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狼と少女の物語  作者: くらいさおら
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第97話

 「アービィ、あたし気になってることがあるの」

 最北の地を目指す一行は、ラーニャを発った後野営を繰り返し、最北の民の勢力圏を突っ切っていた。


 十度目の野営時、ティアが改まった雰囲気でアービィに話しかけた。


 ――どうしたの? 急に、改まって。

 巨狼が首を傾げた。


「なんていうか、あたしたちって、北の民を利用してるような気がしちゃって」

 ティアは、北の民を討ち果たすことと引き替えに存在を認められるということは、北の民を踏み台にするような気がしてしまっていた。


 不死者と化した人々全てが、最北の民の繁栄を願って太陽に背を向けたわけではない。

 グレシオフィに従わなかっただけで、意志すら持たない不死者に強制的に転生させられた者も多かった。既に人間としては死んでいるが、またそれを灰にすることはどう見ても殺人と変わらない。もし生きているときに話し合う機会を得られたなら、もしかしたら肩を並べることが可能だったかも知れない人々だ。

 その人々の二度目の死が、自身の存在を認めさせることの代償にすることに、ティアは嫌悪感に似た思いを抱いていた。


 ――そうなんだよね。最北の民を、利用していることは、確かだよ。

 アービィは、それを否定する気はない。 自分の存在を許容させるために、他者を踏み台にしているという後ろめたさは、常につきまとっている。


 しかし、とアービィは思う。破壊衝動しか残っていない不死者は、殲滅するしかない。

 だが、知性を有する高位の不死者であれば、自分がそうであるように共存の可能性は残っている。

 ニムファが怨念を以て不死者たちの頂点に君臨したのであれば、このままでは全ての民が虐げられることは想像に難くない。既に付き従う生者も不死者も、ひとしなみに特攻に投入しているようでは、最北の民が真っ先に滅びてしまうことは火を見るより明らかだ。その後は征服した民を不死者に変え、順次南下していくのだろう。勝者のいない戦を、これ以上続けさせるわけにはいかない。

 ニムファを排除し、最北の民と講和しなければ、両大陸は不死者しか残らなくなってしまう。

 アービィは、そうしたことを話した。


「そうだよね。

 あたしたちは最北の民を滅ぼそうなんて、そんな戦いをしてるんじゃないもんね」

 それでもティアの表情が晴れることはない。

 自身でも分かっているのだが、誰かに肯定して欲しい。それが、ティアの偽らざる気持ちだった。


 ――そうだよ。相手を負かすためじゃない。民を征服するためでも、滅ぼすためでもないんだよ。

 涼やかな目の巨狼が言った。

 ふと見ると、かつての凶相は影を潜め、禍々しさがなくなったように、ティアには感じられた。



 もちろん、不死者になることで最北の民の繁栄を夢見た者も多いことは、考えるまでもなく分かっている

 アービィはそのことも否定する気は、さらさらない。己が属する民の繁栄を願わぬ者など、いるはずもない。ただ、やり方を間違えただけだと、アービィは考えていた。最北の民が繁栄を望むことは、何人たりとも阻むことは許されない。しかし、その繁栄が他者を虐げるというのであれば、話は別だ。積年の怨みを晴らすことが先に立ち、己が立場に他者を貶めるのであれば、それは負のスパイラルでしかない。

 新たな怨みを生み出し、さらなる死を生み出すだけだ。


 アービィは十日ほど前に出会ったオセリファなる女性に、もう一度会いたいと思っている。

 もし、彼女と話し合いが可能であれば、和平交渉ができるかもしれないと考えていた。しかし、消える寸前にオセリファが残した『そのときには、私は私でなくなっている。引き戻されたら、女王の下僕に作り変えられる。だから、今……私を……殺して……』という言葉が意味することも、アービィは理解している。

 次に会うときは、命の遣り取りしかできないということを。


「何の話かと思えば、難しい話をしてたんだな。

 気にかける必要はない。

 結果的に、最北の民を利用する形にはなったとしてもだ。

 お前たちのやってきたことが、認められただけのことだ。

 ルティ殿も含め、ティアも狼も、ビースマックやストラーでは既に英雄だ。

 インダミトにおける評価も、ランケオラータ様救出の英雄であり、北の民と南大陸の住人の橋渡しの役を果たしたと言っても良い」

 突然バードンが話に割り込んできた。


 ティアがアービィと話し合っている最中、ルティもバードンと似たようなことを話し込んでいた。

 バードンにしてみれば、父と慕うスキルウェテリーの心根は、ただ素直に嬉しく思っている。だが、それを嬉しく思う反面、南大陸の混乱を収めるための道具として、マ教はアービィとティアを利用しようとしているのではないかという疑問もあった。バードンの言うように、アービィたちは一定の地位にいる者たちには、既に英雄として認識されている。

