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狼と少女の物語  作者: くらいさおら
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第98話

 「あなたたちは、逃げて」

 アービィと戦い、自ら灰と散った吸血不死者に付き従っていた少女が、抑揚のない声で言った。


 あの戦闘から二日が過ぎたが、少女が喋ったのはこれが二度目だった。

 吸血不死者が灰と化した直後、『ついてきて』と一言言って以来のことだ。

 そのときは、さすがに深夜でもあり、アービィの疲労も考慮して、そのまま野営したのだが、少女は黙ったまま焚き火の炎を見つめているだけだった。少女の心情を思い測って声を掛けなかったアービィはともかく、ルティやティアが話しかけても頷くか首を横に振るだけで、自らの意志を積極的に表示することはなかった。

 その少女が、突然口を開いたのだった。


「罠よ。

 あの人の名誉のために断るけど、あなた方の誰かと戦って、敗れたら灰になることは決めていた。

 そうなったときは、私に案内させることも決まっていたけど。

 でも、あの人の言ったことは、本心。

 あの女王は、恐ろしい人。

 あの人は、もし、あなた方と戦うことを女王の前で拒めば、その場で灰にされていた。

 もちろん、負けて戻っても。

 だから――」

 そこまで一気に言葉を吐き出し、少女は黙り込んだ。


「落ち着いて。

 もし、あなたが一人で帰ったら、どうなるの?

 あなたも、殺されちゃうんじゃないの?」

 宥めるようにルティが言う。

 その言葉に、少女は首肯するだけだった。


「あの人が灰と化した今、私には生きている望みがない。

 一刻も早くあの人の元へ行きたい。

 女王が私を殺すというなら好都合」

 二の句がつなげないルティに、少女は言い放つ。


「もし、殺されずに、不死者に転生させられちゃったらどうするの?

 あの人が拒んだことになっちゃうんじゃないの?」

 少女の気持ちを落ち着かせようと、ルティはなんとか言葉を返した。


「そのときは、舌でも噛み切って命を――」

「無理だよ。

 舌噛んだくらいじゃ、人は死なない。

 せいぜい、血が出る程度。

 舌は急所じゃないんだよ。

 付け根から噛み切ったって、それだけじゃ死なない。

 切れた舌も喉に詰まるほどは大きくないし、血が喉を塞いで固まるまで口も開けられないし、口の中の唾で血は固まりにくくなってるし。

 出血だって、それで死ねるほど血は出ないよ。

 ただ、ひたすら痛いだけ。

 それに、もし死んだとしても、死体からでも不死者は作れるんでしょ?

 あの人がそれを望んでいるとは思えない。

 だったら、君こそ逃げなきゃ。

 僕たちは、大丈夫」

 アービィが話に割り込んだ。


「死ねればいいのっ!

 その後のことなんか、知らないっ!」

 少女は、突然泣き出した。


 強がっていただけだった。

 少女にとって、生前の吸血不死者は庇護者であり、将来を誓った相手だった。将来を誓った相手だった。その最愛の人が、自らを守るために不死者へと転生し、そして灰になった。民の繁栄と、積年の怨みを晴らすという願いを果たすため、愛する人を残して二度と情を交わすことのできない不死者へと転生し、そして灰と化した。敵であるアービィたちの前では、最愛の人の遺言に従い必死に心を支えていたが、突然その限界が襲ってきたのだった。

 少女は、自分が何故泣いているのか、理解できなかった。


 ルティは少女を抱きしめ、髪を撫でている。

 最愛の人の仇とばかりに、剣を突き立てられるかもしれないという疑いや恐怖は、一切感じていなかった。どうしようもない感情の爆発に、どうして良いか解らず泣く少女を抱きしめるくらいしかできることはなかった。まだ十代の半ばにしか見えない少女の体は華奢で、女性であるルティが力一杯抱きしめるだけでも折れてしまいそうだった。

 少女から女性への移行期にあるまだ線の細い身体は、ルティの胸の中で小さく震えていた。


「泣きなさい。

 あの人のこと、好きなんでしょ?

 思いっきり、泣いてあげて」

 それだけ言って、ルティは自分の胸に少女を埋めた。


 突然、ふわりと抱きとめられ、優しく髪を撫でられた少女は、それでもなかなか泣き止まなかった。

 それでも涙が止まったのは、決して涸れたからではなく、ルティの行動に呆気に取られてしまったからだった。こうやって抱きしめられ、髪を撫でられたのはいつ以来だろう。最愛の彼が生者だった最後の日以来だろうか。

 最愛の人に抱きしめられたときとは異なる安心感が、少女を包み込んでいた。


「連れて行くぞ」

 バードンが短く宣する。


「そうね、一人にしちゃ危ないわ」

 ティアが同意した。


「じゃ、決まり。

 僕たちを案内してくれたら、その後は一緒に南へ行こうね」

 アービィが少女に呼びかける。

 だが、アービィの言葉は少女に届くことはなかった。

 ルティの胸に抱かれた少女は小さな寝息を立て、安心しきったような寝顔を見せていた。


「ここで、野営でよろしいですかな?」

 皆の答えを聞く前に、エンドラーズは結界を強化し始めていた。



 いくつもの小隊が、ターバの北東から北西を完全武装で展開した。

 既に太陽は中天に差し掛かり、不死者が活動することはできない時間帯だ。それぞれの小隊は、ターバ周辺に配置されている最北の民に、投降を呼びかけるために出撃していた。しかし、夜明けとともに行動を開始していたが、まだ投降者は一人も現れていない。

