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狼と少女の物語  作者: くらいさおら
39/101

第39話

 リジェストからグラザナイへ向かう馬車の中は、まるで通夜のようだった。

 誰もが言葉もなく、押し黙ったまま俯いている。


 辛うじて依頼できた早馬でレヴァイストルに撤退を伝えたアービィたちは、返信を待たずにリジェストを離れた。

 おそらくグラザナイのギルドに、レヴァイストルから指示の手紙が届いているだろう。


 宿で盛大に飲んだせいで未だにぐらぐらする頭を抱え、四人とも半分眠っているようだった。

 昨日は陽の高いうちから呑み始め、アービィが馬車のチケットを買いに行っている僅か数十分の間に、ルティがまず沈没。

 次いでティアとメディにルティとの進展状況を尋問されたアービィが、黙秘権行使とばかりに一時間と掛からず轟沈。

 その後、散々に愚痴りながら、まるで砂漠の遭難者に渡した水を呷るような勢いでグラスを空け続けたティアが、三〇分後唐突に爆沈。

 最後に、ルティとティアをそれぞれのベッドに押し込んだメディが、アービィを床に放置したままあえなく自沈。

 この間僅か二時間、まだ日没前の惨劇だった。いや、醜態だった。

 幸い窒息死する者は出なかったが、眠り込んだ時間も早かったにも拘わらず、それぞれが目覚めたのは支度を済ませるにはあまりにも余裕のない時間ではあった。

 それでも酒の臭いを振りまきつつも、馬車に乗り遅れることはなかった。


 馬車の中でアービィは、いつ尋問が再開されるかに脅えている。

 最初に脱落したうえ、ベッドまでの記憶どころかいつ離脱したかさえ覚えていないルティは、メディの荷物持ちにされた理由をまるで理解していない。

 ティアはさすがに気が晴れたのか、それとも二日酔いで口を利く気力もないか、力なくうなだれ馬車の揺れに身を任せている。

 最後に力仕事を片付けたメディは、なぜ筋肉痛になっているか理解できず、身体を少し動かす度に小さく悲鳴を上げる始末だった。


 御者は四人の具合に、気が気ではない。

 万が一、いや十中八九彼は覚悟しているが、馬車内で吐かれでもしたら大変なことになる。

 掃除しようにも、洗おうにも水場は近くにない。

 そして、あっても凍り付いている可能性が高い。

 髪を整えることすらせず、おそらくは昨夜から着替えていないであろう身形の若い四人が停車場に来た時点で、振り撒かれる酒の残り香から御者は惨事を確信していた。


 まず間違いなく、最低一人は吐く。

 そしてそれは希望的観測でしかなく、全員がそうなるであろうことは、長い経験から彼は悟っている。

 それが馬車酔いか、二日酔いか、はたまたまだ酔っぱらっているからかは、彼にとっては無意味なことだ。

 彼は仕事納めが本来必要ない馬車の清掃になる未来を、手綱を握りながら呪っていた。



 その後、彼の危惧は一部予想通りに当たり、一部は幸いにも外れた。

 もっとも、外れてくれても少しも嬉しくはなかったが。

 まず、口火を切ったのはティアだった。


「ごめんなさいっ!! 馬車止めてぇっ!」

 口を抑え、止まり切らない馬車から飛び出す。

 道端に四つん這いになったかと思いきや、盛大な勢いで胃の内容物、いや内容液を吐き出した。

 暫く待ち、旅程を再開するが、その後は順番を決めたかのように、四人は馬車を止め、外に飛び出していった。

 御者は予定通りの行程を諦め、最初の馬車駅から行程変更の早馬を先の駅に走らせていた。

 行きと違い雪に行動を阻まれるため帰りの行程は一〇日の予定だったが、一二日目の夕方になって馬車はグラザナイに到着した。

 御者に丁重に謝り、礼を言ってから、四人は町の雑踏の中に消えていった。



 グラザナイに戻った四人は、宿に荷物を下ろした後にギルドでレヴァイストルから手紙が届いてないか問い合わせた。

 職員から数通の手紙を受け取り、ロビーで読み始める。

