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狼と少女の物語  作者: くらいさおら
45/101

第45話

 「それでは、皆様よろしいか? 突入致しますぞ」

 もう待てないといったエンドラーズが宣言する。


「じゃ、行きましょう」

 眦を決したルティが応え、兵に合図を送る。


 おそらく数体の悪霊かグールが、門が開いた隙に飛び出してくるだろう。

 アービィたちはそれに構わず突入する。

 襲いかかってくれば、迎撃する。

 それが外を目指すなら、兵たちが待ち構えている。

 それは、そちらに任せばよい。

 既に兵たちの武装は、聖水による簡易な法儀式済みだ。

 数回の戦闘であれば、充分に耐えうるだけのものはある。

 万が一のために聖水を別容器に取り分け、外部警備の指揮官に預けてある。


 簡易法儀式ではどうしても対処できないほど凶悪な霊体やグールの場合には、直接聖水を掛ければ一撃で倒すことはできなくても、かなり弱体化することができるはずだ。

 そのうえで近接戦闘に持ち込めば、後れをとるような事態は避けられるだろう。

 そのために聖水の容器は、わざと割れやすいものを使用し、離れていても投げつけられるようにしている。

 唯一の不安は、ついさっきまで仲間だった者がグールと化し襲ってきた際に、それを滅し去ることに躊躇いを感じてしまわないかだけだ。


 一度グールにされた者を、元の姿に戻す方法はない。

 『死者』に悪霊が取り付いている者に、火の白魔法『解呪』や『全解』では効果は得られないからだ。

 速やかに滅し去ることこそが、なによりも死者のためというものだろう。



 三、二、一の掛け声と共に、アービィたちが門の隙間に滑り込む。

 十数体の悪霊やグールが門の隙間に殺到するが、アービィの剣がカウンターでそれらを斬り、爆散させて滅していく。

 アービィを掻い潜った悪霊も、続いて襲ってくるルティとメディの剣やティアの小太刀、エンドラーズの剣が逃さない。

 僅かに二体の悪霊が門の外にすり抜けるが、外で待ち構えていた兵たちが殺到し、寸刻みにするかのように滅し去る。

 グールが抜け出さなかったことで、彼らの戦意に些かの曇りも見られなかったのは救いだった。

 アービィたちは後ろを振り返ることもなく門を閉めるように命じると、戦乱の巷へと身を投じていった。



「さて、ここからが本番ですな。お~、寄ってくる、寄ってくる。千客万来。自然の法理にまつろわぬ者共を、さあ解放してくれましょう!」

 エンドラーズは日頃の枷を外しても構わないことに、歓喜の雄叫びを上げた。


 エンドラーズの剣は宙を滑るように寄り付く悪霊や、首の筋肉が失せてしまったかのように歩みとともに首を揺らすグールをまったく寄せ付けずに切り捨てる。

 横になぎ払われた悪霊は剣の軌跡を境に分断され、上下の身体が宙に撒いた小麦粉のように爆散した。

 縦に斬り捨てられたグールの両体が、噴き零れる血飛沫とともに日乾しにされたようになり滅却される。

 やれやれといった表情のティアは、自らの悪意に苦しめられたうえ無残なまでに滅される悪霊に同情してしまいそうだった。

 それでも現世への悪意を残すわけにも行かず、小太刀を振るいグールの身体を斬り潰していった。


