アイアンランクになりました
遠く人の気配を感じて、ユフィは走る速度を落とす。
既に姿は子供のものである。
暫く行くと冒険者らしき三人組が目に入った。
相手も気付いたのか、驚きの表情でユフィを見ている。
とりあえず会釈して通り過ぎたが、三人は口を空けてぽかんとしていた。
この道は深海の森近辺を横切る道であり、子供が一人でいる場所ではない。
しかもその子供は涼しい顔をして、とんでもないスピードで駆け抜けていったのだ。
「白昼夢ってやつか?」
「いや、あたしにも見えたけど、集団で見るものじゃないだろ?」
「子供、だったよな?」
ふるりと頭を振って、「俺たち疲れてるみたいだから、ちょっと休憩いれようぜ」と、町から一日歩いてきた三人は、予定外の休憩を取ることにした。
「冒険者のユーフィリアです。依頼を完遂したので通してください」
にこにこと笑うユフィの前にいるのは、二人と共に初めて町を訪れたときにいた門番だ。
ユフィは依頼書を掲げて見せているのだが、門番はそれを見るまでもなく、「どうぞ」と通した。
その顔が引き攣って見えるのはきっと気のせいだ。
夕陽に照らされた町は、やはり賑やかで、目に入った親子を眺めていると、胸が痛む。
娘は夫に溺愛されていたし、由希の両親も、夫の両親も孫娘を溺愛していた。
だから、愛情に飢えることは心配していない。
ただ、この手に抱くことも、見守ることもできなかったことが辛いだけだ。
そもそもあれから既に五十年が経っている。
今更戻れたとしても、母親だということなどできないし、姿だって変わってしまった。
大切な家族や、これからかけがえのない仲間になるであろう相手も見つけた今、帰りたいとも思わない。
ただ、無性に胸が痛むだけ。
振り切るように、ユフィはギルドへ向かう。
その顔は子供のものではなく、苦さを知る者のものだった。
ギルドの扉を開けると、前回とは違い数人の冒険者がいて、ユフィを見て驚いている。
それを無視してまっすぐにメルの前に向かうと、気付いたメルがカウンターから出てユフィを迎えた。
「依頼完了です。二階に行けばいいですか?」
「お疲れ様です。ユフィさん、でしたよね?ギルドマスターがお呼びですので、こちらにお願いします」
案内されるのは、二階からカウンターの奥に入った場所だ。
前回と違い、二階は結構な人数の冒険者がいて、カウンターの中の職員も忙しそうにしている。
「今日は人が多いんですねー」
驚いてユフィが言えば、メルは笑う。
「時間帯ですよ。前回は昼過ぎくらいだったので、人がいなかっただけです。基本的に依頼を受ける人は午前中に、依頼を終えた方は夕方以降に来られることが多いんです」
なるほど、と思いながらユフィは回りを見る。
カウンターの奥は扉の数こそ少ないものの、ギルドの建物の大きさに見合った広さがある。
「奥の方が広いのは、備蓄とかの関係ですか?」
「いえ、備蓄もありますが、幾つかの部屋は空室ですよ」
「空室ですか?」
「有事の際は冒険者や、町の人たちを収容しなければいけませんから」
ユフィがなるほど、と納得していると、一つの扉の前で「こちらです」と止まる。
ノックをすると返事があり、部屋に入る。
そこは、大きな机と椅子、そして本棚と武器があるだけの場所だった。
机の奥にはギルドマスターがいる。
「戻ってきたか。メル、案内ご苦労。嬢ちゃんはそこに素材を出してくれんかの」
その言葉に、メルは一礼して退室し、ユフィは荷袋から素材を取り出す。
「ほう。タルガにシーライ、ケムルじゃな」
ケムルとはユフィが行き掛けに倒した魔獣である。二十メートルはある蛇で、その牙に毒がある。
「ふむ。タルガにシーライは見事なもんじゃが、ケムルは牙に罅がはいっておるの。しかし、どれも一撃で仕留めるか」
じっくりとそれを見ながらギルドマスターは話す。
それを静かに見ながら、ユフィは警鐘が鳴るのを感じていた。
「おぬしは深海の森に住んでおったそうじゃな」
ユフィが頷けば、ギルドマスターは静かな、しかし心の奥まで観察するような目を向けてくる。
「おぬしは今、人間か?」
「今、とはどういう意味でしょうか?私は人間以外になった覚えはありません」
背中に汗が流れる。思わず拳を握りしめた。
「ふむ。では、どうやって深海の森で生活しておった?」
「そ…れは、冒険者の両親と一緒に」
「答えたくないのなら構わんが、嘘を言う必要はない」
ピシャリと言い切られ、ユフィは顔を歪める。
「森で何があった?」
「何も。…人として生きるために人と触れ合いたかった。世界を見たかった。個人的な目的を果たしたい。それだけです」
