モンス温泉街2
温泉ではオカンと化したイーリスが小鬼達を追い駆け回し。
どざえもんと化しているリリアムが相も変わらず、湯船に浮いている。
シャヘルの背後からラヴァンが組み付くと、柔らかな双丘が背中に当たり。
成長的に仲間だと思っていたシャヘルは気を悪くした。
「ヘルるんの知り合い?」
「知り合いというか、一度会っただけというか……」
「ふん、嘲りたければ嘲れば良かろう。
この上で自らの敗北を認められぬほど、我も愚かではない」
仰々しい喋り口にはさしものラヴァンは苦笑いすると、シャヘルから体を離す。
その時、隣の男湯から暢気な声が響くと、トルボーの表情に焦りが見える。
「トルボーさん、石鹸を貸して貰えますかぁ?」
「あ、はぁい」
トルボーが男湯から聞こえてくる声に猫撫で声で答えながら湯船から上がり。
大急ぎで石鹸を手に取ると男湯へ向けて放り投げた。
その様子を見ていたシャヘルが思わず吹き出すと、トルボーが睨み付けた。
「な、何が可笑しい!?」
「えぇ~だってさぁ。
嘘偽りに穢れ……」
「よ、止さんかぁッ!」
トルボーはシャヘルの突っ込みを言わせまいと頭を掴み、湯船へと沈める。
ラヴァンの頬がぷすっと膨らむと、シャヘルの体を湯船から抱え上げた。
「うちのヘルるんを、いじめないで下さい!」
「す、済まぬ、つい……」
「けほっ! ちょっと飲んじまった」
その後、トルボーはフォルティスの派遣でモンスまでやって来たことを語った。
この温泉宿では源泉に近いが低部では休業を余儀なくされた店舗もある。
シャヘルは腰まで伸びた長髪を湯船に流しながら、相槌を打っていた。
「へぇ~、ほんじゃ、このお湯は迷宮から出てるのか?」
「左様、六百年ほど前に採掘された物らしい」
「そいえばあったね、そんなこと……」
ラヴァンは遠くを見上げながら、まるでその様子を見てきたように語った。
実際には採掘ではなく、不法投棄するために空けた“落とし穴”である。
一行は湯船から上がると再び浴衣へと着替え女湯の暖簾を潜った。
そこにはのほほんとした様子の男性が男湯の前で待機している。
「へぇ、あれがトルボーの旦那か?」
「や、や、結婚はまだ……」
「何だ、まだ交……」
「言わせね~よッ!」
しれっと危険な言葉を言い放とうとした、イーリスの口をシャヘルが抑える。
色々と台無しになったところで部屋に戻ると、食事の時間まで寛ぐ。
シャヘルは卓袱台の上に頬杖を着いて、呆けたように外を眺めていた。
「なぁ、ラヴァン……」
「ん、なぁに?」
「システムからこの世界が危機に瀕してるって聞いたけどさ。
特に問題なんてないよなぁ?」
ラヴァンは髪を梳いていた腕の動きを止めると窓際に立ち。
手で犬の影絵を作り出すと、シャヘルに対して問いかけるように声をかけた。
「どれが本体だと思うかな?」
「へ? ゴメン、意味わかんね」
「太陽の光、私の掌、地面に落ちた影。
さぁ、どれが本体でしょー?」
シャヘルはラヴァンの言葉を聞いて影へと目を落とす。
犬の影絵は少女の動きに合わせ揺れ動き、口を開閉させ吠えてみせた。
バカにされていると感じたシャヘルはその問いにぶっきらぼうに返答する。
「そんなの掌に決まってんじゃん。
そもそも影に実体なんてないし」
「うんうん、つまりはそゆこと☆」
「えぇ~何だよそれ……」
シャヘルの答えにラヴァンは満足した微笑を見せる。
上手くはぐらかされたと感じたシャヘルはふてくされたように座布団に転がった。
その時部屋の襖が開くとリリアムが血相を変えて飛び込んでくる。
「ご飯の準備が出来たそうです!