 エンドラーズが先頭に立ち、次々にドアを開け部屋に突入する。

 アービィとティアが続き、ルティとメディはドアの前に残り背後を警戒する。

 室内にたむろする悪霊を、エンドラーズとアービィ、そしてティアがはたきで埃を払うがごとくあっさりと殲滅していく。

 廊下を滑るように寄ってくる悪霊は、ルティが斬り裂き、メディが叩き潰す。

 エンドラーズは、悪霊やグールたちにとって二度目の死を振り撒いていた。


「ねぇねぇ、エンドラーズさん。慰霊碑の場所って、ひょっとして知らないんじゃないですか?」

 片端からドアを開け、悪霊を切り捨てることに集中していたが、いくら倒しても減る気配を見せない悪霊に不安になったアービィが問いかける。


「いかにもっ!」

 無駄に力強い返答が返ってきた。


「……えっと、かな~り、無駄な行動?」

 額に指を添えつつ、ティアが搾り出すように呟く。


「そんなことはっ!? ……ございま……せんっ!?」

 言い返すエンドラーズ。


「なんですかぁっ!? 今の微妙な間と疑問型ってぇっ!?」

 突っ込まずにはいられないティア。


「いや、早く行かなければとは思うのですが。分らないものは分らないのでございます」

 さぁ探しましょう、とエンドラーズは開き直って答える。


 悪霊たちの群れを掻き分けるように、彼らは砦の中を進んだ。

 四角形に作った回廊に東門から突入し、北から西、そして南へと向かって進んでいる。

 そろそろ一周する頃だが、一向に慰霊碑のようなものが見つからない。

 三階建ての砦の四方の角に尖塔の崩れた後があり、そのうち一つを物見の塔として整備しなおしてある。

 残りの三つは戦史の遺物として、そのままの姿でそれ以上崩れないように補強が成されていた。

 塔に慰霊碑を作ったという話は聞いていないアービィたちは、回廊のどこかだろうと考えていた。

 エンドラーズの自信満々の態度に、てっきり場所は知っているものだと思うのは当然だった。


 ニリピニ伯もエンドラーズが聞いてこないのは、慰霊碑の場所や砦の造りを知っていると思ったからで、特に説明は不要だと思うのは当たり前だ。

 ここへ来て、一行はすっかり手詰まりになっていた。

 これから一階を調べ終わって、二階三階と上がっていくのはいかにも効率が悪い。

 かといって、当てずっぽうに開けて回り、見過ごしてしまってはさらに効率が悪い。


 仕方がないという風体でまた一部屋ずつ開けて確かめ、悪霊たちに死を振る舞う。

 アービィは一度撤収して周囲を固める兵たちに砦の造りを確認して再突入のほうがいいのでは、と考え始めていた。

 疲労はたいしたことはないが、いつの間にか昼を過ぎている。

 一度撤収することを言い出し、東門へと進み始めたとき、目的とする辺りで悲鳴が聞こえた。



 昼頃にアマニュークに辿り着いたイヴリーは、兵たちに門を開けるように命じた。

 しかし、兵たちはアービィたち以外を通すことはニリピニ伯により禁じられていたため、イヴリーの要求を聞いていいものか戸惑ってしまう。

 当たり前に考えれば、辺境伯の命令とその令嬢の要求ではどちらを優先するかは考えるまでもないが、普段から令嬢への忠誠心も培われている兵たちにとって、抗い難い要求であることも確かだ。

