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狼と少女の物語  作者: くらいさおら
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第44話

 クシュナックへ向かう馬車の中で、メディは盛大に落ち込んでいる。

 蔑まれ、差別され、偏見の目で見られることに慣れてはいた。

 だが、やはり気持ちのいいものではないし、諦めているといっても怒りがないわけでもなかった。

 そういう目で見られたときは、怒りを露わにすることはなかったが、その程度のことしかできない奴め、という『蔑み』の目で見返していた。

 結局、同じことをやり返しているだけだった。


 差別する奴には、そういう奴だという扱いを、つまり差別していた。

 偏見の眼差しを向けてくる奴が多い階層に属する者には、そのような見方をされる前から、どうせアイツは私のことをこう見ていると決めつける、つまり偏見があった。

 昨日もそうだった。

 ニリピニ辺境伯の招待に対して、人となりを知る前から貴族だからと、自分のことをどう見ているかを決めつけて、偏見の目で見て、蔑み、差別していた。

 自分がやられて一番悲しいと思うことを、無意識にやりかえしていたのだった。


 ニリピニ辺境伯にも下心がなかったとは言えないが、それは領民のことを思えばこそのことだ。

 ラシアスでの一件を知らぬ立場でもあるまいに、それでも勇者を抱き込もうとしたという後ろ指を指されることを覚悟したうえでの行動であるにも拘わらずだ。

 見栄があったとはいえ、私財をなげうって町を発展させ守ろうとしている人を、そんな目で見ていた。

 民から集めた税金と言ってしまえばそれまでだが、税は貴族の私財だ。

 それを自らの贅のみに費やすのではなく、町のために、見栄であっても結果的には民のために費やしているノブレス・オブリージュを地で行く人物だった。

 ここにいる中で、いや今まで会ったことのある人たちを含め、自分が一番賎しい。

 メディは自分を、そこまで追いつめてしまっていた。


 頬を涙が、一筋伝う。

 それは今まで堪えていた何かの糸が、切れた瞬間だった。

 涙が止まらなくなり、しゃくりあげ始める。

 止めようと思っても、止まらない。

 それどころか、呼吸の幅は狭くなる一方だった。

 次第に声が漏れ始め、何時しかメディは号泣していた。

 アービィたちがメディの豹変に気付いて心配しているのは解るのだが、涙も声も止められなくなっている。

 馬車を曳くノタータスまで、何事かと後ろを振り返り、立ち止まってしまった。


 正に号泣だった。

 化け物にされたときでも、自分をこの姿に変えたことを悔いた恋敵が、自ら命を絶ったときでも、その両親と和解したときでも、こんなにも号泣はしていない。

 情けなかった。

 悔しかった。

 悲しかった。

 ネガティブな感情が、全て自分を指さして嘲笑しているようだった。


 アービィは、人狼が人からどう見られているか知っている。

 それ故に正体を隠している。

 灰色の髪も瞳も少ないとはいえ、差別や偏見の対象ではなかった。

 ティアは、ラミアが人からどう見られているか知っている。

 それ故に正体を隠している。

 銀の髪も、今変化している栗色の瞳も、髪の色こそ少ないとはいえ、差別や偏見の対象ではなかった。

 だが、メディは差別や偏見、蔑みの対象の目印である髪の色も、瞳の色も変えることはできない。

 ラミアのティアラの力のお陰で、蛇たちが温和しくしているだけだ。


 アービィにも、ティアにも、メディに軽々しく掛ける言葉はなかった。

 ただ、何も言わず見ているしかなかった。

 ルティにしてみれば、何を言っても傲慢にしかならない。

 差別も蔑まれることもなく、偏見を持たれることもない、極普通の立場。

 確かに貴族からは、平民ずれがと差別されることはある。

 どうせ平民、と偏見を持たれることもある。

 だから平民、と蔑まれることがある。

 だが、それは別世界の者がどこか遠くで言っていることであり、メディのように毎日指さされて言われることではなかった。


 誰もが言葉もなく、どうしていいか解らなかった。

 ただ、泣き崩れるメディの髪を、優しくそれぞれが撫でるしか、できることはなかった。



 その状況を、ただの一瞬で変えた者がいた。

