頑愚な構造
今までに書いた高齢社会や財政問題に関する内容を、簡単にまとめたくらいのものなので、既読で充分に理解されている方は、読む必要がないかもしれません。
バブル崩壊後の何年か後には、このような事が既に言われていました。
『日本という国は、今までインフレしか経験して来なかった。だから、政府はデフレに弱いのだ。どんな対策を講じれば良いのか、分からないでいる』
つまりは、経済の状況の変化に対応できていないというのです。もっとも、この評価が本当に妥当なのかどうかは分かりません。もっと状況が悪化していた可能性もあるはずですからね。もしかしたら政府は、ベストとは言わなくてもベターな選択をしたのかもしれない。経済学の常識に縛られた状況下では、上手くやった方なのかもしれない。ただし、ここでは“失敗をした”という前提で話を先に進めたいと思います。
経済状況の変化に対応できなかった経済政策に関わる人々を、愚かだと否定するのは簡単です。
ですが、その原因を個人に追及する事には、慎重であるべきでしょう。個人はもしかしたら、その政策の誤りに気付いていたのかもしれないからです。分かっていながら、それでも社会構造に縛られて、より適切な政策が執れなかっただけかもしれない。
そう。
社会の行動とは、何よりその構造に縛られてしまうものなのです。
例えば、既に社会は高齢社会に突入しています。人口のバランスが崩れ、若い世代が少なく高齢者が多い。今はまだその本格的な影響を受けてはいませんが、労働力が不足し始めれば、危機的状況下に陥る可能性すらあります。
当然、その変化に対応しなくてはなりませんが、これがやはり難しい。若い世代の人口割合が多かった時期に確立された社会構造、慣習、常識を引きずってしまい、その変化に対応でき難くなっています。
まず高齢者の人口割合が多いのだから、当然ながら、高齢者にそんなに高い給料を支払う訳にはいきません。減らさなくちゃ、社会が保てるはずがない。もちろん、ある程度は減らしているのですが、まだまだ充分とは言えない。特に公務員ですが。
これと同じ様なものに、年金があります。断っておきますが、年金の世代間格差は犯罪的ですらあります。何千万単位の格差が、若い世代と高齢者世代にはあります。これも年金支給年齢を高くしたり、少しではあるけど減らしたりと、努力はしているみたいですが、やっぱり決定打にはなっていません。
もちろん、お爺ちゃんやお婆ちゃんに、「給料や年金を減らすよ」なんて言っても簡単に納得してくれないのは理解できるのですがね。人間なら、そう反応するのは当たり前でしょう。
ですが、これはだからこそ、厄介な問題なんです。
そうやって若い世代への負担を増やしていけば、当然の事ながら、今でも低い出生率が更に悪化し、少子化に拍車がかかる可能性すらもあります。これは、もちろん、将来的に労働力不足がより深刻になる事を意味します。
因みに、既に将来の労働力不足は避けられないだろう事態になっています。そしてならば、その対策を執らなくてはいけないはずです。ところが、政府はその対策をほとんど執ってはいません。
長らく“労働力過剰”という社会状況を経験し続け、感覚が麻痺してしまい、その恐ろしさが分かっていないような気がするのは、気の所為ではないでしょう。
何かに似ていますね。
はい。
インフレを経験し続け、有効なデフレ対策が打てなかったと言われている先の話とそっくりなのです。
今、政府が執っているのは、労働力の供給過剰対策です。だから、公共事業をたくさん行って労働力を使おうとしている。
しかし、それが公共事業に依存する企業体質を持続させてしまい、構造改革が間に合わず、そのまま“労働力不足の時代”に突入してしまうという懸念は払拭し切れません。下手したら、民間企業と国との間で労働力の奪い合いが発生するかもしれないのです。最悪、民間企業の成長を、国が阻むという皮肉な事態に陥るかもしれない。いえ、実を言うのなら、既にその片鱗は見え始めているのですが。
因みに、労働力が不足すると、物価は上昇します。物価が上昇すると、国民の貯蓄は減ります。国は現在、莫大な借金を抱えていますが、その借り先は国民の貯蓄です。つまり労働力不足に伴い、国は国民から借金がし難くなるのです。物価が上昇すれば、国の借金は実質減りますが、そのタイミングで歳出を減らす事ができなければ、国家破綻に陥るかもしれません。
公共事業依存体質の持続は、だから非常に危険なのです。
これも、経済状況の変化に対応できない構造の一つですね。
将来的に労働力不足に陥るだろう事が分かっているのなら、今必要なのは、労働力の節約に結びつく設備投資でしょう。
海外から労働力を補充する“移民”という手段もありますが、これは今は考えない事にします(正直、日本という社会に、移民をすんなり受け入れられる文化を含めての体制が整っているとは僕には思えません)。
まず、簡単に思い付くのが、再生可能エネルギー。実は再生可能エネルギーの多くには、維持費が極めて安価という優れた特性があります。
これは物価が安い、労働力が余っている時代に再生可能エネルギーの為の設備を整え、物価が高くなる労働力不足の時代に、その設備によって利益を回収するという、理想的な流れを起こすという事です。
(因みに、再生可能エネルギーの利益見積もりには、何故か物価変動が考慮されていないケースが非常に多いので注意してください。少なくとも、僕は一度も考慮されているそれを見た事がありません)
原子力発電所は、むしろ労働力不足に時代になった後で、核廃棄にかかる労働力が必要になるので、労働力の節約という意味でも、理に適っていません。
もちろん、労働力の節約手段は他にも考えられます。
注目すべきなのは、流通業界。
ネットでの販売割合を増やし、更に物流の無駄を省けば、労働力の節約が可能です。また、予約注文の文化を根付かせ、商品が手に入るまでのタイムラグを消費者が許容してくれるようになれば、無駄な在庫を抱えるリスク、つまりは無駄な生産を減らす事に繋がり、ここでも労働力の節約が可能になります(もちろん、廃棄物も減るので、ここでも労働力が節約できます)。
もちろん、ネットを活用してのこういった労働力の節約は、既に起こっています。しかし、まだかなり発展の余地はあります。積極的に後押しをすれば、より顕著な効果を引き出せると考えられます。
こういった事が可能になる体制作りの為に、労働力が余っている今の時代のうちに、設備投資をするべきでしょう。
しかし、国はそんな事はやっていない。必要かどうか分からない公共事業。そして、オリンピックへの設備投資……。
こういった対策を執っていない事を、政治家や官僚の責任にばかりはしていられないでしょう。
先にも述べましたが、社会構造の中にこそ、その原因は埋まっています。頑愚な社会構造。例えば、将来の事をそれほど心配しなくても良い高齢者世代の人口割合が多く、かつ投票率も高いという現実。反対に、将来を考えなければいけない若い世代は、無関心で投票率が低い。
政治家は、自分達に投票してくれる人間達が喜ぶ政策を実行する性質を持っています。そうじゃなければ、生き残れませんからね。
だから、若い世代が投票しなければ、将来の事を考えた政策を、政治家は実行し難くなります。そして、高齢者世代を優遇し、若い世代をその為の犠牲にする政策を実行します。
もちろん、そんな事をし続ければ、日本社会が衰退するだろう点は明らかです。ですが、それを止めようと思っても、若い世代が投票してくれなくては、そんな政策は実行できません。
断っておきますが、その為の政策案を政治家は既に出した事があります。しかし、それでも若い世代の投票率は低かった。
無関心。
頑愚な社会構造は、保守的な高齢者にだけある訳ではない事がよく分かるでしょう。
偶には政治家の肩を少しだけ持ってみました。
都知事選前ですしね。投票率が高くなる事を願います。