 それでも令嬢への忠誠心より令嬢の身を案じる親心に近い感情が、門を開けることを拒ませていた。


 そして兵たちは砦内に法儀式済みの武器なしで突入するなど、日頃人殺しの技を磨いている自分たちですら無謀な行為であることを挙げる。

 そこへイヴリー程度の技量の者が法儀式を施していない武器防具で入ることは自殺行為でしかないことを指摘して諌めている。

 それがイヴリーには気に入らない。


 イヴリーはそれなりに自分の技量に自信を持っているが、それが道場剣法であることに気付いてはいない。

 兵たちとの鍛錬でも道場のルールに則ってイヴリーと剣を合わせているに過ぎず、いざとなれば相手の喉笛に喰らい付くような隠された技術を見せることはない。

 ましてや雇い主の令嬢に怪我をさせるわけにも行かず、適度なところで降参するように申し合わせが成されている。

 ニリピニ伯も、娘を武人として育てたいという希望は持ち合わせていない。

 最低限の武技と、護身術が身に付けばよいという程度だ。

 兵たちが娘との立会いに手を抜いていることには、ある意味感謝していた。

 縛り上げて屋敷に送り返す方法もあったが、これは指揮官が寸でのところで留まってしまった。

 結果的にはこれが一番良い対応策だったのだろうが、雇い主の令嬢への最後に残った礼儀がそうさせなかった。


 ついに指揮官は、イヴリーの熱意に負けた。

 イヴリーの父を想う心根に動かされた部分と、やはり目の前で命令されてしまっては逆らい切れない部分とがあった。

 最終的に兵たちは、中にいるアービィたちとエンドラーズに期待することにして、対応を丸投げしてしまった。

 兵のほとんどが剣を抜き払い、門に向かって構える間、指揮官は最後に残った聖水をイヴリーの剣に振り掛ける。


 指揮官に法儀式を施すことはできなかったが、多少でも聖水の効力が剣に宿ればアービィたちと合流するまでくらいは持つだろう、そう期待しての行動だった。

 そして、イヴリーを叱り飛ばして門から摘み出してくれることを期待しつつ、すり抜けてくる悪霊たちに備えつつ門を開けた。



 イヴリーは勇躍門の中に踊り込み、群がる悪霊に剣を振るう。

 聖水の効果が悪霊を斬り裂き、まるで風船を割るかのように消滅させていった。

 あまりの呆気なさに何が彼らを恐れさせたのかイヴリーは訝しむが、技量の差だと勝手に思い込む。

 だが、数十体の悪霊を斬り捨てた時点で、聖水の効力も切れていたことには気付いていなかった。


 そこへグールが襲い掛かる。

 悪いことにそのグールは私兵の犠牲者の一人で、イヴリーとも顔見知りだった。

 殺されて一日程度では、それほど腐敗も進まない。

 生前の姿をほとんど残している。

 イヴリーは何故自分に刃を向けるか怒鳴りつける。

 だが、生前の幽かな記憶より殺意と悪意が上回り、イヴリーに襲い掛かってきた。


 寸でのところでグールの一撃をかわしたイヴリーは、剣を横薙ぎに一閃させる。

 間違いなくグールの胸に刃が届いているが、斬り裂いたはずの部位は刃が通り抜けた瞬間に傷が塞がっていく。

 門から遠ざかるように走り、グールの攻撃を避けるが足が縺れ床に倒れこむ。

 床に仰向けに転がったイヴリーに覆い被さるようにグールが圧し掛かり、喉に手が伸びてきた。

 イヴリーの表情が驚愕の形に固まり、喉から悲鳴が絞り出されたとき、グールの姿が消失した。



 アービィは、少女に圧し掛かるグールの脳天に、躊躇うことなく法儀式済みの短刀を投げつけた。

 狙い違わずグールの脳天に突き刺さった短刀は、そこまで飛翔した運動エネルギーを減じながらそのままグールを刃の進行方向に押し潰した。


 呆気に取られ、茫然自失状態の少女をルティが引き起こし、門に向かって引き摺っていく。

 突然我に帰った少女はルティの腕を振り払い、傲然とした態度で文句を言い始めた。

 ルティはこの少女をニリピニ辺境伯の屋敷で見て、辺境伯令嬢であるイヴリーと知っていた。

 このままここにいても、殺されるだけだということも。


「何を……私もお父様のお手伝いをさせてくださいっ! どこへ連れて行こうとなさるのですか!」

 イヴリーはルティの手を振り払おうとする。


「決まってるじゃありませんか。あなたが殺される前に、門から連れ出します。ちょうど、私たちも外に用事がありますので」

 平然とルティが答えた。

 文句言う前に何かいうことあるんじゃありませんか、お嬢様。

 そう顔に書いてある。


「私が殺される? 誰に? この私を誰が?」

 理解し難い、といった風情でイヴリーが言った。


「たった今、潰されたカエルみたいな格好で、声だけは可愛らしく悲鳴を上げていらしたのは、どこのどなた様?」

 急接近した悪霊を一刀両断しながら、ティアが畳み掛ける。


 後から際限なく湧き出てくる悪霊に、さすがに疲れが見え始めていた。

 やはりここは一度退き、慰霊碑の場所を確認してから出直さなければ、ジリ貧になるばかりだ。


「今のは知ってる顔だから驚いただけです。ですか──」