 ラシアスに端を発した混乱はまだ収まりきってはおらず、そこから民の目を逸らすにはうってつけの存在と見られたのかもしれなかった。



「それに、もう、そんなことを言ってる場合じゃないと思うの。

 最北の民が、事実上ニムファ様に乗っ取られた今はね。

 今までの最北の民のやり方だったら、戦乱の後どっちが勝ったにせよ全ての人々が滅びるってことはないわ。

 抑圧や、暴虐、経済的であっても支配があるとしてもね。

 でも、ニムファ様は違う。

 なんていうか、全部が自分の思い通りにならないとすまないって方よ、あの女王様は。

 もし、あの方が世界に君臨するようなことがあったら、気に入らないってだけで人を殺して、不死者しか残らない世界になっちゃう。

 それどころか、思い通りにならないとなったら、世界を道連れに滅びようとするかもしれない。

 もう、南大陸の住人も、北の民も、最北の民も関係ないの。

 人間が生き残るかどうかの戦いよ」

 続いてルティが話に入り込んだ。


 それにも増して気になることが、バードンにはあった。

 以前にもアービィが言っていたことではあるが、二頭の存在を公式に害獣ではないと認めることは、さまざまな混乱を招き入れる原因にもなる。これを期に、人間との共存を望む魔獣が多数出るであろうことは、既に予想されていた。人間に姿を変えられる者や、元の身体が人間と大差ない者、大きさも人間と同程度、または家畜や犬猫といった馴染みのある者であれば、たいした問題ではない。

 だが、人間に姿を変えられず、巨大な魔獣であったりすれば、人間社会に溶け込むことは難しい。そもそも集落内に入ることすらできないだろう。


 しかし、真に問題となるのは、遙かに厄介なことだった。

 アービィが最も気にしていることだが、口先だけ人間との共存を謳い、人を喰らい害を成すために人間社会に入り込んでくる魔獣がいないとも限らない。エンドラーズが以前言ったように、水の最高神祇官の持つ読心術によってそれを確かめたにしても、以後そのことをどうやって証明していくかが問題だ。許可証や刺青などは、どうにでも偽造できる。魔獣による被害が増えれば、アービィとティアに対する風当たりが強くなることは、考えるまでもないことだ。エスカレートしていけば、魔獣による人間に対する侵略の尖兵だとして、討つべしとの論調が巻き起こらないとも限らない。

 バードンは、それが心配の種だとルティに打ち明けていた。



 ルティは、それに対して以前から答えを用意していた。

 メディから聞いたとのある、北の民に伝わる呪法を応用できないかということだ。もともと征服した民の服従を絶対にするための呪法で、あまりに非人道的であることから使用が躊躇われ、いつのまにか失われていった呪法だが、知識としてであれば古老が知っているかもしれないとのことだった。


 征服した民全てにその呪法を施し、万が一、一人でも叛意を持つものがいれば、呪法を施された者全てが一本の巨木に纏め上げられ変化させられ、数千年という永遠にも等しい時間をただ立ち尽くすだけという、外道の呪法だ。さらに、巨木の一部として纏め上げられた一人一人の意識だけははっきりと残され、風のそよぎにも痛みを感じるようになっている。外部に意思を伝える方法はなく、北の大地にその呪法を解く呪文は存在していなかった。

 それを応用すれば良いと、ルティは考えていた。


 もちろん、その呪法をそのまま使うのでは外道の誹りを免れない。

 だが、精霊の加護の元、火の白呪文『全解』で解呪できる程度の効力に抑制し、魔獣そのものに呪法を施すのではなく、身分証明書となるものに呪法を施す。第三者から証明書を奪った者や、偽造した者に対して呪法が発動するようにすれば、悪意を持つ者だけが立ち木に変化するだけで済む。身分証明書を持たない魔獣は、共存の意思を持たぬ者として、これまでどおり討伐の対象として扱えばよい。もちろん、水の精霊神殿が街中にある以上、審査に訪れる魔獣は証明書を持たないので、厳重な警備を施すか、審査の場は町の外にするべきだろう。

 人間であれば治安維持の兵による取り締まりも可能だが、人外の力を持つ魔獣に対してはその程度の罰則があってもよい。どんな残虐な刑が存在しようと、それを適応されるような罪を犯さなければ済むだけのことだった。