 ノタータスは極度の緊張のあまり、以前ゲイズハウンドの襲撃を受けた時と同様、立ったまま失神していた。

 足下に水溜まりができる盛大な音が、再度彼の精神状態を雄弁に語っていた。


 「あ……」

 馬車が進んでいないことと、盛大な水音にメディが気付き、声を上げる。


 「え?」

 他の三人もそれに気付き、間抜けな声を上げた。


 慌てて馬車を飛び出したアービィが、渾身の力でノタータスが崩れ落ちないように首の下に潜り込んでその身体を支えた。

 メディは白目を剥きかけた鼻面を、優しく撫でている。

 ルティとティアはクリプトから教わった通り、絞った布でノタータスの身体を吹き始めていた。


 言語こそ解さないが、空気を読む能力ならば人を超えているノタータスは、優しくケアされていることに安心して目を開けた。

 だが、首の下から伝わったアービィかうっかり解放した狼の気配に、彼の意識は再び深い闇の中へ沈んでいってしまった。



 「どーしよーかー?」

 直後に襲ってくるルティの折檻に怯えつつ、アービィはノタータスを抱えたまま棒読みのように訊ねる。


 「気配を変えなさい」

 ルティはアービィを威しにかかる。


 「わかったよー」

 ルティの殺意が伝わったアービィは、今度こそ本気で棒読みになり、狼の気配を収める。

 ちょっと震えが入ったことは、御愛敬というものだろう。

 二人の芝居がかった雰囲気に小さく笑ったメディは、ようやく涙が止まったことに安堵していた。

 三人ともメディに泣いた訳など聞かず、ノタータスの復旧を待って馬車を走らせ始めた。



 クシュナックは、キャスシュヴェルから馬車で五日の距離だ。

 一日目に泊まった宿で近道がないか訊ねてみたが、途中かなりの危険を冒して間道を抜けても一日分しか稼げないと言われてしまった。

 街灯などないこの時代、夜を徹して走るなどできるはずもない。

 ノタータスの疲労も考えると、あまり無理もできないだろう。


 ゲイズハウンドに襲われたときのこと考えるに、間道を抜けるのは彼の精神のためにも止めた方がいい。

 アービィの獣化も、同じ理由から厳禁だ。

 結局、二日目以降は宿を取らず、日の出から日没まで走れるように野営することに決めた。

 翌日の朝食をレーション程度でいいので夜のうちに作ってもらい、宿泊費も夜のうちに清算することにした。


 翌朝は日の出前に起きだして黎明のうちに宿を発ち、クシュナックまでの街道をひた走った。

 途中の集落でレーションと飼い葉を買い足し、水場を見つける毎にノタータスに休息を取らせつつ道を急ぐ。

 幸い、街道沿いで魔獣の襲撃に遭うこともなく、四日目の昼過ぎにクシュナックに到着した。

 すぐに神殿に行き、それぞれは精霊と契約を済ませ、神官に祝福法儀式について相談する。


 祝福法儀式は一日掛かるため、明日にならなければできないこと、お布施が少々高くつくとのことだ。

 祝福法儀式は数人の神官が掛かりきりになるうえ、精神力をかなり削られてしまい数日寝込むような事態になるため、その間の補償という形で武器や防具一つに付き銀貨五枚のお布施を要求しているらしい。

 何があるか分からないので、手持ちの武器と防具全てに祝福法儀式を受けることにした。

 防具に関して神官と相談すると、例えばルティやティアのようにチェーンメイルと軽鎧を併用するなら、どちらか身体を覆うパーツが多い方だけ法儀式をすれば良く、アービィのようなブレストプレートと篭手となるならば各個にする必要があるとのことだ。


 それぞれが必要と思われた防具と、アービィの二振りの短刀、ルティの剣、ティアの弓矢と小太刀、メディの剣、そして汎用性の広い共用のダガーを神官に預ける。

 全ての分で金貨一枚を併せて渡す。

 メディの剣は、ルティがマグシュテットに行くまで使っていたものだ。

  幼い頃から身の回りに武具が当たり前にある環境で育ったメディは、剣であれば形になる程度に扱うことができた。


 翌日の夕方、祝福法儀礼済みの武器防具を神官から受け取る。

 見た目の変化は全くなく、預ける前と使い心地が変わったわけではない。

 それでも刀身が放つ光は、どことなく輝きを増したようにも感じられ、生まれ変わったような印象を受けた。

 その際にルティはひとつ気がかりなことを、神官に訊ねた。


「これで悪霊たちに対抗できることは解りました。ただ、慰霊碑が壊されたままでは、今いる悪霊を倒しても次々に出てくるだけじゃないですか? どうすればそれを止めることができますか?」