 なおも言い募ろうとするイヴリーが言い終わる前に、音もなく目の前に立ったアービィの平手打ちが気持ちのいい音を残してイヴリーの頬を捉えた。

 軽快な平手打ちの余韻が残る中、全員が言葉もなく悪霊と戦っている。

 まさかこの状況下で、アービィが手を出すとは思いもしなかった。


──見た? モロよ。手加減なし……?──

 メディがルティに囁く。


──あれ、手加減はしてるわよ、ティアなんて剣の腹で力一杯よ……──

 ルティが答える。


──あれは痛かったわ~、目から火花が出るって、初体験だったもの──

 ティアが注釈を入れる。


──アービィ殿も容赦がございませんな──

 エンドラーズは笑いを堪えている。


──手加減くらいはしてるよ~──

 アービィが弁解した。

 もし本気だったら、首の骨が一発で折れているだろう。

 いや、首と胴が泣き別れしていたかもしれない。

 さすがにそれくらいはアービィも分って、脳震盪を起こさない程度に加減はしていた。


 イヴリーは頬を押さえたままで、黙って立ち尽くしている。

 いつの間にか、イヴリーとアービィを中心に、背中合わせの円陣になっていた。

 そのまま東門に向かって、円陣がじりじりと進む。

 アービィは床に刺さった短刀を抜き、イヴリーに渡した。


「とりあえず、これで身を守るくらいはできますよね? とにかく一度外に出ます。慰霊碑の場所が分らなくちゃどうしようも──」


「知ってますわっ! こちらですっ!」

 アービィにみなまで言わせず、イヴリーは円陣を突き破り走り出した。


 取り残された一行が、付き合い切れんという表情になる。

 だが、放っておくわけにもいかない。

 有益な情報を持つなら利用するしかないと開き直り、イヴリーを追い始めた。

 イヴリーは一行が付いてくるのを見ると、僅かに自尊心が満たされたか満足げな表情を見せていた。


 東門の前に戻ったと思うと、門と反対側の大扉の前にイヴリーが立つ。

 息を整えたイヴリーが扉を指で差しながら、こちらです、と意思表示する。


「この中?」

 イヴリーとエンドラーズ以外の四人が、一斉にエンドラーズを見た。

 一番近いところじゃないですか。

 八つの瞳がそう責めていた。


 入ってすぐ開けてはみたが、奥が暗かったため後回しにしようとエンドラーズがいきなり閉めてしまってた扉だった。

 その後、三回同じようなことが繰り返されている。


「よろしいではございませんか、皆様方。ちょうど良い準備運動でございますよ」

 笑いながらエンドラーズは、まったく悪びれることなく答えた。


「この扉の中は、回廊から中心に向かう廊下です。東西南北の回廊から伸びている廊下の交点になる部屋に慰霊碑があります」

 アービィの平手打ちで少しは焦りが抜けたのだろうか、イヴリーはさっきと別人のような落ち着いた表情になっている。


「では、少々体力回復とまいりましょうか、皆様。おそらく、中は悪霊共の通り道。今まで以上の数が襲って参りましょう」

 エンドラーズが聖水で床に魔法陣を描く。


「この中にお入りください。悪霊やグールから姿が見えなくなります。皆様、回復薬と触媒はお持ちでしょうな?」

 中心に陣取ったエンドラーズが全員に訊ねた。


 魔法陣の中に入ると、外周には薄い曇りガラスがはめられたように外側が見える。

 悪霊やグールが側を通るが、全く気付かないようだ。

 時折、悪霊やグールが魔法陣の外周に触れると、弾かれたように数メートル跳ばされていた。

 全員が『回復』を掛け合い、疲労を取り去る。

 触媒を用いて活性化させた回復薬で呪文の使用回数を回復させ、しばしの休憩を取ることにした。



「ところで、さっき私の顔に手を挙げたあなた。どういうおつもりかしら?」

 差し迫った危機を脱したからか、イヴリーがアービィに突っかかる。


「おしりぺんぺんの方が良かったですか? 大人の扱いのつもりでしたが」

 アービィは微塵も悪いと思ってない。


 イヴリーは一九歳になっているので、この世界でも充分大人と認められる年齢だ。

 手入れの行き届いたしなやかな髪は栗色と言うには少々色素が薄いが、それが光沢となり気品を醸し出している。

 その髪を後ろで一つに纏め、鎧の背へと流しているが、先程の戦闘で埃まみれだ。


 健康的に日焼けした肌は快活な性格を物語っているが、少々釣り気味の双眸は負けず嫌いな勝ち気さも表していた。

 瞳は南大陸では一般的な栗色で、その下に続く鼻と口はバランス良く整えられている。

 何不自由なく育てられたであろうが、その身体に無駄な贅肉は溜め込まれることはなく、そのせいではないだろうがルティには親近感を抱かせる体型を軽鎧に収めていた。


「……っ!? なんて、はしたないっ! そんな、私を幼児扱いなさると!?」

 プライドを傷付けられたか、イヴリーはアービィに絡み続ける。


「これは失礼しました。幼児に。あなたはまだお分かりではないようですね。ここは命の遣り取りをしてるんです。道場のように、一本取れば相手が引き下がるところじゃありません」

