トリアの迷宮8
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どこからとも無く歌声が聞こえてくる、地の底から響いてくるような怨嗟の声。
南達はその音を体で受け止める度に視界が悪くなるのを感じていた。
アバターの肉体を素通りして操っているプレイヤーの精神を蝕んでいくのを感じる。
光の連弾を受けて瀕死の重傷を負ったジェイルに美紗が走り寄ると、ジェイルは思いも寄らない行動に出る。
自らの長剣を心臓に突き立てると、そのまま命を絶ったのだ。
困惑する美紗を余所に南はジェイルの元へ走り寄るとゴーストを回収する。
その瞬間追撃として放たれた光弾がジェイルの肉体を弾き飛ばし、ジェイルの肉体は灰となり消滅してしまった。
『間一髪だったな』
「良い判断ですよジェイルさん、確かに自分から死ぬ分には“あの技”は使えない」
「聞け常命の者よ……」
「何のつもりだモードロック! PKにでも転職したのか?」
間一髪で自死によって発生したゴーストの回収に成功した南は安堵すると、誰とも知れぬしわがれた声で南達に語りかける。
かつて組んだ経験のあるダークがモードロックに向かって声を掛けるが、ゾラスは顔を向ける事無くその場に佇んでいた。
やがてモードロックが腕を上げ言葉を放つと、南は振り絞る声で仲間に命令を下した。
「……贄となれ」
「みんな逃げるんだッ!」
「一列だ一列になって逃げて下さい!」
南達が撤退を宣言するとヘルが殿に立ち、昇降機に向かって撤退を開始する。
背後から唸るような声が聞こえると同時に、体が痺れるような咆哮が後方から浴びせられるとヘルは走りながら後方へと振り向いた。
そこにはモードロックによって呼び出された二十メートル近いレッドドラゴンが部屋のほとんどをその巨躯で埋め尽くし、口から赤熱を発しながらブレスの発射体勢へと移行している。
ヘルは張り裂けんばかりの声でミルキーに指示を飛ばした。
「ミルキーッ! 後方のドラゴンに《落とし穴》だぁ!」
「お、《落とし穴》ッ!」
突如開いた落とし穴によって、前足を穴の中へと滑らせたドラゴンは射線を外しながらも《炎の渦》を浴びせる。
殿のヘルは《創痍反転》を使用、エルロンドは《暗黒の外套》を振るうと投射攻撃によるダメージを半減。
ヘルがブレスの大半をその身に受け更には射線が逸れたお陰で直撃を免れたが、たちまちその体に燃え移りエルロンドは激しく炎上した。
余りの痛みにエルロンドは叫び声を上げると、石床に倒れ込み気絶してしまった。
後方から三番手に居た南は《疾走》すると、ヘルと共にエルロンドを抱え上げ何とか曲がり角へと到着する。
「南、急げッ!」
「昇降機に全員着いたぞ上げろッ!」
柴が走りこんできた南を引き摺ると昇降機に乗せ、三階に向かって作動させる。
エルロンドの息は既に無かったが、《魂の幽閉》は射程外の為か作動することは無かった。
南自身も射程外に居たがブレスによる延焼ダメージを受け、昇降機に辿り着いた頃には死亡していた。
美紗が慌てた様子で二人の治療を開始するが、この時間的猶予では一方しか蘇生させる事は出来ない。
難しい選択を迫られる美紗であったが、悩んだ末にエルロンドの死亡回避を優先することを決めた。
南がこの場に居ればそう言うだろう事を彼女は知っていたからだった。
昇降機が上昇する度に沈黙が重く圧し掛かり、鎖を巻き上げる音だけが部屋の内部に鳴り響いていた。
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どこまでも続く地平線が見える白い大地に南は横たわっていた。
やがて何処からともなく無機質な電子音が周囲から響き渡ると南は意識を覚醒させ膝を着いてその場から立ち上がった。
この場所は何度か見覚えがある、ゲーム中に予期せぬ事態が発生した際にプレイヤーを一時的に隔離する為に設けられたデバッグスペースだ。