 それほどまでに、魔獣は人に対する脅威と認識されている。

 そこまでルティはバードンに言って、でも魔獣に殺された人より、人間に殺された人の方が何億倍も多いんですけどね、と寂しそうに付け加えた。



「奇麗事だけじゃ生きていけないよって、自分に言い聞かせようとしていたんだけど。

 どうにもしっくりしなかったの。

 でも、無理矢理考えて、何かをこじつけたり、言い訳を考える必要はないのかなぁ?」

 ティアがバードンに向き直る。


「そうだ。

 利用することは悪いことではない。

 陥れるのでなければな。

 何よりも、今我々が戦う相手は、最北の民を率いてはいるが、ニムファ様だ。

 これは、最北の民を解放するための戦いでもある」

 バードンが応じた。

 どことなく苦々しげな表情になっているのは、母国の王族を打ち倒すべき相手としなければならなくなった現状を憂いているからなのかもしれない。


「こうして見ると、ニムファ様が魔王を倒すために勇者を召喚したのは、間違いじゃなかったのね」

 溜息と共に、ルティが呟いた。


「そうです。

 私は、マ教の神父として、マ神の意志が働いたと考えます。

 もちろん、この世界には数多の神が居りますれば、何れかの神か、全ての神の意思か。

 もしかしたら、神とは唯一の存在で、数多の姿をお持ちなだけかも知れませんが。

 いえ、もしかしたら、神とは我々人間が考え出した倫理の抑制機関であり、神などこの世に存在しないのかもしれません。

 世界の意思と言い直すべきでしょうか」

 バードンの言葉は、神父としてあるまじき発言だった。


 だが、魔獣の存在を作ったのは誰か。

 世界を神が作り、人間を神が作り出したのであれば、楽園だけが存在したはずだ。悪魔や悪霊、魔獣などといった、人に仇成す存在が、生まれ出るはずがなかった。共食いなど当たり前の獣という存在から、知恵を使い、道具を使い、共食いとは決別し、同じ種を交尾の相手以外も慈しむようになり、人は人間になった。その過程で倫理という概念が発生し、それを守るために神という抑制機関を作り出してきたのではないかと、バードンは考えるようになっていた。

 法を作り、維持するのが国家の役割であるならば、宗教は倫理の番人であるべきだ。


「そうよね、あたしの感情なんて後でどうとでもすれば良い、か。

 ここまで見てきた最北の地の惨状からすると、ね」

 ティアは記憶を呼び起こし、首を振りつつ言った。


 最北の地へ侵入して以来、多くの集落を過ぎてきた。

 偶然なのだろうが、アービィたちが通り過ぎてきた集落は、すべて魔法陣に囲まれていた。とりもなおさず、そこに住む民全てが不死者へと転生していた、ということだった。だが、ティアの表情からは、忌まわしいものを見てきたという感情が読み取れる。

 それは、幾つかの集落を通過した際に見た、まるで日常がそこで食いちぎられたかのような光景だった。


 畑には農具が散乱し、家の中には食事の支度が放置され、貴重な食料が腐敗臭を放っていた。

 魔法陣で囲われたほとんどの集落では、すべてのものが片付けられ、家々の窓は遮光され、そこに住む民の覚悟が窺える。だが、幾つかの集落では、その覚悟の形跡が欠片も見られなかった。

 つまり、望まない転生だ。

 食事の支度途中の食料が腐敗臭を放っているということは、転生邪法が発動してからそれほどの時間は経過していない。一度の食事に使われる食料など、十日もあれば跡形もなくなってしまうはずだ。山野を彷徨う野獣や虫の類が、彼らを追い払う人の気配の消えた集落の食料をいつまでも放っておくとは思えない。

 この集落の民が強制的に転生させられたのはつい最近、アービィたちがラーニャを落として以来のことだと判断できた。


 既に『最北の蛮族』に、不死者の原材料となる生者のストックはないのかもしれない。

 となれば、彼等に反抗する不死者への転生を拒んできた民を、強制的に不死者に転生させるしか、『最北の蛮族』に戦力を維持する方法はないはずだ。河川流域制圧戦の最前線で、南北連合の戦死者の死体から不死者を生産し、かつての同僚同士を戦わせるという非道を行っていることからも、それは推測されている。もっとも、南北連合の継戦意志を挫こうという策略であることも、解り切ったことではあったが。

 ここまで来てしまっては、ニムファを討つ以外に戦乱を終結させる方法はない。


 だが、ニムファという共通の敵ができたことで、最北の民の生者たちと南北連合が共同歩調を取ることができるかもしれなかった。

 グレシオフィが『最北の蛮族』を率いていたときは、互いに反目し合っていたとはいえ、同じ最北の民同士だった。敵の敵は味方という理論と感情が複雑に絡み合い、南北連合を救世主と見る民もあれば、自らの敵を勝手に討ち減らしてくれる道具と見て、消極的な協力体制にある民もあった。だが、グレシオフィを廃し、新たに舞い降りた魔王であるニムファは、もともと南大陸の住人であり、最北の民を繁栄させようなどという意志は欠片もない。

 ただ、自らの欲望を満たすための道具としてしか、見ていない。



「皆様、お客様のお越しでございますぞっ!」

 それまで、周囲の探索に出かけ、夜になっても戻らなかったエンドラーズが、嬉々とした表情で結界に舞い戻ってきた。


 同時に、魔獣としての本能がアービィとティアに、研ぎ澄まされた感覚がルティとバードンに敵の到来を告げている。

 結界の中で、敵がどう出てくるかを窺っていたが、周囲に濃密な殺気を感じるだけで一向に襲ってくる気配がない。アービィの鼻は、合成魔獣特有の焦げたような臭いも感知していなかった。どうやら、敵勢力の中に合成魔獣は、含まれていないと判断してよさそうだった。



「汝らに問う!

 汝ら、我ら最北の民を滅ぼすために、この地に来たか!?」

 闇の中から、大音声が響いた。


「答えろ、南大陸の住人!

