第7話 冷戦
「判定の結果、試合続行不能により───勝者、コハク!」
歓声が爆発した。喜怒哀楽が入り混じった叫び声。博打に失敗して悔しがる者、怒鳴り散らす者、ただ熱戦に興奮する者。反応は実に様々だ。
ひとまず、私の役目は果たした。あとは決勝でベリルを勝たせるだけ。ただ私が負ければいい。それで終わり。
───あれ、冷静に考えたら私が勝つ方がオッズは高いはず。なんで私に賭けなかったんだ?
…ああそうか、最初から信用されていなかったのか。私が勝つと思っていなかったから、私に賭けなかったのか。そりゃそうだ、ベリルの方が強いもん。じゃあ何のために私はあんなに頑張ったのだろう。あ、試合開始の鐘がなった。
「ごめんな」
「え…?」
ドスッ───。
みぞおちに思い切り一撃。悶絶。痛みなんてものじゃない。手加減くらいしろよ。
試合は続行不能と判定され、ベリルが優勝。ともあれ、チームの勝利だ。
借りた分を返しても十分すぎるほどの資金を手に入れた。ありえない賭け方をしたもんだから、国の財政を破綻させるくらいに儲かってしまい、国庫を開放しても払いようで、一部は現物支給となった。
牛、鶏、山羊、馬、武器、鎧、通行証等々───国中からかき集めた品々。正直、こんなにもらっても困るだけだが、強欲な勇者は全て自分のものだと主張。建物一棟を買い上げ、旅に持っていけない物はそこに運ばせていた。後で取りにくるつもりらしい。
夜には優勝者の宴が開かれた。とはいえ、屋外にテーブルと椅子を並べただけの即席会場。電気はないから、明かりはかがり火と月。それでも十分明るい食卓に、料理が次々と運ばれてくる。見た目は雑だが、どれもおいしそう。思わず唾を飲む。
「あんたにもやるよ」
ベリルが気前よくチキン丸ごと一羽を分けてくれた。初めて会った時とはまるで別人のように優しい。ありがたく受け取ろうとした、その時。
横からドロシーさんに取られた。
ナイフとフォークでカチャカチャやったかと思えば、差し戻される。
皿の上には皮だけが残されていた。
…皮肉か。
「勝手なことするんじゃねぇ!あたしのだ!」
「うるさい」
「っ、ごめんなさい」
なるほど、ベリルは勇者様に逆らえないのか。借りてきた猫のように大人しくなっている。その後は、隙を見て野菜や果物をちょっとづつ分けてくれた。ドロシーさんにはバレているようだったが。
それでも食欲は満たせたので、そろそろ退散しよう。こういう場はあまり得意ではない。御暇しようとしたところ、ドロシーさんが立ち塞がる。
「あの…なんでしょうか…?」
「…」
スッと指をさす。その先には馬小屋がある。
「?」
何を伝えたいのか分からないが、取り敢えずドロシーさんが指した馬小屋に向かう。後ろからついてくる足音がする。
この感じ、知ってる。不良に呼び出されたときのやつだ。校舎裏の倉庫に呼び出された記憶が蘇る。不安を抱えつつ馬小屋へ。中は牧場の匂いがするが、そんなに嫌な匂いでもない。馬しかいないが、何をされるのだろうか。
振り返ると、ドロシーさんは宴会場に戻ろうとしていた。
…え、何だったんだ。私も後について戻ろうとしたが、めっちゃ睨まれた。「ついてくるな」か、「そこを動くな」ということなのだろうか。
…まだこっちを見ている。多分だけど、ここで寝ろと言いたいのではないだろうか。仕方ない、屋根があるだけマシだろう。問題はトイレ。まあ、馬小屋だし、最悪───いや、考えるのはやめよう。
翌朝、最悪の目覚め。
馬に顔を舐められて起きた。鼻を突く臭い。コラやめろって。
なんとか払い除けて馬小屋を脱出。幸先が悪い。天候も曇り。雨が降らないといいが。
「おっ、早いな!」
「おはようベリル」
珍しく早起き?いや、ドロシーさんに叩き起こされたのだろう。後ろから二人がこちらに向かってくる。何か言われるかと思いきや、そのままスルーされて馬小屋に入っていった。仕方なくついていく。
「ん?なんか臭くね?」
「きっ、気のせいじゃないかな!馬小屋だし!」
こういう時だけ妙に鋭い。いつもは大雑把で鈍感なのに。
「それより、何しに来たの?」
「ん?馬で行くんだよ、聞いてないのか?」
いや聞いてないけど、今更か。