 兵たちは交代で大声を張り上げ、生者たちと不死者が身を潜めていそうな洞窟や林に向かい、投降を呼びかけていた。


「小隊長殿、ここでも反応は見られません。

 敵は撤退したのではないでしょうか?」

 若い兵が言った。


「私は、この洞窟は空だと判断いたしますが、敵が撤収したとは考えません。

 何故なら、街道上に小規模ではありますが、集団同士が争ったと見られる形跡があり、且つ、足跡及び人体と思われるものを引きずった跡が残されております。

 投降者であれば、足跡はターバを指向するはずでありますが、それらの足跡は明らかにターバから離れ、街道を外れるように消えています。

 しかしながら、この数日、我が軍と最北の蛮族との間に、戦闘は発生しておりません。

 撤収であれば、争いの跡が残るはずもありません。

 以上の点から、投降者とそれを引き留めようとした者との間に戦闘が発生し、投降者が殺害、ないしは拘束されたものと断定して良いと考えます

 そして、これは完全に推測でありますが、投降しようとして阻止された者は不死者に転生させられたものと思われます」

 若い兵にレクチャーするような口調で、叩き上げの下士官は意見を具申した。


「つまり、敵は継戦の意志を捨てず、未だこの周辺に潜伏している、ということか?」

 小隊長は、下士官の目を真っ直ぐに見つめ、現在の行動を無駄と言うのか、という問いかけを視線に込めて聞き返した。


「仰るとおりであります。

 しかしながら、すべての最北の民が、継戦の意志を持っているとは考えられません。

 おそらく、まだ状況を見極めようと、息を潜めている者も多いと思われます」

 誰もそんなこと言いやしませんよ、という意志を視線に乗せ、下士官は答える。


「そうか。

 まだ撤収はできない、ということだな」

 若い兵をちらりと見て、ニヤリと笑った小隊長は、戦闘服に付いた泥を払い落としながら立ち上がり、捜索の継続を小隊に命じた。



 同じ頃、移動を始めた小隊からさほど離れていない林の奥で、声を抑えながらも激しく言い争う一団があった。

 四十人ほどの集団が、およそ十人対三十人に別れ、その代表同士が論戦を繰り広げている。互いに一歩たりとも退く気配を見せず、相手を従わせようと必死に言葉を叩き付け合っていた。

 人数比から見れば三十人の方が優勢になってもおかしくないのだが、両者には明確な違いが見られる。明らかに十人の方が体格も武装も優れたものを備え、三十人の方は劣った体格と粗末な武装しか携えていない。


「まだ、あなた方は、あの女王の妄言を信じるのか?

 これまでにどれほどの同胞が散り、灰になったと思っている。

 我々は楯でも矢でもないっ!」

 三十人を代表するやや背の低い男が言う。


「無礼者!

 貴様は死を恐れるのか!?

 我らはニムファ様について行けば、それでいいのだ。

 グレシオフィについていた頃には、夢でしかなかった南大陸が現実になろうとしている。

 不死者が消えようと、下僕が死のうとそんなことは知ったことではない

 最北の民の礎となることは、名誉ではないか」

 十人を代表する体格の良い男が、恫喝するように言い返す。


「あなたは、河川流域で何を見て、何を思った?

 食料もなく、碌な武具もなく、飢えと寒さに苛まれ、生きて帰ることを夢見ながら、敵陣に突っ込んだ同胞を見て、あなたは何を思った?」

 血涙滴らんばかりに、背の低い男が問う。


「食い物がなければ、大地に求めればよい。

 それがなければ、敵から奪え。

 剣が無くとも、腕があり、脚があり、爪がある。

 それを失っても、歯があるではないか!」

 体格の良い男はそう言い放ち、傲然と胸を反らせた。


 少数派ではあるが体格の良い十人は、最北の民の中でも優位な部族だった。

 西の河川流域を統括していた彼らは、血で血を洗うような激戦の最前線からは一歩引き、連合軍の手の届かない安全地帯に引きこもっていた。最前線の生者に分配すべき食料も優先的に囲い込み、前線からの補給要請に耳を貸すことはなかった。

 ニムファによる戦略の変更に従い、ターバを包囲するように配置を換える際にも、最前線の生者や不死者を捨て石にして、自らの安全を最優先していたのだった。


 前線の窮状を見ることもなく、やっとの思いで引き揚げてきた生者の報告を分析することもなく、ただ喚き散らすだけの無能な指揮官に、誰もが失望していた。

 そのうえ、生者も不死者も一緒くたに十死零生の突入作戦に投入し、すり減らされた兵力は連合軍戦死者を不死者に転生させることで補充するに至り、それまで付き従っていた生者たちは離反を決意した。決死を求める命令は許容できるが、死を前提とした命令は、命令の限界を超えていた。

