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狼と少女の物語  作者: くらいさおら
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第89話

 捕虜たちと語り合った翌朝、太陽が昇る前にルティはベッドの中で目を覚ました。

 まどろみの中で、ルティは昨日あったことを思い出している。



 ティアたちが待つ場所の近くで巨狼の背から降り、アービィが手近な茂みの中に消えて獣化を解いている間にルティは少女を連れて戻っていた。


「お帰りなさい、楽しかった?」

 ティアが少女に訊ねた。


「うんっ!

 とってもっ!

 人狼が怖くないなんて、夢みたいっ!」

 少女の笑顔が弾けた。


 その場にいた最北の民の女たちが驚愕の表情のまま固まり、その頬に涙が流れる。

 家族や友を戦や病等で失って以来、少女からは笑顔が消えていた。 

 この子がこんなに笑うのは、いつ以来だろう、誰もが思い出せなかった。友の中には南大陸へ娼婦として売り飛ばされた者もいたが、少女に真実を伝えるのは酷すぎると、病で死んだことにしていた。だが、目の前で衰弱していったならともかく、明日の再会を約束していた元気な友がいきなりいなくなれば、いくら子供とはいえ、どういうことかくらいはうっすらと想像が付く。全てを失った少女は、生きて帰れないかも知れないターバ攻略に自らの意志で参加していた。


 道中、大人たちが話しかけても必要最小限の返答をするだけで、一切我が儘も希望も口にすることはなかった。 表情の変化も、感情の起伏も乏しかった少女は、ルティの持って来る菓子や知らない土地の話に徐々に心を開きつつあった。

 最北の民には甘えることはなかったが、次第にルティには甘えるようになっていた。同胞に甘えることは、同格の戦友であるという自らの矜持が崩れてしまいそうだったからだ。その点、直接剣を交えたわけでもなく、歳近いルティは姉の投影だったのかも知れない。何ともいえない安心感を与えてくれたルティに少女は懐き、ルティがいればこそ死と同義の巨狼の背に身を委ねられたのだった。


 ルティに懐いているが故に、ルティの質問に答えることが怖かったが、アービィの後押しで正直に答えていた。何故、吸血不死者に転生した子供が、南大陸の住人を『許さない、絶対に』と言ったのかは、代々受け継がれた復讐だ、ということを。

 予期していた通りだったから、ルティはショックを受けることはなかったが、やはり落ち込んでいた。


 長い間に積み重ねられた怨みが、少女を殺戮の巷へと踏み込ませていた。

 いずれ、戦友との間にも友情や愛情が芽生え、その対象を失えば新たな怨みが残る。元はと言えば土地の奪い合いに端を発した係争が、抜け出すことが困難な絶滅戦争という死と怨みの螺旋へと発展しようとしていた。


 少女から聞く限りでは、グレシオフィという指導者に付き従う最北の民のうち、二割程度が生者として生かされているらしい。

 このまま戦が続き、不死者が損耗すれば、その二割が転生を強制されるのは時間の問題だ。その前に彼らに従わない最北の民が、知性を持たない最下級の不死者に転生させられるだろう。


 どちらも大人は構わない。

 前者は民族の誇りのため自ら転生を望むのであろうし、後者は戦うことを選び敗れたのであれば仕方ない。逃走は、闘争の一手段だ。捲土重来を期し、一旦退くことは決して敗北主義との誹りを受けるようなことではない。小さなプライドや意地にしがみつき全てを失うことの方が、一時の恥辱より遙かに愚かしく、後の世まで嘲笑の的となる恥ずべきことだ。それでも戦い、武運拙く敗れた以上は、従容と運命に従うしかない。

 だが、まだ未来にどんな花を開かせるか判らない子供たちまで、大人の身勝手な都合に付き合わせて良いということは決してない。

 『もう殺し合いは嫌、人を殺さないで済む世の中に住みたい』という少女の言葉は、ルティの心に突き刺さって抜けなくなっていた。



 知性を残した吸血不死者と違い、低位の不死者は破壊衝動に突き動かされるだけで、思考能力は限りなく低い。

 これまで相対した最北の不死者たちの割合は、大半は低位の不死者で占められ、吸血不死者は一割程度と見られている。中央の民をわざわざ中位以上の不死者に転生させるとも思えず、最北の民の中での割合がどれほどかは知れないが、統治するうえで知性が高い者は少ない方が楽であることは、考えるまでもない。ましてや人外の『力』を持った者たちだ。いつ、指導者に反旗を翻さないとも限らない。

 いうなれば、低位の不死者は戦場を飛び交う矢であり、剣であり、槍であり、消耗品でしかない。


 ルティはアービィからイメージで見せられた異世界の戦争で、自らを砲弾に擬して敵に突っ込んでいった特攻兵に、低位の不死者を重ね合わせていた。

 特攻兵も低位の不死者も、敵に突っ込んだ時点で、転生を果たした時点で、積み重ねた経験も、身に付けた知恵も、夢も希望も、何もかもが陽炎のように消えてしまう。

 資源や財力だけが民族の『力』ではない。そこに住む人々の知恵や経験、活力こそが、民族の力だ。それを消耗品扱いするような民族に、未来はない。


 もちろん、特攻兵も自ら望んで転生した者も、止むに止まれぬ事情があったことや、民族に命を捧げる崇高な魂をルティは否定する気はない。本音の部分は民族を守るというより、愛する者を守りたいということも理解している。敵に突っ込む自分の心を騙すには、民族のためと言う他はないからだ。

 だが、十死零生を命令し、自らは安全圏から見るばかりの指導層は、ルティは許せそうもなかった。



 ベッドの中で、ルティは取り留めのない思考の渦に巻き込まれていた。

 ふと、横を見るとアービィが幸せそうな顔で眠っている。無性に腹が立ったルティは、八つ当たりとは判っていたが、アービィをベッドから蹴り出していた。


「何てことをするっ!?」

 まだ目が覚め切っていないアービィが、ルティからシーツを剥ぎ取ろうとする。


「うるさいっ!

