トリアの迷宮3
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フォルティスの中央部に位置する自然の湖を整地されて作られた、リムネー広場に面する場所に急遽建設された二階建ての施設が存在する。
クソゲークエストの世界にも遠隔通信を可能とする魔法は存在するが、かなり高レベルな物となるので気軽には使用できない。
ジェイルがお互いの連携を密にする為に新設された建物であった。
虫籠を肩に掛けたヘルが両手に虫取り網を抱えながらm走る度に左右に結わえたツーサイドアップの髪を揺らして玄関口に走り込んで来る。
施設内に足を踏み入れると新築の臭いがヘルの鼻に薫ってきた。
一階の騎士団練に座っていた受付嬢のNPCがヘルの存在に気付くと、眼鏡を上げながら何事かを尋ねる。
「今日は何の御用ですか?」
「南、居る?」
「いらっしゃいますよ、只今二階に……」
「サンキュー!」
ヘルがどたどたと階段を上がっていくと受付嬢は溜息をつきながら書類整備を再開した。二階に上がった先には南と愛音が何事かを相談しているようだ。柴は椅子を三つ並べ鼾を掻きながら寝転び、今にも床へずり落ちそうになっている。美紗がヘルの存在に気付くとお茶菓子の入った袋を振りながら微笑むと、ヘルはこくこくと縦に頷きながら机の椅子に座った。
「いらっしゃいヘルちゃん。クッキーだけど食べる?」
「食べる! 南はまだ話中?」
「すぐ終わるわよ、ほら」
南と愛音の話が終わると、机でもしゃもしゃと頬袋にクッキーを詰め込んでいるヘルの存在に南が気付き。
一瞬見ない振りをして視線を逸らしたが思い直したのかヘルの元へと歩き寄ってくる。
ゲーム内世界とはいえクソゲークエストの世界では予算的な問題で幻想的な光景は多くはない。
つまりは現実と差して変わる物も無く珍しい物は存在しないのだが、ヘルにとっては物珍しい物ばかりなのか小学生レベルの行動にしばしば南を巻き込むのであった。
「今日は何の用事かな?」
「南、クワガタ採りに行こうぜ! クワガタ!」
「……流石にクワガタに買値は付かないと思うよ」
「オレにそういうキャラ付けするの、やめて!」
見た目には姉と弟ほどの年齢差があるのだが、中身は全くの逆であるので奇妙な光景にも見える。
南にヘルが笑いかけながら談笑しているのを愛音はもう一方の机の椅子に座り。
頬杖を着きながら眺めていたが、美紗に差し出された紅茶に気付き顔を上げた。
愛音は美紗に礼を言いつつも紅茶を口につけると、再び南達の方へと視線を向けた。
「気になる?」
「そりゃ気になるよ、やけに仲良いんだもの。二人して出かけてる事もあるし」
「でもあれって、男友達的な仲の良さじゃない?」
「わかってないなぁ、美紗……良く見てなよ」
美紗は二人をしばらく観察しているとお互いが顔がぶつかるような距離で会話しつつ、肩に手を添える等を自然にやっているヘルを見て何となく理解を覚えた。
距離感が近いのを見る限りでは精神が男だと言った言葉もあながち嘘ではないのかもしれない。
それだけならまだしも南までヘルの肩を突いたり指先が触れたりするのを全く気にしていない様子だった。
美紗は思わず乾いた笑いが漏れると愛音の顔をちらりと窺った。
ぶすっとした表情で最早両者を視界に入れるのも避けているようだ。
「あんなの絶対ズルだよ。私なんか南くんからボディタッチしてくるのに一年も……」
「あぁほら、弟みたいな感覚じゃないかなぁ!?」
「肉親と同程度に親密にそれってもう……」
「柴! 柴ちょっと起きてッ!」
「んあ? なんだ美紗か」
暗黒闘気を放ち始めた愛音を何とかする為に呑気に鼾を掻いていた柴を叩き起こすと、南とヘルのクワガタ採りに参加するよう柴に頼み込んだ。
というよりも当の本人がノリノリだったので特に問題なく同行させることに成功した。
柴は南と愛音の関係を幼い頃から知っている幼馴染である。
さり気無いフォローに期待を寄せたが柴は全力で外で遊び回って途中で力尽きて寝るタイプだったのを思い起こし、人選を誤ったかもしれないと後悔した。
「クワガタなんて本当にいるのか?」
「近所のガキに教えて貰ったんだ!」
「ふぅん……」
柴とヘルがクワガタについて話をしている横で南が興味なさげな返答をした。
やがて街の外に出ると、近場にある木を探しだす。
やがて頭ほどの高さについた傷から出る樹液に群がっているクワガタをヘルが発見すると虫取り網を振り回し捕まえ始めた。