南もゲームの仕様を逆手に取ったマンチキン技を度々行った際に運営側から隔離された経験があった。
『ユーザーID南様ですね。オメガ・ポイントを御利用頂き誠に有難う御座います』
「……今回は問題行動を取っていない筈だけど?」
『既にお気付きかと思いますが、ゲーム内に対処不能なバグが発生いたしました。エラーコードは……』
「何故緊急停止しないんだ? 人が死んでいるかもしれないのに?」
南の言葉を聞くなりコンピューターは状況の精査を始めたのか、ジージーという微かに響くノイズ音が南の耳へと届いた。
膨大な処理能力を持つオメガ・ポイントが情報精査にここまで時間を掛ける事が事態の深刻さを物語っていた。
『現時点においてゲーム内に死亡事故は発生しておりません』
「それならボクも把握している。精神が入れ替わる事例ならどうだい?」
『形而上学的分析機能は当方には備わっておりません』
「プレイヤーの脳情報にアクセスして、上書きしてしまうようなエラーさ」
コンピューターは答えの出ない答えに対しては別途保存する領域を保持しており錯乱しないように設計されている。
ゲーム上を円滑に作用させる為の規定外の行動を取らせない為だ。
確かに南の言う事は突拍子もない事だった。
人間は外部から得た情報を大脳新皮質の領域に保存している。
つまりハードとしては非常に安定している仕組みだ。
対象者の脳を書き換えて別人にする等という行いはありえない筈であった。
『フィードバック・システムに該当有り……エラー発生件数108万回、修正プロトコル……』
「待ってくれ、それは“本人”なのか?」
『御質問は精細に宜しくお願い致します』
南は口を曲げると額に手を当てどう伝えるかを思考する。
こういったシステムAIは、ゲーム中のAIとは違って融通が利かないのが難点だ。
「ユーザーID「ワーロック」検索」
『……該当するユーザー名は存在しません』
「それがおかしいんだ、ゲーム開始時には居た筈だ」
『エラー発生……該当エラーコード存在せず。未知の不具合。法令に基きログオフ機能を凍結します』
「それじゃ意味がないんだけど」
現実世界で外の人間がゲームシステムの異常に気付き対応を始めるのに、何分いや何時間掛かるのだろうか。
仮に1時間で事態が収束するにしてもゲーム内時間では三千六百年もの時間が経過している事になる。
異常によりログオフ機能が凍結されていたのは嬉しい誤算ではあった。
しかし外部から事態の収束が図れないのであれば内部から解決の糸口を探すしか手段は残されていない。
先程のワーロックの力の片鱗を見た所ではその手段は絶望的のようにも思える。
だがヘルの様にアバターの乗っ取りを可能としているのなら、その能力はゲーム内の仕様から大きく逸脱する物ではないと推測出来た。
『……』
「ダメだ、システムAIまで沈黙してしまった」
『か゛いふ゛より テ゛ハ゛ックコート゛ かくにん』
システムAIがそう言い残すと南の足元には一個のダイスが残されていた。
拾ってみるとポップアップには『運命のダイス』とのみ表示されるだけで、どのような効果が出るのかも分からない。
試しに振ってみても出る数字はランダムのようで、ただのガラクタのようにも見えた。
南は溜息をつくとダイスを懐の内に仕舞い込み、蘇生されるのを待つことにした。
ゲーム時間的にはそろそろフォルティスの街に帰還した頃ではあったが、デバッグスペースに閉じ込められるとは思ってはいなかった南は若干不安の色を滲ませる。
レベル六に上がった所だったので蘇生するのに必要な費用は六百金貨程度、自分を生き返らせると手持ちの資金がほとんど無くなるなと考えていた。
やがて目の前が白んでくると、自らの体が透けていくのが分かる。
「全く……ゆっくり死んでる暇もないよ」
デバッグスペースから南が消え去ると、白の空間はゆっくりと黒に反転し消え去っていった。
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