 一人だけ幸せそうな顔して寝てんじゃないわよっ!」

 ルティは奪われまいとして、シーツを抱え込んだ。


「何、その言い掛かり?

 ルティと一緒に寝てるのは、幸せじゃないか!」

 アービィが言い返したとき、ティアの部屋と仕切る壁から、太いロープを叩き付けるような鈍い衝撃音が響いた。


「朝っぱらから何痴話喧嘩してんのっ!」

 廊下に二人を正座させ、説教をかますティアの眼は、安眠を妨げられた怒りと、寝不足による充血で朱に染められていた。



「あんまり、捕虜たちに肩入れしちゃダメよ、ルティ」

 いつものように菓子の差し入れから帰ってきたルティに、ティアが言った。


「あの子のことが気になるのは、解るんだけど。

 ターバの人たちからすれば、町を壊滅させた仇よ。

 それだけじゃない。

 ピラムの人たちから見ても、あの子たちは敵なんだから。

 わざわざ冷酷に扱うことはないけど、必要以上に馴れ合っちゃだめ。

 あたしたちの立場が悪くなるだけじゃないの。

 ラルンクルス様、プラボックさんや、パーカホにいるルムさん、ランケオラータ様にレイたちまでね」

 現状で、最北の敵対している勢力に、情報収集という名目があるにせよ、必要以上に肩入れすることは、いらぬ誤解を生みかねない。


 ターバの民から見れば、ピラムの民は懐に飛び込んできた窮鳥だが、捕虜になっている最北の民は騙し討ちで同胞や家族、友、愛する人を不死者に変えた許し難い仇だ。

 理性のうえではいずれ和睦するものだと理解はしているが、まだ感情が追いついていない。ターバ解放の際にも、軍の到着があと一日遅れていたら、怒り狂った生き残りのターバの民が八つ裂きにしていたかも知れなかった。


 そのような存在に何かと便宜を図っていてばかりでは、立場が悪くなるのはルティたちばかりではなく、捕虜たちにも今以上の反感の目が向けられてしまう。

 戦時である以上、線を引くべき所はきっちりと引くべきだった。その戦を終わらせるべく、最北の民との友好関係を築こうとしているルティの気持ちは解らなくもないが、戦略に則っていなければ、全ての足を引っ張る結果しか招かない。

 最北の民の復讐心を、少女の心に燃え上がらせないようにするため、ルティは周囲が見えなくなっていた。



 政争や戦を生業とするランケオラータやプラボック、ルム、職業軍人のラルンクルスと違い、所詮ルティは二十歳そこそこの小娘だ。

 鋭い洞察力を垣間見せることも多いが、やはり人生経験や薄汚い人生の裏道という部分では疎いところが多い。底抜けにお人好しなアービィとの付き合いが、ルティにすれっからしになるべき部分まで素直に成長させてしまっていたのかも知れなかった。


 フォーミットのような、生まれてからずっと同じコミュニティで暮らし続けるならいざ知らず、今は自覚があろうがなかろうが命がけの毎日だ。

 最北の民に肩入れする余り、ターバの民やピラムの民を気付かないうちに蔑ろにするようなことがあれば、不満が噴き出したときに迫害や暗殺といった事態を引き起こさないとも限らない。

 ここ三十日ほどのルティの行動は、ティアにそういった危惧を抱かせるには充分すぎるものだった。



「うん、気を付ける……」

 ティアに指摘されるまで、ルティはまるでその危惧に気付いていなかった。


 昨夜遅くまで収容所で、アービィたち四人と捕虜たちは話し込んでいた。

 男性を収容した屋舎に集まったのだが、特例としてトイレに扉を設置している。これだけでも、『必要以上の便宜』といえるだろう。ルティとティアに配慮してのことなのだが、それが外に知れ渡ればどんな反応があるか解らない。

 細かいことだが、諜報活動の手助けと取れなくもないのだった。



「うん、早めに言わなかったあたしも悪いと思ってる。

 昨日もね、厠の扉とか付ける前に、どうにかできたはずだもんね」

 ルティの必死さにさせるがままにしていたティアも、やりすぎていたことを自覚していた。


 連合軍司令部からは、諜報活動の一環、和平への一環として黙認されてはいた。

 しかし、あまりおおっぴらに捕虜を優遇していては、民の反発を買いかねない。


「今日ね、アービィに新しいお菓子のことで訪ねてきた戦務参謀さんに言われたのよ。

 お気をつけ下さいって。

 言い難そうだったから、申し訳なかったわ」

 ティアは捕虜の扱いについて、アービィと戦務参謀を交えて話し合ったことを、ルティに説明した。


 以前より、ただ飯喰らいと後ろ指を指されていた捕虜たちを、工兵の部隊に組み込んではどうかとアービィは考えていた。

 だが、市街や主要街道の整備は軍規に触れることも多々あり、工兵部隊への組み込みの実現は難しそうだった。それならばいっそ、町の外にある農地を一部整備させて、収穫物は買い上げてはどうかとなったのだった。