何の因果か、顔を舐められた馬に乗ることになった。妙に懐かれている気がする。名前でもつけようかな…うーん、ディープインパクト?そんな大層な名前をつけるほど大きくもない。どちらかと言えばポニーだ。よし、茶色くてかわいいから『ココア』にしよう。
鐙に足をかけ、鞍にまたがる。ココアは小さいから多少は乗りやすい。勇者様といえば、この中で一番大きな馬に乗ってふんぞり返っている。おまけに雲珠や杏葉、馬鈴までつけて、完全に飾り馬だ。旅をする格好とは到底思えない。
「北へ行くのか?あっちは魔族の領域だ。通行証を持っていても、ニンゲンにとっては危険だから気を付けろよ」
馬飼の不穏な忠告を受け、出発。幸いにも北へ向かう道は整備されているようだ。危険という言葉が少し引っかかるけど。
「…」
「…」
…馬とは素晴らしいものだ。革命的移動手段に他ならない。古代から重宝されているだけのことはある。かのチンギス・ハーンが大陸の半分を制圧し、モンゴル帝国を築き上げたのにも頷ける。ココアはポニーみたいに小さいから、比較にならないけど。
何故こんな独り言を呟くかって?誰も喋らないからだ。ベリルもドロシーさんも移動中は終始無言だから、頭が暇している。馬の揺れに任せ、暇を持て余す。代わり映えのない田園風景、遠くの山々。退屈すぎる。
空気が悪いまま野宿をし、馬で何日か歩く。途中、悪魔みたいな見た目の奴らに絡まれたが、勇者様が問答無用で斬り伏せた。後でトラブルにならないか心配だが、山賊ってことにしておこう。こんな調子では先が思いやられる。
そんなこんなで次の宿場町に到着。その名も "クラオー・シティ" ───どう見てもただの村。木造家屋に囲まれた森の集落だ。何故ここらの人たちは国だのシティだのと見栄を張りたがるのだろうか。
…ともかくも、今日はやっとゆっくり休めそうだ。いや、安心するのはまだ早い。この人たちがゆっくり休ませてくれるとは限らない。
今晩の寝床を探して村を練り歩く。見た所、ここは温泉村らしい。旅客を泊める宿場として発展しているようだ。そして、なんやかんやで私たちも宿の温泉に入ることになった。
ふぅ…
湯に浸かるのは久しぶりだ。この世界に来てからは湯浴みの機会もなかったから。
露天風呂だから、夜風が心地よい。月光がほのかに湯面を揺らし、淡く立ちのぼる湯けむりが夜の空気に溶けていく。しんとした山あいの秘境温泉。虫の音も遠く、聞こえるのは湯が岩肌を流れる音と、ベリルの笑い声だけ。
…負けた気がする、何がとは言わない。一番大きいのはドロシーさんだが、ベリルも意外とある。普段はさらしを巻いているのだろうか、ここぞとばかりに解放されている。
肩まで湯に沈み込む。別に気にしているわけじゃない。
白い肌、濡れた髪が肩から流れて艶めかしい。湯の熱さに頬を染め、肩から房にかけての滑らかな曲線に、自然と視線が吸い寄せられる。なんとも幻想的だ、これは絵になる。
おや、大きな二つの月が近づいてくる。なんだ…っ!?
バシャーン!と思いっきり湯に沈められた。不意打ち。息を吸う余裕もない。苦しい…まさか、このまま窒息させる気だろうか、息が持たない…!
ぷはぁっ!
突然、解放される。
「なにしてんだよ…!」
「…」
ベリルがガチギレしている。助けてくれたようだ。相変わらずドロシーさんは無言。身長も大きいから、何も言わずとも圧を感じる。
そのままキャットファイトに突入。あーあ、せっかくの風情が台無しだ。ドロシーさんはというと、魔法で火やら水やらを出して反撃している。ベリルが正面からしか突っ込まないから全部当たっている。いつもなら勇者様が止めに入っているが、ここは女湯、男子禁制。
二人とも私のために戦ってくれるなんて、意外と優しい一面があるんだな。でも巻き込まれたくないからそそくさと退散。
湯から上がり、体をふいて着替えていると、程なくして爆発音が鳴り響く。ドロシーさんがやったのだろう、これは怒られるな。
その後はというと、騒ぎを起こした一行は村から追放され、今日も野宿が決定。ベリルは完全に萎縮しているが、事の張本人は我関せずと知らん顔。
…何故いつもこうなるのだろうか。