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第4章 Tシャツの正体と最後の戦い

 王都の夜は、瓦礫の隙間で揺れる松明の炎が星明りより眩しい。魔王軍が去っても焦げた石は熱を残し、噴水の水面は黒い灰を浮かべている。

 俺は崩れた噴水縁に腰を下ろし、胸のTシャツを弄ぶ。指先に触れる生地はただの布切れみたいに頼りなく、先刻までの脈動が嘘のようだ。


『……』

 布様は黙ったまま。柄も色も、洗濯し過ぎた白Tのように色褪せている。

 エルシアが俺の隣に立ち、銀髪を風に遊ばせながら視線を空へ向ける。

「空気が変わったわ。魔王軍が退いたのは罠ね。あれは戦略的撤退、次は総攻撃が来る」

「分かってる。でも予備のTシャツも底をついた。ランダムも沈黙も、いまいち信用できない」

「だったら神頼みしかないわ」


 彼女は胸元から古びた羊皮紙を取り出す。王家に伝わる極秘の地図らしい。中央には、王都から東の森を越えた場所に小さく刻まれた紋章があった。二本の針と糸を交差させた奇妙な意匠――服の神、ウエアロスの聖堂跡。


「布の神ねぇ。聞いたこともないマイナー宗教だぞ」

「でもあなたの力の源なら、そこに答えがある」



 夜明けを待たず、俺たちは王都を発った。

 エルシアは地図を握りしめ、グランは荷車を引き、俺は念のため胸に「鼻毛バリア」とマジックで書いたシャツを着込む。万が一にもスキルが戻ったとき用だ。


 東の森は霧が濃く、夜露が木の葉を重くしている。鳥のさえずりがない。代わりに森の奥から針を擦るような笑い声が響く。

「魔物か?」

「いや……」エルシアの瞳が揺れる。「喜びを奪われた精霊たちの泣き声に近いわ」


 急ぎ足で木立を抜けると、霧の中心に石の聖堂が現れた。屋根は崩れ、壁面の浮彫は風化している。それでも正面の大扉だけは新品のような真紅で、中心に針と糸の紋章が輝く。


 扉に触れた瞬間、指先に温度を感じる。まるで布を撫でているみたいな柔らかい暖かさ。トントン、と心臓より早いリズムで扉が脈を打つ。


『……来るとは思っていた』


 硬い石壁のどこかから声が落ちてくる。男とも女ともつかない、低くて響く声。

 扉がひとりでに開き、白布のカーテンのような光の幕が内側に揺れる。


「あなたが、ウエアロス神?」

 エルシアが剣の柄に手を掛ける。

『いや、私はただの針と糸。そう名乗るなら、世界の裂け目を縫い合わせる裁縫師とでも』

 光の幕がゆらりと形を変え、一枚の巨大なTシャツのシルエットを描いた。まるで布そのものが神の姿だ。


 俺は胸の布様を掴み、そっと見せる。

「こいつが黙った。どうすればまた喋る」

『布には糸が必要、糸には針が必要。着る者の覚悟が針先、笑いの心が糸。お前の覚悟が萎えたから布は黙った』

「覚悟ならある! 俺はこの世界を笑わせて――」

『なら示せ』


 地面が裂け、光と影の階段が現れる。導かれるままに俺は降りる。

 暗闇の底で待っていたのは膨大な数のTシャツだった。壁いっぱいハンガーに掛けられ、蛍光色、ドクロ、文字ネタ、果ては走り書きのジョークまで。

 その中心に、一枚だけ白銀に輝くTシャツが浮かんでいる。胸には手書き風の黒文字。


「……『世界一ダサいポーズ』」


 文字を読んだ瞬間、背骨が総毛立つ。計り知れない力が波のように押し寄せ、膝が震える。

『それは全スキルを織り込んだ究極の布。お前の覚悟と笑いが針となり、今この瞬間に完成した』

「世界一ダサいポーズ、って何をするんだ?」

『ポーズは自分で選べ。人が決めた笑いは安っぽい』


 俺が手を伸ばすと布は羽のように軽く、指先で触れると身体に吸い付くように装着された。袖口から白い光が漏れ、布様の声が久々に胸で弾む。


『よっしゃ、フルパワー帰還! 遅れてごめんな』

「布様……戻ったんだな」

『ああ。次は総集編みたいに全部盛りで行くぜ』



 聖堂を出た時には、東の空が真紅に染まり始めていた。

 王都の方向から黒煙と悲鳴が混ざった轟きが届く。魔王軍の総攻撃。飛竜の影が太陽を隠し、空に瘴気が網のように広がる。


「時間がない!」

 エルシアが馬を手配しようとするが、森の外には既に敵騎兵が布陣していた。数十騎が槍を下げ、一斉に突進。


『スキル統合開始――』布様がカウントダウンのように囁く。

 俺は息を吸い込み、胸を叩く。

「猫耳量産!」

 騎兵の兜に猫耳が生え、馬は尻尾がキツネに置き換わる。兵士は動揺し、馬上でバランスを崩す。

「ネギ無双!」

 空から無数のネギが落下し、騎兵を薙ぎ払い、馬の蹄を滑らせる。

「地割れ!」

 地面がジグザグに裂け、敵陣を飲み込む。


 スキルが同時多発的に発動し、森ごと敵を封じた。だが空からドラゴン級飛竜が降下、口から闇の火球を吐く。


「グラン!」

「任せろ!」

 グランは突撃し、火球を斧で叩き割る。炎が四散し、空気が焦げる。

 エルシアの光剣が飛竜の翼根を走り、光の鞘が風を引き裂く。


『まだくるぞ! スキル:鼻毛バリア!』

「鼻毛うおおお!」

