最初の恐喝
組織というものは、大きくなればなるほど、その血管の中に「凡庸」という名の不純物が混じり込む。それは避けることのできない物理法則のようなものだ。
一九二一年、夏。私がデザインした鉤十字の旗がミュンヘンの空に翻り、機関紙『フェルキッシャー・ベオバハター』が私の声を拡散させるにつれ、党員数は爆発的に増加していた。三千人を超えた党員たちは、もはや「ドイツ労働者党」という古臭い名前ではなく、私の演説を聞くために集まった信者たちだった。
だが、この成功を快く思わない連中がいた。党の創設者であるアントン・ドレクスラーをはじめとする、初期の委員会メンバーたちだ。彼らは「民主的な党運営」などという寝言を信奉する、小心な小市民の集まりだった。彼らにとって、私の過激な言動や、私の周りに集まる熱狂的な若者たちは、自分たちの管理能力を超えた「危険分子」に見えていたのだ。
六月、私が資金集めのためにベルリンへ出張している隙を突いて、彼らはクーデターを画策した。彼らは、私が留守の間に、ニュルンベルクにある別の右翼政党「ドイツ社会党」との合併を進めようとしたのだ。その狙いは明白だった。組織を合併させることで、党内の勢力図を書き換え、私という突出した存在を「多数決」という泥沼の中に埋没させようというのだ。
ベルリンの安ホテルでその知らせを聞いたとき、私は激怒したのではない。私は、心底からの「軽蔑」に震えたのだ。
(……愚か者どもめ。彼らはまだ分かっていない。この党が誰のおかげで存在しているのかを)
彼らは勘違いしている。党という「箱」に価値があると思っているのだ。だが真実は違う。私という「中身」が入っていなければ、その箱はただの空っぽの段ボールに過ぎない。彼らは私を、党の広報担当係か何かだと思っているようだが、私がマイクを置けば、彼らは翌日からパンを買う金にも困る三流の政治ごっこ集団に戻るだけなのだ。
私は即座にミュンヘンへ取って返した。彼らは私を待ち構えていた。会議室に集まった委員会メンバーたちは、私を説得し、懐柔し、あるいは多数決の論理で屈服させようと準備していたに違いない。「アドルフ君、党の未来のためには協力が必要だ」「独断専行は良くない」……そんな退屈な台詞を用意して。
だが、私はその会議室にすら入らなかった。私は彼らに議論の機会など与えない。凡人との対話など、天才にとっては時間の浪費でしかないからだ。一九二一年七月十一日。私は、党委員会宛に一通の手紙を送りつけた。
そこに書いたのは、弁明でも抗議でもない。ただ一行、致命的な最後通牒だ。
『私、アドルフ・ヒトラーは、国家社会主義ドイツ労働者党を、即時脱退する』
――辞職。それは、彼らにとって核爆弾にも等しい衝撃だったはずだ。私が辞める? まさか。彼らは慌てふためいた。私が辞めればどうなるか。まず、党の顔である演説者がいなくなる。集会には誰も来なくなる。入場料収入はゼロになり、新聞の購読者は消え、党は数週間以内に破産し、跡形もなく消滅するだろう。彼らは私を排除したかったが、私がいなければ生きていけないという「寄生虫のジレンマ」を抱えていたのだ。
ミュンヘンの党本部はパニックに陥った。ドレクスラーたちは青ざめた顔で私の下宿に駆けつけ、電話をかけ続け、どうか考え直してくれと哀願した。「早まるな、アドルフ」「話し合おう」「君の誤解だ」私はそれらすべてを無視し、数日間、沈黙を守った。沈黙は、雄弁な言葉以上に相手を追い詰める。彼らが恐怖に震え、自分たちの無力さを骨の髄まで理解する時間をたっぷりと与えた後、私は二通目の手紙を送った。そこには、私が復党するための「条件」が記されていた。それは交渉の余地のない、征服者の命令書だった。
『一、党委員会を即時解散すること。
二、党の規約を改正し、私、アドルフ・ヒトラーを「第一議長」に任命すること。
三、私に「独裁的権限」を与え、今後いかなる決定においても多数決を行わないこと』
それは、民主主義への死刑宣告だった。合議制を廃止し、すべての権限を一人の人間に集中させる。これはもはや政党ではない。私を教祖とする宗教団体、あるいは私を司令官とする軍隊への改組要求だった。
彼らに拒否権はなかった。自分たちの小さなプライドを守って破滅するか、私に魂を売って生き延びるか。答えは決まっていた。
一九二一年七月二十九日、臨時党大会。会場であるホフブロイハウスは、異様な熱気に包まれていた。集まった五五四人の党員たちは、事の経緯を知り、委員会に対して怒号を浴びせていた。彼らが求めているのは、退屈な会議をする老人たちではなく、彼らの魂を震わせてくれる私なのだ。
投票が行われた。結果は、賛成五四三票、反対一票。圧倒的な勝利。いや、これは選挙ではない。戴冠式だ。
私は演壇に立った。昨日までの私は、単なる「宣伝部長」だった。だが、今この瞬間から、私は党そのものとなった。私は、最前列で肩を落とすドレクスラーを見下ろした。彼は創設者としての地位を剥奪され、「名誉会長」という空虚な飾りの椅子に追いやられた。彼の目には、自分が生み出した組織が、得体の知れない怪物に乗っ取られたことへの恐怖が浮かんでいた。
私はマイクを握りしめ、高らかに宣言した。「諸君! 今日から、党の方針を決めるのは委員会ではない! 私だ! 私の意志が、すなわち党の意志である!」
割れんばかりの拍手と歓声。人々は、自由を奪われたことを嘆くどころか、強力な指導者が現れ、自分たちを「迷い」から解放してくれたことに歓喜していた。そう、人間というのは本質的に、自分で物事を決定することに疲れ果てているのだ。今日の夕食に何を食べるか、どの政治家を支持するか、自分の人生をどう生きるか。無数の選択肢は、凡人にとっては自由ではなく重荷でしかない。だから私は、その重荷をすべて引き受けてやるのだ。「私に従え。そうすれば、正解を与えてやる」と。
この日、国家社会主義ドイツ労働者党から「民主主義」という最後の一滴が絞り出された。組織図は書き換えられた。横に並ぶ円卓は撤去され、私を頂点とする鋭利なピラミッドが築かれた。これを、私は後に「指導者原理」と名付けることになる。私は、芸術家として知っていた。傑作というものは、多数決では生まれない。五人の画家が集まって相談しながら描いた絵など、見るに堪えない駄作になるに決まっている。傑作は、たった一人の天才のエゴイズムと、独断と、偏見によってのみ描かれるのだ。 国家もまた、同じだ。
私は新しい執務室の椅子に深く腰掛けた。机の上には、もはや誰の許可も必要としない命令書が積まれている。私はペンを取り、最初の一筆を入れた。
この権力を維持するためには、言葉だけでは足りない。私に反対した一票の男。そして、これから現れるであろう敵対者たち。彼らを物理的に排除するための「力」が必要だ。私は、元軍人の荒くれ者たちを組織化する計画書に署名した。まだ名前はないその部隊。後に「突撃隊(SA)」と呼ばれ、茶色のシャツで街を埋め尽くすことになる暴力装置の創設である。
最初の恐喝は成功した。私は味方を脅し、屈服させることで、王座を手に入れた。次は、この王座を守るための親衛兵を作る番だ。デザイン、メディア、そして独裁権。パレットの上に必要な色は揃いつつある。さあ、次はもっと派手な色を使おう。血のような赤と、暴力という名の黒を。