 土地整備の名目で工兵を一緒に行動させ、南大陸の技術を知らしめると共に、ピラムの民が整備し始めた区画の隣をあてがう。

 境界は当然柵で仕切り、警備兵が監視に当たるが、柵を乗り越えて乱闘でも起こさない限り、互いの交流は阻害しない。

 ピラムの民からは南北連合への協力を取り付けており、積極的に捕虜に話しかけてもらうことになっている。ピラムの民にとってはターバの民や南大陸の住人に受け入れてもらえるかの試金石でもあり、長年の怨みを呑んで協力に同意していた。もちろん、最新の農耕酪農技術の取得は魅力的であり、父祖の地を富ませることができる、と建前の逃げ道を作ることを、交渉に当たった戦務参謀は忘れなかった。


 ターバの民の批判を交わし、ピラムの民を南北連合に引き入れ、最北の蛮族を切り崩す一環として、捕虜たちが労働に従事することが決定している。

 早ければ、今日中にもその通知はなされるだろう。当然のことだが、最下級の兵に準じた日給が支給され、それなりの収入も保障されている。幼子であっても労働力の一部と見なされているこの世界では、あの少女にも能力に応じた給金が支給される。

 日常に必要な消耗品から、市場にあれば贅沢品まで、所持金に応じて入手可能となるのだった。


 そこへルティがこれ以上贅沢品でもある甘味の差し入れを続けることは、余計なお節介でもあり、捕虜への過剰な肩入れと見られても仕方がない。収入がある者は、その懐具合と相談して、購入する物を決めれば良いだけのことだからだ。

 捕虜の農作業を、手伝いに行くのも論外だ。軍は、捕虜の人数能力にあわせて労働を決めている。そこへルティが入り込んでしまえば、労働量と給金の釣り合いが取れなくなる。昼食の支度も労働に組み込まれている以上、炊き出しの手伝いも同様にするべきではない。

 ルティと捕虜の接触を断つための措置としてわざわざそうしたわけではないが、結果的には無用な悪評を立てられることもなくなりそうだった。

 戦務参謀の差し金だとしたら、のほほんとした顔の裏にどんな能力を秘めているのか、ティアは頼もしくも恐ろしくもあった。



「急に掌返しする必要はないからさ、今から一言断っておけばいいんじゃないかな」 お互い納得尽くとは言え、いきなり態度が余所余所しくなるのもおかしな話だ。


「うん、ちょっと行ってくる」

 複雑な表情を浮かべながら、ルティは帰ってきた道をまた戻っていった。



「神官殿、火急のご用件と伺いましたが、いかがなされた?」

 エンドラーズが意気揚々と北の大地へと旅立ってから十日ほど経った夕暮れ時、アルギール城の謁見の間では火の最高神祇官の名代である神官と、ラシアス王国摂政エウステラリットが対面していた。


「ご公務の終了間際にお邪魔して、大変申し訳ございません。

 本来でございますれば、明朝参上仕るところではございますが、最高神祇官より一刻も早くお目通りいただくよう、仰せつかっております」

 いかにも恐縮といった表情の中にも、焦りを隠せない神官が早口に述べた。


「最高神祇官殿の命とあらば、時刻など気にする必要もない。

 ご用件を申されよ」

 神官のただならぬ雰囲気に、エウステラリットは宰相コリンボーサを始めとした閣僚たちを次の間に下がらせる。


「ご配慮ありがとうございます。

 実は、アルギール城地下迷宮より、生者とは思えぬ邪悪な気配を最高神祇官が感じ取りましてございます。

 最北の地より北の大地を侵しつつある、不死者のものと我らは見ております。

 今、精霊のご加護によって、我が両眼は最高神祇官の遠見の窓となっております。

 その術を以て、地下迷宮にて何が起きたかを実見し、ご対策を講じていただくようにとのことでございます。

 もちろん、我らも必要なことがございますれば、全力を挙げる所存でありますが、なにぶん距離もございますれば、当面は摂政殿下にご対策いただかねばなりませぬ」


「さようか。

 が、神官殿、地下迷宮はご存じの通り、国家の機密故、我らの調査をお待ちいただきたい」

 内心の焦りを隠し、表面上は平静を装ってエウステラリットは答える。だが、言葉の調子はいかにも歯切れが悪く、堂々と正論を以て神官の申し出を退けるような勢いはない。


「大変申し上げ難いのでございますが、事は南大陸全体に関わることでございまして、かつ、急を要すことでございます。

 場合によっては結界を敷く必要もあると、最高神祇官は申しておりました」

 言葉とは裏腹に、悪びれる様子もなく神官は言う。


「しかしだな、地下迷宮は我らの避難通路であることはご存じであろう?

 それを王族以外にお見せするわけには――」

「我らがグランデュローサ王家に弓引くとでも?

