第一遭遇
ユフィは、精神的に疲れていた。
家を出てもう二週間になるが、やっと街道に出たばかりである。
この二週間、野宿、野宿、野宿で過ごしてきた。
その間話し相手もおらず、たまに魔獣が襲ってくるのを相手にするだけで、変わり映えのない景色だけを見てきたのである。
やっと街道に出たのはいいが、道はまだ遥かに長そうだ。
背負った革袋の中には果物も水もあるので、食に対する心配はないものの、いつも賑やかだった兄弟竜たちと、穏やかで気高い両親がいない、一人ぼっちの寂しさはユフィを苛んでいた。
街道の先はまだ見えない。
ユフィは走る速度を落とし、休憩しようかとも考えたが、一人の時間が続くのは嫌だと思い直した。
そうして走ること三時間。
風にたなびく煙が見えた。
それは人の存在を否応なく感じさせ、ユフィの気持ちを上向けることに貢献した。
「第一印象は大切」
ぽつりと呟いて、ユフィは速度を押さえながらその方向に走っていった。
「ったく、今回は散々だ」
「こりゃ覚悟決めなきゃなんねぇか?」
そんな会話を交わすのは、二人の冒険者である。
二人はここから馬車で二日程の距離にある町の冒険者だった。
依頼を請けてシルバーランクの魔獣を倒しに来たはいいものの、出遭ったのはゴールドランクの魔獣、亜竜である。
亜竜は、飛べないドラゴンとも呼ばれ、飛翔能力が極端に低い。
低空飛行しか出来ない上に、飛翔時間も短い。
しかしその能力は竜と呼ばれるだけあって、魔法耐性、物理耐性が非常に高く、攻撃力も高い。
そんな亜竜が街道付近に出てくることは珍しいが、この深海の森付近ではあり得ないことではない。
深海の森とはまさに、深海のように深さの果てが知れず、珍しい魔獣が多く存在することに由来する。
帰らずの森と呼ばれることもある。
二人が依頼を受けたのは、タルガという虎のような魔獣であるが、今日で三日目となるのに見つけることもできずにいた。
そうして出遭ったのが亜竜であっては、絶望するしかなかった。
「逃げ、させてはくれねーよな」
「どう見ても周り燃えちゃってるからね」
それでも二人は取り乱したりはしない。
冒険者になったときに当然死は覚悟しているからだ。
せめて一矢くらいは報いたいものであるし、逃げれる隙が全くないとも限らない状況で諦めるのはシルバーランクの名が泣くというものである。
既に片方の男の左腕は炭化し、もう一人も魔力、体力の限界に来ている。
対して亜竜は無傷である。
死は目前であった。
亜竜のギラついた目が二人を捉える。
そんなときだった。
「ちょっと!せっかくの第一遭遇を潰す気っ!!」
なんとも場違いな幼い声が響いた。
「こんにちは」
そうニコニコと笑いかけてくる幼い少女に、二人の冒険者は自分の意識を疑うことしかできなかった。
今起こった事実が理解出来ない。
確かにこの目で見た。
その結果も目の前に広がっている。
けれどそれは何かの冗談だと思いたかった。
あれは確かに亜竜だった。
今見ても亜竜である。
一瞬だった。
少女の姿が揺らいだと思ったら、亜竜の横腹が吹き飛んだのだ。
それと同時に周りを囲んでいた炎も消えた。
あるのはただ、無惨な亜竜の死骸と、微笑む少女だけである。
「お怪我、大丈夫ですか?良ければ治癒しますけど、迷惑ですか?」
ニコニコと見上げてくる少女はその整った顔に心配を浮かべている。
「あぁ…いや、頼む…」
掠れた声で答えると、少女は花が咲くように笑った。
[痛いの痛いの飛んでけ〜]
不思議な言葉と共に、二人の体に付いた傷が全て癒えていく。
そこらの神官では、再生させることもできないだろう左腕さえ一瞬で癒えて、疼く痛みも、違和感さえ無くなっている。
それだけの魔法を使っても、少女には僅かな疲れも見えない。
この少女は人間なのだろうか、と疑問が沸くが、敵ではないことだけは願いたい。
少女の気持ち次第では、死んだことにも気付けないことは確実である。
「まだ痛みます?」
心配そうに見上げられ、片方の男は我に返った。
「い、いや、すまん。嬢ちゃんがあんまり凄いんで、どうも現実感がなくてな」
背中を流れる冷や汗を無視して笑いかける。ついでに片割れを肘で突くのも忘れない。
「あ…!そうでしたね。私、それなりに強いんでした」
「……嬢ちゃんは人間か?」
そう聞いてしまった冒険者に罪はない。
正真正銘人間であると主張したユフィに冒険者は苦笑いしながらも納得して、お互いの状況を話し出す。
しかしユフィは知らない。
母親であるレアリアースにとって人間の基準が歴史に名だたる大魔法使いであることも、父親であるディルアクロシアの人間の基準が歴史における最強と名高い英雄であることも。
それを基準として、かなり強いと言わしめるユフィは、既に人間の範疇に入るのか謎である。
「で、さっきの亜竜に出くわしたっつーわけ」
「そうだったんですかー」
「しかし本当に助かった。嬢ちゃんがいなけりゃ今頃亜竜の腹ん中だ」
和やかに談笑する横で、亜竜の肉が焼けるいい匂いがする。
ちなみにユフィにとっての竜は家族である神竜だけで、亜竜を獲物として捉えることに忌避感はない。
むしろ塩胡椒の効いた亜竜の肉は食欲を誘う効果が抜群だ。
「それにしても神竜様に加護された村か。一度行ってみてぇもんだな」
「そうだな。っつーかそこに神竜様が居るっつーのがワクワクするな」
話の中で、ユフィは少しだけ嘘を吐く。
森の中にあるのは神竜の家ではなく、神竜の加護する村であると。
ユフィの両親は人間であると。まあ、産みの親は紛れもない人間なので嘘ではないが。
それでも冒険者になりたいというのは事実だし、村が誰も入れない程奥にあるというのも事実だ。
そして、その地でユフィが一番強いわけではないということも。
一般的に神竜は精霊を生み出すことで知られているが、神竜の姿を見た者は稀である。
人は普通、精霊の力を使い魔法を起こす。
そして、精霊の加護を受けた者がより強い力を持つ。その中でも精霊の上位、下位がある。
人間に直接恩恵を与えるのは精霊であり、それを生み出す上位の存在が神竜であって、神竜信仰さえあるのがこの世界だ。
「神竜ってそんなに凄いんですか?」
「そりゃあ、魔法が使えるのは精霊のおかげだからな。その精霊を生み出してくれる神竜様に感謝しない人間はそういないだろうぜ」
そう言うのはレグルスという男だ。
がっちりとした体は大きく、赤い髪と茶色の目をしている。
もう一人はマキアスといい、金髪に青い目で体格もいいが、レグルスより少し細身である。
「ユフィちゃんが神竜様の近くにいたのが羨ましいよ。だからそんなに魔力が強いんじゃないか?」
「確かに。嬢ちゃんなら神竜の加護があると言われても納得するぜ」
「あぁ、加護はありますよ?」
さらりと言う言葉がどれだけ重いのか、まだユフィに自覚はない。
しかし、男二人の顔は一瞬ひきつった。
「まぁ、ユフィちゃんだしね」
「あぁ、嬢ちゃんだからな」
気付かないユフィに常識を教えようと決意する二人だった。