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風の家紋(かぜのかもん)—僕が日本へ向かうまで—  作者: 和泉發仙


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第2話「静かなざわめき」

翌朝の通学路は、いつもと変わらなかった。舗装の甘い道のひび割れ、まだ眠そうな犬、農場から漂う干草の匂い。空はどこまでも澄んでいて、なのに僕の胸の奥には昨日から続くざわめきが消えなかった。

 祖父の木箱――あの桔梗の家紋、古びた写真、そして“Isamu Sato”という名前。ページを閉じても、目を逸らしても、頭の片隅に焼きついて離れない。



 校舎の入り口で、背後から肩を叩かれた。

「Yo, Noah! 今日もゾンビみたいな顔してんな!」

 振り返ると、ジェイデンが満面の笑みを浮かべて立っていた。野球部の仲間で、一番の友人だ。いつもエネルギーに満ちていて、朝からテンションが高い。


「宿題、やってないだけだよ」

「ウソつけ。どうせまた夜更かしだろ? ゲームか? それとも恋文か?」

「恋文なんかじゃないよ」

 笑って誤魔化したけれど、胸の奥がちくりと痛んだ。夜更かしの理由は、あの古い写真を何度も見返していたからだ。


 廊下の向こうから、カイ・ナカムラが歩いてくるのが見えた。背の高い彼は、僕らと同じクラスの静かな男子だ。父方が日系で、母親は白人。黒髪と淡い瞳の組み合わせが印象的だった。

「Hey, Kai!」ジェイデンが声をかける。「昨日の練習どうだった?」

「まぁまぁだよ。投球フォーム、まだ崩れてるけどね」

 カイは短く答え、僕に軽く目礼した。僕は少し迷ってから頷き返した。


 カイの名字“ナカムラ”を見て、昨日からずっと気になっていたことを口にしかけたけれど、言葉が出なかった。「日本」という言葉をどう切り出せばいいのか分からなかったのだ。



 3時間目の歴史の授業が終わると、サラが僕の席に近づいてきた。彼女は言語オタクで、放課後にはスペイン語のラジオを聴きながらノートを取るような子だ。

「ねえノア、昨日なんか調べ物してたでしょ? 授業中ぼーっとしてたし」

「えっ、そんなに分かりやすかった?」

「めちゃくちゃ分かりやすかった。何があったの?」


 僕は迷った末、少しだけ話した。祖父の木箱を見つけたこと。そこに“Isamu Sato”という名前があったこと。

「サトウ……多分、日本の名字だと思うよ」サラは軽く言った。「ググってみたら?」

「いや、調べてもなんかよく分からなかったんだ。いっぱい出てきて、でも全部違う人っぽくて」

「ふーん。じゃあ図書館行けば? 古い新聞とか移民の記録とか、残ってるかもしれないし」

「図書館か……」

 その言葉は、思いのほか胸に響いた。町の図書館なら小さくても、何か手がかりが見つかるかもしれない。



 放課後、ロッカールームで着替えていると、カイが近くでキャップを被りながらぽつりと言った。

「……さっきの、聞こえた」

「え?」

「“Sato”って名字。俺のじいちゃんも“ナカムラ”って名前でさ。俺も昔、ちょっと調べたことあるんだ。でも、よく分からなかった」

 カイは目を合わせず、靴紐を結びながら続けた。

「日本のこと、何も知らないくせにからかわれたこともあったしな。だから途中で諦めたんだ。でも――」

 そこで一度、彼は口をつぐみ、肩をすくめた。

「ま、頑張れよ。見つかるといいな、何か」

 その背中を見送りながら、僕は小さく頷いた。


 夕焼けが校舎を染める中、胸のざわめきは昨日より少し強くなっていた。祖父の名前、家紋、そして遠い国の匂い。まだ何も分からないけれど、知りたいという気持ちだけは確かに大きくなっていた。


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