 俺の鼻からエネルギー体の鼻毛が伸び、巨大な透明シールドを形成。仲間を覆い、飛竜の第二波ブレスを弾く。

 グランが仰天した顔で叫ぶ。

「鼻毛最強!」

「叫ぶな恥ずかしい!」



 王都へ戻る頃、城壁は半壊、城門は黒晶の棘に封じられていた。広場の中央、黒水晶の玉座に座る魔王グリモが静かに立ち上がる。

「再び現れたか、笑いの道化。くだらぬ冗談で世界を穢すな」

 周囲の兵が整列。灰色の鎧が重々しくぶつかり合う。市民は鎖で繋がれ、笑い声ひとつ上げられず膝をついている。


 俺は一歩踏み出し、胸のTシャツを引っ張って見せた。

「ダサいTシャツ一枚で、お前の完璧主義をぶち壊す」

「黙れ」グリモの瞳が暗紫に輝く。「笑いは毒だ。感情は争いを生む。秩序こそ平和」

「笑えない平和なんて、ただの無菌室だ!」


 握り拳が震える。

 布様が小声で囁く。

『世界一ダサいポーズ、どんなのにする?』

「考えた。全力でイラッとさせて、全力で吹き出させるポーズだ」

『やるじゃん。じゃ、合図をくれ』


 グリモが腕を振り、理性支配の魔法陣が足元に浮く。紫電が迸り、精神を鉛に変えるような重圧が襲う。首筋の汗が凍る感触。

 エルシアが剣で魔法陣を切るが、刃が触れた瞬間に剣が灰化した。彼女の指先が震え、視線が濁る。

 グランは叫び声を上げて踏ん張るが、肩から先の力が抜ける。


「――笑え、笑えば解毒できる!」

 俺は腹の底から声を張る。支配魔法は理性を抑制し、感情を奪う。なら逆に笑いの衝動を爆上げすれば対抗できる。


 深呼吸。

 全身の関節を鳴らし、重心を極限まで落とし、顎を上げ、手首と足首を奇妙に折り曲げ……。


「世界一ダサいポーズッ!!」


 腰を突き出し、膝を内側に入れ、肘を逆関節に見えるほどダランと下げ、親指で「イェーイ」と無気力に立てた。

 一瞬、風が凪ぐ。視線がすべて俺に集中した。次の拍で、胸のTシャツが白熱する。


 パアン!

 空に光の爆裂音が走り、ポーズのシルエットが巨大ホログラムになって王都の夜空に投影される。

 主塔の影にいた兵士も、囚われた市民も、揃って口を半開きにする。頬が震え、肩が痙攣し――


「ぷ、ぷはははは!」

 王女らしき貴婦人が吹き出した。その瞬間、堰を切ったように街全体が笑いの洪水に呑み込まれる。兵士は武器を落とし、腹を抱えて転げ回り、空中の飛竜は主の魔法が途切れて失速。

 笑いの波動が支配魔法の紫陣を塗りつぶし、重圧は潮が引くように消えた。


 グリモが片膝をつき、額に手をやる。

「……やめろ……くだらぬ……おかしいわけが……」

 眉間の皺がほどけ、喉が震え、目元の皺が深まる。

「く……、ふふ……あ、あははは!」

 魔王の冷面が崩れ、若い頃の夢を思い出すかのように笑い声が零れる。


『トドメ行く?』

「最後は、ネタバレ厳禁の大技で!」

 布様が光り、全スキルが束ねられ一本の光線となって魔王へ迸る。猫耳、ネギ、鼻毛、ドラゴンブレス、地割れ、全部が虹の螺旋になって収束。


 ――ズバァァァン!!!

 闇の玉座が粉々に砕け、王都の黒水晶は霧散。紫の瘴気が晴れて空に二重の月が現れる。


 光が収まると、魔王グリモは膝をついたまま、穏やかな顔で肩を揺らしている。

「笑い……悪くない……そうか、私の国も……」

 彼はすすっと灰になり、夜風に溶けた。



 戦いが終わった。

 王都の人々は泣きながら笑い、倒れた兵士に手を差し伸べる。瓦礫の影から子供が飛び出し、俺のTシャツを指差して歓声を上げた。


「ダサいのに、かっこいい!」


 胸が熱い。だが次の瞬間、Tシャツから光が抜ける感覚があった。袖口がひんやりして、布様の声が薄れる。


『これでミッション完了だ。笑いが戻った世界に、もう俺の力はいらない』

「待てよ。まだ一緒に……」

『また会えるさ。別の世界、別の柄でな』

 言い終わると布はただの白Tに戻り、胸の文字だけが淡く光を残して消えた。


 俺はしばらく黙って布の襟を握る。泣き笑いの喧騒の中、エルシアがそっと肩を叩いた。

「そのTシャツ、今は普通の布になったの?」

「ああ……でも大事な友達だ」

「……じゃあ今度は、ふざけた服以外も着てみなさい」

 彼女は微笑む。銀髪が月光で柔らかく輝く。

「でも私は――」

 言いかけて、俺は首を振る。

「やっぱダサい服が好きだ」

「はあ!?」

 エルシアのツッコミが炸裂し、グランが大笑いして肩を叩く。


 王都の鐘が朝を告げる。

 瓦礫の上にも新しい日差しが注ぎ、焦げた匂いをハーブの香りが塗り替える。


 俺は真っ白になったTシャツを掲げ、深く息を吸う。

「また描けばいい。次はどんなネタにしようかな」

 遠くで子供たちが声を揃える。

「世界一ダサいポーズ、もう一回!」


 笑い声の中で、俺は腕を振り上げて叫ぶ。

「おう、何度でもやってやる!」


 ダサいポーズだけど、みんな笑う。

 笑いがある限り、世界は何度でも救われる。


 胸に残った温もりが、そう囁いている。

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