第3話 卒業と「最悪の勇者」
入学初日。
新しい制服に袖を通し、心は少し浮き立つ。
だが、空はどんよりとした曇天。どこか、胸騒ぎのする朝だった。
入学式では新入生代表として祝辞を述べさせられるし、式が終わる頃には知らぬ間に注目の的になっていた。同期だけでなく上級生からも声をかけられる。
「首席なんでしょ?よかったら魔法教えてくれない?」
「セオディア地方の子?珍しいね」
「今度一緒に遊ぼ!」
四方八方から同時に話しかけられ、耳が足らなくなる。必死に相槌を打っているうちに、気づけば自分抜きで会話が弾んでいた。
───息苦しい。慣れない状況に息が詰まる。
もみくちゃの輪の隙間から、そっとその場を抜け出す。人と人の間を縫って教室へと急いだ。
つ、疲れた…
こんなに多くの人と話すのは、生まれて初めてだから。それでも、心のどこかで少しだけ嬉しかった。誰も私の見た目を気にしない。誰も「気味が悪い」なんて言わない。
この学園には、人種も姿も様々な者たちがいる。狼の耳を持つ少女、小人のような生徒、丸くて青い…タヌキ?のような存在でさえ。だからきっと、誰も私を特別変だとは思わないのだろう。
───そう思っていた。
教室へ着き、座席表を見て自分の席へ。
机の上にはガイダンス用の小冊子と、杖が一本。長さ30cmほどの、頼りない木の棒。魔法を使って下さいと言わんばかりの杖だ。
ふと上着のポケットに手を差し入れた瞬間、あれ…
ない。
あるはずの物が見当たらない。ペンダント、どこやったっけ…
アイリスが「お守りに」とくれたペンダント。失くしたなんて言えない。失くす訳にはいかない。
「何探してんの?」
私と同じ制服を着た茶髪の女子生徒に声をかけられた。リボンの色が違うから、恐らく上級生だろう。ニヤニヤと不敵な笑みに、嫌な既視感を覚える。
「ペンダントを落としたみたいなんですけど、知りませんか?」
「知ってるよ。ついてきて」
連れて行かれたのは、人気のない黴臭い旧校舎の奥。「1176」と書かれた教室の前でその子は立ち止まり、目で「入れ」と促す。
中に入ると、プリン色の長髪を揃えた数人の女子。
頭には鬼のような角。
「首席だからって調子乗ってんじゃねーよ!」
グッと掴まれたかと思えば、次の瞬間には体が宙を舞う。
───ドンッ!
勢いよく壁に打ち付けられた。イタタ…。いきなり人を投げ飛ばすとは、凄いヤンキーだ。見た目通り気性が荒そう。
ズドン!
右足を大きく上げて壁ドン。重たい一撃が左頬を掠め、壁が震える。
「聞いてんのか?」
見た目に反して可愛らしい下着が顔を覗かせている。いや、今はそんなことどうでもいい。
「あの、すっ…すみません!私のペンダント知りませんか?」
「あ?知らねーよ!」
―――ッッ!?
左手に大きな衝撃と激しい痛みが走る。振り下ろされた足に思いっきり手を踏まれた。
「痛い痛い痛いいタいイタイッ…!」
それでもプリン頭は止めようとしない。反射的に彼女の足にしがみつく。
「触んな!」
バキッ───
力強い足蹴りを受け、またしても大きく吹き飛び、壁にぶち当たって蹲る。どうして私ばかりいつもこんな目に…
「探し物はこれでしょ?」
私をここに連れてきた子が、ポケットから何かを取り出す。あの真紅の輝きは…
「何だそれ、大事なものなのか?」
プリン頭がペンダントを手に取る。
「ダメ!返して!」
「ふーん、いいこと思いついた♪」
大きく振りかぶったかと思えば、窓の外へ向けて思いっきりそれを放った。
「あっ…」
プツン。
頭の奥で、何かが切れる音がした。心臓の鼓動が速くなる。肝がヒヤッとし、こみ上げてくるような感触。
───次の瞬間。
閃光。轟音。
気づけば、壁の上半分が全て吹き飛び、周囲には瓦礫が散乱している。
「ケホッゲホッ…スゥー、ハァハァ…」
煙と粉塵。
熱、鼓動、倦怠感。
目が霞んでいる。息苦しい。全身から発汗。
心臓がドキドキしている。
「何の騒ぎですか!」
人が集まってきた。先生もいるようだ。
「怪我人はいませんか!?巻き込まれた人の救助を!」
どうやら助けに来てくれたらしい。プリンさんたちは大丈夫だろうか。
次第に感覚が戻ってくる。何かが燃えたような焦げ臭さ、古い建物の埃っぽさ、それらが合わさって、汚いブレンドコーヒーのようになっている。
「大丈夫ですか!」
抱き起こされるが、身体に力が入らない。
うーん…
何が起きたのか分からないまま、救護室へと運ばれる。
後日。
コハクは旧校舎を爆破したとして停学処分、寮での謹慎が言い渡された。
幸いにも死者はおらず、プリンさんたちも軽傷らしい。
後から聞いた話だが、私は無意識に魔法を使ってしまったようだ。杖も使わず無詠唱で。
今は寮のベッドで、ひとり。
「はぁ…」
やってしまった。このまま退学にでもなれば、アイリスに怒られるかもしれない。これから先、どうなるのだろうか…
落ち込んでいると、どこからともなく黒ネコが現れる。
「クロ…!」
取り敢えず撫で回す。何かを咥えている。
ペンダント?
あの時失くしたと思ったのに。クロが探して持ってきてくれたのだろう!またクロに助けられてしまった。思わずぎゅーっと抱きしめる。
しかし、クロはするっと抜け出し、どこかへと消えていってしまった。使い魔?とやらになったらしいが、魔法の扱い方が分からず、全く使役できていない。
コンコン。
ノックの音。
ドアを開けると、入学試験の日に会った、スーツの女性が立っていた。
「蒼井コハクさん。こちらへ」
あ、終わった。この流れはきっと退学だ…
連れて行かれた先は、前と同じ理事長室。トクガワ理事長もいる。覚悟はできていないが、受け入れるしかないのだろう。
「コハクさん。貴方に会いたいと勇者ヒロ様がお目見えになっています。今から宜しいですか?」
「はい…はい?」
何だって?勇者???
考える間もなく、勇者様とやらが部屋に入ってくる。
私が勇者ですと言わんばかりの鎧に赤マント。それっぽい剣まで脇に差している。短い茶髪、趣味の悪い純金ピアス。極めつけは、あの人を見下したような目つき。
その顔には見覚えがあった。悪寒が走る。
知っている。忘れるはずもない。
「首席で学校を爆破した奴がいると聞いて来たが、お前だったんだな」
記憶にこびり付いた、聞き覚えのある声。最悪だ。私を虐めていた奴等の元締めに当たる、忌々しい男だ。
「まぁいい。魔法使いが不足してるんだ。パーティーに入れ」
絶対嫌だ。
それでも、硬直して声が出ない。
「それはそれは。大変光栄なことです。左様でしたら、退学処分という訳にはいきませんね。勇者様にご迷惑はかけられませんから。特例で飛び級卒業としましょう」
「そんな…」
やはり学校は嫌いだ。こいつらは上っ面だけでいつもいつも。この世界に来て何か変わるんじゃないかと思ったけれど、何も変わらない。結局は同じなのだ。世界は理不尽で不平等に満ちている。期待した私が馬鹿だった。
外では雨が降り始めている。
絶望のどん底へと落ちる音がする。