モンス温泉街1
ウィンクルム商店の2階からは早朝から慌しく走り回る床板の音が響いた。
2人の少女はオーバーオールに麦藁帽を被り軍手を腰に下げ。
鏡の前で待機すると、鏡の中からイーリスの半身が突き出す。
鏡式の転移門はコルリス領から自宅の裏庭へと直通で開いたものだ。
「準備は良いか?」
「おぉ、オッケーだぜ」
認証用の細工物を鏡にかざすと転移門を潜り納屋へと転移する。
古びた納屋の戸を空けると一面の畑が眼前に広がっていた。
店で扱う商品の一部に使用する原材料を直接生産することで利益率を上げる。
サプライチェーンを構築するためにコルリス領で買い上げた畑だ。
「ちょっと広すぎね?」
「この一帯は石が多すぎて鍬が入らないからな。
お前達にならどうとでも出来るだろう?」
ラヴァンが魔方陣を展開、土中に存在する石を変成術によって泥に変成する。
更には両の掌を地面に向けると、ひらひらと揺らしながら呪文を鳴らした。
「えい☆」
《大地の鳴動》
地面が波を打つように盛り上がると畑の端まで土が捲れ上がる。
更には溝を掘ると畝を作り出し、1時間もしない内にそれっぽい畑が誕生した。
シャヘルは鍬を手に取ると猛烈な勢いで耕作を開始。
手伝おうと思っていたイーリスは無言で鍬を置き種を蒔き始めた。
「全部、纏めて魔法では駄目なのか?」
「土の中の微生物が居なくなっちゃうから、細かい部分は手作業だね。
あと種は穴を小さな掘って埋めると芽が出やすいよ」
「ん、よく分からんが分かった」
畑仕事が一段落すると、少女達は倒木に腰掛け麦茶を飲む。
掘り返した地面から虫をつつき食べている鳥達が我先にと群がり。
森からプリンや四足歩行の魔物豚、ポンキーなどが藪から顔を覗かせている。
「何か、色々寄ってきたな」
「あぁ、蒔いた種を食いに来るんだ。
腹一杯は食わないから大丈夫だろう」
プリンの親子が蒔いた種を頬袋に貯めている。
その様子を遠巻きに見ながらシャヘルは呆れたように言葉を漏らす。
「小鬼族の農法ってひょっとして遅れてる?」
「人族には生育農法というのがあるそうだが。
小鬼族には特にないな」
生育農法とは“ハンバーガー”を食いたいがために編み出された。
古代から伝わる農法の総称である。
植物の生育に魔力置換を利用することで収穫期を短縮することが可能。
ガンマ線の代わりに魔力集光を用いることでの品種改良も行われる。
「虫食いや形が悪くとも、小鬼族は気にしないからな」
「あ~あるよな、そういうの。
捨て値で買えるからこっちは助かるんだけど……」
熟れすぎて地面に落ちてしまった果実などは市場には出ない。
そういった物は飲み物などの加工食品に加工されて市場に出回ることになる。
ウィクルム商店ではそういった果物をジャムなどに加工して販売している。
なお現実で廃棄される奇形作物の量は年間3億トンである。
「余剰作物なんかは全部出すと値崩れしちまうから。
家畜とかに食わせるんだぜ」
「そなんだ、なんか勿体無いね」
「まぁ、うちのは市場に出す奴じゃないから、カンケーないけどな」
3人は休憩を終えると納屋にある鏡を通ってフォルティスへと帰還。
中庭にある五右衛門風呂でそれぞれ汗を流すと在庫の確認を始める。
シャヘルが出納書を読みあげ品物を確認中、風呂上りのイーリスが顔を出した。
濡れた髪にタオル一枚の姿で中庭から歩いてきたのか、何故か半裸である。
「わッ!? き、着替えてからこいよ!」
「あぁ、すまない。肌が乾いてないとちょっとな……」
シャヘルの目の前で着替え始めたイーリスが着替え終わる直後。
ラヴァンがぽてぽてと倉庫へとやってくる。
シャヘルはラヴァンの気配を感じ取って飛び上がるとイーリスを倉庫から追い払う。
(アッブネ――ッ!)