 かつては尊敬の対象だった男たちを正道に戻すため、背の低い男は論戦を挑んでいたはずだった。


 ――狂っている。 背の低い男は、現実から目を逸らすように胸を反らせた男を見て、落胆の表情を隠せない。

 その表情を見た十人の男たちに、勝ち誇るような嘲りの色と、見下しきった満足感が浮かんだ。


 ――これでは、最北の民から生者が消える。グレシオフィ様は、それはお望みにならなかった。不死者を守る楯としてではあったが、不死者もまた生者の営みを守る楯であったはずだ。子々孫々の繁栄を、守る楯が不死者のはずだ。

 背の低い男は、民のために転生した不死者に対し、限りない畏敬の念を抱いていた。


 破壊衝動しか残らず、生前の記憶を保つこともないのであれば、身体が動こうとそれは死以外の何物でもない。

 それを敢えて受け入れ、民の楯とならんとした崇高な魂には、彼は畏敬の念以外を抱くことはできなかった。然るにその不死者を消耗品扱いすることは、その魂を踏みにじる行為に他ならない。死に対する冒涜だ。望まぬ転生を強制され、かつての同胞との戦を強制された敵対していた者たちの気持ちが、彼には今更ながらに悲しかった。

 彼は、ようやく過ちに気付いていた。


 ――俺は取り返しのつかないことをしてきた。民のためとはいえ、望まぬ転生をさせた者たちを、同胞同士の殺し合いの先兵としてきた。俺の命で償えるほど、軽い罪ではない。あの世とやらで、あなた方に殺されるまで、今暫く生きながらえさせてくれ。

 背の低い男は、心の中で死んでいった者たちと灰と化した者たちに手を合わせると、眦を決して振り返り、一つ頷いてから体格の良い十人に向き直る。


「事ここに至れば是非もなし」

 決別の言葉が背の低い男の口からこぼれると同時に、背後の三十人が一斉に十人の男たちに襲いかかった。



「小隊長殿っ、林の奥で戦闘が発生しておりますっ!」

 若い兵の報告に、小休止を取っていた小隊が、一斉に戦闘態勢を整える。


「第一戦闘序列。

 目標、南西の林。

 駆けあ――」

「お待ち下さい、小隊長殿っ!

 敵情が全く不明の状況で、指揮官先頭の第一序列は危険であります。

 ここは、第二分隊を全面に展開し、偵察を行いながら前進する第三序列にすべきかと」

 下士官の意見具申に小隊長は頷き、命令を変更した。


 第一分隊第一班を先頭にした縦陣が解かれ、後方から第二分隊が班毎に別れ、先頭に出る。

 万が一の遭遇戦で指揮官が討ち取られでもしたら、小隊はその瞬間に瓦解しかねない。指揮官をすべてが見渡せる位置に置く警戒態勢の第三序列が、この場合適していると下士官は咄嗟に判断していた。闘志が旺盛な指揮官を頼もしく思う反面、経験不足に危機感を抱いていた下士官は、安堵の溜息をつきながら、部下を率いて真っ先に林へと足を踏み入れる。

 林に消えた部下を見送り、冷水を浴びせられた心を落ち着けた小隊長は、残る第一分隊に前進を命じた。



「つまり、ターバ北部に展開する最北の蛮族は、ほぼ制圧に成功したと見てよいのだな?」

 南北連合軍総司令部に、野太い声が響いた。

 下級指揮官から順次上げられた報告は、その都度各級参謀たちにより検討を重ねられ、最終的に総司令部参謀本部による分析を経て、総司令官に報告されているところだった。


「はい。

 捕虜たちの供述も、それを裏付けております。

 不死者の群れも、九割九部以上壊滅できたものと、我々は判断しています」

 首席参謀が胸を張って答える。


 ターバ北西での最北の民による同士討ちは、期せずして他の拠点にも波及し、続々と投降する者が後を絶たない状況になっている。

 自主的に武装解除し、ほぼ丸腰の状態でターバの衛星集落に投降した最北の民は、それぞれの集落に駐屯する連合軍が受け入れ、身体検査や持ち物の検査を済ませた後、ターバへと送られていた。衛星集落でも事情聴取が行われ、拠点はすべて連合軍により破壊ないし占拠されている。同時に不死者たちが潜む洞窟も、火の黒呪文レベル4を行使可能な者が『爆炎』か、アービィが使った粉末炭による粉塵爆発で焼き払っている。灰の状態で運ばれていた不死者たちは、月夜に再生することなく川に流されていた。

 徹底した調査が行われ、ターバの西から北、そして東の地域で、組織的な最北の蛮族の抵抗は終結したと、参謀本部では判断している。


「期せずして、河川流域の制圧が成ったようだな。

 直接戦闘が起こらなかったことは、最北の民から怨みを買うことにならずに済んだということだ。

 華々しさには欠けるが、これが最良の結果だろう」

 総司令官は部下の労苦を労った。

 参謀たちは、満足そうな表情で一礼した。


「誠に、ご苦労だった。

 プラボック様やランケオラータ様には私から報告をする。

 諸君は、決して気を緩めることなく、今後も警戒に当って欲しい。

 状況判断は慎重に、各級部隊の休息、人員の入れ替え等は行ってもらいたい。

 ある意味、今が一番危険な状況という認識は、末端の兵一人一人に持たせるように。

 くどいようだが、ここで油断してはすべてが無に帰す」

 総司令官は、部下の反発を買うことを承知で、敢えて言った。


 投降してきた最北の民が、すべてニムファに対して愛想を尽かし、南北連合に加わろうとしていると判断するにはまだ早い。

 ターバ内で一斉蜂起され、結界を破壊されて合成魔獣と不死者の群れに突入されたら、その被害は甚大なものとなる。最北の民がどう思おうと、当分の間は徹底した監視と警戒を緩めるわけにはいかなかった。戦闘の終結宣言を心待ちにしている兵たちには申し訳ないが、もうひと働きしてもらう必要がある。

