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第1章 異世界に転移したらTシャツが喋った件

 朝の通学路。

 俺は―高校二年、天城悠翔。お気に入りの「I♡餃子」Tシャツ一枚を制服の下に仕込んで、半ば眠った頭で自転車をこいでいた。胸の「餃子」の文字に合わせて、油断すればよだれが落ちそうなくらいの想像レシピを延々と妄想しながら坂を下ったそのとき、前方で車の急ブレーキ音が吠えた。


 ――子供が道路に飛び出す。

 ――大型トラックが鳴らすクラクション。

 ――無意識のうちにペダルを蹴り、俺は自転車ごと身体を投げ出していた。


 金属がめり込む轟音。タイヤが滑る焦げたにおい。視界を持っていかれる閃光。

 そこでぷつん、と何かが切れた。時間も、音も、俺の鼓動も。


 気づけば、森の匂いが鼻を打っていた。湿った土と青々しい葉が混ざった空気。背中に触れるのは草の感触。

 さっきまであったアスファルトの冷たさは消え去り、代わりに夏草が揺れる音が風と一緒に耳をくすぐる。


「……死んだ? まさか異世界?」


 ありきたりすぎる展開だが、目の前に広がる景色は教科書の挿絵よりファンタジー全開だった。空は青すぎて、雲は絵の具みたいにふわふわしていて、遠くの山脈は雪を被ったまま虹色の靄をまとっている。


 だが、違和感。それは胸元から聞こえてきた。


『ふぁ~、よく寝た。腹減ったな、餃子食べてぇ』


「おまっ……誰だ?」


 見回しても俺以外誰もいない。だけど声がする。もう一度耳を澄ます。


『おい悠翔、目ぇ覚ました? ここ、リアルに異世界っぽいぜ』


 声の主は……俺のTシャツだった。左右のプリントされた「餃子」の字がうっすら光り、そこから泡みたいに吹き出す文字エフェクトが口パク代わりに動く。


「喋んな! ていうか自己紹介は?」


『俺の名は――いや、腹ペコだし省略。お前の相棒ってことで』


 Tシャツからツッコミを食らう人生を、俺は今ここにスタートしたわけだ。


 ――◆――


 ひとまず人間の住む場所を探そうと森をうろつくと、ウサギみたいな耳をもつリスだの、トカゲに羽が生えた生物だのが飛び跳ね、異世界らしさをこれでもかと見せつけてくる。俺はTシャツと会話しながら歩く。


「おい餃子、なんで喋れるんだ」

『餃子って呼ぶな。俺は《ファブリクス・ディスティニー》、神に選ばれし布様だ』

「ふざけてるだろ」

『ふざけてるTシャツほど強いって相場が決まってんだよ。さあ進め、勇者』


 こうして俺と布様は森を抜け、開けた草原の先に小さな集落を見つけた。木造の塀と石畳の通りがあり、煙突からは白い煙がのぼり、羊に似た毛玉生物を追う農夫が見える。


 近づけば農夫の瞳は俺の胸元で止まる。

「なんだその……ぎょう…ざ? 奇妙な紋章だな」

「あ、いやこれは家紋みたいなもので」

「へっ! 変な絵柄だ。旅の道化か?」


 集まった村人たちは俺のTシャツを取り囲み、ゲラゲラと笑う。ここでもネタTは笑われ者か。それでも生命は大事だ。宿を借り、情報を得るために頭を下げると、村長面の老人が木杖を突き出した。


「馬鹿げた服だが、まあ危害はなさそうだ。今夜の宿ぐらいは提供しよう。しかし今はそれどころではない。森の奥から魔獣が迫っておるのだ」


 魔獣?