 世俗の一切の権力とは無縁の我らが、どうして王家の機密を他言いたしましょうや。

 それ以上に一王家のご都合により、大陸全土の安全保障が脅かされるような事態に陥ることは、殿下のお望みとは思えませぬが」

 神官にも焦りがある。

 まさか、摂政が地下迷宮の調査に、消極的になるとは思ってもいなかった。


 確かに、地下迷宮は王族の緊急避難用通路であり、詳細を知られてはかなりの不都合があるのは解る。

 だが、それは他の三ヶ国や北の民に知られたら、ということだ。精霊神殿はどの権力組織とも通じてはおらず、ましてや王朝転覆を企むような権力欲など微塵もない。神官は、知られたくない理由を考え始めていた。

 精霊神殿が王族の機密を掴んでそれを如何こうしようとは、エウステラリットも考えてはいないという確信は神官にはある。であれば地下迷宮に入られたくない理由は、そう多くない。十中八九、身内の恥だ。そこまで考え、神官は悩んでしまった。事がことだけに、王家の恥などという瑣末な理由で、南大陸を危機に晒すわけにはいかない。しかし、性急に事を進めた結果、グランデュローサ王家と対立するような事態も招きたくはなかった。


 エウステラリットも悩んでいる。

 おそらく、いやほぼ間違いなく、私室に引き篭もっている女王ニムファが、何がやらかしているということだ。神官が地下迷宮に入ること自体は、エウステラリット個人としても、ラシアス王国摂政としても、何ら問題ないと考えている。だが、ニムファがやらかしていることが満天下に露見することは、グランデュローサ王家の人間としては認め難いことだ。

 神官の言うことに嘘偽りがあるとは思えず、火の最高神祇官の見立てが間違っているとも思えない。


 つまり、目下南大陸の全住民と、北の大地中央以南の民全ての敵である最北の民と、ラシアス女王が通じていることの証明になってしまうのだった。クーデターを起こされても、文句の一つすらいえない状況だ。国家反逆罪どころの騒ぎではない。

 しかし、おそらく神官が最も調査したいであろう場所への扉は、ニムファが持つ鍵でしか開けることはできない。そして、その鍵をニムファが渡すとはとても思えないし、まず何よりもその通路へ入るには、ニムファの居室を通らなければならない。

 それもニムファが許すとは考えられず、城外の出口もニムファしか知らないのだった。


 エウステラリットは困惑の表情を浮かべ、口では神官の申し出に対し言を左右していた。

 しかし、神官は摂政の右手が、玉座の横に設えられた署名用のサイドテーブルに置かれた紙片の上で、ペンを握ったのをみた。なるほど、と無言で頷き、わざと堂々巡りの問いかけを行い、摂政の思考の比率を紙片上のペンに傾けさせた。

 ややあって、摂政が紙片を懐にしまい込み、側の者を呼び出した。


「神官殿もお疲れのご様子。

 ささやかだが、食事などいかがかな?

 それまでは、今夜の部屋をご用意してあるので、そこにておくつろぎいただきたい」

 そう言ってエウステラリットは、神官との会見を切り上げた。


 用意された部屋に入るなり、神官はサイドテーブルに向かい、備え付けの便箋にペンを走らせ始めた。

 やがて、エウステラリットの使いの者、明らかに尋常ではない目つきの者が、先ほどエウステラリットが書き記したと思われる紙片を封筒に入れて持ってきた。

 蝋封された封を切り、内容に目を通した神官は、予想通りの内容に自らの上奏書を手直しすることなく封に入れ、摂政の蝋封の上から精霊神殿の蝋封を施し、それを使いの者に渡した。使いの者は無言で受け取り踵を返したが、神官はその背中に声を掛けた。


「お役目ご苦労様です。

 あなたの剣は、祝福方儀式済みでございましょうか?」

 無言のまま、使いの者は首を横に振る。

 彼は、何故そのような問いをされたのか瞬時に悟るが、立場上丸腰であることが建前であり、隠し持てるような短刀に方儀式を施す機会はなかった。


「さようでございますか。

 お立場上やむを得ぬことでございましょうが、今後立ち向かわれる相手は通常の武具は通用いたしません」

 神官は聖水の取り扱いを手早く説明し、使いの者に持たせた。



 神官が食事を摂っている間、エウステラリットは一枚の紙を前に考え込んでいた。

 遠見の術により地下迷宮の出口は全て判明しており、幻惑のための側道を排した道順も、同様に見通されていた。しかし、ニムファ専用の避難通路途中にある広間には、邪悪な結界が中から敷かれているようで、遠見の術を以てしてもその様子を見通すことが適わなかった。

 精霊の結界を敷こうにも、広間の周囲をくり抜かなければならず、そのような工事をするわけには行かない。同様に地上に結界を敷こうにも、民家や商業施設が建ち並び、それらを立ち退かすことも不可能だ。


 神官からのメッセージは、広間の城外への出口前に結界を敷き、市街への不死者の侵出と、ここを通った者の帰還を同時に阻もうというものだった。さらに、城内への侵入を防ぐために、ニムファの居室そのものか、廊下の要所に結界を敷くとも、記されている。

