天下一武術会4
やがて光が収束する。そこに立っていたのは一人の女性。
その切れ長な眼差しには意志の強さを秘め、虚空を見つめていた。
少女の幼さは影も無く、長身痩躯の肉体でも威圧感を与える魔力相がある。
レースをあしらったドレスから滑らかな肌を覗かせ、闘技場の土を踏んだ。
「ヘルるん」
ラヴァンは久方ぶりに見るシャヘルの大人姿に息を飲むと頬を桜色に染めた。
その目は恋する乙女の眼差しに変わり、今にも駆け出しそうな勢いだ。
渾身の一撃を避けられたドゥルケは一旦距離を取るとシャヘルに目を向ける。
先程とは打って変わった凛々しい顔立ちに、ドゥルケは思わず笑みを零した。
「縦に長くなったくらいで、何か変わるのかしら?」
「私を本気にさせたこと後悔させてやる」
「へぇ、それは楽しみね」
シャヘルは不敵な笑みを浮かべ、ドゥルケに指を差し挑発する。
「ショウタイム」
シャヘルの左右に束ねた髪が一瞬揺らめくと両者の姿が消滅。
爆轟音は徐々に空へと向かい、両者が克ち合うたびに辛うじてその姿が見える。
観客席に居たオーランド王達は最早訳も分からず混乱するばかりだ。
「一体何が起こっとるのだ、タデウス!」
「私にも何が何やら!」
「戦ってるんですよ、ほら、其処で!」
冒険者ギルドのパターソンの指を差す先には辛うじて両者の姿が見える。
シャヘルとドゥルケが空中を飛び交い打ち合っているのだ。
「いやぁ、怪事には慣れてますが、これには度肝を抜かれました!」
「暢気なことを言っとる場合か! 巻き込まれるぞ!」
成長限界を突破した神柱達の戦いは、山を砕き海を裂くと文献に残されている。
歴史書によくある脚色だとばかり思っていたタデウスは己の無知を呪った。
シャヘルは《魔力の矢》を展開するとそれを回転させ渦を作り出す。
指向性を持った魔力の力場を形成すると、ドゥルケに向かって放つ。
《魔力の光渦》
「遅いわ」
「“避けるな”!」
シャヘルの言葉を聴いた途端にドゥルケの足が不意に停止する。
足に魔力を集中させ蹴ることによって加速していたドゥルケは一気に減速。
その顔には困惑の表情が張り付き、地面に向けて自由落下を始める。
《贖いの禁則》
魔力の渦に巻き込まれたドゥルケの体が空から弾き落とされる。
回避運動そのものを禁じられたドゥルケはされるがままの状態だ。
地面に墜落すると同時に土砂の柱が立ち昇り、観客席には土が降り注いだ。
「こ、これはどっちが勝ってるんだ!?」
「それどころじゃないですよ。イーリスさん!」
観客席の観客達は我先にと逃げ出す。
混乱の最中、シャヘルが空中から飛来すると黒翼を畳みドゥルケの元へ歩き寄る。
地面に叩きつけられたドゥルケは肉体を再生させながらもがいていた。
「何を知ってる?」
シャヘルが戦杖をドゥルケの顔に向けると威圧するような声で語りかける。
「貴女の知りたいことは何も……さぁ、殺しなさい」
ドゥルケはそう言うとゆっくりと目を閉じた。
ヴァンパイアの血を引くとはいえ日中ではその再生能力は弱まる。
心臓を潰せばドゥルケは灰へと還るが、シャヘルは浅い溜息を吐き顔を背けた。
「お願い――殺して頂戴」
「え、やだよ」
「三百年、三百年も生きてきたの、もう終わらせて」
ドゥルケは両手で目頭を押さえて嗚咽を漏らし始める。
シャヘルの足がぴたりと止まると踵を返し、女の元へと歩き寄る。
その場で膝を着くとドゥルケの体を横抱きに抱え上げ、互いに顔を見合わせた。
「シャヘル、何故? 私は貴女の命を狙ったのに……」
「私には難しいことはよくわからない。
何でお前が私を殺したいのかも……死にたがってるのかも」
シャヘルはドゥルケの頭を抱き寄せると慰めるように頭を撫でた。
「でも生きることを諦めちゃダメだ。自分から生きることを諦めたら。
死にたくなくて死んでいった奴等への魂の侮辱になってしまう」
「それでも愛した人達に先立たれるのに耐えられない」
「お前が死んでも悲しむ人はいるだろ?」
「居ないわ、居るわけない」
シャヘルはにぱっと笑うとドゥルケは困惑した様子でその目を見つめる。
どこまでも真っ直ぐな目は例え荒唐無稽な事柄でも信じてしまえる魅力があった。
「それでも、私が悲しい。これで万事解決だな」
ドゥルケはその言葉に答える事無く、安心した様子で目を瞑り眠りに着いた。
▼
「無理」
開口一番タデウスの否定、シャヘルは両手を腰に当てると無い胸を突き出す。
シャヘルの威圧に気圧されたタデウスだったが、ここで引く訳にはいかない。
最終的に天下一武術会三試合目は無効試合となり、教会が勝利した。
変身の効果が解けてちんちくりんに戻ったシャヘルが不満の声を挙げる。
「ドゥルケの実力見てただろ?