 総司令官は、改めて気を引き締めていた。


「畏まりましてございます。

 総司令閣下のお考えは、充分に理解しております。

 各級指揮官には、今暫く第一警戒態勢を解くことなく、暫時休息を取りつつ待機と命じてあります。

 閣下、これで河川が輸送に使用可能であります」

 作戦参謀から了承の返答が返り、続けて決断を促すような一言が付け加えられた。


 川が使えるならば、シャーラからラーニャまでの補給は容易だ。

 ラーニャを確保している部隊を、撤収させる必要はなくなった。補給部隊をそのまま進攻の尖兵とするべく、ラーニャに留まらせることも可能だ。陸路に比べ、河川を利用した輸送は一度に運べる物資の量が段違いに多い。艀一艘で荷車百台近くに相当する物資が積み込めるうえ、輸送業務に必要な人員は荷車一台か二台分でしかない。さらに護衛部隊を編成する必要もなく、せいぜい一艘につき一個小隊の武装兵がいれば事足りる。

 雪が降り積もるまでに、かなりの物資をラーニャに移送することは、充分可能だった。


「よし、兵には申し訳ないが、もう暫くの辛抱だ。

 戦闘の終結が近いと期待させると、士気が緩む。

 まだ、見通しは甘くないと、下級部隊には伝えるようにしてくれ。

 それから、至急シャーラおよびラーニャへの物資輸送、人員の再配置を計画しろ。

 下がれ」

 プラボックやランケオラータに報告を上げるため、総司令官は席を立った。


 総司令官は、決して楽天家ではない。

 最北の蛮族の組織的な抵抗こそ終結したと判断してはいるが、最も厄介な状況であるとも認識している。組織的に敵が運動すれば察知は容易だが、少数に分かれどこから攻撃を仕掛けてくるかわからない状況は、いつどこの結界を破壊されるかもしれないという緊張を強制される。これまではターバの南側に大規模な敵は展開していなかったが、南側の警戒もより一層厳重にしなければならない。

 ここで油断しては、全てが無に帰す。総司令官は自らを戒めるように呟いた。



「どうやら、ラーニャ以南は、完全に制圧できたようでございますな」

 エンドラーズが、ターバに残った神官からの、精霊を介した交感で得た情報を披露した。


「しかし、便利でございますな、精霊の交感というものは。

 我らマ教にもそのように術があれば。

 いや、口惜しいというか、なんと言うか。

 それで、我々には何か命令なり指示はございましたか?」

 一頻り感心したバードンが、一番大事なことを早く言って下さいと視線で催促する。


「こちらのことは気にせず、好きに遊んで来い、と」

 満面の笑みを湛え、エンドラーズが答える。


「絶対嘘ですね」

「本当は、なんと?」

「どの口がそういうことを言いますか?」

「……」

 四人の反応は冷たかった。


「本当でございますっ!」

 エンドラーズは必死に弁解するが、四人ともまるで取り合わない。

 実際、アービィたちの突出は、総司令部や指導部共に黙認している。


 もちろん、上層部はアービィたちがニムファを討ち取ってくるとまでは、考えていない。

 来春の実施が確実になった北上作戦に、貴重な情報を加味して修正できるという期待を抱いていた。最北の地の地理は、南北連合の誰一人として知る者はいない。地図すらない広大に地域に大部隊を突入させることは、補給路の確保がなっていても、やはり大きな危険が伴う。隘路で襲撃されるようなことがあれば、アーガスの暴走と同じ結果が待っているだけだ。僅か二年前に平野部で起きた南大陸の大敗北は、すべての将兵の記憶にまだ新しい。

 それ以降に軍に入った者にも、当然初期教育で叩き込まれている知識になっていた。


「で、実際にはなんて言われました?」

 ルティが目を細くしてエンドラーズを横から見た。


「はい、適宜敵情を探り、早急に報告するように、とのことでございます」

 四人の視線に耐え切れず、エンドラーズは白状した。


 雪の到来まで、もう間がない。

 最北の地の厳冬期を、協力者もなく乗り切るなど、人間には不可能なことだ。ピラムの民がどれほど最北の地に残る生者を離反させることに成功したかにもよるが、上層部としてはアービィたちに一度戻って欲しいと考えていた。


「次の春なんか待ってられない。

 早く決着をつけなきゃ、最北の地に生きている者がいなくなっちゃう」

 アービィが言い、ルティとティアが頷く。


「そうだな、これでは何も報告することがない」

 バードンが続ける。


「そうでございましょうとも。

 さあ、皆様、夜明けと共に参りましょうぞ」

 エンドラーズは満面の笑みを湛え、酒瓶を振り回した。



 相変わらず、少女が会話の輪に入ることはない。

 数日前に一頻り泣いて以来刺々しさはなくなっていたが、今は何かを思い詰めているように見える。五人からの問い掛けには素直に答え、時折笑顔も見せてはいるが、明らかに作られた笑顔だった。それは想笑いなどではなく、心配掛けまいとして向けてくる笑顔だが、アービィたちには却って痛々しく映っていた。下手な慰めなど、何の役にも立たない。

 余計な気遣いは、さらに少女の笑顔を痛々しくするだけだと、アービィたちは気付いていた。


「ピラムのみんなは、どうしてるかしら。

 無事だといいんだけど」



 夜の静寂が辺りを覆い、夜行性の動物の息吹を感じ始めた頃、結界に近付く人の気配を誰もが察知した。


「アービィ殿、何故、このようなところに?