 前者については、なんの問題もないだろう。それこそ、今夜中にでも片の着く話だ。だが、問題は後者だ。


 ニムファが居室から出てくることはないが、廊下で何をやっているかは音も伝わるであろうし、身の回りの世話をしている侍女たちからも伝わる。

 彼女たちは、当然といえば当然だが、ニムファには逆らえない立場であり、ニムファに対する忠誠も、憧れも強い。当初は抱き込まれないようにエウステラリットの息の掛かった者たちが侍女として事に当たっていたが、自分に対する敬意や憧憬、忠誠には人一倍敏感なニムファに見抜かれ、早々に任を解かれていた。エウステラリットは、身の回りの世話さえできればよいと考えていたこともあり、それならいっそニムファのお気に入りの侍女たちに任してしまえば波風も立たないと思い直していた。

 これまでは引き篭もり女王の我が儘に付き合わされるだけの侍女たちだったが、今後は女王直属の、能力は皆無に等しいが、眼にしたことを伝える程度のことはできる間者として見なければならなくなる。

 神官や閣僚の殺害や、流言飛語の類を流布するような真似は無理としても、結界を壊す程度のことはできるだろう。


 かといって、いきなり全員解雇してはニムファに気付かれ、さらなる厄介を抱え込みかねなかった。地下迷宮ニムファルートの外への封印は構わないとしても、城内への封印をどうするか、エウステラリットは頭を悩ませていた。



 神官には、エウステラリットの苦衷が理解できる。

 権力欲や支配欲など欠片もない精霊神殿だが、人民の統治機構として権力や支配力は必要なものだと理解している。こられなくしては、人間は文明の萌芽以前、力のみが支配する殺戮の時代へと逆戻りしてしまう。

 正直なところ、グランデュローサ王家がどうなろうと、精霊神殿は知ったことではない。

 王家は民を支配し、税を徴収する権利を有し、民は納税の義務を負うが、無条件に服従しているわけではない。明文化されてはいないが、王家に支配者たる資格なしと民が判断すれば、革命を起こし、王家を倒す権利を民は有している。そして王家は徴税や諸々の権利の代償として、民の安全な生活と精神の安寧を保障する義務を負っている。この世界の司法権は王家が有しているため、民には王家の罪を裁く場がない。このため、王家の罪が支配者としての権利を超越した場合、民には王家を倒す権利があると認識されていた。

 今、女王ニムファがしようとしていることは、既に王に許された範囲を遙かに超えようとしていた。侵略勢力と結ぶなど、民を蔑ろにするにもほどがある。


 もし、エウステラリット以下の王家やコリンボーサ以下の閣僚に、自浄能力がないとなれば、グランデュローサ家とその輔弼機関である閣僚たちに残された道は、断頭台か絞首台のどちらかしかない。

 だが、万が一、現状でグランデュローサ家が倒れた場合、ラシアス王国は荒廃する。国が成立し、人々が曲がりなりにも安全に暮らすために法が定められ、法に背く者を捕縛し、裁くことを国家に民が付託している今、王家の崩壊はとんでもない混乱を招く。全ての人々が博愛の精神に則り生きているわけではないからだ。

 圧政に耐えかねた民衆が、王政を倒し、新たな政体を樹立しようというのであれば、それなりの準備もあり、混乱は短期間で済む。しかし、今回のケースは突然すぎ、混乱を収めるための新たな政体があるわけではない。南大陸連合が臨時に統治するにも、グランデュローサ王家の人間であるヘテランテラの処遇次第では、説得力がなくなってしまうこともあり得る。

 砂を噛むような食事を終え、神官は寝室へと戻った。その扉には、一枚の紙片が挟まれており、エウステラリットの私室へ来るようにと記されていた。



 エウステラリットは、深い懊悩に沈んでいた。

 テーブルには王族にしては質素ではあるが、庶民のひと月の稼ぎでも購いきれないような料理が冷え切っていた。もちろん調理が拙いわけでも、素材が悪いわけでもなく、単にエウステラリットの食欲が消失していただけだ。ついにナイフとフォークを手にすることなく、給仕係に料理を下げるように命じ、次いで執事を呼び料理人たちに謝罪の言葉を伝えるように命じた。さらに影の者を呼び出し、いくつかの命令を下す。

 一つは神官を居室に呼び出すことだが、もう一つの命令を下す決断のため、今夜の料理が犠牲になっていた。


 ニムファのやろうとしていることは、国家反逆罪しか当てはまらないほどの大罪だ。それどころか、南大陸だけではなく、北の大地も血にまみれようとしている。

 そのようなことを企む当事者に言い訳など許されず、断頭台の露と消えるのみ。そして、一族郎党皆殺しだ。つまり、ニムファを断罪するのであれば、エウステラリットは自分自身を絞首台に送らなければならなかった。彼自身だけではなく、南大陸連合に出向しているヘテランテラや臣籍降下済みの次兄、他家に嫁いだ妹たち、先王の菩提を弔う毎日を送る皇太后たる母ばかりでなく、血筋の者一人残らずだ。それは、ラシアスから公爵家が消滅し、ほとんどの侯爵伯爵家の跡取りが消失することを意味していた。

 そうなっては、亡国だ。


 エウステラリットは、己が命が惜しいわけではなかった。

 ラシアスを滅ぼすことだけはできない、いずれ異なる血筋の王家が勃興するなり、新しい政体が打ち立てられるなりは構わないが、祖国を荒廃させることだけは避けたかった。

 つまり、ニムファを完全に幽閉する覚悟を固めたのだった。


 地下迷宮の出口は結界で塞ぐが、途中の広間からニムファの居室までは結界が敷けない。

 どう言葉を労しようとも、ニムファを説得できるとは思えなかった。居室から一歩も出てこないニムファの外界を覗く眼は、身の回りの世話をしている忠実な侍女だけだ。これを交代させることが事実上不可能であれば、ニムファの眼を塞ぐには寝返らせるしか方法はなかった。