 未来永劫に渡って、自分たちが悪霊と戦い続けるわけにはいかない。

 慰霊碑がどれほど壊されているか解らないが、壊される前は封印の役割を果たしていたのだから、これに代わるものか修繕が必要だろう。


「そのことに付きましては、我々からも相談させていただこうと思っておりました」

 四人は神官の話を聞く。

 慰霊碑自体に悪霊を鎮める力を持たせるには、数カ月掛かりの祝福法儀式を施した石材が必要となる。

 金属や木材では長い年月の間に腐敗し、効力がはがれ落ちてしまう可能性が高いからだ。

 今回のようなことがあっても簡単に悪霊が吹き出してしまわないように、アマニュークの砦自体に法儀式を施す必要があると風の神官たちは考えていた。


 まず、高位の神官とアービィたちが砦に突入する。

 そして立ち塞がる悪霊たちを討ち鎮めながら壊された慰霊碑まで行き、神官が仮の封印を施す。

 その間無防備になってしまう神官を、アービィたちが護衛する。

 仮の封印が完了し、新たに悪霊が現出できない状況を作り出したのち、砦内をさまよう霊たちを滅し去る。

 その後、地水火の神殿からも神官を派遣し、砦全体の法儀式と新たな慰霊碑の法儀式を同時進行で行う。


「以後、砦は立ち入り禁止にしていただきたいところですが、そうもいきますまい。そのためには、最低でもこれくらいの処置が必要です。明日までに、あなた方と同行する者を選んでおきます」

 簡潔な説明のあと、神官はそう締め括った。



 神殿を出ると、外はすっかり陽も落ちていた。

 街は夕食を選ぶ家族連れや、一日の労働を終えひとときの憂さ晴らしのため酒場や娼館を探す者たち、それらを呼び込む商店の主や酒場女、娼婦たちの声が交錯している。

 四人は肩を並べ屋台を覗いたり、さまざまな商店を冷やかしながら、街の風景に溶け込んでいた。


 すれ違うどの表情も、不幸を感じさせるものは少なかった。

 それを眺めながら、案外と幸せって簡単なことなのかな、とアービィは考えていた。

 ルティの両親に拾われてすぐの頃、村の教会の神父から聞かされた昔話は、貧しかった人々が王族になったり、貴族になったり、ドラゴンを退治してたくさんの宝物を手に入れたりしたあと、『そして主人公は幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし』いう話が多かった。

 間接的に、幸せにとは贅沢な暮らしができるようになることを示唆するものがほとんどだった。

 

 確かに村の暮らしは裕福ではなかったが、貧困に喘ぐということはなかった。

 昔話のような豪奢な暮らしを幸せというのなら、あの村は不幸だったのか。

 そんなことはないとアービィは思っている。

 ルティと一緒にいられる、それだけだって幸せだ。

 お金が全くなければ、それは確実に不幸だ。

 だが、豪奢な暮らしができるということだけが、幸せということなのだろうか。

 あるに越したことはないが、あれば良いというものではないだろう。

 もし、使い切れないほどの財産を手にしても、ルティがいなかったら少しも幸せを感じられないと思う。


 この街には差し迫った危機は、今のところない。

 もちろん、街を出れば魔獣がうろつき、野盗が獲物を狙っている。

 不幸にして命を落す者や財産を奪われる者もいるのだが、それでも街をゆく人々は幸せそうな表情を見せている。

 キャスシュヴェルの町にも、アマニュークの災いが起きるまでは、こんな顔が溢れていたのだろう。

 アービィは、将来のことと併せて、そんなことも漠然と考えていた。



 翌朝、神殿前で同行する神官と合流する。

 その神官はエンドラーズと名乗る、仏頂面で不機嫌さを振り撒く男だった。

 挨拶こそすれ、自分からは一言も話しかけてこない。

 馬車の中でも目を閉じたまま、腕を組んで座っているだけだ。

 途中水場を探しての食事の際も、持参したレーションを水で流し込むように胃に納めると、すぐに馬車に戻って目を閉じてしまう。

 場を持たせられなくなったアービィたちも、つられるように黙り込んでしまった。

 かと言って、行程を急ぐために休息が少ないことや、馬車の乗り心地、宿を取らないことについて抗議するわけでもない。

 聞いたことには最低限だが答えるし、嫌々という感じは漂うが拒絶する感じではない。

 どうやら極度の無口で、人付き合いが苦手なだけなのだろうと考えることにした。

 それが解ってしまえば、こちらからも最低限の干渉だけに留めたほうが、お互いの精神衛生上好ましいとアービィたちは判断した。


 息が詰まるような二日間と、密度の濃い空気が馬車の中を占拠しているような二日間を過ごし、キャスシュヴェルに到着した。

 その足でニリピニ辺境伯の屋敷へ行くと、あからさまに雰囲気がおかしくなっている。

 領主が迂闊な行動を取るべきではないと考えるニリピニ辺境伯は、執務室に篭って指示を出したり報告を受けたりしているが、今にも執務室を飛び出しかねない焦りを纏わり付けている。

