鉤十字のデザイン学
言葉は、風に似ている。それは確かに人の心を揺らすが、演説が終われば空間から消え去り、熱狂は冷めていく。私は、ビアホールの演壇に立ちながら、常にその「儚さ」に苛立ちを感じていた。
一九二〇年、夏。我々の党――ドイツ労働者党は、名前を「国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)」へと改称した。名前は長くなったが、実態はまだ、ミュンヘンの片隅で燻る弱小集団に過ぎなかった。党員たちは、口々に理想を語る。だが、彼らには致命的に欠けているものがあった。それは「顔」だ。大衆の網膜に焼き付き、夢にまで現れ、理屈抜きで彼らを服従させる「絶対的な紋章」が存在しなかったのだ。
私は、党の幹部たちが持ち寄った試案の山を、軽蔑の眼差しで見下ろした。ある者は、古い平和運動のような穏やかなシンボルを描き、ある者は、歯科医の看板のような退屈な図案を持ってきた。「……ゴミだ。すべて、ゴミだ」
私は吐き捨てた。彼らは芸術というものを理解していない。政治的なシンボルとは、博物館に飾るような上品な絵画であってはならない。それは、見る者の神経を逆撫でし、アドレナリンを分泌させる「視覚的な暴力」でなければならないのだ。
私は自室に籠もり、深夜まで鉛筆を走らせた。私の脳内には、かつてウィーンのアカデミー入試で否定された「画家としての知識」と、フランドルの戦場で見た「鮮血と硝煙の記憶」が、奇妙な化学反応を起こして渦巻いていた。
まず、「色彩」だ。 現在のドイツ――ヴァイマル共和国の旗は「黒・赤・金」だ。これは恥辱の色だ。敗北と妥協の色だ。では、我々は何色を纏うべきか。私は、敵である共産主義者や社会民主主義者の集会を観察し、一つの真実に気づいていた。彼らの使う「赤」。あの色は素晴らしい。あれほど大衆を興奮させ、血を騒がせる色は他にない。ならば、盗めばいい。敵の最も強力な武器である「赤」を奪い取り、それに新しい意味を与えるのだ。背景は、燃えるような真紅。これは「運動の社会的な情熱」を表すとともに、敵を挑発し、我々の集会へと引きずり込むための罠でもある。
次に、「白」。ただ赤いだけでは、ボリシェヴィキと同じだ。そこに強烈なコントラストが必要だ。私は赤地の中心に、完全な円形の「白」を配置した。この白は、ナショナリズムの純粋性を象徴する。そして視覚的にも、赤という膨張色の中で、白はスポットライトのように強烈に発光して見える。
そして、最後に。その白い円の中心に、何を置くか。ここには、全てのエネルギーを一点に収束させる、魔術的な幾何学模様が必要だ。私は、古代からゲルマン民族の遺跡や、あるいは東洋の寺院でも見られる「鉤十字」に目を付けた。だが、既存の鉤十字ではダメだ。線が細すぎたり、湾曲していたりすれば、それは装飾品になってしまう。私は定規を取り、線を極限まで太く、直線的に修正した。そして、それをあえて"「45度」回転させた"。
……これだ。回転させることで、十字は静止した死物から、回転する「動的なエネルギー体」へと変化した。それはまるで、これから転がり落ちる巨大な岩石であり、あるいはすべてを切り刻む手裏剣のようにも見えた。 色は、「黒」。かつての帝政ドイツの栄光(黒・白・赤)を継承しつつ、アーリア人の闘争意志を表す、最も重く、最も冷酷な黒。
赤、白、黒。完成したそのスケッチを前に、私は震えた。「……完璧だ。これは、ポスターではない。これは『兵器』だ」
一九二〇年の夏、シュタルンベルク湖畔で行われた党大会。私は初めて、この新しい党旗を大衆の前に披露した。その効果は、私の計算を遥かに超えていた。旗が掲げられた瞬間、会場の空気が一変したのだ。人々は、その異様なデザインに息を呑んだ。燃えるような赤、その中央で冷たく輝く白い満月、そしてその中で黒々と回転する不吉な鉤十字。それは、言葉による説明を必要としなかった。その旗は、人々の網膜を物理的に殴打し、脳髄の奥底にある「恐怖」と「畏敬」のスイッチを強制的に押したのだ。
若者たちは、その旗の下に吸い寄せられるように集まってきた。彼らは、この旗が何を意味するのか詳しく知らなかったかもしれない。だが、このデザインが持つ「圧倒的な強さ」に、自分たちの惨めな敗北感を埋め合わせる何かを感じ取ったのだ。
私は、演壇からその光景を眺め、確信した。私は画家として、風景を描くことには失敗した。だが、私は今、歴史上で誰も成し得なかった「大衆心理のデザイン」に成功したのだ。この旗がある限り、言葉は消えない。この旗が翻る場所が、すなわち我々の領土となる。この日、アドルフ・ヒトラーは、単なる演説家から、国家という巨大なブランドを構築する「アート・ディレクター」へと進化した。そしてこの黒い鉤十字は、やがて数千万の人間を殺戮する、死の風車として回転を始めることになる。
しかし、デザインだけではまだ足りない。この旗を街の至る所に突き刺し、反対する者たちの口を物理的に塞ぐための「力」が必要だ。私は、自分の足元に集まってくる血気盛んな若者たち――戦場帰りの荒くれ者たちを見渡した。彼らには、言葉など通じない。彼らが求めているのは、拳と、制服と、行進だ。いいだろう。デザインの次は、この絵画に立体的な「暴力」を与える番だ。