 女王の侍女ともなれば良家の子女であることも条件の一つであり、それなりの俸給も保障されていることから、金品で釣ることは無意味と思われた。そうであれば、残された手段は一つ。男だ。同性愛者であれば、もちろん女も用意する。

 エウステラリットが影の者に与えたもう一つの命令は、女王の侍女をあらゆる手段を用いて籠絡することだった。



「お呼びと伺い、参上いたしましてございます。

 して、ご用の向きは如何なることにございましょう」

 まだ宵の口と言って良い時間帯に、神官は摂政の居室を訪れた。


「ご足労をお掛けして申し訳ない。

 地下迷宮の実見だが、出口から広間まで遡るのであれば、神官殿のご都合のよろしいときに、いつでもお願いしたい。

 だが、広間から女王陛下の居室までは、摂政の私では許可の出しようがないことをご理解きただきたい。

 陛下は誰ともお会いにならず、身の回りの世話をする者以外、居室への入室を禁じておられる。

 神官殿のお見立て通り、地下迷宮に不死者の拠点を築いているのであれば、陛下の居室の出口を結界で塞いでしまえば良い。

 そのため、我らは、いや、私は外道の方法を採ることに決した。

 それをお伝えしたかった」

 神官に口を挟ませることなく、エウステラリットは一気に言った。


「しかと、承りましてございます、摂政殿下。

 して、陛下の居室周辺の結界は、いつ敷けばよろしゅうございましょうや?」

 半分諦め顔で、神官は答えた。

 当然神官が見聞きする事象全ては、遠見の術により火の最高神祇官の知るところだ。この会話も、全て伝わっている。

 今頃は最高神祇官から主要な神官たちに、必要と思われるあらゆる指示が飛んでいることだろう。


 そして、こうなることを予見して、最高神祇官は神官に対してアルギール常駐を命じていた。

 いつ如何なるときでも結界を敷設し、武具に対する祝福法儀式は無理でも、聖水を作り、城内に貯蔵しておくためだ。 万が一、魔法陣を通して不死者の群れを送り込まれても、それだけの準備が整えられていれば、落城だけは防げると考えられたからだった。


「まだ、手を打つことを決めたばかりでな。

 今日明日というわけには参らぬ。

 神官殿に申し訳ないのだが、しばらくの間この城に逗留していただきたい」

 為政者の表情でエウステラリットは言った。

 弱みは知られているが、それでもそのことは億尾にも出さず、努めて威厳を保つ努力をしていた。


「畏まりましてございます。

 こんなこともあろうかと、聖水をこちらで生産できるよう、準備は整えて参りましてございます。

 何処か、何人の邪魔も入らぬ、精霊に祈りを捧げることが可能な部屋をご用意いただきたくお願い申し上げます」

 やはり、という表情が浮かびそうになるが、神官は必死に平静を保とうとした。

 精霊と交信する際の無心の境地を思い出し、国難に当っても身内の情を優先する為政者に対する失望を、顔に出さないようにするため神官はあらん限りの努力を続けていた。



 神官同様、エウステラリットも努めて平静な表情を作ったつもりだが、苦衷は滲み出てしまっている。

 エウステラリットは、ニムファを暗殺するべきかどうか悩んでいた。


 現状を鑑みるに、ニムファがいつ不死者を呼び寄せないとも限らない。国を傾かせるような要因はこの瞬間にでも取り除くべきであるということは、エウステラリットは理解している。

 本来であれば、ニムファの罪状を国民に対し詳らかにし、断頭台へ送るべきだということは理解している。だが、それは同時にラシアスから治安維持機構が消滅することをも意味している。犯罪の嵐が吹き荒れ、無辜の民が路頭に迷う近未来をエウステラリットは許容できなかった。それ故暗殺か幽閉で、迷っていたのだった。そして、彼の政治センスは、暗殺するべきだと告げている。だが、下手にことを運べば、王位簒奪と受け取られかねない。

 美貌の若き女王の人気は、決して低くはなかったからだ。


 彼が生来の為政者であれば、少なくとも帝王学を学んでさえいたのであれば、ニムファを暗殺することに躊躇いはしなかっただろう。しかし、早い時期に臣籍降下を決心し、国政を学ぶこともなかった彼に、非情に徹するように求めることは酷だったのかも知れない。

 そのうえ、優しかった姉の面影が、その非情の決断を鈍らせている。


 決して我が身惜しさではないと言い聞かせているが、心のどこかで助かろうと足掻く自分がいることも自覚していた。できれば姉を幽閉するだけに留め、国難を解決した後に和解したい。エウステラリットの儚い望みがラシアスの命運を左右しようとしていた。 



 最北の地は、狂気のような忙しさに陥っていた。

 ありとあらゆる猛獣や魔獣などの死体を、南大陸に渡ったグレシオフィは送りつけてきている。それを腐らないように氷漬けにする作業が、黙々と続けられていた。その横では、送られてくる死体と保存されている死体を魔法陣の中に並べ、合成魔獣を作り出す作業も続けられている。必要な組み合わせで死体が送られて来ることは稀で、ほとんどの場合はその場で合成に回すものと保存するものの仕分け作業も必要だった。