 その女は?」

 闇からカンテラをかざして現れたピラムの民が、僅かに闘気を発散するアービィに話しかける。

 ラーニャ以来の邂逅に、緊張が緩んだ。


「皆さんも、よくぞご無事で」

 アービィがここまでの事情を、掻い摘んで話した。


 オセリファがラーニャに現れ、最北の地に呼ばれたこと。

 ニムファに因るものと思われる、強制的な不死者への転生が起きていること。

 最北の民を思う不死者と戦い、これを撃破したこと。

 彼から、少女を、最北の民の未来を託されたこと。


「奴らの中にも、心ある者はいた、ということですね。

 いや、彼らは彼らで民の繁栄を願い、此度の戦を起こした。

 決して相容れぬ者同士ですが、彼らの気持ちは痛いほど解ります」

 ピラムの民はそう言って、灰と化した吸血不死者とその眷属のために瞑目した。


「して、皆様のご首尾はいかがでございましたかな?」

 バードンが聞いた。


「状況は、同じようなものです。

 抵抗を続けていた集落のうち、かなりの数が不死者へと転生させられています。

 このままでは、最北の地から生者が消える。

 我々が煽動するまでもなく、彼らは決起するつもりでいます。

 来春に予定されている、我々の進攻に合わせて起つように説いているのですが、彼らの状況がそれを許しません。

 彼らは追いつめられています。

 中には我々同様、逃亡するしかないと考える集落もあります」

 ピラムの民の表情に、焦燥感が溢れている。


「僕たちが、征きます。

 冬が来る前に、終わらせます。

 皆さんは敵の本拠地を包囲して下さい。

 誰も逃がさないように、誰も入れないように」

 冬になってから逃亡するような事態になれば、どれほどの死者が出るか。アービィは、ラシアス師団の遺体捜索をした経験から、背筋に冷たいものを感じた。


 いくら雪に慣れているとはいえ、数十日の行程を協力者も中継点として使える場所もなく突っ切るなど、無謀以外の何物でもない。

 平時であれば家に篭もり、秋までに蓄えた食料を食い繋ぐだけの日々だ。好き好んで豪雪の中に踏み出す者は、いなくて当たり前の時期だった。だが、雪が止んだ一瞬の隙を不死者に衝かれては、集落の防衛も無理な話だ。逃げるなら、もう一刻の猶予もない。

 魔宮と呼ばれた、ニムファの館を衝くしかなかった。



「危険が迫っている集落が避難するかどうかは、そこの方々に判断を任せます。

 とりあえずラーニャまで逃げ切れば、後は何とかなるでしょう。

 ただ、その道中に何かあっても、どうすることもできませんけど。

 できれば、魔宮包囲に参加して欲しい。

 一人でも多く。

 自分たちの手で、最北の地を解放したって事実が、後々モノを言いますから」

 ルティがピラムの民に言った。


「あたしたちは、魔宮の中に潜んでる悪霊を狩ってくるわ。

 後はあなた方次第。

 同族相討つも、手を携えるも良し。

 あたしたちと南へ行くも、あたしたちと戦うも、ね」

 突き放したようにティアが言う。


 最北の民が一枚岩ではないことは判っているが、これから先は地域として利益を上げていかなければならない。

 骨肉の争いを続けていた者同士が手を携えることは難しいと理解できるが、それができなければ新たな戦乱が起きるだけだ。最北の民同士で殺し合うか、南北連合に挑むか。いずれにせよ、明るい未来が待っているとは、どれほど楽天家でも考えはしないだろう。

 それを承知のうえで、ティアは言ったのだった。


「とにかくですね、今はどれだけ多くの人を、仲間に引き入れるか考えて下さい。

 ただ、その中で後々誰が使えるか、先頭に立てる人かは、よく見極めて下さいね。

 その人たちが、最北の民の宝になりますから」

 ルティがフォローを入れる。


 戦乱終結後、最北の民の後ろ盾になりうるものは、資源しかない。

 しかし、最北の地は表土の下に眠る石炭や石油、天然ガスといったエネルギー資源、様々な鉱物資源、そして周囲を取り巻く海洋資源といったあらゆる資源の宝庫だ。まだどうやって採掘するかの目途や、利用法すら確立していない物ばかりだが、いずれ最北の民を富ませる物が、それこそ無尽蔵にあると言って良い。