ふむ、とギルドマスターは視線から力を抜く。
それでも外されない視線に、ユフィは緊張が解けない。
「悪かった。別におぬしを疑っとるわけじゃないんじゃが、好奇心が疼いての」
かかと笑ってギルドマスターはユフィに椅子を勧める。
「冒険者というやつは難儀での、わしは引退した身じゃが、この年になっても好奇心が尽きぬ。おぬしを見とるとつい、知りとうなる。おぬしはわしらとは違うものに見えるでな。しかし無理に暴く気はない。今日呼んだのは、ランクのことじゃしの」
にやりと笑うと、茶目っ気たっぷりの表情で片目を瞑ってみせる。
それがユフィを和ませて、緊張が少し解れたのを見て取ると、ギルドマスターは机から一枚の紙を取り出した。
「冒険者になるための書類じゃ。まあ、最低、名前だけ書けばよい」
渡された紙を見て、ユフィは少し考える。
項目は、名前、出身地、年齢、精霊の加護の有無、その属性、武器、死亡した際の連絡先である。
名前は真名を書くのは躊躇われたので、ユーフィリアとする。
人間であるユフィはそうでもないが、竜は真名を呼ばれることを嫌う。
家族間などは呼び合うこともあるが、家族以外のものは呼んでいるのを聞いたことがない。と言っても、家族と暮らしている間、会ったことがあるのは精霊と賢獣、神獣、竜くらいだが。
年齢は、五十でいいだろう。
出身地は深海の森。
精霊の加護は全属性、武器は記入しない。
死亡した際の連絡は、できるはずもないので未記入とする。
書き終えたそれを渡せば、ギルドマスターはにやりと笑って目を通す。
「まだひよっこじゃったか。幼い外見をしとるが、もっと年を経ておるかと思うておった。それでは老獪さが足りぬわけよの」
くっくっと肩を震わせて笑うギルドマスターに、ユフィはこの世界で五十はひよっこという間違えた認識を持つ。
成人は二十歳だと聞いていたのだが、もしかしたら魔力がある人間は長い時間を生きるため、五十は若造なのかもしれないと納得した。
ちなみに勘違いである。
確かに人間でも長生きするものは五百年を越えることもあるが、ほとんどが八十〜百五十程で生を終える。
間違っても五十はひよっこではない。
ひとしきり笑って、間違いないことを確認し、ギルドマスターはベルを鳴らした。
少ししてメルが来ると、紙を渡しユフィに向き直る。
「これで一階のカウンターに行けば、登録は仕舞いじゃ。ランクはブロンズーかアイアンで迷ったが、アイアンでよかろう?」
ユフィが頷くと、「そう怯えるでない」と苦笑する。
「レグルスとマキアスに近々参れと言っておいてくれんかの。後は任せたぞ、メル」
そう言って退室の許可が出されると、ユフィは席を立つ。
メルに倣い一礼して、扉が閉まると一気に疲れがきた。
はぁ、と一息ついて歩き出す。
五十のひよっこには、人間社会で揉まれてきた老獪な相手と対峙するには荷が思い。
「大丈夫ですか?」
メルが聞いてくるのを苦笑で返して、一階のカウンターへ向かう。
一階は先程と変わらないくらいの人数がいたが、空いている左端のカウンターにメルが入っていき、ユフィと向かい合う。
「では登録しますね」
水晶の結晶のように見える物に銀色のカードをかざして、メルは何やら呟くと、カードが鈍く光る。
ユフィの目には、小さな精霊たちがカードに擦り寄っているように見えた。
「では、このカードに一滴、血をつけてもらえますか?」
手渡されたカードは、まだ精霊がまとわりついていて、早く早くとねだっているように見える。
針はメルが用意してくれているので、それを指に刺し、ユフィはカードに近付ける。
精霊たちは魔力に溢れた血が、カードにつくやいなや暴れだす。
それは眩い程に輝いて、精霊たちが二回り以上大きくなった。
「……」
冷や汗を流すユフィに、目を丸くしたメル。
一階にいた他の人たちも驚いたように注目している。
「す、すみません。カードの、確認を…」
それでも職業意識か、すぐにユフィに声をかけるメルに、ユフィも気を取り直してカードを渡す。
「あ!カードは正常ですね!アイアンランク、おめでとうございます」
精霊たちは今も狂喜し、ユフィの指先にじゃれているが、幸いここには精霊を見ることのできる人間はいなかった。
ギルドカードの登録石が、異変を起こしていることが判明するのは、もう少し後。
自我が芽生えた精霊たちは、気分や好き嫌いで仕事をすることになる。
それはカードの更新や、新規登録に多大な影響を与え、この登録石は隅に追いやられることになる。
それはユフィの責任ではない、はずだ。