 アービィが一気に切り捨てた。


「なによ、幼児に失礼ってっ!? お父様にちょっと目を掛けられてるからっていい気になってるんじゃないわよっ! だいたい、なんで討伐の命令を受けてるのに、クシュナックに行ったりしてんのっ!?」

 顔を真っ赤にしてイヴリーが怒鳴り散らす。

 あまりの言われように、身に染み付いているはずの嗜みすら吹き飛んでいた。


「あなたは僕たちと辺境伯閣下との話を、全部聞いていた訳じゃありませんね?」

 アービィはイヴリーを落ち着かせようとする。

 ここで魔法陣を飛び出されたら、また余計な戦闘に巻き込まれてしまう。


 まず、この討伐は命令ではなく、依頼によるものだということ。

 次いで悪霊を滅するには銀製の武器やマ教の法儀式ではなく、精霊による祝福法儀式が必要であること。

 永続的な法儀式の効力を得るには、神殿に行かなければならないこと。

 さらには、急にいなくなったイヴリーを辺境伯が何よりも心配するであろうことを、アービィは懇々と説明した。


「そう……私は……役立たずなの? お父様の役に立ちたい、少しでも力になりたいって……そう思ってはいけないのっ!? それってダメってことなのっ!?」

 イヴリーは自分の行動の迂闊さに気付いていたが、素直に認めるには中途半端に年齢を重ねていた。

 もっと幼ければ、親に叱られたときのように素直に聞けたかも知れない。

 さらに年齢を重ねていれば、間違いを糺すことに抵抗を感じないように成長していたかもしれなかった。

 少女と大人の境にある時期特有のプライドが、彼女が本来持つはずの素直さを邪魔している。


「あなたは本来辺境伯閣下のお側にあってお支えするのが、一番お役に立てるんです。でも、今は……」

 アービィは少しの間、どう言葉を続けるか迷った。

 このまま役立たずと説教を続けて外に放り出すか、プライドを粉微塵にするのではなく、多少は満たせるように案内をしてもらうという形で治めるかを迷っていた。


 一番簡単なのは、慰霊碑までの道も解ったし、イヴリーを砦から放り出して五人で進むことだろう。

 だが、もう言うなりになることはないだろうが、外を固める兵たちがイヴリーの八つ当たりで蒙るであろう気苦労を考えると、このまま手元に置いた方がマシかも知れない。

 自分たちは法義式済みの防具があるので悪霊から傷を受けることはないが、イヴリーはそうもいかない。

 聖水の余分はないので、エンドラーズによる簡易な法義式も無理だ。


「では、こう致しませんか?」

 アービィの迷いが解ったのか、エンドラーズが助け船を出す。


「今からイヴリー殿を外に放り出すと、警護の兵たちに多大なる迷惑となりましょう。最後までご同行願います。戦闘に口出しは認めません。大人しく我々の指示に従ってただきます」