 嫌な予感がした瞬間、地響きが地面を揺らした。黒い狼のような魔物が炎をまとう爪を振り上げ、塀を飛び越えてくる。


「フォルスヘルハウンド! みんな逃げろ!」


 異世界用語が飛び交う中、村人は蜘蛛の子散らす勢いで離れる。


『悠翔、今こそ出番だ』


「は? 素手でどうしろと」


『俺を信じろ。心の底から餃子を愛してるだろ? その情熱をスキルに転換する』


 意味が不明だ。が、やるしかない。俺は胸に手を当てた。


「餃子……腹減った。焼き餃子にラー油、タレに酢胡椒……」


 Tシャツが赤く脈動し、熱が胸から喉に上る。


『スキル発動――《炎の吐息ドラゴンブレス》!』


 喉奥が灼熱になる。俺は咄嗟に息を吐いた。

 紅蓮の火線が弧を描き、ヘルハウンドの牙を溶かし、鱗のような黒毛を灰に変え、大地に直径三メートルの焦土を刻む。


 轟音のあと、燃える匂いと肉が焦げる鉄臭さ、そして乾いた土埃が鼻を刺す。魔獣は影も形もなく、周囲に残るのは焦げた爪のかけらだけ。


「い、今の……お主が?」

 村長の声が震えた。


「俺じゃない、Tシャツだ」


 つい本音が漏れると、村人はどっと騒めき、いや笑い、いや恐怖で腰を抜かした。俺は手の平をじっと見る。熱はもうなく、Tシャツはいつもの綿の感触に戻っていた。


『な? 最強だろ?』

 布様の声は得意満面。


「……最高にダサいけど、最高に強いな」


 ◆


 その夜、村は急ごしらえの祝宴を開いた。バター香る獣肉の串焼き、香草を浮かべたスープ、樽から注がれる果実酒。

 だが俺は椅子に座りきれず、広場の隅で夜空を眺めた。星が近くて、息を呑むほど綺麗だ。


「凄い光景ね。まさか本当に一撃で倒すなんて」


 背後から澄んだ声が降ってきた。振り向くと剣を下げた少女が立っている。銀糸みたいな髪を肩で切り揃え、制服のような白い騎士装束。胸当てには小さな王家の紋章。


「あなたがエルシアか? 村人が言ってた見習い聖剣士」

「あたしの名を知ってるの?」

「いや今覚えた」


 素直に微笑むと、彼女は眉を寄せた。


「その服……とても勇者の装備には見えない。けど、確かに強かった。だから聞くわ――ふざけた力でこの世界を救う覚悟はあるの?」


 焚火の火花が舞い、橙色の光が彼女の横顔を淡く照らす。俺は深呼吸し、喉の奥でまだ燻る餃子ブレスの残り香を感じながらも、冗談っぽく肩をすくめた。


「覚悟なんかより先に、俺は腹が減ってる。それに……笑われてこそ俺のTシャツだろ」


 それを聞いたエルシアは呆れたように、しかし口元をわずかに緩めた。


「はあ! もう……本当に、信じられないわね」


 彼女は腰の鞘から短剣を抜き、木の枝を削り始める。

「明日の朝にはまた森の奥から魔獣が来るかも。油断はしないこと。寝るなら武器を近くに置いたままにして」

「武器? 俺Tシャツしか持ってない」

「……いいわ。じゃあその布切れを抱えて寝なさい」


 ツッコミは鋭いが、言葉の端に優しさがある。俺は枝を削る音を聞きながら、パチパチはぜる炎に手をかざした。


 夜空には二つの月。ひとつは薄青く、もうひとつは薄桃色。どちらも地球よりずっと近くて大きい。

 ――俺は本当に、異世界に来てしまった。


『悠翔』

 胸元からまた声。焚火の光にTシャツの文字がゆらゆら揺れている。

『今日が始まりだ。これから毎日、別のTシャツでお前を振り回してやる』

「楽しみにしてる。どんなネタでも着こなしてやるさ」


 笑えないほど壮大な未来が待っている気がする。それでも、なんだかワクワクしてしまう。この胸の高鳴りを、俺はずっと探していたのかもしれない。


 ――◆――


 夜が更け、宴の喧騒が遠ざかる。

 俺は村の空き家の天井を見上げた。藁の匂い、虫の羽音、遠くで吠える魔獣の唸り。すべてが現実で、すべてが新鮮だ。


「明日からどうする? Tシャツ様」

『明日は別の柄を探せ。お前のクローゼットは日本に置いてきただろ?』

「え、替えがないじゃん」

『そこらの布屋で白T買ってプリントする。異世界Tシャツメーカーはお前だ』

「まじかよ。それ絶対バズるな」


 俺たちは布団代わりの獣皮にもぐりこみ、くだらない作戦会議で夜をつないだ。


 ――笑われたっていい。笑わせ返せば逆転だ。

 胸の餃子がそう語りかける。


 こうして「Tシャツ無双」の物語は、俺のダサい寝言とともに幕を開ける。


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