 如何に身体を休める必要のない不死者とはいっても、高度な精神活動を可能にしてる中位以上の吸血不死者では、却ってそれなりの休息は必要だった。

 通常は日中太陽が照っている時間がそれに当てられていたが、戦時急造態勢とあってはそれもままならない。至る所で命令、復唱、報告が飛び交い、苛立ちの入り交じった怒号が錯綜する。もともと動きの鈍い低位の不死者への苛立ちと、その理解力の低さに対する苛立ちが、吸血不死者たちの神経を紙ヤスリで逆なでするかのような作用を及ぼしていた。

 それでも肉体的疲労とは無縁の不死者たちは、グレシオフィ不在の間を預かるオセリファの指揮の下、サボタージュという発想すら抱かず勤勉に合成魔獣の生産に努めていた。



 オセリファは、わざと見逃したピラムの民の動向が気になっていた。

 グレシオフィは、ターバの民は彼らを受け入れないと読んでいた。彼らはターバを陥落させた最北の民とは相容れない存在ではあったが、ターバの民から見れば同じ穴の狢だ。敵の敵は味方になり得るが、ピラムの民が独自に侵略行動に出たのかも知れないとの疑いは捨てられないだろう。そして、最北の地からの難民という立場は、ターバを陥落させたときと同じ状況を作り出していた。

 もし、情報を欲しがって南大陸軍がピラムの民を取り込めば、ターバの民と南大陸の住人の間に、埋めがたい溝を作ることが期待できた。


「オセリファ様、ピラムのウジ虫どもは、どうなったのでしょうな」

 オセリファの背後に立った、身長190cmを超える偉丈夫が不安と期待に満ちた表情で口にした。


「そちの気にするところではない。

 どう転んでも、我らにとって悪いようにはならぬ。

 捕虜となった者たちが脱走してくれば、もう少し状況も分かるが。

 それより、そちに命じておいた、我らに恭順を拒む者共の制圧は、どうなっている?」

 一切の感情を感じさせない目つきで、オセリファは偉丈夫に言葉を叩き付けた。


 ターバの民も南大陸の住人も、ピラムの民を受け入れないという選択肢はある。

 もし、ピラムの民が拒絶されたことで自暴自棄になり、ターバ周辺で一戦交えるというのであれば、敵の総数を減らすことになるので歓迎すべきことだ。

 ターバと争わなくても、行く先々で諍いを起こしてくれるだけでも充分だ。

 最悪の事態はピラムの民がターバに受け入れられることだが、それだけはないだろうとオセリファもグレシオフィも考えていた。安易に考えているのではなく、中央以南の民と最北の民は、相容れない存在であると認識されていたからだった。


 それとは別に、最北の地に居住する民の中には、グレシオフィに従わない者も数多くいた。第二第三のピラムの民が出ては、最北の戦力が枯渇してしまう。反抗する生者は、尖兵たる使い捨ての不死者の原料だからだった。制圧後は不死者へと転生させ、最前線に放り込むための原料なら、いくらあっても不足はない。

 その原料調達が、偉丈夫の仕事だった。


「それが、今暫くお時間をいただきたく。

 敵も必死に砦を守っております。

 不死者どもの損害が無視できぬ状況でございまして」

 偉丈夫が歯切れ悪く答える。


「やはり、そちは無能者か?

 その量の眼より上は、兜を乗せる台か何かか?

 力攻めしかせぬから、相手も必死になるというのが分からんか。

 守りを固めた砦を落とすには、攻める側は守る兵の三倍は必要ということも知らんのか。

 相手は食料も休息も必要とする生者ぞ。

 我が方の生者と不死者を善く使えば、包囲するだけで乾殺しにできるものを。

 功ばかり焦りおって」

 相変わらずオセリファの眼には、感情が現れない。


 集団戦闘において、個人の武技の優劣など些細な要員でしかない。

 戦は数だ。どれだけの槍衾を、敵の前に敷き並べられるかで全てを決する。いくら十人力、百人力の兵がいようと、それ以上の兵力で押し包んでしまえばそれまでだ。百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門に勝るなどということは、絶対にあり得ない。百発百中の砲一門が一発放つ間に、百発一中の砲百門から百発の砲弾が殺到する。確率でいえば、その中の一発は命中するはずだ。百発一中が一撃目に集中する確率も、ゼロではない。もちろん、一撃目が全弾外れる可能性もあるが、百発百中の砲が百発撃つ間に、百発一中の砲百門から一発当たりが出ればいいだけだ。

 偉丈夫には、その理屈が解っていない。


 個人の武技だけで、防備を固めた砦を落とせると信じ込んでいる。

 決闘で全てが決するならそれでも良い。だが、集団同士のぶつかり合い、特に包囲戦は、隙間を無くすことこそ重要であり、いくら武勇にすぐれようと一人の将が砦や城を包囲できるはずはない。

 文明が発達する以前であれば、個人の武勇に敵が怯えて開城することもあっただろうが、集団戦に慣れた北の民には数こそ重要という認識が強く、勇将の名声だけで戦いが決することなどあり得なかった。戦の演習しか経験していない偉丈夫には、それが理解できていなかった。

