女の口から出るなんて、信じられないわね」
「私達は眠るだけ。多くの人間の命と私達の自由。
秤には懸けられない」
「貴女はそれでよくとも……」
ラヴァンが納得しない、結果的にそうなる事はシャヘルも理解出来ていた。
「ラヴァンは私が説得するよ」
「この先の未来を知らない訳ではないでしょうに……」
「それでもだ」
ニューロ・アクセラレーター・オメガポイントの稼動事故から始まった一連の騒動。
それは前宇宙の結果では更なる悲劇の引き金となった。
政府は“神の家”を隔てる壁を乗り超える実験として、オメガポイントを利用。
今回の事件からゲーム内に取り込まれた意識が次元跳躍を行なったのを観測する。
これにより一部の宗教指導者は「これこそが魂の浮上である」と位置付け。
異次元空間への意識の跳躍を果たす為に多くの人間が接続する事になった。
そこが光すらも届かぬ絶界の牢獄である事も知る由も無く。
幾許かの人間は次元跳躍を果たし、永遠の命を手に入れる例外もあった。
だが、暗闇で永遠に生き続けていられるほどに人間の精神は強固ではない。
ワーロック達のアバターを乗っ取った謎の集団こそ、前宇宙の“プレイヤー”。
彼等の目的は現象界に帰還し“死”を手に入れる為にあったのだ。
ミカは教会の石畳を叩き玄関へと歩き出すと、最後にシャヘルへと顔を向けた。
「ま、頑張りなさいな……あら、忘れる所だったわ。
ドゥルケという女から言伝があります」
「ドゥルケ、生きてたんだな」
「“運命は貴女の手の内にある”それでは、また来世――」
「ありがとう」
シャヘルの礼にミカは驚いた表情を浮かべると軽く手を振って答える。
そしてその体はシャボン玉のように弾け、何処かへと消え去っていった。
残されたシャヘルは、ステンドグラスから差し込む光を浴びて、十字架を見上げた。




