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第3話 彼女はループを知っている

 目覚ましのアラームが、けたたましく鳴り響く。

 宮坂悠真は、反射的にその音を止めると、ぼんやりと天井を見つめた。


 ──始業式の朝。

 見慣れた部屋。差し込む光。昨日と同じ景色。


 しかし、胸の奥でざわめいている感覚は、昨日とまったく同じではなかった。


 白石澪が──目の前で車にはねられ、血を流し、倒れて。

 最後にかすかに口にした「また、か」という言葉。

 そして暗転。気づけば、すべてが始まりに戻っていた。


 あれは夢だったのか?

 悪夢にしては生々しすぎる。

 脳裏に焼き付いた鮮烈な光景を、忘れることなど到底できなかった。


「……本当に、繰り返してるのか」


 声に出してみると、喉の奥がかすかに震えた。

 澪を助けたはずの今日が、また繰り返されている。

 これは偶然や思い込みではない。

 ──確かに、時間が巻き戻っている。


 悠真は制服に着替え、重い足取りで学校へと向かった。



 校門前には、また同じような光景が広がっていた。

 新入生たちの声、二年生のざわめき。

 そして──


「おーい、悠真!」


 背後から豪快な声。

 振り返れば、椎名隼人が満面の笑みで手を振っている。


「……また、同じだ」


 昨日と寸分違わぬテンションで背中を叩かれる。

 痛みまで、まったく同じだ。


「お前、顔暗いな? 始業式なのに」

「いや……なんでもない」


 誤魔化すしかなかった。

 隼人に説明できるわけがない。

 時間が繰り返されているなんて──信じてもらえるはずがない。


 体育館の始業式を終え、掲示板でクラスを確認。

 またしても「二年B組」という文字が目に入る。

 そして。


 教室に入り、窓際に座っていると──彼女が現れた。


 白石澪。

 長い黒髪を揺らし、淡い光をまとったように教室へ入ってくる。

 昨日とまったく同じ光景。だが悠真の胸の鼓動は、さらに強く、重く響いていた。


(彼女も……気づいているのか?)


 昨日、最後に漏らした言葉。

 「また、か」──それは明らかに、繰り返しを認識している者の言葉だった。


 悠真の背筋に冷たいものが走る。

 彼女はすでに、何度もこの日を経験しているのだ。

 そして必ず、死を迎える。


 そんな現実を、悠真だけが知っている。

 そして、もしかしたら──彼女自身も。



 昼休み。

 隼人が楽しげに他のクラスメイトと話している横で、悠真はずっと澪を目で追っていた。

 澪は窓際の席で、本を開いている。

 その横顔は、静かで落ち着いている。とても「死を繰り返す運命」を背負っているようには見えなかった。


(話すしかない……)


 悠真は思った。

 このままでは、また彼女は死んでしまう。

 放課後を迎えれば、昨日と同じ悲劇が繰り返されるに違いない。


 だから、その前に。

 直接、彼女に問いかけなければならない。


(白石澪……君は本当に、繰り返しているのか?)


