法廷というアトリエ
逮捕された直後、私は死ぬことばかりを考えていた。外れた左肩の激痛、独房の寒さ、そして何よりも「失敗した」という屈辱が、私のプライドを粉々に砕いていたからだ。私はハンガーストライキを行い、壁に向かって自問自答を繰り返していた。私の革命は終わった。私は、歴史の道化として処刑されるのだろうか。
だが、牢獄に届く新聞記事を読んだとき、私の芸術家としての直感が再び火花を散らした。記事は、私を「反逆者」として罵りつつも、その名前をドイツ全土に報じていた。
(……待て。これは終わりではない)
私は気づいた。ビアホールの演壇はミュンヘンの聴衆にしか届かない。だが、「法廷」という舞台は、新聞を通じてドイツ全土、いや世界中が注目する巨大なステージになり得るのだ。政府は私を裁こうとしているが、逆に私が彼らを裁いてやればいい。私は、自殺という安易な逃げ道を捨てた。これより開かれる裁判は、私の処刑場ではない。私の復活のための、新しいアトリエだ。
一九二四年、二月二十六日。ミュンヘン歩兵学校に設けられた特別法廷。私は、被告席に座っていた。以前のような軍服ではない。質素だが仕立ての良いスーツを着て、胸には第一次大戦で得た鉄十字勲章を一つだけ着けていた。それは計算された衣装だった。「危険な暴徒」ではなく、「憂国の愛国者」に見えるようにデザインされた姿だ。
裁判長ゲオルク・ナイトハルトが、厳めしい顔で私を見下ろした。「被告人アドルフ・ヒトラー。あなたは、一九二三年十一月八日の武装蜂起について、その責任を認めるか?」
法廷内が静まり返った。弁護士たちは、私に「あれはルーデンドルフ将軍の命令だった」と言い逃れをするよう助言していた。責任を転嫁すれば、刑は軽くなるからだ。だが、私は立ち上がり、裁判長、そして傍聴席の記者たちをゆっくりと見回した。そして、静かに、しかし朗々とした声で答えた。
「私は、責任を転嫁するつもりはありません。……私一人に、すべての責任があります」
どよめきが起きた。私は続けた。私の声は、ビアホールでの絶叫調ではなく、理知的で、哀愁を帯びたバリトンへと調整されていた。
「しかし、私は犯罪者ではありません。もし、祖国を愛し、その苦境を救おうとすることが『反逆』であるならば、私は喜んで反逆者と呼ばれましょう。……だが、真の反逆者とは誰か? それは一九一八年、祖国の背中に短剣を突き立て、屈辱的なベルサイユ条約を結んだ、ベルリンの政治家たちではありませんか!」
私は、被告席を演壇に変えた。検察官が反論しようとするのを、私は言葉の濁流で押し流した。私は四時間近く語り続けた。自分の生い立ち、戦場での体験、ドイツへの無限の愛、そして腐敗した共和国への義憤。私は、論理で語ったのではない。「感情」という色彩で、法廷の空間を塗り替えていったのだ。
裁判官たちの表情が、次第に変化していくのを私は見逃さなかった。彼らもまた、保守的なバイエルン人であり、心の底ではベルリンの中央政府を憎んでいた。私の言葉は、彼らの抑圧された本音を代弁する「甘美な音楽」として響いていたのだ。
ある公判の日、私はルーデンドルフ将軍と並んで立った。老将軍は、不機嫌そうに沈黙していた。彼は自分が「被告」として扱われることに腹を立てていた。対照的に、私は生き生きとしていた。私は、失敗した一揆を、失敗とは呼ばなかった。「あれは、国民の覚醒を促すための、崇高な捨て石だったのです」と定義し直した。
オデオン広場で流された血。それさえも、私は自分の作品の重要な「赤」として利用した。
「あの石畳の上で死んだ同志たちは、犯罪者として死んだのではありません! 彼らは、新しいドイツのための最初の殉教者として、永遠に記憶されるべきなのです!」
傍聴席から、すすり泣く声が聞こえ始めた。貴婦人たちがハンカチで目を拭い、記者たちが憑かれたようにペンを走らせている。ナイトハルト裁判長でさえ、目頭を熱くしているように見えた。
私は勝利を確信した。この裁判は、もはや法律の場ではない。私が脚本を書き、私が主演し、私が演出する「愛国劇」と化したのだ。
四月一日、判決の日。法廷は、まるで劇場の初日のような熱気に包まれていた。ナイトハルト裁判長が、判決文を読み上げる。その声は、被告人を断罪する者の声ではなく、まるで表彰状を読むかのように震えていた。
「被告人、エーリヒ・ルーデンドルフ……無罪」 「被告人、アドルフ・ヒトラー……」
一瞬の沈黙。
「……禁錮五年。ただし、六ヶ月後の仮釈放を認める」
国家反逆罪に対する判決としては、あり得ないほどの軽さだった。実質的には執行猶予に近い。本来なら死刑か、最低でも終身刑が妥当な罪だ。だが、裁判官たちは私を「愛すべき愛国者」として扱い、法を捻じ曲げてまで温情を示したのだ。
私は、判決を聞いても表情を変えなかった。だが、心の中では高笑いをしていた。
(……勝った。私は、司法さえも演出したのだ)
傍聴席からは花束が投げ込まれ、「ハイル・ヒトラー!」の歓声が上がった。警備兵たちさえも、私に敬礼を送っていた。私は、手錠をかけられることなく、英雄として法廷を後にした。
私はこれから、ランツベルク刑務所に入る。だが、それは罰ではない。忙しすぎた革命家にとっての、待望の「休暇」だ。私は、この法廷闘争を通じて、一つの重要な教訓を得た。――暴力は脆い。銃弾は外れることがある。だが、「法律」と「民主主義」のシステムは、内側からハッキングすれば、最強の盾にも、矛にもなる。
私は、刑務所への護送車の中で、車窓から見えるバイエルンの春の景色を眺めた。一年前の私なら、すぐにまた銃を取ろうとしただろう。だが、今の私は違う。
私は、新しい戦い方を決意していた。もう、非合法な一揆など起こさない。私は、選挙に出る。議会に入る。法律を守るふりをする。そして、民主主義のルールに従って権力を握り、その上で、民主主義を合法的に殺してやるのだ。
ランツベルク要塞刑務所。そこは私の新しい書斎となる。そこで私は、これまでの体験、思想、そして未来の設計図をすべて一冊の本にまとめるつもりだ。
タイトルはもう決まっている。 『嘘に対する四年半の闘争』……いや、少し長すぎるな。もっとシンプルで、力強いタイトルがいい。
『わが闘争(Mein Kampf)』。
法廷というアトリエでの作業は終わった。次は、鉄格子の向こうで、世界を呪う聖書を執筆する時間だ。