 報告に訪れ、指示を受けて行動を起こす私兵たちは、辺境伯の焦りが乗り移ったかのように屋敷を飛び出して行った。


 アービィたちの姿を認めると、僅かに落ち着きを取り戻した辺境伯は侍女に茶の用意を命じ、アービィたちを執務室に招きいれた。

 再開の挨拶もそこそこにアービィが神殿からの対処法を伝え、エンドラーズを紹介する。

 当面の対処法の説明が終わると、次は辺境伯が現状の説明に入った。

 アービィたちが不在の間に、かなり由々しき事態が発生してしまったとのことだ。


 辺境伯が私兵を派遣し、度胸試しに集まる莫迦者共を締め出しに掛かる直前に、町の破落戸の一団が砦をねぐら代わりにしようと入り込んでいた。

 観光客の足も遠退き、官憲も手出しできない危険域は、彼らにとって隠れ家にするには好都合に思えたのだろう。

 私兵が到着し、砦の周囲に警戒線を張っている間に中から悲鳴が上がり、二人の破落戸が飛び出してきた。

 中にまだ仲間が、と破落戸が怯えと狂乱の中で叫び、意を決した兵が突入した時点で更なる悲劇が起きてしまった。

 

 彼らが砦に侵入したのは、アービィたちがクシュナックに出立する前日のことだった。

 破落戸はいくつかのグループに別れ、砦の中を『探検』していた。

 最初に悪霊に襲われたグループ五人は、わずか数秒の間に全員が声を上げる間もなく殺された。

 以前は人目もあり、死体をすぐに回収できていた。

 だが、現在砦の中にいるのは破落戸だけで、それぞれは隠れているだけだと思っていた。

 その状態で数日が過ぎ、悪霊が取り付いた破落戸の死体はグールと化す。

 グールは肉体が腐敗し続けるが、内側は既に悪霊だ。

 腐敗が進み、肉体が維持できなくなると、再度悪霊として現世に留まる。

 グールに殺された者は即グールと化し、更なる被害者を求めて彷徨い歩きはじめる。


 悪いことにグールはある程度生者だったときの記憶を引き摺っているため、仲間だった破落戸が逃げようとするルートで待ち伏せるという悪虐な方法で自らの仲間を増やしていた。