 我は、不死者となり、最北の民を守らんとする者!

 汝らが、最北の民を討ち滅ぼすというのであれば、我を倒さねば先には進めぬぞ!

 尋常に勝負されたい!」

 声の主が姿を現す。


 焚き火の光に照らされたその姿は、間違いなく北の民の象徴である金髪と碧眼を備えた偉丈夫だ。

 そして、その背後には、同様に金色の長髪と碧眼を持つ少女が、華奢な身体を偉丈夫に寄り添わせている。

 しかし、透き通るような白い肌を持ち、僅かに頬を紅潮させ、生者であることを無言のうちに語る少女に対し、偉丈夫の白というより蒼いその肌は、不死者であることを雄弁に物語っている。生前の姿を残している堀の深い面持ちは低位の不死者ではなく、かなり上位の、それも吸血不死者であることを覗わせていた。

 獣化を解いたときのービィより一回り大きな巨躯は、重厚な筋肉を搭載し、首は頭と同じ太さを有している。腕はルティのウエストほどもあろうという太さを持ち、その胸板は鍛えこんだバードンすら子供同然に見せるほどだった。


「臆したか、南大陸の住人よ。 我と勝負しようという勇気の持ち主は居らんのか?

 この従者や不死者どもに、勝負に手出しはさせぬ。

 壁となるためだけに連れて来たものだ。

 汝らが我に勝てばここを通るが良い。

 我が灰と化せば、周囲の不死者も灰と化す。

 見事我を打ち負かし、ここを通って見せよっ!」

 吸血不死者は、そう言って結界に隣接して、不死者に直径約6mの円陣を組ませた。


 ――じゃあ、僕が。同じ条件でやりましょう。少し時間をください。

 巨狼がバッグを咥えて繁みに消える。

 ややあって、獣化を解いたアービィが姿を現し、吸血不死者と対峙した。



「僕たちは、あなたたち最北の民を滅ぼそうなんて考えていません。

 でも、言葉で分かっていただけるとも思わない。

 ならば、あなたを殴りつけ、完膚なきまでに叩きのめして、分かってもらいます。

 さあ、いつでも」

 アービィが一歩前に踏み出し、ゆっくりと拳を吸血不死者に向けて突き出した。

 かつて、イーバで再会したバードンと殴りあったとき以外、固めることのなかった拳だ。


「我らの悲願、汝らが百万の言葉を弄しようと諦めるなどあり得ぬ。

 汝ら南大陸の住人を、すべて我らの前に這い蹲らせるが我らが悲願。

 汝を叩きのめし、喰らい尽くし、思い知らせてくれようぞ」

 吸血不死者が呼応するように一歩前に踏み出し、アービィの拳に自らの拳を合わせた。


 両者の拳が触れ、離された瞬間が戦闘開始の合図となった。

 吸血不死者が、常人では考えられない速度で拳を繰り出す。不死者の動きは遅いという常識を、覆す動きだ。

 アービィは、それを避けることなく、正面から頬に受け止めた。脳をシェイクするような感覚が襲い来るが、アービィは崩れ落ちることなく拳を打ち返す。

 おそらく常人がそれを受ければ、首から上が吹っ飛びそうな打撃が、吸血不死者の眉間に食い込んだ。

 吸血不死者は僅かに一歩後退するが、倒れることなく第二撃をアービィの顎に打ち返す。


 脳震盪を誘う打撃が二度繰り返されたが、アービィが倒れる気配はなく、打撃のダメージを感じさせることなく第二撃を吸血不死者に叩き込んだ。

 的確に吸血不死者の頬を捉えた拳が振り抜かれるが、吸血不死者も倒れる気配は見せなかった。


「何故、汝は剣を使わぬ?

 祝福法儀式済みの剣であれば、我を滅することなど雑作もないはず。

 何故、拳で挑む!?」

 そう言いつつ、自らも殺傷力のある武器を使わず、打撃による攻撃を繰り返す吸血不死者が問う。


「言ったはずだ。

 僕たちは、あなたたちを滅ぼすために戦うんじゃなって」

 同様に殴り返しながら、アービィが答えた。


 吸血不死者の動きが唐突に変わり、打撃ではなく突進したままアービィに組み付いた。

 一呼吸の動作でアービィを抱え、そのまま後ろに投げつける。投げられたアービィが立ち上がると、そこへ走り込んだ吸血不死者の膝が飛んできた。顔面にまともに膝を受けたアービィが、鼻から血を吹きながら地面を転がる。その勢いで周り囲む不死者の列に飛び込んだ。

