コンワルリスの谷2
コンワルリスの宿屋に朝日が差し込み、深い山の夜が開けた。
シャヘルは寝台から上体を起こすと懐かしい誰かの声を聞いた気がした。
傍らには静かに寝息を立てるラヴァンが横たわっている。
「お~い、朝だぞ」
「……もうちょっとだけ」
シャヘルはラヴァンの柔らかな頬を指で突くとマシュマロのような感触が返ってくる。
ラヴァンはくすくすと笑うと開いた寝巻きから覗くシャヘルのお腹を突き返す。
古い寝台がぎしぎしと音を立てながら揺れ。不意に扉の向こうから声が掛かる。
「お前達朝っぱらから何をやってるんだ……いやらしい」
「ちょっ!? ちょっと待て!
そんなんじゃないからな!」
扉の外で誤解していたイーリスにシャヘルは反論すると寝台から飛び降りた。
寝ぼけ眼のラヴァンがようやく目を覚ますと宿屋の受付へと足を運んだ。
「お早う御座います。今朝方は竜が出たそうです。
帰りは明日になるかもしれませんね」
「ドラゴンか? そういや朝から鳴声が聞こえてたな」
「“バグ”化したドラゴンが居るらしい。
刺激しない為に風車も止まってるって話だ」
シャヘルは宿の窓から崖の上に立ち並ぶ風車を望んだ。
風車は地下水を汲み上げる為の物で、停止すればそれなりの損害が出る。
シャへルは「へぇ」と興味なさげに生返事を返したが上の空のままだ。
ラヴァンはまた少女の悪い病気が再発したと呆れた様子で溜息を吐いた。
「退治はしないのか?」
「気楽に言ってくれるな、相手はドラゴンだぞ?」
イーリスは自信ありげな言葉に疑問で返すが、シャヘルの実力を思い出す。
それを聴いていたリリアムも横合いから口を挟む。
「山の竜は神獣です。
どちらにせよ手出しは出来ません」
「ふ~ん……」
「それじゃ、錬金台を受け取りにいこっか?」
ラヴァンにドレスの裾を引かれて一向は再び洞窟の地下街へと足を運んだ。
アウルムの鍛冶屋へと足を運ぶと、店主のアウルムが恍惚の表情で出迎える。
肌に艶が有り随分と満足しているように見えた。
「おぉ、よぉ来たの、ラヴァン殿。
いやはやアレの具合は最高じゃったぞい。
なんといってもあの黒光りしたフォルムと硬さがたまらんのぉ」
「……いやらしい」
「金槌! 金槌の話だから!」
イーリスの怪しむ表情を受けて咄嗟に弁解に走るシャヘル。
それを他所にラヴァンは倉庫から持ち出された錬金台を受け取ると試用を始める。
「これで替えの服が作れるな」
「これはお料理とかも作れますか?」
「う~ん、出来ない事はないけど全部同じ味になっちゃうかな」
リリアムの疑問にしばし考えた様子を見せてラヴァンが答える。
複数の材料から特定の品物を合成するのが錬金釜。
錬金台は品物の複製や特性を束ねる事で強化する事が可能となる。
「頼まれていた物はこれだ」
「ヘルるんのラブステ借りても良いかな?」
「あぁ、これ……・まだその名前だったんだ」
アウルムが錬金台で生成を始めたラヴァンを食い入るように見詰めている。
ラヴァンが魔力を注ぎながらシャヘルの戦杖と店売りの武具との合成を終えた。
「あのぉ……ラヴァン殿。
マイナス効果になっとるんじゃが」
「アウルムさん、このお店にもありますか?」
「ん? あぁ、安い鉄屑にする奴ならあるぞい」
アウルムは店の奥から廃品とも呼べるような武具を床に並べた。
ナイフに付いていたがマイナスの付与効果が戦杖に移り輝きを取り戻している。
それに反比例するようにヘルの戦杖がボロボロになっていった。
「こんなしょぼい武器始めてみたのぉ……」
「シャヘル、ラヴァンは何をやってるんだ?」
「あれ? イーリス達は知らないのか?
