『鎌倉に咲く白蓮〈後編〉』
前回:鏡を守る悪縁鬼たちの中から、“恐怖”を名乗る存在が現れた。
蓮香は傷を負いながらも、己の縁すべてを賭して立ち上がる。
今回、ついに大日如来の最終奥義『色即是空』が発動。
すべての悪縁を無に還す“慈悲の終焉”が描かれます。
千年の祈りが、今、現代へと継がれる――。
―恐怖を抱く者、慈悲を知る―
――ザシュッ。
鋭い閃光が走り、凶刃が彼女の腕の腱を切った。
「うっ……」
彼女の熱い血が、畳に滴る。
「させる……訳には……行かぬ……。」
すると更に別の念鬼が現れた。
「馬鹿な…。複数とは。」
そして、これまでに感じた事の無い気配。
風も光も凍りつくように止まり、
時間だけが止まったかのようだった。
その“静寂”の中心に、黒い影が滲み出る。
最初はただの染み。
だが次第に、人の形を思わせる輪郭を描き始める。
無数の声が重なって囁いた。
――見えているのに、何もできない。
――誰かを救おうとして、また失うのだ。
――怖いだろう? 未来も、愛も、終わりも。
蓮香の心に、直接響く。
それは音ではない、“恐れ”そのもの。
黒の中から、ひとりの男が歩み出た。
黒。
けれど、ただの黒じゃない。
髪は夜よりも深く、銀の糸が混じり、光を受けるたびに色を変える。
闇が光を纏う――そんな矛盾の美しさ。
灰銀の瞳。奥に紅の影。
覗き込めば、自分の恐れが映るようだった。
蓮香は、息を呑む。
「……あなたは。」
「僕が何者か?」
低く穏やかな声。
優しい響きなのに、どこか底が冷たい。
言葉が、耳ではなく心の内側に沈んでいく。
沈香の香が変わる。
甘く焦げた匂いが、胸の奥に不安を落とす。
「――お初にお目に掛かる、大日如来の蓮華姫。」
「我は――恐怖。」
その声は穏やかだった。
怒りも、皮肉も、楽しみすらもない。
それがかえって、ひどく不気味だった。
「では、まいろうか。」
恐怖の悪縁鬼の一言で、精神世界に無数の念鬼と鏡が出現した。
「ふははは…戦は、ひとりで始められるものではないのだよ?」
蓮香は、戦慄する。
「集団意識か。」
「此処には、足利の家臣や親族などもおろう?
一体でも鏡に届けば、最悪の未来は確定するぞ? どうする?」
笑う、恐怖の悪縁鬼。
蓮香は、崩れ落ちる膝を押しとどめ、掌を合わせた。
光が指先に集まり、空間が静まる。
「ならば、この私の縁、私の未来の全てを捧げて、止めてみせよう。」
「オン・アビラ・ウンケン・ソワカ……」
「大日如来最終奥義。
『色即是空』――形あるもの(色)は、実体のない“空”。
全ては、無に帰る。」
口にした瞬間、蓮香の周りに無数の手鏡が出現した。
鏡の一枚一枚に、蓮香の未来の人生が映る。
歳を重ねた自らの姿、親しき者達との談笑、守るべき民の姿……。
それらが映る鏡は、次々と砕け散る。
残された最後の1枚……。
「……様……。」
それは、蓮香が密かに想いを寄せる人。
パンッ……。
最後の一枚が砕け散った時、大日如来の最終奥義が発動する。
花が咲いた。
静寂の中で、白い蓮が光を放つ。
花弁が宙に散り、全ての鏡と念鬼を、そして、恐怖の悪縁鬼を包み込む。
音が――消えた。
すべての時間が止まったかのように、世界が無音となる。
全ての鏡の亀裂が光を放ち、念鬼達の体が霧のように溶けていく。
恐怖の悪縁鬼もまた、逃れる事は出来ない。
自身の存在が消されて行く様に、恐怖を司るはずの悪縁鬼は、
初めて恐怖を自身のものとして感じた。
「成る程、これが私が与えてきた恐怖……。
だが、人が生きる限り恐怖は……。」
破壊ではない。
赦しと共に“無”へと還る、慈悲の光。
蓮香は微笑んだ。
「……全て、消えた。悪縁も、私の未来も。」
光が彼女の身体を包み、輪郭が淡く透けていく。
縁を使い切った者――その魂は未来を持たず、
現世に留まることはできない。
けれど、その滅びは敗北ではない。
「……蓮華姫は……また……。」
最後の言葉が風に溶け、
彼女の身体は金色の花弁となって散った。
その花弁が触れた地には、
一体の大日如来像が、静かに姿を現した。
微笑みはあまりにも優しく、悲しいほどに穏やかだった。
――それが、後に鎌倉の古寺に祀られる大日如来像である。
誰も知らない。
その像の中に、いまも“彼女の魂”が眠っていることを。
縁を代償に悪縁鬼と戦う、蓮華姫。
縁をすべて失えば、魂は天界へ、肉体は仏像となる定め。
そして――
円城あかりは、まだ知らない。
その伝説が――自身の運命そのものだという事を。
⸻
次回予告
次回『第2章・千手観音の蓮華姫誕生編』
――過去と現在が重なり、祈りは“未来”へと継がれる。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
“恐怖”の悪縁鬼との最終戦。
蓮香は己の未来すら代償に、全てを救いに変えました。
その慈悲は、敗北ではなく――“超越”でした。
光となって散った彼女の魂は、鎌倉の大日如来像へと宿り、
現代の蓮華姫たちへと祈りを繋げます。
次回『第2章・千手観音の蓮華姫誕生編』では、
“過去と現在”が重なり、“未来”の物語が再び始まります。
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※この作品はフィクションです。実在の宗教・人物・団体とは関係ありません。