「ヘルるーん、この伝票の写しあるかな?」
「あっあるよ、コルクボードに貼っといた筈だけど……」
挙動不審なシャヘルに対していぶかしむ表情を投げかけるラヴァン。
そこにイーリスが踵を返してやってくる。
上は着替えていたが何故か下半身は履いていなかった。
「すまん、シャヘル。そこに下着落ちてないか?」
「もうお前ホント帰って!!」
素知らぬ顔でイーリスは落し物を履くと、火種だけを残し商店を閉め出される。
その日の夜、ラヴァンの抱き枕の刑によってシャヘルは寝苦しい夜を過ごした。
「ちょっ!? み、密着しすぎ……」
「ぷん」
その刑は三日続いたという。
▼
「ぷちゅん!」
観光用の馬車の中で揺れていたシャヘルが、あざといくしゃみを放つ。
ラヴァンがハンカチを取り出し鼻を拭ってあげると、馬車が歩みを切り返した。
馬車の窓から覗く視線の先には遠くなった町並みが薄暈けて見えている。
「ちょっと寒いな」
「標高が高いからね」
馬車は幾度も切り返しながら、なだらかな斜面を上へ上へと登って行く。
モンスは活火山の1つで目的地の温泉はその山麓に続いている。
やがて前方の視界が開けると、湯気の立ち昇る街が視界に入った。
総木造の家屋が所狭しと立ち昇り、細い道が網の目のように広がっている。
道の左右には観光客向けの土産物店が所狭しと立ち並び。
温泉宿へと近付く度に硫黄の臭いが、シャヘルの鼻腔にも飛び込む。
「何でこんなに密集してるんだろ~な」
「源泉が少ないんじゃないかな?」
「ふんふん、供給源を抑えれば。
使用権だけで儲かるのか……閃いた!」
「今日はゆっくりするの!」
不敵な笑みを浮かべるシャヘルは服の裾を引っ張られ馬車の中に戻される。
やがて馬車の歩調が遅くなると温泉宿の前で停止した。
先行していたイーリスやリリアムも玄関口に佇んで待っているようだ
シャヘルは馬車から降りると、ラヴァンの手を引いて2人の元へと向かう。
「小鬼族のみんなは?」
「団体で待ち構えてる訳にも遺憾だろう。
先に行っているぞ」
イーリスが腰に手を当ててそういうと外套がぱたぱたとはためいた。
さしもの鬼族組でも寒さには弱いのか、露出が控えめである。
「お部屋割りはどうしますか?」
「相部屋だよね☆」
「そう言うと思って、先に取っておいたぞ」
「え、オレの意思は?」
シャヘル達は温泉宿の玄関口を潜り靴を脱ぐと、板張りの上を歩く。
モンスの街は神柱の1人が開発した街の1つでこの宿も歴史が深いようだ。
歩く度に音を立てる鴬張りに回転扉や畳返しなど、多様な工夫が備えてある。
シャヘルは突き当たりにある畳敷きの奥座敷へと通される。
広々とした十二畳の空間の奥には中庭が見え、流水と鹿威しの音が鳴り響く。
掛け軸には達筆で“忍”の一字が書き記されていた。
「良い部屋だけど、全然忍んでないな」
「私もそれ、ずっと思ってたよ」
微妙に噛み合っていない会話を交わしつつ、2人はいそいそと浴衣に着替える。
洗面器に手拭を持って早速温泉へと向かう途中、小鬼族の姿を見た。
甲高い声を上げながら、わちゃわちゃと少女達が駆け出している。
「あんまりゆっくり出来なさそ」
「そだね」
2人は脱衣所に入り、シャヘルは籠の中へ衣服を脱ぎ捨てる。
下着に手をかけた時、不意に視線を感じ振り返るとラヴァンがガン見していた。
「ちょっ!? あんま見るなよ!」
「大丈夫だよ。ヘルるん!
女同士、やましいことなんて何もないよ!」
「やましさしか感じないよ!」
シャヘルは慌てて背中を向け前を隠しながら下着を脱いだ。
頭隠して尻隠さず。ラヴァンの視線が自然と下がり一点に集中。
その光景を目に焼き付けるのであった。
「おっ、けっこ~広いじゃん!?」
「ほらそこっ! 湯船に浸かる前に体を流すのだ!」
「ってイーリス!? 前ぐらい隠せよ!」
「ん? 何だシャヘルか……。
風呂で体を隠す意味などないだろ?」
そういうと腰に手を当てふんぞり返るイーリス。
リリアムは既に湯船に浸かっており浮かんでいた。脂肪は水に浮く。
この世の真理である。
シャヘルは教会から貰った石鹸と麻布で久々にまともに体を洗う。
ラヴァンが体を洗うのに手伝いに来るのを、シャヘルは猛烈な勢いで拒否。
両者はようやく湯船に入り肩まで浸かると声を上げた。
「あ゛~生き返るぅ~☆」
「ラヴって偶にオジン臭くなるよな……」
「ねへへ~ぇ☆」
シャヘルの言葉に意味深な笑顔を返すラヴァン。
身の危険を感じて距離を取ると、同じようにシャヘルから距離を取る者が居た。
見覚えのある総髪に浅黒い肌、雰囲気から漂うかませ臭。
「あれ、トルボーじゃん?」
「ひッ!?」
鬼の子を見たような形相でトルボーがその場から飛び上がる。
2人はお互いの裸体を見詰め合うと、トルボーは勝ち誇った顔で笑みを零す。
その様子を見たシャヘルは少しイラッとした。