やけにスムーズに事が運ぶ状況に嫌な予感を感じて南が周囲に警戒すると、あちこちの木に同じような傷がつけられている事に気付いた。
今更熊如きに遅れを取るほどの実力ではないが、自然動物相手に戦う理由は無い。
「採れたのなら早く帰ろうか、なんだか不味そうな空気だ」
「えっそうか? 特に何も感じないけど……」
「へへっ、大量、大量!」
ヘルが虫籠をかざすと中では数匹のクワガタが蠢いているのが見える。
それと同時に何処からか聞こえてくる弱々しい鳴き声をヘルが聞き取ると、周囲を警戒しながら音のする方角へと走り始めた。
そこには犬猫ほどの大きさの竜が二匹、一匹は子供なのかそれよりもまた小さく親と思われる個体にすがり付いて鳴き声を上げている。
後を追ってきた南達が周囲から響き渡る奇妙な羽音に気付くと、針のような鋭いストロー上の口器を持った羽虫が飛び交っているのに気付いた。
「スードゥドラゴン? さっきの木々の傷はこのドラゴンの仕業だったのか……」
「襲われてるな……なんだあの昆虫?」
それは生物に取り付いて体液を啜るスタージの編隊であった。
ドラゴンの抵抗跡だろうか、虫達の足元には十数体の昆虫の死骸が転がっており飛んでいるスタージの幾つかは傷を負っているように見えた。
南が先程の傷はスタージの生息域を知らせる為のものだった事に気付く、恐らく人間の子供達がこの場所まで昆虫採集にやってくるのを警告するつもりで付けたのだ。
スードゥドラゴンは知能が高く穏やかな性格を持つ善竜だ、このまま見捨てては置けない。
そう南が考える間に生き残った仔竜へとスタージの一体が飛び掛ると、ヘルがその間に割り込み背負っていた烏木の戦杖をスタージへと叩きつけた。
攻撃が触れた瞬間《気功術》によって気を開放すると、スタージは内側から爆散し地面へと墜落する。
「弱い者イジメは感心しねぇぜッ!」
「昆虫に言っても理解出来ないんじゃないかな?」
「わ、わかってるっての!」
「南ィ、短剣一本貸してくんね?」
柴がそう言いながら先頭に立つと、南が持ち歩いている短剣の一本を手に取り身構える。
五匹のスタージが南達に向かって突撃してくると、一体がヘルの体に取り付き、体に吻口を突き立てる。
南にも一体が取り付き、血液を吸い始めると南は短剣で外殻を突き刺すがかなり頑強に出来ているのか貫通させる事が出来ない。
体に取り付かれては《念動球》を使用不可能となる。
「南! 結構なスピードで吸われてるぞッ!」
「内部から破壊するしかないのか……」
「こっちに向けな、叩き潰してやる!」
ヘルの攻撃がしがみついているスタージの体をそれぞれ捉えると、内部から体液が膨張しながら弾け飛んでいく。
体からスタージが離れたのを南が確認すると、掌に〈念動力〉を集中し流転を加速させると虚空に向かって多大な衝撃波を開放させる。
「《念動球》!」
開放された衝撃波が飛び回っていたスタージ達の羽を完全に破壊する。
地面に落ちたスタージ達を柴が一体ずつ仕留める内に、南は増援の存在を警戒しながら体勢を整えヘルに目を向けた。
ヘルは死んでいる親竜に手を出そうとして仔竜に手を咬まれながらも声に出して説得しているようだ。
しかし残念ながらクソゲークエストの世界ではモンスターを蘇生させる手段はシステム上存在しない。
南は親竜を助けようとしているヘルの肩に手を置くと重い口を開いた。
「ヘル、残念だけどモンスターの蘇生は出来ないよ」
「えっ?」
モンスターを倒して蘇生するのを繰り返せば容易に経験値が稼げてしまう故に、大半のMMORPGでは使用されていないシステムである。
ヘルは南から親竜が蘇生しない事実を知ると、両腕に抱えた親竜を安全な場所まで運び柔らかい地面に穴を掘り始めた。
仔竜は親の墓を作ってくれているのを理解したのか、寂しそうな鳴き声を上げて困惑している様子だった。
「ゴメンな、お前のカァちゃん助けられないって」
「チー……」
「これはお墓だよ、弔ってあげないとな」
スードゥドラゴンは秘術の素質のある者に対しては精神感応によって交信する事が出来る。
ヘルは仔竜と会話しながら慰めると泥だらけになった手で地面を掘り続けた。
南は短剣を使って地面に穴を掘るのを手伝うと、そこに柴も加わり質素ではあるが墓を立てることが出来た。
所詮はデータ上の存在と言ってしまえばそこまでだが、南達の精神も電子化されてこの場に存在する。
そこに大した差など存在しないかもしれないと南は思った。
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