 不死者からの攻撃を予想し、加勢に飛び込もうとしたルティをエンドラーズが、ティアをバードンが引き止めた。


「何故です!?」

「なんで!?」

 ルティとティアの叫びが同時に響くが、エンドラーズもバードンもそれには答えず、黙ってアービィを指さした。


 不死者の列に突っ込んだアービィは、不死者から攻撃などないと信じ切った表情で立ち上がっている。

 不死者たちも、アービィが突っ込んだ衝撃に耐え切れず列を乱していたが、列を正そうとはするもののアービィに攻撃を加える気配はなかった。

 アービィは、背後を不死者に向けたまま、黙って吸血不死者と対峙しなおした。


 吸血不死者が次の攻撃のため突っ込んでくる。

 アービィは、吸血不死者の突進を受け止める直前、ルティに向かって微笑んだ。そして、態勢を低くして突っ込んできた吸血不死者の顎に、下から膝を突き上げて棒立ちにさせると、そのまま背後に回って羽交い絞めにし、一気に後ろに投げる。アービィの身体は、吸血不死者を羽交い絞めにしたまま見事な弧を描き、その巨躯を後頭部から大地に突き刺した。

 大地に激突した衝撃が吸血不死者の身体を貫き、さらに反作用で弾むはずの身体はアービィに押えられているため、そのエネルギーもすべて身体を貫いていく。


 羽交い絞めを外したアービィは立ち上がり、吸血不死者が立ち上がってくるのを待つ。

 のろのろとした動作で立ち上がる吸血不死者の腹に、アービィの拳が吸い込まれた。

 両者の動きが止まり、時だけが流れていった。



「見事だ、南大陸の住人よ。

 いや、人狼。

 汝に戦いを挑むなど、如何な吸血不死者とて無謀の誹りは免れぬ。

 だが、汝は人狼の力を解放することなく、我と戦った。

 我を滅する剣を使うことなく、我と戦った。

 汝の言うことは、間違いではないのかも知れぬ」

 やがて、吸血不死者がアービィから離れて言う。


 アービィは、全身から力を抜き、リラックスした姿勢になっている。

 殺気は影を潜め、『試合』のあとの満足感すら漂わせていた。


「我は、汝らの大陸から来た女王に操られるならば、我が身を灰と化す道を選ぶ。

 彼の女王は、魔宮と化した我らが主の館にいる。

 人狼よ、汝の力があれば、我は案ずることもない。

 我らを呪縛から解き放たれよ。

 ここに集う不死者は、我が眷属。

 我が滅すれば、同時に灰と化す。

 心残りは、この者の幸せを見届けられぬこと。

 魔宮までは、この者が案内しよう。

 さらばだ人狼。

 さらばだ、南大陸の人々よ」

 吸血不死者は、その言葉が終わると同時に結界に踏み込んだ。


 咄嗟に引き止めようとしたアービィの腕は宙を掴み、内側から突き飛ばそうとしたバードンの踏み込みは間に合わず、吸血不死者は結界の上を通った部分から灰と化す。

 突然の事に動くことさえできなかったルティと、灰と化す寸前の吸血不死者と目が合った。それは、ルティには微笑んでいるよう見えた。 同時に、周囲を取り囲む不死者が、一斉に灰となり崩れ去る。

 まるで再生を拒む彼らの祈りが風の精霊に通じたかのように、一陣の風が彼らの灰を吹き散らしいった。



「僕の攻撃は、あの人に全然効いてない。

 不死者に痛みはないから、殴りつけても無駄なことは判ってたんだ。

 破壊するしか、祝福法儀式済みの武器がなければ、破壊するしか不死者は倒す術はないんだ。

 僕が剣を持たなかったから。

 あの人の攻撃は、本気じゃなかった。

 僕に当る寸前で、力を抜いてた」

 アービィは、惜別の情を言葉に込めた。


「もう、ね、泣かないよ、あたしは。

 行こう、魔宮へ」

 ルティは、涙を堪えている。

 独り、取り残された少女が、歯を食いしばって無表情を装っていた。



 白昼堂々、ターバの結界を越える武装集団があった。

 だが、その武装集団は、ターバの衛星集落の前で自ら武装解除した。そして、その衛星集落の防備に当たる部隊の指揮官を呼ぶ大音声が響いた。その声には、どこか切羽詰った焦りのようなものが感じられる。やがて、完全武装の小隊が衛星集落の囲いを越え、彼らの前に姿を現した。両者の間に会話が発生し、一個分隊が慌てて集落に戻る。残る二個分隊が彼らを囲うようにして、集落へと移動し始めたとき、彼方から鬨の声が上がった。

 やがて、集落から飛び出してきた一個中隊と、彼方から押し寄せた三十人程度の集団との間に戦闘か発生し、程なく終結した。



 ターバの司令部に、南北連合に出向したルムを除く首脳陣が集結している。

 プラボックとランケオラータ、リンドリク元ビースマック公爵、元ラシアス財務卿が文官代表として出席している。南北連合総司令官と参謀本部、ラルンクルスを始めとした各国の指揮官の他、師団長と大隊長レベルの各級指揮官、それぞれの参謀部が、軍を代表して出席していた。

