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4章運命の推しは11歳?

大和屋の若旦那が快方に向かったという話は、江戸の町中で小さな波紋を広げていた。病に伏していた若旦那が回復したというだけでも喜ばしいことだが、その治療に「未来から来た」という謎めいた娘が関わっていたという点が人々の興味を引いた。

「聞いた?大和屋の若旦那様が元気になったって!」

「ええ、あんなにむくんでいた足がすっかり細くなったらしいわよ。」

ここで、二人のやり取りを耳にした魚屋が加わってきた。

「それも未来の村から来たというおマナさんのおかげだって。」

「未来の村?どこかの藩のことだい?」

魚屋が腰に手を当てながら笑った。「そりゃまた、大層な村があるもんだな!」

町人たちは好奇心旺盛で、特に病気の治癒や困難の克服といった話は格好の噂話になる。最初に話を広めたのはおちよで、隠し事が苦手な性格だ。大和屋での出来事を話すうちに、噂は自然と尾ひれをつけて広がっていった。

「おマナさんが若旦那様を未来の村の妙案で救ったんだってね。」

「それは、どこにあるのかしらね。ちょっと不思議な話よね。」

そんな噂話が飛び交う中、マナ自身はそれで得意になることもなく、むしろ恥ずかしいような気持ちで、日々を過ごしていた。


そんなある日、おちよがまた慌ただしい様子で家に駆け込んできた。

「おマナさん!また相談が来たよ!今度はね、お武家様のことだって!咳が止まらないんだってさ。」

「お武家様…?」

マナは少し驚いた表情を浮かべた。大和屋の若旦那の一件が上手くいったのは、ある意味で幸運だっただけで、再び未知の病状に向き合うことへの不安が頭をよぎる。だが、おちよはお構いなしに話を続けた。

「そのお武家様ね、名前が沖田総司様っていうらしいのよ。しかも見目麗しい方なんだって!」

その名前を聞いたマナは血が沸き立つような感覚を覚えた。沖田総司――新撰組の剣士であり、歴史好きの彼女にとって憧れの人物だ。

(まさか、沖田総司!?私の推しが江戸時代でこんな形で現れるなんて…。これは夢?それとも運命!?)

「どうする?行ってみる?」

おちよが問いかけるが、不安もどこかに吹っ飛び、大きな声で答えていた。

「行きます!絶対に!」

その態度の変化におちよは目を丸くしたが、それ以上追及することもなく「いってみるかい」と言った。行くと決まれば、すぐに着ていくものが問題になる。「この着物は派手すぎる?いや、地味すぎる?」と桑箪笥の引き出しを次々と引っ張り出すマナに、おちよは呆れたようにため息をついた。「そんなに悩んでる時間があったら、早く寝な!」

ようやく着物が決まった頃には夜も更け、横になったものの、眠気などどこかへ吹き飛んでいた。まるでアイドルのコンサートに行く前夜のようであった。


翌朝、睡眠不足で目を腫らしたマナとおちよは、試衛館へ向かっていた。江戸の朝は早く、この自分からでも活気に満ちあふれ、通りを行き交う人々のざわめきに包まれている。

軒先では、炭を抱えた商人が急ぎ足で歩き、川沿いからは「しじみ~、しじみはいらんか~」という掛け声が響いてくる。その声の主は、隅田川でとれたばかりのしじみを天秤棒に吊るし、桶の水を波立たせながら売り歩く男だった。近くにいた老婦人が立ち止まり、「あら、このしじみは大きいねぇ」と嬉しそうに一掴み買い求める。

別の通りでは、「豆腐~、できたての豆腐だよ!」と声を張り上げる男が行く。大八車には大きな桶が乗せられ、ふたを開けると湯気が立ち上り、甘い香りが漂ってきた。子どもたちが駆け寄ってきて、「おじさん、ちっちゃいのちょうだい!」と声を上げる様子が、朝の賑やかさをさらに盛り上げている。


普段なら何気なく通り過ぎる光景なのに、この日はすべてが輝いて見えた。初夏の柔らかな日差しが、町屋の瓦や路地の石畳をきらきらと照らし出している。

「試衛館って、あの試衛館なのかしらね?」

おちよが不安げに呟く横で、マナは顔のほころびを取り繕うのに必死であった。

(本当に沖田総司に会えるの?推しが目の前に現れるって、どんな感じなんだろう…。でも私の知識によると嘉永5年/1852年だと沖田総士様は11歳?)

