第2話 そこは異世界
「ん…」
目を覚ますと、青一色の空が広がっていた。
蒼く澄み渡る空。蒼穹とは、このことを言うのだろう。小鳥のさえずり、草木の香り、爽やかな微風が頬を撫でる。平日の昼間の匂いがする。
「お目覚めですか」
仰向けのまま首だけ向けると、少し離れた場所に少女が座っていた。濃い赤茶色の長い髪が膝の上に広がり、魔法使いのような格好をしている。膝には黒いふわふわした生き物。
「……クロ!」
身体を起こし駆け寄ろうとして、ズサァッー。
足がもつれてしまい、顔から地面にダイブ。痛い。血の味がする。顔を擦りむいた。
「急に動くと危ないですよ」
少女が歩み寄り、片膝をついて右手を差し延べる。不思議と落ち着くような、甘い香りがする。思わず手を取ってしまった。
「あ、ありがとう…」
「痛いところはありませんか」
…あれ、顔が痛くない。さっき強打して流血していたはずなのに。触ってみるが、傷も血も消えていた。
「私が回復魔法で治療したのですが、その様子だと問題なさそうですね」
魔法…?
「状況的に致し方なかったので、貴方を異世界に転移させました。見たところ、貴方には魔法の適正があるようなので、問題無いかと思います。それと…」
「ちょ、ちょっと待って!全然分からない!」
「ですから…」
少女は再び説明しようとして、一瞬考え込む。
「分かりました。端的に言いましょう。クロさんを助けたいなら、私に協力してください」
クロが少女の後ろから顔を覗かせる。
「まず1つ目に…」
「クロ!」
私はクロを抱き上げ、目一杯撫で回した。
「私の話を聞いてください…すみません。お互いまだ名乗っていませんでしたね。私はアイリス。貴方の名前は何ですか」
「あっ、えっと、コハク…蒼井コハクです…」
「コハクさん、順を追って説明するので、よく聞いて下さい。まず…」
アイリスの長い話をまとめるとこうだ。
1.ここは剣と魔法の世界で、勇者や魔王が存在する。
2.この世界には、私と同じように異なる世界から転移してきた人がいる。
3.そうした転移者から情報を集め、転移事件の真相を探る。←コレが目的らしい。
ざっくりとこんな感じだろうか。
「日本の行方不明者は、年間約八万人とも言われています。見つかる人もいますが、そうでない人もいます。そうした一部の人は、異世界に転移させられたと考えられます。拉致、と言えば分かりやすいでしょうか」
なるほど。私が合意なく連れてこられたように、他にも私と同じ目に遭った人がいるのか。それならアイリスも犯人の一人じゃないか。他と何が違うというのか。
「…ん?アイリスが自分で犯人を探せばいいんじゃないの?」
「私はすでに魔王勢力に目を付けられてますから、大きくは動けないのです。なので、コハクさん、力を貸していただけますか」
うーん…どうしよう。信用していいのかな…
「それからクロさんの件ですが、本来なら殺処分です。しかし、コハクさんが使い魔とするなら、その限りではありません」
つかい、ま…?何を言っているのかよく分からないが、選択肢は無さそうだ。
「わ、わかった…とにかく、アイリスに協力すればいいんだよね?そうすれば、クロを助けてもらえるんだよね…?」
「クロさんを助けるのは、コハクさん、貴方ですよ」
「きょうりょくします!」
つい承諾してしまった。というより、そうする他なかった。
「そう言っていただけて嬉しいです」
殆ど脅しだったじゃないか。
「まず初めに、コハクさんには魔法について学んで頂きます。魔法大学に入学し、そこで魔法を習得して下さい」
「え、アイリスが教えてくれたらいいのに。魔法使えるんでしょ?」
「私は人に教えるのが下手なので…代わりにこれを授けます」
そう言うと、アイリスは空中から分厚い何かを取り出した。
「重…なにこれ…」
「ライブラリ…つまり、学習参考書のようなものです。それを使って、入学試験に備えて下さい」
渡されたそれは、1冊の本だった。厚さは広辞苑の二倍くらいだろうか、漬物石のように重たい。
「えっ、筆記試験なの?こういうのって、大抵は実技試験なんじゃ…」
「いいえ、魔法大学は筆記試験一回のみです。それで合否が決まります。試験は二週間後なので、それまでに勉強しておいてください」
聞き間違いだろうか。試験がいつだって?
「コハクさん、聞いていますか。クロさんがどうなってもいいんですか」
「やります!やらせてください!」
半泣きである。酷い。
かくして、コハクの密かな戦いが幕を開けた。
二週間後。
「う、受かった…」
目玉がひっくり返りそうなほどの猛勉強の末、試験に合格した。幸いにも勉強は得意だったし、アイリスから貰った(押し付けられた)ライブラリのおかげで、効率的に勉強できた。
それにしても疲れたな…今日は宿でゆっくり休もう。入寮手続きとかは後でやればいいや…
そう思っていた矢先───
「おめでとうございます。ひとまず、合格ですね」
「あ、アイリス…」
幼い見た目に反して、悪魔のように苛烈な少女が目の前に現れた。
「合格祝に、これを授けます」
「これは…ペンダント?」
「お守りです。肌見離さず持っていてください」
半ば強引に押し付けられる。ペンダントは雫の形で、深淵のような濃い赤色をした宝石が埋め込まれている。ちょっと綺麗。
「それと、クロさんは既にコハクさんの使い魔になっています。後で確認してみてください。それでは、旅の成功を祈っていますよ」
そう言い残し、アイリスは姿を消す。ほんと勝手だな、あの人。
そう思っていると、突然スーツ姿の女性に声をかけられる。
「蒼井コハクさんですよね。こちらへ」
「え…」
有無を言わせぬ手際で連れていかれた先は、魔法大学の理事長室だった。白髪の如何にもな老紳士が一人、高そうな椅子に深く座している。
「コハクさん。ようこそいらっしゃいました。私はこの魔法大学の理事長を務めております、トクガワと申します」
「トクガワ、さん…日本の方ですか!?」
「半分はそうです。私はこの世界で生まれ育ったのですが、先祖が日本人でして」
驚いた。私の他にも日本人がいたとは。アイリスが言っていたことを少し理解できたかもしれない。
「えっと…その…理事長さんが、私に何のご用で…?」
「コハクさん、貴方を我が校の特待生として迎え入れたく存じます。この度の試験で、貴方の成績は最も優秀でした」
「私が…?」
そんなことあるのだろうか。ニ週間しか勉強してないのに。
「ご承諾、頂けますか?」
「は、はいっ!」
半ば反射的に答えた。学校は苦手だけど…この世界で生きるためなら、やるしかない。
不安と期待を胸に、コハクは新たな一歩を踏み出そうとする。