 ランケオラータが開始を宣し、統合幕僚会議が始まった。


「各位におかれましては、困難な河川流域からの撤退戦を無事完遂され、誠にお疲れのことと存じます。

 本来であれば、しばらくは戦力の整理などに時間を費やし、休息を取るべきときではありますが、緊急かつ重大な案件の発生つき、皆様方にご参集いただくことになりました」

 連合軍総司令官が挨拶に立った。


「では、司令部から状況の説明をいたします。

 まずは、皆様方にはご存じのこともございましょうが、全体の認識を共通のものにするべく、現在の状況を説明いたします」

 総司令官に促された戦務参謀が、部屋の中央に設えられた兵棋板の横に進み出る。

 プラボックたちが作り上げた地図を基に、輸送部隊が任務に際し行った測量を反映させて改良したものだ。

 正確な測量などまだ発達していないこの時代、精密さには難があるが、北の大地の全貌を朧気ながらも描き出していた。



 戦務参謀は手際よく敵味方の兵力配置を、赤と青に塗り分けられた駒で兵棋板上に再現する。

 連合軍の兵力配置を表す青い駒は凸型に作られ、その大きさから兵力規模が一目で読みとることができるようになっている。対して最北の蛮族の兵力配置を表す駒は、諜報活動や捕虜の供述から判明したものは凸型で大きさから兵力規模が読みとれるが、ほとんどは兵力規模不明を表す円形の駒が置かれていた。


「これが現在の状況であります」

 戦務参謀に並んだ作戦参謀が、指示棒で兵棋を指しながら説明を始めた。

 ターバにもっとも大きな青い駒が置かれ、シャーラには一まわり小さな駒が配置される。衛星集落及び結界基準点にそれぞれ二まわり、三まわりと小さな駒が置かれている。さらに、二つの集落を結ぶ街道上には結界基準点と同じ駒がいくつも置かれている。

 そしてシャーラ以北には、青いピンが何本も刺されていた。


 対して赤い駒は、最北の蛮族が本来維持していた勢力圏の中に、大きな円形の駒が配置されている。

 そしてターバ北東側の結界に近い位置に一まわり小さな丸い駒が十と凸型の駒が四つ置かれ、北西側の山岳地帯から少し離れた位置に円形の駒が二つ配置されていた。制圧に失敗した河川流域には、青だけでなく赤の駒も配置されていない。

 赤い駒の配置は、敵兵力がターバに集中されていることを表していた。


「捕虜の供述から、未だ兵力規模が詳細不明としてある敵の配置も、せいぜい我々の基準で言うところの小隊規模と推測されます。

 ですが、過小評価は禁物であります故、敢えて大隊規模を想定しているものであります」

 作戦参謀は、結界基準点に置かれた兵棋を指した後、シャーラに置かれた兵棋を指した。



「神官殿からのご報告から、ラーニャは確保できたものと判断して良いと思われます。

 現状では、エンドラーズ様がアービィ様たちを引きずって最北の地へ突出されております故、ラーニャには五人の神官殿のみであります」

 ラーニャと北の地に突き立てられた青いピンの一本を、交互に指しながら言った作戦参謀の言葉に、周囲から苦笑いが漏れた。


「もちろん、五人の神官殿に不測の事態か起こらぬとも限りません故、ラーニャにはシャーラより一個中隊を分離して配備いたします」

 作戦参謀の言葉に従い、戦務参謀はシャーラから大隊を意味する兵棋を取り去り、ターバの衛星集落に置かれたものと同じ中隊を意味する兵棋を、シャーラに三個、ラーニャに一個置く。