そんな期待と不安を巡らせながら歩いていると、立派な門が見えてきた。門柱には「試衛館」と記された簡素な看板が掛かっている。その文字を目にしたマナは心の中で読み直した。

(試衛館…。本当に、あの歴史書で何度も読んだ試衛館…。)

「ここだね。」

おちよが声をかけると、マナは少し間を置いてから頷いた。視線を門柱に向けたまま、大きく腕を広げ深呼吸をした。

「ごめんくださいませ!日本橋の大和屋様の紹介で参りました!」

おちよの声が門の内側に響く。しばらくすると、門が「ギギギ」と音を立てて開いた。中から現れたのは、袴姿の若い男性だった。丁寧に整えられた月代と髷が彼の身なりの良さを物語っている。

「どうぞお入りください。」

促されるまま、マナたちは門をくぐり、試衛館の敷地内に足を踏み入れた。道場の磨き上げられた木の床が陽光を受けて輝き、壁際には竹刀や防具が整然と並べられている。道場では若い門弟たちが竹刀を振り、真剣な表情で組み手をしていた。木刀がぶつかり合う音と門弟たちの打ち込む声が聞こえた。


案内された部屋の奥には布団が敷かれており、その上に一人の若者が横たわっていた。

布団の上に静かに横たわる沖田総司を目にしたとき。思わずキャーと声がでそうになる。顔は病でやつれた様子が見られたが、それでもその端正な顔立ちは彼女の想像を遥かに超えていた。青白い顔に微かに震える睫毛と静かに閉じられた唇が、儚げな美しさを際立たせていた。

(これが…沖田総司!想像してたより100倍イケメン!11歳の少年じゃないよね?どうみても私と同じくらいの年齢)もし彼が現代にいたら塩顔の美少年と振り返られるレベルの美形だ。


「お初にお目にかかります。私はおちよ、め組の辰三郎の女房でございます。横の娘がおマナと申します。本日は大和屋の若旦那様のご縁で、沖田総司様のお体の具合を伺いに参りました。」

おちよが挨拶をすると、沖田は穏やかなだが少し苦しそうな声で

「お心遣い、ありがとうございます。」と丁寧に答えた。マナは内心のトキメキを押さえながら、冷静を装い病状を尋ねた。

「咳が止まらないと伺いました。少し診させていただいてもよろしいでしょうか?」

マナは沖田の視線を受け止めながら、平然と布団のそばに膝をつき、脈を図った。

沖田の手は白く、長い指は繊細さを感じさせた。その手のひらに残る剣の堅いタコが、彼がただの病人ではなく、一人の剣士であることを物語っている。平静でいるつもりでいたが、手元が僅かに震えているのを感じる。これが推しの威力なのか?マナは自分の純情さに驚きつつも、病状を探り、もしこれが現代だったら、症状を聞いて血液検査やレントゲンを頼めるのに…。と江戸時代の医学と現代の医学のギャップにこの時代で、何をどう判断すればいいのかと途方に暮れた。

彼の顔や息遣いを観察しながら、マナはネットサーフィンのように頭をフル回転させる。大学の一般教養で学んだ「東洋医学」の講義を、どうにか引っ張り出そうとする。

(でも…ここでは私の知識と観察力が頼り。それしかない。大丈夫、今できることをやるしかない。)

沖田が微かに咳き込むと、マナはふっと顔を上げた。その咳は、迷っている暇はないと告げているようだった。


「咳って、どのくらい続いてますか?何かすると余計に出るとか…?それにしても…私が聞いた沖田総司様は、もっとお若いはずなんですが…。本当に、ご本人ですか?ほかに11歳くらいの方はいらっしゃいませんか?」と聞いてみる。

(私の知識ではまだ11歳のはず…。どういうこと?歴史の記録が間違ってる?)

「拙者が沖田総司にございます。この名を持つ者は他におりません。11歳くらいのもになら、私の世話をしているものがおります。」そういうと、「小次郎ここに」と沖田が呼ぶ。控えめな足音と共に11歳くらいの少年が現れた。その姿は、まだ剣士の風格には程遠いが、あどけなさの中にどこか強い意志を感じさせる瞳が印象的で、どことなく顔や雰囲気が沖田に似ている。小柄な体に似合わぬ真剣な眼差しでマナを見上げる。

「このものは近所の住んでいたものですが、両親が流行り病で4年前に亡くなった故、試衛館で引き取り、剣の修行をしているものです」と沖田は小次郎と呼ばれる少年の説明をした。マナは少年を見つめながら、頭をひねった。そして、ふと考えを巡らせる。