 八日の間に、最後の一グループ六人を残し入り込んだ破落戸全てがグールと化し、辺境伯の私兵が砦を囲んだときにそのうち逃げ切れた二人が飛び出してきた。

 慌てて救出のため突入した私兵に、たった今グールに変化した四人と他のグールが襲いかかり、瞬く間にグールが増えていく。

 命からがら脱出した兵がなんとか砦の門を閉め、グールが外に出ることを防いでいだ。


 それまでは観光客や破落戸という獲物がいたため外に出ようとはしなかった悪霊だが、たった今逃した獲物を追うグールにつられ砦から出ようとしていた。

 決死の思いで兵が門に閂を掛けて周り、今のところ外部への侵出は食い止めている。

 だが、いつそれが破られるか甚だ心許ない状況になっていた。



 一刻を争う事態になっていると判断したエンドラーズは、明日を待たずに現地へ向かうと言った。

 馬車の中で見せていた無愛想、不機嫌といった雰囲気が一変し、心の底から楽しそうな生き生きとした表情になっている。


「さぁ、いきましょう! 私のことはご心配なく。精霊の加護を受けた私に、悪霊如きが私に傷ひとつ付けられるものではありません」

 エンドラーズは持参した荷物から、聖水と仮封印用の法儀式済み銀箔と法儀式済み聖剣を引きずり出し、身体に括りつける。

 そんな嬉しそうにしなくても、という表情のアービィたちも手早く準備を整え、アマニュークへと出立していった。


 アマニュークへ向かう馬車の中では、別人かと思うほど饒舌になったエンドラーズが作戦の詳細を説明する。

 詳細といっても、難しいことは何一つ言っていない。

 私兵が持つ武器に聖水を掛けて簡易の法儀式を済ませ、万が一外部に侵出した悪霊に対処できるようにしてから、門を一つだけ開けアービィたちが突入する。

 まずは、壊された慰霊碑を目指し、それに仮封印を施した後、心置きなく悪霊とグールを殲滅した。


「精霊が愛するこの世界を侵す者共を、私が許しておけるはずがございません。アマニュークを以って、奴らの墓標としてくれましょうぞ」

 うきうきとした口調でエンドラーズはそう説明した。


「楽し……そうですね、エンドラーズさん」

 ルティは圧倒されている。

 これから死地へ向かうというのに、まるで鴨射ちにでも行くような気楽さだ。


「当たり前ではございませんか。何憚ることなく、悪霊共を滅することができるのですぞ。これを愉しいと言わず、なんと申しましょうか。ここまでの道中、逸る心を抑えるのにどれほど苦労したことか」

 何のことはない。

 キャスシュヴェルまでの道中は不機嫌だったのではなく、無理矢理感情を抑えていただけだったのだ。

 

「でも、その楽しそうな雰囲気は、悪霊と戦えるだけ、というわけではなさそうですね?」

 メディが何か気になるという感じで問いかけた。


「お分かりですか? マ教の無能共が失敗したのですぞ、これは痛快。だいたいき奴らは、どちらが先か良く考えて欲しい。精霊あってのマ教ということに、いつまでたっても気付かない無礼者共です」

 エンドラーズが今度は吐き捨てるように言う。


 南大陸で精霊信仰の発生が先だったのか、マ教の成立が先だったのかは判然としていない。

 ただ、大陸の中心にあった精霊神殿が、現在ではマ教の聖地となっている。

 このことに反感を抱く精霊神殿の神官は、少なくない。

 精霊神殿が元はといえば一つのものを四つに分けられてしまっていることも、かれらの反発を招いていた。

 当初は四国家の思惑でマ教を中心に置き、互いに反意無しということを証明するために四大精霊を各国に分祀していた。 

 そのせいでマ教は力を持ち、精霊神殿は求心力を失っていく。

 マ教は唯一神マ・タヨーシが精霊を祝福したと喧伝し、精霊神殿は四大精霊がマ・タヨーシを祝福していると主張している。

 互いに相手を滅するという発想はなく表面上は共存を謳っているが、南大陸における信仰の主導権争いは水面下で火花を散らしていた。

 そのマ教がしくじった。

 エンドラーズは、それが痛快だった。

 その様を見て、なんとなく似ている人を知っていると、アービィは感じていた。


 日没までの僅かな時間ではあるが、エンドラーズの気迫が乗り移ったのか、ノタータスがいつになく張り切って道を行く。

 完全に日が落ち、これ以上の行軍は無理と思ったそのとき、エンドラーズが馬車を出て御者台で仁王立ちになった。


「では、ご覧頂きましょう。我が精霊呪文の奥義」

 エンドラーズは手短に呪文を唱える。


 アービィにはその呪文が火のレベル三『猛炎』であることが分った。

 それを何故ここでと訝しんでいると、エンドラーズは火球を掌に作り出し、いきなり上空へ投げ上げた。

 馬車の前方数メートルに落下すると見られた火球は、地表に激突することなく、そのまま馬車の前方を照らす明かりとなり滞空している。

 得意げな顔で振り向くエンドラーズと、恐怖に引き攣った顔で振り向くノタータス。


「ええい、何を怖気づいておるのですか、この馬はぁっ! あの火球がそなたに近寄ることはありません。案ずることなく進みなさぁぁぁあああいっ!」

 エンドラーズが叱咤すると、そちらのほうが怖いのか、ノタータスはおっかなびっくり歩き始める。

 いっそ失神してしまえれば楽なのだろうが、エンドラーズの気迫がそれすら許さない。

 しかし、いくら歩いても火球に近付く気配はない。

 ゆらゆらと漂う火球は進行方向に一定の距離を保ったまま、馬車を先導するように中空を進んでいた。

 ようやく安全と悟ったか、ノタータスの歩みが普通に戻ったところで、エンドラーズは満足そうに馬車に戻った。


「あれって、何なんです?」

 アービィが呆気に取られたまま聞いた。


「あれは、『猛炎』を利用したものです。通常『猛炎』に限らず、他の呪文も効果が続く時間は長くありません。ですが、精霊との交信が可能な我々は、通常の呪文に精霊への祈りを加えることであのように効果を操ることもできるのです。もちろん、無限ではありませんし、人により持続時間もまちまちです」

