魚屋のおばさん
漁港には昔からの魚屋さんがある
そこのおばさんは、大きな口でよく笑う。
たっぷりとしたからだにビニールのエプロンを巻き付けて、忙しく働いている。
朝どれの魚を並べ終え、店を開けるまでのほんのひととき。
身なりを整えて、
少し歩いた先のまだ新しいパン屋へ向かう。今朝はまた、店の奥までパンの匂いがよく香って、待ち遠しかったのだ。
魚臭くて嫌な顔をされないか不安に思い、ためらいながらも扉をそっと開けた。
ひと足踏み入れると、外のざわめきはすっと消え、体がふわりと軽くなった。やさしいひかりと空気を感じた。
「待っていましたよ。いらっしゃいませ」
おばあさんがにっこり微笑む。
棚には色とりどりのパンが並び、黄金色に輝いている。
「今日はどれにしようかな…」
胸が少し高鳴り、トングの先がパンに触れそうになるたびに、心がふわり
「すぐ選んで帰りますので。」
「そんな そんな
ゆっくりと、お好きなものを選んでくださいね。」
おばあさんは答える
はにかんだ顔をしながら
彼女は並べられたパンひとつひとつをじっと見つめる。
ひとつ頷くと
お盆にひとつ、またひとつとパンを載せはじめた。
焼きそばパンは長男の好物。
次男にはそう、ソーセージドーナツ。
チョコレートのパンは次女にで、と。
パパにはサンドイッチと、夜のおつまみ用のガーリックラスク。
よし。
あぁ、もういっぱいで、
わたしのが乗らない。
「あらあら、こちらにお盆を置いてください。包んでおきますからね」
おばあさんの申し出に
すみませんと会釈しながらも彼女は笑みをこぼした。
いそいそと
次のお盆を手に取る。
お目当てのデニッシュの前に立つと、大きく息を吸い込む。
甘酸っぱいラズベリーが濃厚なカスタードクリームとよく合い、バターの香りがちょうどよく、サクサクの生地がたまらない。
「……あら、声に出てた?」
ちらりとおばあさんを見ると、嬉しそうにうなずいてくれた。
恥ずかしさに頬が少し熱くなる。
でも、早くしなくちゃ。次はカレーパン。ごろごろとしたお肉が、優しい辛さのルーにたっぷり入って、贅沢な一品なの。
あ、パパにもひとつかな。
シナモンロールに、チーズのとろけるパンもお盆に加える。
ようやく満足を得たときには、二つ目のお盆もいっぱいになっていた。
最後のデニッシュを丁寧に包みながら、
「ラズベリーはやっぱり、あなたの色なのね。お似合いですよ」
おばあさんは優しくそう言った。
彼女は目を丸くした。そう、彼女はラズベリーピンクが大好きだ。年甲斐もないからと隠してきたのに。
「ありがとうございました。
帰り道、気をつけてくださいね」
おばあさんはそう送り出してくれた。
お店を出た彼女は、不思議な気持ちになっていた。いつもなら大きなパンの袋を2つ抱え、小走りで家路を急ぐところだが、今日は違っていた。
その夜、ガーリックラスクをおつまみにしてビールを飲む夫の横で、彼女はラズベリーデニッシュの袋をだいじそうに開けた。
ひとくち夫にも分けてあげると
「うん。これも美味しいな」
「でしょう? ねぇ、
わたし、明日美容院に行ってくるわね」
次の日の午後、
漁港近くの魚屋さんには、
ラズベリーピンク色に髪を染めたおばさんが、
輝く笑顔で働いていた。
「お母さん、すごい色だね」
子どもたちが笑う。
「ミヌが見たらびっくりしただろうなぁ」
夫がつぶやくと、彼女は一瞬手を止めて、ふふっと笑った。
「きっと、気に入ってくれてるわ」