これは……」
シャヘルがイーリスの疑問に答えようとした瞬間、洞窟に激しい縦揺れが襲った。
慌てて店の外へ出た一向が見た物は採光窓から睨み付ける黄玉の眼光。
「な、ドラゴン!?」
「何故襲ってきたんじゃ? こんな事は初めてだぞい!」
「ラヴァン!」
ラヴァンは完成した戦杖を投げ渡すとシャヘルは洞窟の外へと駆け出した。
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竜の牙が荒れ狂うように風車へと向けられると木材がウエハースのように砕け散る。
全長5mはあろうかという巨大な体躯を岩肌に叩き付け。
剥がれ落ちた岩肌が崖下へと崩れ落ちていく。
「おいおい、ちっとばかし、食い意地悪すぎるんじゃねぇか?」
「キュオォォォッ!」
「お寝坊さんにはキツイ目覚ましが必要なようだな!」
シャヘルがその場から跳躍すると、空高く飛び上がる。
ドレス背部にある黒翼が大きく翼を広げ、谷底から吹き上げる風に乗り滑空。
それを眺めていたイーリスが驚嘆しながら空を見上げている。
「はぁッ!? シャヘルの奴、と、飛んでるぞ!」
「えっ、そりゃ飛ぶよ。ヘルるんだもん」
「普通は飛ばないだろう! どんな謎生物だ!」
竜がそのを顎をゆっくりと持ち上げると、口から火の吐息を発射する。
シャヘルが身を翻しながらそれを避け、ほんき用の戦杖を持って急降下。
竜は距離を離すようにその場から飛び上がると、その体が集光する。
「にゃにぃ! ま、魔法!?」
「コォォォッ!」
竜の体の周囲に無数の火球が浮かび上がると一斉に飛来する。
シャヘルは数発を戦杖で弾き返すが、物量に押され遂には直撃弾を浴びた。
それを見ていたイーリスは思わず言葉を零す。
「あ、これ死んだ」
「もぉ、イーリスちゃん酷いよ!」
ラヴァンが頬を膨らませながら、死亡認定するイーリス達をぽかぽかと叩く。
火球の巻き起こした爆炎の中から戦杖が投擲されると音速を超え衝撃波を放つ。
「喰らえ! これがオレの……」
「ヘルるんのラブラブステッキ+127の威力だよ☆」
この世界では通常武具には8bit符号付き整数を採用している。
武具のマイナス効果が累積され-128を下回ると、オーバーフローを起こすのだ。
投擲された戦杖+127が空気を切り裂きながら竜の額にある黄玉を撃ち抜いた。
『ダサカッコイイと言う言葉もあるのですよ。ヘルるん』
「う、うるへー!」
竜の巨体から黒い霧が晴れると虚空へと消えていく。
すると、竜は気を失っているのか、岸壁に体を打ちつけ崖下へと滑落する。
シャヘルは翼を格納、その場で急降下すると岩肌を走り抜けた。
「クソッ! 間に合わねぇ!」
《天象の統御》
落下する谷底から一陣の風が舞い上がった。
空気抵抗によって巨竜の落下速度が緩み、シャヘルの落下速度が上回る。
シャヘルは駄目押しとばかりに岸壁に蹴りを入れ、竜へと組み付く。
再び背中の黒翼を広げると、少ない魔力を集中させ翼を羽ばたかせる。
「成せば成るッ!」
両者はついに谷底へと墜落すると、粉塵を上げながら地面へと叩きつけられた。
イーリス達は谷底に向かって両手を合わせると黙祷を捧げる。
ラヴァンは背中の小さな翼を利用して谷底へと降りていった。
「ヘルるーん!」
「んぇ? おぉ~こっちだこっち」
『本当にゴキブリ並みの生命力ですね』
辛辣なシステムさんの言葉にシャヘルが唸り声を上げる。
すると、空から一匹の仔竜が少女の頭上目掛けて落ちてきた。
親と思われる竜も目を覚ますと、シャヘルの匂いを嗅ぎ甘えた鳴声を上げた。
「キュイ♪」
「うわっ、何だよもう……重い、重いって!」
「チィ♪」
「よかったね、ヘルるん」
仔竜どころか親竜までシャヘルの頭の上に乗ろうとする様子を見て。
ラヴァンは優しげな微笑を交わした。
「本当に――よかった」
シャヘルと竜の騒ぎ声と谷底へと吹き付ける風の音が辺りを包み込んでいた。