 胸の奥で呟くと、鼓動が一層速くなる。

 それは恐怖ではなく──使命感のようなものに近かった。


 午後の授業は、悠真にとってほとんど意味をなさなかった。

 黒板の文字は目に入っているはずなのに、何も頭に残らない。

 ただ、窓際の席に座る澪の横顔ばかりを見ていた。


 ──夕暮れが来れば、彼女は死ぬ。

 それを知っているのに、何もしないで座っていられるはずがなかった。


 チャイムが鳴り、終わりを告げる。

 クラスメイトたちは新しい教科書を鞄にしまい、友人同士で賑やかに声をかけ合う。

 隼人も「帰りにコンビニ寄ってこうぜ」と誘ってきたが、悠真は曖昧に笑って断った。


「悪い。ちょっと、用事がある」

「なんだよ、彼女でもできたか?」

「そんなわけ……」


 軽口に答えながら、視線を澪に向ける。

 彼女はひとりで静かに教科書をまとめていた。

 クラスの誰とも特別に馴染んでいる様子もない。


 ──今しかない。


 悠真は深呼吸をして、歩み寄った。


「……白石さん」


 呼びかけると、澪は顔を上げた。

 驚いたように目を瞬かせる。その瞳は、澄んだ水のように透明で、どこか遠くを見ているようでもあった。


「宮坂くん……だよね?」

「あ、うん。同じクラスになったし……その、少し話せるかな」


 自分でも驚くほど、声は震えていた。

 澪は一瞬だけ考えるように視線を落とし、そして微笑んだ。


「いいよ」


 その笑みはごく自然で、誰にでも向ける優しいものに見えた。

 だが悠真には、どこか作られたようなぎこちなさが感じ取れた。


 二人は廊下に出て、まだ人の少ない教室前の窓際に並んだ。

 西日が差し込み、ガラスに光の筋を作っている。


「それで……話って?」


 澪は静かに問いかけてきた。

 悠真は喉が渇いて、しばらく言葉が出なかった。

 だが──もう逃げられない。


「今日……校門の前で、危なかっただろ」

「……」


 澪の目が、わずかに揺れる。

 彼女は答えず、ただじっと悠真を見つめ返した。


「君、知ってるんじゃないか? 今日が……繰り返されてるって」


 空気が一瞬で張り詰めた。

 廊下を行き交う生徒の声が遠のき、世界が二人だけになったかのようだった。


 澪は口を開きかけ──それを閉じた。

 そして視線を窓の外に向ける。

 夕陽に照らされた横顔は、どこまでも儚く、美しかった。


「……どうして、そう思うの?」


 その問いかけは、悠真の胸を鋭く突いた。

 試されている。彼女は、確かに知っている。

 けれど、それを簡単には認めるつもりはないのだ。


「昨日……君は、車にはねられた。僕は見たんだ。倒れて、血を流して……最後に『また、か』って言った」


 はっきりと言葉にした瞬間、澪の肩がかすかに震えた。

 だが彼女はすぐに表情を整え、静かな声で答えた。


「……見ちゃったんだね」


 その声には、隠しきれない諦めと、かすかな安堵が混ざっていた。

 まるでようやく誰かに気づかれたことを、ほんの少し喜んでいるかのように。


「そう。私は……繰り返してる。この一日を、何度も」


 初めて聞く真実の言葉。

 悠真の心臓は激しく打ち、呼吸が浅くなる。


「なんで……そんなことが」

「分からない。ただ、気づけばそうなっていた。朝が来るたびに、また同じ一日が始まるの」


 澪は遠くを見るように目を細めた。

 夕焼けの光がその瞳に映り込み、赤い色を帯びて揺れる。


「そして、必ず──私は死ぬ」


 淡々と告げられた言葉に、悠真の喉が詰まる。


「事故にあったり、階段から落ちたり、何気ない出来事で……。方法は違っても、最後は同じ。私は、この日の終わりに死ぬ運命なの」


 その言葉には感情がこもっていなかった。

 繰り返し語りすぎて、もう痛みを感じなくなったような声音。


 だが、悠真には理解できた。

 彼女は──絶望に囚われている。



「死ぬ運命……」

 その言葉を口にした瞬間、悠真の胸が締め付けられる。

 目の前にいる少女が、そんな絶望を背負っているなんて。


「……どうして、そんなことを平然と話せるんだ」


 思わず声を荒げると、澪は小さく首を横に振った。

 その瞳は驚くほど静かで、けれど底知れない疲労を湛えていた。


「平然なんかじゃないよ。もう……泣くことすら、できなくなっただけ」


 その言葉に、悠真は返す言葉を失った。

 彼女は何度も繰り返し、何度も死を迎え、何度も絶望を積み重ねてきた。

 その果てに、涙も枯れ果てたのだろう。


「じゃあ……僕が、君を助ければいい」


 気づけば悠真の口から言葉が漏れていた。

 澪は目を見開き、すぐに小さく笑った。


「不思議だね。誰も信じてくれなかったのに、宮坂くんはあっさり受け入れるんだ」

「だって僕は……見たから。君が死ぬところを」


 その真剣さに、澪の表情から笑みが消えた。

 彼女はしばらく沈黙した後、ぽつりと呟いた。


「本当に……助けられると思う?」

「思う。いや、助ける。絶対に」


 自分でも驚くほど、言葉には力があった。

 澪はその声に押されるように視線を逸らし、夕焼けを見つめる。


「……もし、本当にできるなら」

 その声はかすれて、風に溶けていきそうだった。

「私、ここから抜け出せるのかな」


 悠真は答えられなかった。

 ただ、心の奥に燃えるような感情を抱いた。

 彼女を救いたい──それがどんなに無謀なことでも。



 放課後。

 澪と別れてからも、悠真の胸は落ち着かなかった。

 昨日と同じなら、校門を出た彼女は事故に遭う。

 それを防ぐためには、自分が動くしかない。


「……絶対に見てるだけにはしない」


 強く心に刻みながら、悠真は校舎を飛び出した。


 夕暮れの光が差し込む校門。

 そこに澪の姿があった。

 教科書を抱えて歩き出す後ろ姿。昨日とまったく同じ光景。


 だが、悠真の目には昨日にはなかった決意が宿っていた。


「白石!」


 声を張り上げると、澪が驚いたように振り返る。

 その瞬間──道路の向こうから、再び車のブレーキ音が響いた。


 悠真の全身を冷たい汗が流れる。

 同じだ。また、彼女が死ぬ。


 身体が勝手に動いた。

 澪の腕を掴み、強く引き寄せる。


「危ないっ!」


 直後、車が目の前を通り抜けた。

 風圧に髪が乱れ、澪が小さな悲鳴を上げる。


 衝突は免れた。

 確かに──彼女を助けた。


 だが。


「……やっぱり」


 澪の声が震えていた。

 振り返った瞳には恐怖よりも、諦めに近い色が浮かんでいた。


「何をしても、結局は死ぬんだよ。形を変えて」


 その言葉が終わらないうちに──校門横の自転車置き場で、金属音が響いた。

 倒れてきた自転車が澪に向かって傾き、彼女は反射的に避けようとした。

 その足元に、散らばっていた石につまずく。


「澪!」


 咄嗟に抱きとめる。

 地面に叩きつけられる直前で、悠真の腕が彼女の身体を支えた。

 髪が頬をかすめ、すぐ近くで澪の震える息遣いが聞こえる。


 彼女は呆然と目を見開き、そして小さく笑った。


「すごいね……ほんとに助けてくれるんだ」

「当たり前だ。君は、絶対に死なせない」


 言葉を吐き出すように告げると、澪の瞳に一瞬だけ光が宿った。

 それは希望か、それともただの錯覚か──悠真には分からなかった。



 その日の夜。

 布団に横たわりながら、悠真は天井を見つめていた。


 もし澪の言葉通り、彼女が「死ぬ運命」にあるのだとしたら。

 どれほど抗っても、どこかで必ず死が訪れるのだとしたら。


「……それでも」


 声に出すと、胸に熱がこみ上げた。


「それでも、僕は諦めない」


 彼女を救う。

 そのためなら、どんなに繰り返しても。

 この日常を、命をかけてでも塗り替えてみせる。


 固くそう誓ったとき、夜の闇は静かに深まっていった。


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