「ラーニャへの補給は、どうするのかね?」

 ランケオラータが、作戦参謀に尋ねる。


「もともとラーニャには、百人以上が冬篭もりするための糧秣が備蓄されていたとの報告がございます。

 従いまして、一個中隊百五十名程度が雪で身動きが取れなくなる前まで駐屯するに当たり、補給はほぼ必要なしと判断いたします。

 アービィ様たちが戻り次第、一個中隊は撤収いたします。

 万が一お戻りにならなくとも、雪の到来とともに撤収する計画であります」

 戦務参謀は用意していた回答を即座に返す。


「アービィたちが戻らなくても撤収って、見捨てるって言うの?」

 レイがその発言に喰って掛かる。

 大切な友人を見捨てるとも取れる発言に、公式の場にあるまじき物言いになってしまっている。


「雪が深くなれば、如何にアービィ様といえど身動きは取れません。

 いえ、人狼であればともかく、エンドラーズ様を始めとしてルティ様、バードン様は人間でございます。

 また、ティア様はラミアにございますれば、厳冬期に屋外で活動されることは命取りになりかねません。

 お戻りにならない場合は、最北の地で冬越しをなさるものと判断いたします。

 アービィ様がいらっしゃれば、むざと殺されることもございますまい」

 そう言った後、作戦参謀は紫に塗ったピンを、最北の地に置かれた赤い駒の周辺に数本まとめて突き刺した。


「レイテリアス様のご心配は、ごもっともなことでございます」

 作戦参謀は、最北の地に突き立てられた数本の青いピンと、紫のピンを交互に指す。


「こちらの青いピンはピラムの方々、紫のピンはピラムの方々が煽動に回っている集落を表しています。

 ピラムの方々の働き次第で、この紫はすべて青に変わります。

 決して希望的観測ではなく、捕虜たちの供述に基づく、理論的な予測であります。

 おそらく、ピラムの方々に煽動されずとも、これは青に変わるものと、小官は確信するものであります。

 何故なら」

 ここまで言って、作戦参謀はしまったという表情で、ラルンクルスをみた。



「敵の総帥が……ニムファ……に代わり、最北の民でも不死者たちに従わずにいたものたちが、決定的に反旗を翻した、もしくは翻すだろう、ということだな?」

 血を吐くように、ラルンクルスが言った。


「その通りであります」

 作戦参謀が、かつての上官に無表情に答えた。


 ラルンクルスの胸中では、敬愛するニムファ女王を呼び捨てにしなければならない状況への激情が渦巻いているはずだ。

 だが、それに対して気遣いを見せることや、同情するなど、尊敬するかつての上官を侮辱することにほかならない。それを理解しているが故に、作戦参謀は敢えて無表情に回答したのだった。

 ラルンクルスは、作戦参謀の配慮に胸中で手を合わせていた。


「つまり、ピラム及び幾つかの集落が、アービィたちの冬越しの場として活用できる。

 そう判断した、ということか?」

 プラボックが尋ねた。


「その通りでございます」

 作戦参謀の言葉に、レイの表情が和らいだ。


「捕虜たちの供述から、最北の地にはもはやラーニャに対する攻勢に出るだけの兵力は、残されていないものと判断できます。

 欺瞞の可能性がないとは言えませんが、最北の民の人口から、結界を破壊できるほどの生者兵力を、本拠地の防備から割けるとは考えられません。

 従いまして、ラーニャは雪まで持ちこたえられたなら、放棄しても戦略上何ら問題ない。

 現在、シャーラの拠点化は急速に進められており、周囲の農地改良も順調であります。

 来春には、ラーニャ攻略、その後の補給の目処が立ちます。

 遅くとも、夏までにはラーニャを完全に確保できると、参謀本部では見通しを立てているものであります」

 作戦参謀は、そう言うと兵棋板を離れ席に戻った。



「現在の状況は、以上の通りであります。

 それでは、本題に入らせていただきます。

 先日、衛星集落の一つに、最北の民が投降し、それを阻止せんとした最北の民と、連合軍の間で小規模な戦闘が発生致しました。

 三十名程度の小規模な部隊でありました故、こちらの損害は軽傷数名に留まり、投降してきた最北の民に死傷者は出ておりません。

 また、戦闘を行った最北の民も、死者を出すことなく全員を確保することに成功致しました。

 投降してきた者たちの供述では、多くの部隊で投降を望む者が多数存在するとのことであります」

 最後の一言を、これが重要な点です、と戦務参謀は強調した。


「つまり、最北の民に、厭戦気分が蔓延している?」

 プラボックの答えに、戦務参謀は頷いた。


「それだけではなかろう。

 上層部、連合軍に置き換えれば、司令部と現場部隊の間で、意志の統一が為されていない」

 ランケオラータが続けた。


「その程度では、済まないかも知れません。

 場合によっては、指導部と軍全体の反目までいっている可能性もあります」

 戦務参謀が答える。


「それも、ニムファがすべての原因と考えて良い」

 今度は躊躇うことなく、ラルンクルスは力強く言い切った。

 敬愛する女王を輔弼できなかった自らを断罪するかのようであり、過去との決別であるかのようだった。


「左様でございます、総司令閣下。

 あ、いや、大変失礼を致しました、ラルンクルス司令官閣下。

 仰るとおり、我がラシアス王国女王であった、ニムファが最北の蛮族の実権を握ったから、そう考えて間違いないものと参謀本部では分析しております」

 尊敬するかつての上官に、往年の覇気が戻ったと見た戦務参謀は、つい以前の職名で呼びかけてしまい、赤面して慌てて言い直した。


 現連合軍総司令官など認めていないと受け取られかねない、参謀職にあるまじき振る舞いだ。

 だが、同じ思いを抱く総司令官は苦笑いを浮かべ、元ラシアス財務卿も軽く顔をしかめるだけだった。当人同士が冷や汗を流す慌て振りを、誰もがほっとした表情で見守っている。



「確実性はどうなのだ?

 投降者を受け入れるのはいいが、集落の中で一斉に蜂起され、それに外から呼応されては手が付けられんぞ。

 内側から結界を破壊され、夜に不死者と合成魔獣を突入させられでもしたら、いくら四個師団であってもかなりの被害になる」

 インダミト軍司令官が問題点を指摘した。


「だが、敵はそれで全戦力を摺り潰すな。

 仮に、生者の三割に重傷を負わせれば、それで終わりだ。

 敵軍は全滅と見ていいだろう」

 ストラー軍司令官が言った。


「三割で?