可及的速やかに向かいましょう!」
「お前本当にブレないよな」
2人は食膳の並んでいる大広間へと入ると慣れない箸を手に取り食事を始めた。
リリアムは量の少ない日本食に肩を落とし激しく落胆。
トルボーは連れ合いの男と談笑しながら話し込んでいる。
「たまにはお米もいいね」
「フォルティスじゃ中々見ないもんな」
食事を終えたシャヘル達は部屋に戻る。
ラヴァンは2つ敷かれた布団に対して不満を表明、同じ布団で眠りに着いた。
油を差し込んだ灯篭の火が消えると部屋は闇夜に包まれる。
「がおー☆」
ラヴァンは部屋に差し込む微かな光で影絵を作りながら薄く笑った。
▼
観光資源としてモンスの経済を支える温泉の源泉は上流に存在する。
上水道を通ることで各温泉宿へと分水され。
現在では揚湯制限がかけられており、組合員達は対応に追われていた。
シャヘルとラヴァンはリリアムを伴って、件の洞窟へと足を運ぶ。
刳り貫かれたように開いた横穴は石壁で整備され熱気が立ち篭もる。
ラヴァンは熱を遮蔽する結界を張り巡らせると一行は洞窟内へと歩みを進めた。
「随分と表と雰囲気違うな?」
「古代から存在する迷宮らしいです。
今はお湯が出るだけの遺跡ですけど……」
熔岩流の流れる迷宮内をラヴァンが忙しなく飛行しながら先行する。
やがて昇降機の1つを発見すると、シャヘル達は階下へと降下した。
鎖の軋む音が部屋内に響き渡り、石片の剥がれ落ちる音が耳に届く。
やがて最下層で昇降機が停止すると、大きな空洞へと辿り着いた。
「お湯は普通に出ているみたいですね」
「揚水機が故障したのかな?」
リリアムが穴になみなみと湛えているお湯を確認、ラヴァンが穴を覗き込んでいる。
土中に空いている穴からは温水が懇々と湧き上げ湯気を放っていた。
シャヘルはその状況を見て、確信めいた口調で声をあげる。
「やっぱアレしかないよなぁ」
「シャヘルちゃん、アレってなんです?」
「温泉が出なくなったのは嘘だ」
シャヘルの言葉にリリアムは眉を下げると、その言葉の理由について追求した。
「ど、どうしてそんなことを?」
「簡単じゃん、源泉は傘下の温泉宿にお湯を分けてる。
新しい源泉を掘ることは禁じてな。
嘘をついてもバレないってことだぜ」
本来なら源泉の数を制限することで温泉宿同士の共倒れを防ぐ仕組み。
それが揚湯量を制限することで使用料金を釣り上げる形で悪用されている。
シャヘルはそう推理すると、リリアムは納得いかない様子で唸った。
「では組合長の方に話して、確認を取らせて貰いましょうか?」
「あ~ムリだな、しらばっくれたら終わりだし。
最悪元に戻りましたって吹いときゃいい」
そういうなりシャヘルは不敵な笑みを浮かべるとラヴァンの方角へと向き直った。
「というわけで~、これは正当な処置だよな?」
「もーしょうがないなぁ」
ラヴァンはエーテル界から球状の硝子球を取り出すと穴の中へと投げ込んだ。
3人は再び昇降機に乗り込み洞窟から表へ出ると温泉宿へと帰還する。
宿の玄関口ではモンスのギルド長とトルボー達が何やら揉めている話が聞こえる。
「で、ですから、源泉の方を一度確認……」
「先程から申しとるでしょう!
自噴量は元の水位に戻りましたので、御心配には及びません!」
「ですが、現場を見て調書を作成……」
相方の男は及び腰でギルド長に頼み込むがつっけんどんに返されていた。
トルボーは一見笑顔だが、額に血管が浮き出ており暴発寸前である。
シャヘル達は触らぬ神に祟りなしとばかりに宿を出ると荷物を纏め。
イーリス達と合流するとフォルティス大使館へと向かった。
「シャヘル、もう用事は終わったのか?」
「あぁ、良い湯だったぜ、あんがとなイーリス」
「まぁ、お前には借りがあるからな」
そういうなりイーリスは頬を紅潮させながら、シャヘルから目を逸らした。
転移門の鏡を設置すると、ウィンクルム商店の倉庫へと転移。
シャヘルはその場で大きく伸びをすると、ラヴァンが硝子玉を取り出す。
「迷宮でも見ましたけど、それなんですか?」
「んふ、まぁ、みててー☆」
ラヴァンは倉庫にあった空の桶に硝子玉を置くと指先から魔力を流す。
地下迷宮に投げ込んだ硝子球と桶の中の硝子玉に転移門が繋がり。
水圧によって桶の中へと温泉水が溢れ出した。
「お、お湯です。どういうことですか?」
「まぁまぁ、詳しい原理とかど~でもいいじゃん。
とりあえず5個ほど放り込んどいたけど1個ずつでいいよな?」
シャヘルはそういうとイーリスとリリアムに1個ずつ硝子玉を手渡した。
イーリスは興味深げに硝子玉を覗き込みながら、言葉を返した。
「銭湯でも開くのか?」
「1個はタデウスのおっちゃんに渡す。
あとはモンスの出方次第だな」
「確かにフォルティスで温泉が湧けば、客足は遠退くか」
源泉の使用料金が高騰すれば温泉宿の価格に転嫁され。
フォルティスに大衆浴場を開けば、価格の高いモンスの観光客は減少する。
「市場の寡占は価格競争力を失わせるからな。
資本主義の常識だぜ!」
「……って、法書で読んだんだよね☆」
「べ、別に本の受け売りでもいいじゃん」
その後、タデウスがモンスの使者の前で行ったデモンストレーションにより。
大衆浴場がフォルティスに開館。
フォルティス・モンス間では市場調整が行われ、問題は沈静化することとなった。