 それを南大陸に収奪されてはならない。


 資本の投下なくしては開発など不可能だが、利益を全て南大陸に持ち去ってしまったら、過去千年の繰り返しでしかない。

 また、新たな怨みと妬み、怒りと嫉妬が渦を巻き、遠からず次の戦乱を呼び込むだけだ。最北の地に、自由競争を持ち込むのは、まだ早い。国家の統制の下に資本を投下し、最北の民から資源を購入する形にしなければ、瞬く間に最北の民は南大陸の商人たちによって奴隷化されてしまう。

 明らかに順序は逆だが、ルティはそのための準備を促し、ティアはそうできなかったときにどうなるかと、敢えて先に脅しをかけていたのだった。


「ご安心いただきたい、ティア殿。

 これからは、武力ではなく知力の時代。

 私はそう認識しております。

 我々は、まだまだ知恵が足りない。

 あなた方から学び取らなければならないことが、たくさんある。

 それに、我々がどう背伸びをしようと、南北大陸を支配するだけの人数もおりません。

 ですが、カネは集めることはできる。

 我々は、カネを武器とし、あなた方と戦うのではなく、競い合いたい」

 ピラムの民は、ティアの目を見つめて答える。


「それを伺って安心致しました。

 皆様、夜も遅い。

 今夜はここで野営していってはいかがでございましょうや」

 エンドラーズがほっとしたような顔と心配げな表情を交互に見せ、ピラムの民に話しかけた。


「お心遣い、誠にありがとうございます、エンドラーズ様。

 ですが、我々もやるべきことがございます故。

 皆様が彼の女王の下に着くときに合わせて、我々も行かねばなりません。

 一刻たりとも時間が惜しい。

 進めるだけ進みたく存じます」

 そう言ってピラムの民は、一斉に立ち上がる。


「あと、どれくらいなの、あなたが案内してくれる場所まで」

 ふと気付いてルティが少女に問いかけた。


「あと、五日」

 少女がぽつりと呟いた。


 少女は、この道を一人で歩いてきた。

 背嚢に、愛する人とその眷属の灰を背負い、独りで歩いてきた。

 夜、月が出るのを待って不死者を蘇らせ、愛する人の胸に抱かれて眠り、朝の訪れと共に灰に姿を変えてしまった愛する人をまた背負い、歩き続けてきたのだった。少女の脚に合わせているため、アービィたちだけで歩くよりは少々遅い。

 だが、ここで焦ってアービィが獣化して荷車を引いても、ピラムの民が扇動した人々と魔宮に辿り着くタイミングが合わない。もちろん、ピラムの民は距離感を肌で理解しているため、アービィたちがいつ魔宮に到着するかは判っている。携帯電話のような移動中の者同士が意思を疎通させる方法などないこの世界で、互いの行動を合わせることは多少の齟齬が生じることを覚悟しておかなければならない。しかし、アービィたちが早く着くならともかく、遅れてしまっては人々に犠牲が出かねない。かと言って早すぎても、最北の民が最北の地を解放したという事実が作り出せない。

 どうやってタイミングを合わせるか、難しい問題だった。


「どこで落ち合う?

 何か、目印になるものはないの?」

 ティアが聞いた。


「魔宮から、半日の辺りに大きな一本杉の立つ丘があります。

 彼の集落より北には、もう何もありません。

 峻険な崖が連なる高地が続いています。

 われわれも、手分けすれば五日で志を共にする者たちを引き連れて行けましょう」

 ピラムの民が答える。


「じゃあ、余裕を見て七日後。

 その丘の南側の麓で会いましょう」

 ルティが少し考えてから期限を切った。


「解りました、ルティ殿。

 では、七日後に」

 そう言ってピラムの民は一斉に立った。


「お気をつけて。

 それでは、丘の麓にて相見えましょうぞ」

 バードンは、いくつかのグループに別れて闇に分け入っていく、ピラムの民の背に声を掛けた。


「僕たちも、行こうか?」

 アービィが誰とはなしに言う。


「慌ててもしょうがないじゃない。

 いざとなれば、あなたが獣化しちゃえば良いし」

 あっさりとティアが却下し、改めてシェラカップに蒸留酒を注ぐ。


「いいのかなぁ、ピラムのみんなはあんなに急いでるのに」

 半ば呆れ顔のアービィが腰を下ろし、ルティからカップ受け取った。


「ここまで来れば、もうじたばたしてもしょうがないの。

 だいたい、二日も余裕があるんだし。

 あんまり早く着きすぎて、見つかっちゃっても困るでしょうよ」

 ルティがアービィを落ち着けるように言った。


「あなた方、怖くないの?」

 少女が呆れ顔で聞いた。


「怖い。

 怖いですよ。

 ニムファ様がどのような力を手に入れたか、私たちは知りません。

 もしかしたら、手も足も出ずに殺されてしまうかもしれない」

 バードンが優しく少女に言う。

 強がったり、取り繕ったところで、少女には解ってしまうだろう。

 そう考えたバードンは、飾ることなく素直に心境を言うことにしたのだった。


「じゃあ、逃げればいいじゃないっ!

 なんで、なんで、最北の民なんかのために、あなた方みたいな南大陸の住人がっ!?