 得意満面のエンドラーズは、そう説明した。

 やがて、天を飾る星の角度が変わる頃、エンドラーズの『猛炎』の効果が切れた。

 再度呪文を使うのかと思ったが、さすがにこれ以上進むことは無理と判断したようだ。

 このとき、ノタータスの脳裏を何が掠めていったのか、ボルビデュス領に残してきた愛しい牝馬の面影なのか、それとも楽しかった旅の記憶なのか、馬ならぬアービィ達には知る由もない。


「そろそろ野営と致しましょう。焦って明日に疲れを残しても困りますし、あの利口な馬をこれ以上走らせるのも忍びない。幸い、効果が切れる前に水場もあったようですので、そこまで戻りましょう」

 そう言って、それほど効果が長続きしない『火球』を唱え、道を引き返す。

 川のほとりに野営地を張ると、エンドラーズはレーションを胃に流し込むとすぐに横になり、気が付くと寝息を立てている。

 嵐のような男の行動に、アービィたちは畏怖と呆れを感じていた。



 ほぼ同時刻、ニリピニ辺境伯の屋敷で蠢く影があった。

 イヴリーは父に気取られないように広間に飾った純銀製の剣を取り、一日の移動に必要な食料や回復薬等の準備をしている。

 もし悪霊討伐に行くといっても父が許すはずがなく、かといって屋敷で指を銜えて見ているのは嫌だった。

 イヴリーは武芸一般を、貴族の嗜みとして修めてはいる。

 だがそれは道場剣法でしかなく、実戦に役立つかといえば首を傾げざるを得ないものだった。

 一本取ればそれで終わりの試合と、相手が倒れて動かなくなるまで斬撃を振るい続けなければ自らが打ち倒されてしまう死合とでは、身体の使い方から体力の配分、心構えまでまるで別物だ。

 イヴリーは、そのことに気付いていない。


 御前試合等でそれなりの成績を修めている彼女は、己の剣技が実戦に通用すると思い込んでいた。

 僅かな照明に照らされ鈍い光を放つ純銀の刀身に、イヴリーは魅入られている。



 陽が昇り始める前の黎明に、アービィたちは起き出して馬車を走らせていた。

 まさに日に夜を継ぐといった勢いで道を急いだため、陽が昇り切って暫くするとアマニュークの砦が見えてくる。


「さぁ、いよいよです。悪霊共をたった今抜けてきた夜の世界へ還してやりましょうぞ」

 エンドラーズは、全身から闘気を発散させている。


「そうですね、じゃ、一丁おっぱじめますか」

 アービィが獣化しないように気遣いつつ、今現在出せる闘気を全開にした。

 一瞬エンドラーズの表情が驚愕のそれに変わり、次いでこれ以上楽しみなことはないといものに変化した。


「人とは思えない闘気。いや、これは楽しみです」

 エンドラーズは、高らかに笑い出す。

 今から気を張る必要はないのだが、相手を安心させる効果があるかと思い、アービィは闘気を発散させた。

 その目的を達した今は一度気を収め、精神を落ち着かせている。


 ルティは、紙を切る修練の息遣いを思い出していた。

 実体を持たない悪霊相手に、通常の斬撃が通用するとは思えない。

 どれほど刀身に気を込めることができるか、それが生死の分れ目だと思っている。

 ルティは頭の中で霊体を切り裂き続けていた。


 ティアはエンドラーズが封印の法儀式に掛かり切りになる間、悪霊やグールを遠距離で仕留め近寄らせないことを考えている。

 そのため矢を多めに買い込んで、法儀式を済ませていた。


 メディは法儀式の間はエンドラーズから離れず、最後の盾になるつもりだった。

 行使できる呪文の回数が多くないので、回復や治療はルティやティアの方が良い。

 少しでも二人が回復や治癒に徹することができるように、悪霊の気を引くつもりでもいる。



 日の出と同時にニリピニ辺境伯の屋敷から、一騎の馬が駆け出した。

 馬上には軽鎧に身を固め、純銀製の剣を二本佩いたイヴリーが

いる。

 全力で駆け抜ければ、アマニュークまでは昼過ぎには到着できるだろう。

 彼女は途中の集落で、別の馬を徴発するつもりだった。

 一分でも、一秒でも早く、アマニュークに辿り着けるように。

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