 エンドラーズは言い渡す。

 そして不満げなイヴリーには目もくれず、アービィたちに向きなおり、慰霊碑までの作戦を示した。

 さして広くない廊下を進むため、陣は基本的に単縦陣で最も戦闘力があるアービィとエンドラーズが先頭か殿を務める。

 次いでルティ、イヴリーと続くが、イヴリーの両側をティアとメディがエスコートする。

 悪霊の噴き出し口に近付くにつれ、霊力が高まるために壁抜けくらいして来るであろうことへの対策だ。


 ここまで進む間に悪霊たちの霊力を推し量っていたエンドラーズは、噴き出し口はさほど広くはなく霊力の減衰が著しいことを感じていた。

 広い噴出口があれば冥界から漏れ出る霊力に後押しされ、砦の外壁など物ともせずにすり抜けることができたはずだ。

 生物に対する攻撃力しか持たず、無生物を破壊することができない悪霊共には、冥界からの霊力の後押しがなければ紙一枚の壁すら抜くことはできなかった。

 慰霊碑の間と回廊を隔てる大扉が何らかの封印効果が付与されているのか、霊力を遮断する役割を果たしているようだ。

 だが、その大扉を抜ければ、噴出口まで冥界からの霊力を遮る物はない。


 慰霊碑の間までの廊下では、どこから悪霊が湧き出てくるか予測が付かなかった。

 そのため、最後尾にも戦闘力が高い者を配置する必要があった。

 隊列の中間に攻撃を受けた際、先頭にいては振り向く分だけ対処が一呼吸遅れてしまうが、最後尾であれば踏み込むだけで済む。

 これだけなら誰でも務まりそうだが、同時にバックアタックにも備えていなければならないからだった。


「あなた、何者なのです? 風の神官風情で私に命令する気ですか?」

 言葉遣いや態度は礼儀正しいが、あまりにも一方的な物言いがイヴリーの癇に障ったのか、態度に棘がある。


「これは、これは……自己紹介がまだでございましたかな。私は、風の精霊神殿最高神祇官、エンドラーズと申します。精霊に全てを捧げております故、家名はございません」

 イヴリーが言うように、ただの神官風情が貴族に対して命令するなどとんでもない。

 その論法に従うならば、最高神祇官に貴族風情が対等の物言いをするなど、さらに許されない不遜な振る舞いだ。

 最高神祇官に対等に物申すなど、王と上位の王位継承権者まで。

 公爵家当主ですら、対等な物言いは無礼といわれている。


 弾かれたようにイヴリーが後退り、片膝を突こうとする。

 だが、魔法陣から出そうになってしまい、エンドラーズに引き戻される。

 場を改めてイヴリーは片膝を突き、頭を深く垂れ、顔の前で両手の指を組み合わせ、礼拝の形を取る。

 生まれて以来叩き込まれてきた最高神祇官への尊敬の念と、礼儀作法がそうさせていた。


 アービィたちは、今まで軽口を叩き合ってきた相手がとんでもない人物と判明し、目を白黒させたまま立ち尽くしてしまった。

 尊敬の念がないとか礼儀作法に疎いというわけではないが、場の展開に頭が着いていってない。

 それに、風の最高神祇官は齢七〇に手が届くと聞いていた。

 眼前で超然とした佇まいを見せる男性は、どう見ても三〇代半ばか四〇に手が届くかといった容貌だ。

 精悍さを湛えた顔の造作は、決して厳しさだけに染め上げられてはおらず、深い優しさを湛えている。

 引き締まった身体には贅肉などひとかけらも認められず、近接戦闘に不可欠な筋肉への直接打撃を防ぐための適度な脂肪があるだけだ。


「え~っ!? エンドラーズさん……いえっ、エンドラーズ様って、そんな偉い方でした……のぉっ!?」

 ルティが叫ぶように聞いた。


「いやいや、そのような態度は不要ですぞ、イヴリー殿。あれ? 言ってませんでしたかな、ルティ殿?」

 初対面では湧き上がる戦いへの期待感を抑ええるために、終始不機嫌に見える態度でほとんど言葉も発していない。

 その後は逸る気持ちが先走り、身の上の話などする機会は全くなかった。


 そういえばニリピニ辺境伯の屋敷でも状況を把握をするなり飛び出してきてしまったので、知っているはずの辺境伯も何かを言う暇すら与えられていなかった。

 最高神祇官が人前に出ることは滅多にないため、イヴリーが知らないことも仕方のないことだった。


「聞いてませんっ! それに風の最高神祇官様は、もっとお年を召した方だとばかり……」

 呆れ半分で、今までの態度を改めることを忘れたルティがさらに聞く。


「当年取って六八の爺です。精霊のご加護で肉体の年齢は止まりましてな。代々最高神祇官は、何か超自然的なご加護を受けています。五感の何れかが超人的であったり、人心を読み取る力があったりと」

 私のような例は聞いたことがありませんが、と付け加えた。


「いえ、それはいいとしてですね……そのようなお立場の方御自ら、このような危険な場所にお越しになってよろしいのですか?」

 多少落ち着きを取り戻したアービィが訊ねた。


「出てくるまでは、大変でしたぞ。皆、年寄りの冷や水とまで申しましてな。解ってもらえるように、実力で出てきたまでです」

 そういえば、風の神殿を出るときに、前日に会った神官を含め誰も見送りに来ていない。

 戦いの渦に身を投じる仲間なのに、と思っていたが、エンドラーズの態度から何となく曲解し、その件については聞くことができなかった。

 ということは、最高神祇官が不在のうえ、アービィたちの武器防具に祝福法義式を施した神官たちだけではなく、さらに数人の神官が不在となっているということは、風の神殿は機能不全に陥っている可能性があるということか。