 みんなそうよ。

 なんで、あたしたちのためなんかにっ!?」

 少女の叫びが、闇を裂いた。

 少女には、バードンたちの行動原理が解らない。

 怖ければ逃げれば良い。あの人の下へ旅立ちたい自分のような者はともかく、なにも好き好んで殺されに行く必要など、欠片もないのだ。


「私たちは、行かなければならないのです。

 世界を、破滅させるわけにはいかない。

 そして、この狼の決着のため」

 バードンがアービィに目をやりながら答えた。


「そうよ、もしも、ニムファ様が恐ろしい力を持っていたとしてもね。

 逃げる場所なんか、世界のどこにもないの。

 いつかは追いつかれて、殺されるわ。

 誰も彼も、ね。

 そんなことは、認められないの。

 アービィがきっかけの一つだとしたら、あたしたちはそれを止める義務があるわ。

 あたしたちは、行かなきゃいけないのよ」

 ルティが諭すように言った。


「莫迦よ、あなたたち」

 少女は、力なく呟いた。


「そう。

 莫迦でございます」

 エンドラーズの言葉に、全員が一斉にエンドラーズを見て頷く。


「皆様……」

 エンドラーズの呟きに、笑いが弾けた。



「どうだい、落ち着いてきたかい?」

 ウジェチ・スグタ要塞にある豪奢なサロンに、五人の男女が集まっていた。


「ああ、なんとかな。

 今回のことは、皆に何と礼を言い、どう償えばいいか、俺には解らん。

 それに、まだ民には公表していないが、あの莫迦女が最北の地を乗っ取っている。

 我が王家は、民に顔向けができん。

 兄上は、事が終わったら、退位を考えている」

 インダミト代表のパシュースの言葉に、ラシアス代表ヘテランテラが答えた。


「おい、それはやめてくれ。

 漸く落ち着いた国情をまた混乱させる気か?」

 ビースマック代表のフィランサスが慌てたように言う。


「別に、私たちはあなたの家のことを思って言うわけじゃないわ。

 混乱が完全に収束して、国情が安定してからにして、そういうことは。

 それに、いきなり放り出すようなことされたら、また貴国が混乱するわ。

 王制を廃止するのか、別の王朝に禅譲するのか。

 いずれにせよ、政治的空白ができるのは、貴国の民だけじゃなく両大陸の民が困るってことを自覚してよね」

 ストラー代表のアルテルナンテが叱り付けるように言った。


「ヘッテの気持ちは良く解るんだが。

 王家内の内紛というか、権力闘争なんて、どこにでもあることなんだろう?

 別にいいじゃないか、そんなに深刻に考えずとも。

 貴国の姉上が最北の蛮族を率いるようになっているとはいえ、もともと姉上とは関係なく始まった戦だ。

 気にすることはない」

 北大陸代表のルムが、ヘテランテラの愛称で話しかけた。

 北大陸の代表として南北連合に出向してから百日ほどが経過したルムは、すっかりと各国王族の中に馴染んでいた。


「皆の気持ちは嬉しいが……

 やはり、けじめは付けねばなるまい」

 暗い表情でヘテランテラは答えた。


「こう言ってはなんだが。

 エウステラリット殿がお亡くなりになっているんだ。

 それで、もう充分だろう。

 あとは、王位をお継ぎになるエリオカウロン殿と、よく相談するんだな。

 もっとも、そんな暇があるとは思えんが」

 パシュースが宥めるように言う。


 戦乱の後、北大陸の復興にどれほどの労力が必要か、考えただけでも寒気がする。

 そこにラシアスの政体もしくは王朝交代など起きようものなら、北大陸の復興はいつになるか判ったものではない。ヘテランテラの言うことももっともだが、今は混乱を敢えて起こすべきではない。もちろん、民が求めるとなれば話は別だが、それでも北大陸の玄関口であるラシアスを、北の民に反感を抱く者たちに委ねるわけにはいかない。ヘテランテラのグランデュローサ王朝が退き、次に国権を握る政体が必ずしも北の民との融和を望むとは限らないからだ。今の状態であれば、両大陸を混乱に陥れたラシアスは連合の場で強く出ることはできない。

 口では奇麗事を並べているが、ヘテランテラを除く四人の心の内は、その一点に絞られている。



「しかし、ことの真相が民に知れたら……」

 ヘテランテラも、そのようなことは充分に承知だ。

 立場か弱くなった連合で、国益を守らなければならないという使命感は失っていない。

 しかし、その困難に立ち向う気力を、一連の騒乱で失いつつあることも確かだった。使命感と無力感の狭間で、ヘテランテラは揺れている。


「正直に言っちゃうとね、あなたにはここにいてもらわないと困るの。

 仮に新しい代表が来たとして、その人物の保証は全くないわ。

 南大陸の世論が、北の民蔑視でなくなるまでは、ね」

 アルテルナンテがじれったそうに言う。


「そうだな。

 我々も、南大陸の玄関口で追い返されては堪らん。

 また、過去千年の繰り返しだ。

 ここは、ひとつ我慢していただくしかない」

 ルムがわざと意地悪げな笑顔を浮かべる。


「このために勇者殿を召喚したんじゃないのかい、君の姉上は。

 現在、勇者殿は最北の地にいる。

 任せておこう。

 姉上の望みが叶うかも知れん」

 ニムファは最北の蛮族に対抗するために、最北の地へ飛んだ。

 そこで自ら召喚した勇者と力を合わせ、南大陸へ侵攻しようとした最北の蛮族に戦いを挑む。その激闘の中で、不幸にしてニムファは敵の刃に倒れたが、その遺志を継いだ勇者が見事最北の蛮族を討ち果たし、南大陸に凱旋する。