職の1つや2つ世話してやっても良いじゃん」
「実力を見たから言っとるのだ。
お前達の戦いが世界の要人達に知れ渡り。
図らずもフォルティスの恐嚇を示す形となった」
「どゆこと?」
「フォルティスに逆らうと、ヘルるんを嗾けちゃうぞ☆
って感じかな?」
「オレは番犬ポジなの!?」
ラヴァンの例えに不服を訴えるシャヘルだが言い得て妙である。
今までフォルティスと疎遠だった筈の各国は相次いで恭順を表明。
敵対心をもつ国では自衛のための軍備増強が推し進められている。
ドゥルケまで迎え入れたとあっては更なる混乱の元となるとタデウスは踏んだ。
「冒険者ギルドの方なら当てはあるが?」
「そういうのはちょっとな。
精神的に疲れてるからさ……」
「ふむ、他には雑事しかないぞ?
いっそのこと商店で雇ってはどうだ?」
「まぁ、そうしたいのは山々なんだけど……」
シャヘルの背後からラヴァンの視線が突き刺さる。
両者は結局何も決められずにウィンクルム商店へと向かって歩き出した。
窓枠に嵌められていた木板は外され花壇にはデイジーの花が咲き誇っている。
店内に入ると店内準備に借り出された、イーリスとリリアムが出迎えた。
「どうだった?」
「無理だってさ、ケチ臭いよなぁ」
「そういう問題ではないと思うのだがな。
それより温泉はどうする?」
イーリスは天下一武芸界で儲けた金を全額失うところであった。
しかしながら合法的に行われていた賭博ということもあって無事返金。
潤った懐で温泉旅行に行く予定となっている。
「主賓のシャヘルが不参加だと、色々と決まりが悪い」
「そうだな、ドゥルケもゆっくり考える時間が必要か」
「ドゥルケさんは?」
イーリスが2階への階段を指差すと2人は階段を昇り部屋の中を覗き込んだ。
部屋の中ではドゥルケが安楽椅子に腰掛け本を読みながら。
膝の上で丸くなっている、デブネコの背を撫ぜている。
「なぁ、ドゥルケ、ちょっといいか?」
「ありがとう」
「えっ?」
「私のために親身になってくれるのはありがたいけれど。
今日の夜にでもこの街を出るわ」
ドゥルケの言葉にシャヘルは眉を下げると彼女は本を閉じて微笑を返した。
「大丈夫、たまにあぁなる時があるの。
自壊衝動、辛くなるとどうしても……ね」
「ドゥルケさん」
ラヴァンはドゥルケの目を見つめると、ドゥルケは溜息を一つ。
椅子から立ち上がるとデブネコも床に降り立ち、1階へと降りていった。
ドゥルケは2階の窓から見える、真鍮製の看板を横目に見て薄く笑う。
「絆――素敵な名前。
それとも貴女にとっては鎖と呼ぶ方が近いのかしら?」
「ひょっとしてラヴァンと知り合いなのか?」
「私の方が一方的に知っているだけ。
本の中での御伽話だけど……」
「それを……」
シャヘルがドゥルケに詰め寄ろうと一歩踏み出すと、ラヴァンは彼女の裾を引いた。
振り向いたシャヘルの見たものは、目に涙を溜め泣き出しそうなラヴァン。
常に明るい態度を崩すことのないラヴァンの変貌に言葉を失う。
「それ以上口にしたら、私はドゥルケさんを一生 赦せなくなる」
「……これだけは覚えておいて。
人と繋がりを持つほどに別れは辛くなる。
そして、それがどんな形であれ、別れは必ずやって来る」
ドゥルケはシャヘル達の横を横切ると、静かに階段を降りていった。
ラヴァンは引き留めることもせずに、ただその場で立ち竦んでいた。
その夜、シャヘルとラヴァンは言葉少なに商店を閉めると、寝台に着いた。
2人は初めて別々の場所で眠りに付き夜を明かした。
「シャヘル」
「ん?」
「――ごめんね」
何故ラヴァンが謝ったのか、その時のシャヘルは毛布に包まりながら考えていた。
やがてまどろみへと落ちていきながら、差し込む風で肌を冷やした。