 後送に二、三人は必要、ということですね?」

 三割の重傷者で軍が全滅と判定される意味を、レイが質した。


「ご明察。

 敢えてとどめを刺さず、かつ再起不能程度の傷を負わせる。

 ひと思いに殺すより残虐です。

 もちろん、相手を屈服させるための戦において、初めて採る戦法です。

 死体をわざわざ回収して逃げる軍など、この世には存在しません。

 逃げなければならない状況では、死体などより我が身の方がよほど大事でしょうからな。

 ですが、負傷者を放置して逃げてしまうと、明日は我が身という不安、忠誠を捧げた者に捨てられるという失望や絶望から、士気は維持できません。

 もっとも、重傷者を放置して逃げられると、大変なことになりますが。

 そして、そうする可能性が高い」

 ビースマック軍司令官が答える。


「重傷者を放置するとは考えられません。

 確かに、三割の損害は全滅と判定しても良いものではありますが」

 戦務参謀が同意するが、表情は困惑している。

 どう自分の意見を述べようか、迷っているようで言葉を止めていた。


「我々にしてみれば、戦場に放置された敵軍重傷者を放置するなど、騎士道精神に悖る行為。

 ですが、それは我々の価値観に過ぎぬ。

 北の民は、北の民の価値観に従って行動する。

 どちらが良いも悪いもない。

 しかし、ただでさえ少ない兵力を、放置するとは考えられない、ということか?」

 ラルンクルスが応じた。


「夜襲の場合、当然不死者が投入されます」

 ラルンクルスの問いに答えずに出された戦務参謀の発言の意味を、そこにいる者全員が正確に理解した。


「つまり、効果的な治療ができないのであれば、重傷者はすべからく不死者に転生。

 いや、負傷者は、その場で転生させてしまう、ということか?」

 ランケオラータが腕を組みながら言った。


「そう考えても不思議はありません」

 作戦参謀が吐き捨てるように言う。


 おそらく、どれほどの不死者や合成魔獣が雪崩れ込もうと、しっかりと陣を組んだ師団単位の防御を掻い潜れるとは思えない。

 相当の被害は出るだろうが、最後は押し包んで殲滅されてしまうのがオチだ。それでターバを脅かす敵兵力は一掃できよう。だが、局所的な戦術的勝利が、全体の戦略的な勝利に直結するとは限らない。

 最北の民の生者が失われてしまえば、和平交渉の相手が消えてしまう。そうなれば狂信の生者と不死者を殲滅するまで、戦は終わらない。南北連合の戦略は、最北の民との対等な和平。それが達成できなければ戦略目的は果たせず、



「もし、敵軍に離反があると、仮定してだが。

 放置しておけば、不死者が増えるだけだな。

 ターバ大結界に篭城してしまえば、補給の当てがない敵軍の生者部隊は崩壊する。

 碌な施設もなく、北の大地の冬を越せるとは思えん。

 不死者だけで結界は破れんし、合成魔獣を突入させようと、四個師団で押し潰してしまえる。

 何と言おうと、戦いは数だ。

 これだけの広さを持ったターバは、今更奇策でどうこうできるものではない」

 プラボックが考えていることを、そのまま言葉に出す。


「おそらく、狂信的な者と、それなりに現実を見ることのできる者。

 後者が投降しようとしている。

 そう判断して良いかと存じます、ランケオラータ殿。

 私は、投降者を受け入れるべきと考えます」

 リンドリク元ビースマック公爵が意見を述べる。


「受け入れの後、すぐに後送してはいかがでしょう。

 パーカホまで、最北の民が長駆できるとは考えられません。

 幸い、食料、護送の人員等に不足はございません故、ターバに不安を抱えることもないと考えるものであります」

 情報参謀から意見が上がる。


「それは魅力的な提案でありますが、パーカホで蜂起されたら。

 兵力の大半をターバからシャーラに展開している現状で、パーカホに不安を抱えることは避けるべきではあれませんか。

 南大陸から増員があれば良いが、いかな南大陸の四国家といえど、ラシアスの政情が完全に安定するまでは、南大陸の治安維持も重要であります。

 今以上の増派はできないと考えます」

 戦務参謀から反対意見が返される。

 普段は俺貴様で話し合う仲だが、公式の場であるため言葉遣いが丁寧なものに変わっている。


「捕虜の供述に、どれほど信憑性があるか、だな。

 ティアがここにいれば、すぐにでも判明するのだが」

 ランケオラータが呻き声のように呟いた。

 昼過ぎから始まった会議は、日が沈んだ後も終わる気配を見せなかった。



 その夜、ターバの北側の原野や林から、倒けつ転びつ走り出す集団が幾つもあった。

 追い縋る集団との間に戦闘が起こり、ある場所では生き残ったほとんどがもと来た道を戻り、ある場所ではそのまま走り去る。やがて、ターバとシャーラを結ぶ街道で数を減らされた集団が合流し、ターバへと南下を始めた。月明かりの下、蹌踉うようにターバを目指す一団を、無言のまま待ち構える集団が街道上に現れた。待ち構える集団をはっきりとした人の姿を月が照らし出すが、その足元には本来あるべき影が見られなかった。

 やがて、鬨の声が上がり、絶望的な表情で蹌踉っていた一団が、影を持たない集団に突進した。


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