「さっさと終わらせようね」

 僕が言いたかったのはそういうことじゃないんです、と呟きつつ、アービィが頭を抱えて言った。



 前述の隊形を組み、大扉を引き開け慰霊碑への廊下に滑り込む。

 すぐに人の気配を察知した悪霊が、音もなく接近してくる。

 正面から来る悪霊は、エンドラーズが片っ端から斬り捨てる。

 一瞬何かが爆発したように煙のような粉塵が辺りにまき散らされるが、それに怯む者はいない。

 イヴリーにはアービィの剣を片方貸してあるので、最低限身を守ることはできるだろう。

 しかし、一対一の修練しか積んでいないうえ防具がないため、多数を相手にさせるのは無理と見て両側のエスコートは不可欠だ。

 群がる悪霊をいったいどれほど斬っただろう、廊下の奥に広間が見えてきた。

 真っ先に大扉を通り抜けていれば労力は四分の一以下で済んでいたはずだが、イヴリーを救うことはできなかったかもしれない。


「さて、ようやく到着のようですが……」

 一行は広間に入っていった。



 そこは、一辺が二〇メートル程の広間になっていた。

 中心には山から削り出しただけといった平たい石が佇立しており、古語で死者を悼む言葉が刻まれている。

 しかし、その言葉を打ち消すかのように、どぎつい色の塗料で言葉として発することをはばかられるようなスラングが、見るに耐えないほど書き連ねられていた。

 そして石の下部が集中的に打ち砕かれ、掘り返されたように地面に大きな溝ができている。


 溝からは障気が溢れ出し、冥界から悪霊が湧き出ていた。

 その石碑の前には今まで襲いかかってきた悪霊とは全く別物の、強大な悪意を感じさせる身の丈一メートル程の小柄な悪霊が、黒い衣を纏って立ちはだかっている。


 レイス。

 エンドラーズの口から言葉が零れ、それまでの表情が一変する。


 寄りにもよって、とんでもない悪霊が現出していた。

 悪霊というよりは、悪魔に近い存在。

 数多の悪霊を使役する力を持ち、祝福法義式済みの武器でさえ急所を外せば無効化してしまう。

 倒すには、的確に急所である眉間を突くしかない。


 持てる魔力は、無限。

 生前の精神力だけで存在しているためか、呪文の使用回数に限界はない。

 祝福法儀式のおかげで物理的な攻撃こそ相殺できるが、繰り出されるレベル四の呪文が脅威だ。

 そしてこちらの呪文は、身に纏う闇の衣が効力を減殺してしまう。

 対抗するには、地の白魔法レベル二の呪文効果を減殺する『魔壁』と、レベル四の全ての攻撃を減殺させる『全壁』、そして風の白魔法レベル二の呪文を封じる『封魔』だけだ。

 エンドラーズが全ての呪文を操ることができる稀有の人であるし、ルティとティアもレベル二は使えるようになっているので呪文の不備はない。


 最も確実な戦法は、『封魔』でレイスの呪文自体を封じてしまい、斬り捨ててしまえばよい。

 しかし、風の最高神祇官を以ってしても、レイスが纏う闇の衣を通して呪文の効力を発揮させられるか、その保証は全くない。

 『魔壁』でレイスの呪文のダメージを減殺し、斬りかかるしか方法がないかもしれない。

 なにしろ、レイスを倒さないことには、慰霊碑に祝福法儀式を施すことができない。


 邪魔だった。

 単純に、そこにいることが邪魔だ。

 レイスさえ排除できれば、あとはエンドラーズが法儀式を行う間、アービィたちで悪霊を寄せ付けなければよい。

 溝は聖水を流し込んで悪霊の噴出を一時的に止め、持参した法儀式済み銀箔で塞いでしまえばそれで済む。


 メディがイヴリーに寄り添い、他の四人がレイスの前に立った。

 エンドラーズが『全壁』を、ルティとティアが『魔壁』を唱える。

 その声を合図に、アービィが闘気を全身に漲らせ、剣を振りかざしレイスに突っかけていった。

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