もしかして、歴史が人物を混同させてしまったのかも知れない。この小次郎って少年が、本当は後世に沖田総司と呼ばれるようになったんじゃないだろうか。そう思案していると沖田総司が病状について続けた答えた。


「咳は少し動くとひどくなります。特に夜になると胸が詰まるような感じがすることがございます。」と沖田は苦しげに答えた。それを聞いたマナは、弟の喘息の症状を思い出した。

(動くと咳が悪化する、夜に胸が詰まる感覚…これは、弟は小児喘息だったけど、彼の症状は現代の知識では『運動誘発性喘息』や『アレルギー性喘息』に似ているんじゃない?でも、江戸時代に喘息という病名はないし…。)

「この部屋、煙の匂いがほんのり漂っていますね。それに畳の端が少し湿気ているような感じがします。煙や湿気が積もると、呼吸にはよくありません。」

(かまどって、煙とか湿気とか、もしかすると埃もすごいんじゃない?これ、現代で言うハウスダストアレルギーっぽくない?いや、江戸時代にそんな言葉はないけど、原因はきっとそこだよね!)

「お医者様に何か薬を出してもらっていますか?」

「ええ、「麻黄湯」という漢方をいただいています。あまり効果なさそうだが...これほど咳が続くとは。」

麻黄湯!?それは現代でも東洋医学で喘息に使われる薬だ。即効性はないが続けていて問題はない。江戸の知識というのも侮れなとマナは感じた。

「薬はそのまま飲み続けてみてください。それ自体は悪くないと思います。でも、この部屋の環境が咳をひどくしているかもしれません。」

沖田がきつねにつままれたような腑に落ちないような顔で尋ねた。

「部屋…ですか?」

「はい!この部屋は煙や埃が舞っていることが多いですよね。だから、布団や畳を天気のいい日に干してみるとか、風通しを良くするのが大事だと思います!」


おちよが後ろから「なるほどそんなもんかね!」と感心したように頷いた。

沖田は少し笑みを浮かべながら「そのようなことならたやすいこと…。しかし、本当にそれだけでよくなるのでしょうか?医者の薬も効かぬのに」とまだ納得できないようであった。

マナは沖田の不安を払拭するようにさらに続けた。

「あと、夜は布団を少し高めにしてみてください。頭を高くして寝ると、呼吸が楽になるかもしれません。それと、お薬を飲んだあとに、生姜をお湯に入れて蒸気を吸うのも試してみてください。喉が少し楽になると思います!」

沖田がやっと合点が言ったように眉を下げた。

「なるほど...」

「危険はありませんし、薬もそのままで大丈夫です。損をすることはないので、ぜひ試してみてください!」マナは春のような笑顔で自信満々に答えた。

(よし、乗り切った!)漢方も活かして、環境改善でカバーするというアイデアに私って結構いけてるのでは?と自分をリスペクトするマナであった。

小次郎は沖田の布団を整えながら、ちらりとマナを見た。「おマナさん、どうしてそんなに物知りなんですか?」

マナは小次郎から話しかけられることに少し驚きつつも答えた。「物知りってわけじゃないのよ。ただ、色んなところで聞いた話とか、自分で考えたことを組み合わせてるだけ。」

小次郎とのやり取りを聞いていた沖田が「なんだか、不思議な感じがしますね。普通の人が思いつかないようなことを知ってる。あなたはすべてがわかっているみたいに見える」と言った。布団の中にあっても、彼の背筋にはどこか凛としたものが感じられた。それは病に伏していても、彼の武士の心は折れていない証のように思えた。マナ達はまた様子を見にくることを約束をして試衛館をあとにした。



「沖田総司様、きっとよくなるよね…。」小さくつぶやく彼女に、おちよが笑いかけた。

「もちろんさ。あんたの言うことは、どこか確信があるもの。」

マナは照れ隠しに横を向くと、火の見櫓で子供を助けてもらった佐吉の女房が声をかけてきた。

「おマナちゃん。今度は大和屋の若旦那様を治したって噂でもちきりだよ。すごいね!あんた誰でも助けちまうんだね!」

おちよが賑やかに口を開く。「そうなんだよ!このおマナちゃんは弁天様の生まれかわりだよ!」

江戸の町は今日も賑やかで、明日何が起こるかは誰にもわからない。

それでいいのだ。明日が見えないからこそ、人は生きていける――マナはそう思った


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