 ウェンディロフ元ラシアス王国子爵は、貴族の権威に敵は平伏すものという過去の常識から、未だ解放されてはいなかった。


 砦に対し、大音声で名乗りを挙げ、貴族の権威を振りかざして降伏を求め、拒絶されれば正面から兵力を叩き付ける。

 ウェンディロフの作戦は、単純で稚拙だ。

 グレシオフィから与えられた中位の不死者としての能力が、彼をして低位の不死者を灰へと駆り立てている。逆らうことなど発想すらしない従順な不死者に囲まれて、彼は全能感に酔い痴れていた。

 決戦兵器としてなら彼は有能だったかも知れないが、将としての器は欠片もなかった。


「そちを中位の不死者として蘇らせたのは、徒に我らが民を灰にするためではない。

 今度こそ再生など不可能な灰になりたくなければ、全力で、不死者たちを無駄に失うことなく、我らにまつろわぬ者共を討ち果たしてまいれ。

 いつまでも、次があると思わぬことだ」

 オセリファは、ついに感情を露わにすることなく、まだ何か言いたそうなウェンディロフを追い払った。



「狼、シャーラヘ行く。

 以前、貴様が不死者の集落を焼き払った手を使う。

 神官殿にご同行いただき、不死者を滅したあとに結界を敷いていただく。

 いいな、蛇。

 出発は十日後。

 新たな神官殿がここにご到着しだいだ。

 解ったら準備だ。

 ルティ殿、よろしゅうございますな?」

 夕食後、料理の不備をアービィとティアに責められ、ルティが涙目になっているところにバードンが入ってきた。


「解りました。

 粉炭はかなりの量があります。

 僕が曳けるだけ持って行きましょう。

 途中、食料の調達はどうしますか?

 水さえあれば、小麦粉で持って行けばいいでしょう。

 パンとかレーションだと重さを喰います。なるべく軽くしていきましょう」

 アービィが確認するように言う。


「シャーラの前までは南大陸の軍が進出しているはずよ。

 ある程度の食べ物は分けてもらえると思うの。

 持って行く食料と水は、予備程度で充分でしょ」


「そうね、あとは、あんたが狩ればいいわ。

 バードンさん、これは短期の作戦?」

 ティアの言葉にルティが続けた。


「はい、短期ではありません。

 可能であれば秋までに最北の地を衝きます。

 ラルンクルス様からは無理押しは無用とは言われておりますが。

 シャーラ奪回後は、我々は軍と共に防備に当たることになりましょう。

 場合によっては、そのまま冬篭もりです。幸い、幾筋か使える河があるそうですので、物資の補給に苦労はしますまい」

 バードンが答えた。


 最北の民に肩入れしているように見えたルティたちは、機密保持の観点から作戦会議に呼ばれることが減っている。

 司令部としては、ルティたちを軽視する気は全くないが、まだ年若いルティとアービィ、それより幼く見えるティアに多少の警戒感を抱いていた。そのため、今回の作戦はバードンのみが、立案時から携わっていた。

 最北の地を衝くとなれば、捕虜たちの身内の安全は保障しかねる。もちろん、和平が成立すればそのような心配も消えるが、今のところ和平の手がかりすら見いだせずにいた。もしも、ルティが出立に際して捕虜たちに北へ行くとでも言ってしまえば、ある程度の知恵があればそれが何を意味するかすぐに知れてしまうだろう。ピラムの民であれば問題はないが、捕虜たちが身内を案じて脱走でもすれば面倒なことになる。アービィたちを妨害する程度であればいいが、行き掛けの駄賃に結界を破壊されでもしたら大問題だ。

 いよいよ最北の蛮族との最終決戦へ向けて全てが動き出す今、機密保持に気を使い過ぎるということはない。


「じゃあ、それなりの荷物になる?」

 春から住み始めたとはいえ、家財道具はそれなりに増えていた。

 大荷物を抱えての行軍は、四人にとって負担が大きくなることをティアは心配している。


「それは、後発の軍が運ぶ。

 我々は、それこそ身体一つでいい。

 最低限必要な物だけ纏めておけ、蛇。

 どの作戦でもそうだが、我々を起用するのは機動性故だ。

 いいか、あれば便利はなくても平気だ。

 それからルティ殿。

 捕虜には他言無用に願います。」

 それだけ言うと、バードンは家を出て行った。


「お別れも言えないのね」

 しょげたようにルティが呟く。


「しょうがないわね。

 行き先を聞かれたら、面倒よ。

 どこから機密が漏れるか分からないもの。

 黙って行くしかないわね」

 僅かでも機密漏洩の危険性があることは、避けるべきだということはルティもティアも承知している。


 一年後、捕虜がどう扱われているか予想も付かないが、願わくは友好的な再会ができればと、ルティは思わずにはいられなかった。


「しょうがない、か。

 暫くベッドともお別れね。

 気に入ってるんだけどなぁ、ここの。

 ま、帰ってくる楽しみがあるってことにしよう」

 ルティは名残惜しそうに言った。


「十日後、か。

 精霊神殿も大変だね。

 どんどん神官様がこっちに来ちゃって。

 残った神官様の仕事量が増える一方だ。

 エンドラーズ様が逃げ出したりして」

 アービィの言葉に、ルティとティアの笑いが弾けた。

 アービィは冗談で言っただけだったが、十日後にそれが現実になろうとは、三人とも思ってもいなかった。


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