 言いようによっては嘘ではない。

 現実にニムファは、最北の蛮族を率いていたグレシオフィを排している。


 今から十三年前、ニムファは北の地に降臨したという魔王を討つために勇者召喚した。

 その勇者が最北の地に舞い降りたニムファという魔王を討ち果たせば、それは十三年前の望みが、民の平和を想う崇高な願いが現実のものとなる。


「そうかも知れん。

 いや、そうだな。

 姉上は、最北の蛮族との戦いで倒れた。

 勇者殿が仇を討ってくれることを期待しよう」

 都合の良すぎる解釈だとはわかっているが、ヘテランテラはそう思うことにした。



 ニムファは、独りで邪神の像に向かっていた。

 凄艶な笑みを浮かべ、両者の間に浮かぶ映像に見入っている。

 そこにはアービィの姿が、映し出されていた。一度は裏切られたと怨み、全てを奪い、全ての障害となる存在と憎悪した相手だが、不死の身体と神の力を手に入れたニムファは、そのことはきれいさっぱり忘れ去っていた。

 全てが自分の思い通りでなければならないという考え方は、思い通りにならないことは全て自分以外の誰かが悪いと言う考え方に繋がっている。勇者が自分の思い通りにならなかったのは自分に落ち度があったのではなく、勇者を誑かした悪女のせいだ。

 ニムファはそう考え、そう思い込んでいた。


「勇者殿、さあ、早く我が下へ。

 勇者殿を誑かす悪女は、私が排しましょう。

 手を取り合い、共に世界を……」

 アービィと行動を共にするティア、バードン、エンドラーズの姿が映し出される度、ニムファの顔に翳りが浮かぶ。

 そして、ルティの姿が映し出されたとき、ニムファの表情は悪鬼の如くに歪んだ。


 映像を腕の一振りで消し去ると、ニムファは扉を開け次の間へと出る。

 そこには数十体の吸血不死者と、オセリファが直立不動の姿勢で待っている。微動だにしないその姿を見て、ニムファは満足そうな笑みを浮かべた。


「そなたに命じます。

 ルティという、あの忌々しい小娘を殺しなさい。

 肉の一片すら欠けさせずに、ここへお持ちなさい。

 全て、喰らい尽くしてくれましょう」

 瞳に冷たい炎を宿らせ、ニムファはオセリファに命じた。

 その命令に、オセリファは従順に頭を下げ、ニムファの足元に跪き恭順の姿勢を取る。


「いかがですか?

 命令に逆らえない身体というものは?

 散々私を莫迦にしてくれましたが、神にいただいた力を使えばそなたごときはこのとおり。

 なぜ、黙っているのです?

 声と思考は元のままにしてあげています。

 復唱もできないのですか?」

 オセリファを見下ろし、嘲るようにニムファは言った。


「不死の身体を、これほど怨めしく思ったことはない。

 私は、貴様に服従などしておらん。

 復唱など、求めるだけ無駄。

 どうせ、私の身体は貴様に操られているのだ。

 思い通り動くのは、当たり前だろう。

 満足か?

 人形を思い通りに動かし、自分に頭を下げさせて満足なのか!?」

 恭順の姿勢を取りながら、オセリファが血を吐くように叫んだ。


「これ異常なく、満足しています。

 そなたが恭順の姿勢を取ることにではなく、意に反して恭順の姿勢を取らされることに」

 ニムファは高笑いしながら言葉を叩きつける。

 その言葉に、オセリファの背後に並ぶ吸血不死者たちの表情が一変した。


「そなたら、この女を打ちのめしなさい。

 女王に不遜な言葉を吐く者は、罰を与えます」

 さらに表情を歪め、ニムファは吸血不死者たちに命じた。


 ニムファの命令に逆らうことなく、数十体の吸血不死者の群れがオセリファに襲い掛かる。

 ニムファの足元で恭順の姿勢を取っていたオセリファを引き倒し、殴る蹴るの暴行を加えるが、その表情は今にも泣き出しそうだ。

 オセリファは一切抵抗することなく暴力の嵐に身を委ねているが、襲い掛かる吸血不死者たちに対して怒りの色を浮かべることはなかった。


「オセリファ様、お許しくださいっ!

 我らの身体は、既に我らの意志をっ!」

 血涙滴らんばかりに吸血不死者たちが叫ぶ。


「既に不死の身体。

 いくら殴られようが、蹴られようが痛みを感じることはない」

 オセリファは、吸血不死者の身体が自身同様、ニムファに操られていることは知っている。


 それから数刻の間、暴力の嵐は吹き荒れ続けた。

 衣服のあちこちが破れ、美しく伸びた金髪が埃塗れになっても、オセリファの身体には傷一つない。祝福法儀式済みの剣以外では傷付けることの適わぬ身体には、欠片ほどのダメージも残されていない。それでも同胞相討つという精神的なダメージは、深く吸血不死者の心に残された。オセリファに暴力を振るっていた吸血不死者は今にも泣き出しそうな顔を歪めるが、既に死した身体から涙が流れることはなかった。


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