 ルティが届いた順に目を通し、ティア、アービィ、メディの順に回覧されていく。

 誰もが無言で読み終え、視線がティアに集中した。


 手紙の内容は、四人を労い、次いで見通しの甘い状態でリジェストまで行かせてしまったことへの謝罪が記されていた。

 そして、王には報告していないこと、王からは救出の指示がないことへの疑問が続いた。

 最後に、雪解けを期し再度北へ渡ることへの依頼で、一通目の手紙は締め括られていた。

 二通目以降は、マ教の神父がウジェチ・スグタ要塞を越えたことや、要塞でのインダミトの立場、冬を控えて要塞の人員を削減することなど、情報が入る度に認められた手紙だ。

 最後の手紙は、今からの四人の行動を決する内容となっていた。

 他国の密偵等に情報漏れがあってはならない故、至急ボルビデュス領まで来られたし、とだけ記されていた。



 既に時間も遅く、翌日の馬車の手配はできないので、宿に戻ることにした。

 途中、初めての酒場に入った四人は心地よい喧噪に身を委ね、ゆったりとエールを楽しんでいた。

 グラザナイに戻る途中から、ティアは落ち着きを取り戻していた。

 ルティは後退することでティアの精神が荒廃することを心配していたが、却って冷静に考えることができたせいか、今までのティアに戻っていた。



 冬は、既にグラザナイを覆っていた。

 アービィたちがリジェストへ発った頃は晩秋へと移行する時期だったが、今は雪が降る日も珍しくない。

 冬季になれば北の民の南下も治まるため、ウジェチ・スグタ要塞から一部の将兵が引き揚げてきている。

 彼等の口からは、アーガストルの独走の挙げ句の顛末や、ランケオラータが虜囚となったこと、北の民が戦上手であることなどが広まっていた。


 ラシアスの人々は、北の民の驚異を差別や偏見に置き換え、見下すことで現実から目を逸らすことが常だった。

 当然、インダミトの不甲斐なさを罵ることで相対的に自国のプライドを満足させると共に、国内にいる北の民への風当たりも強くなっていた。

 わざわざ絡むために娼館へ行き、北の民の女性に侮蔑的な態度を取ったり、屈辱的な奉仕を求める者が続出し、従業員を守るために仲裁に入った経営者との間で諍いが起きる等のトラブルが多発していた。

 それ以外にも、所用で北の民の奴隷を連れて外出した者が何者かに襲撃されたり、北の民の酒場女が就業中にも拘わらず店から連れ出され強姦の被害に遭うなど、ラシアス国内に住むことを強制されている北の民の安全は日に日に悪化している。


 さらには、主人と奴隷としては比較的良好な関係を築き上げていた両者の間にまで、その亀裂は及び始めている。

 以前ではあり得なかった虐待の嵐が吹き荒れることも、頻発しているようだ。

 北の民への驚異もさることながら、あれほど完璧な防衛戦を行うには情報は不可欠であり、それは南大陸にいる北の民が流していると信じられてしまったからだった。

 もちろん、多少の情報漏れがあったにせよ、アーガストルやランケオラータの軍が壊滅したのは、ひとえに将の器に拠るところが大きい。

 だが南の住人にとって、それは認めがたいことだった。


 このような空気の中、メディを連れた一行がトラブルに巻き込まれないはずはない。

 四人掛けの円形テーブルにアービィとルティ、メディが隣り合わせ、ティアがアービィの正面に座っていた。

 穏やかな気分でエールを飲んでいたアービィとルティ、メディの間に男たちが割り込んできた。

 そのアービィを挟むように割り込んだ男たちは、卑近な期待に満ちた笑いを浮かべていた。

 アービィには、彼等の考えることが手に取るように解る。


 四人が席に着いた当初の心地よい喧噪は、周囲がメディの髪と瞳に気付いた時点で、風が砂の表面の風紋を刻み直すかのように変わっていった。

 北の民であることを証明する金髪碧眼の少女が、呪術で肉体的成長が止まっていることはアービィたちしか知らないが、若い男女に連れられ酒場にいる。

 ウジェチ・スグタ要塞で長い禁欲生活を送った義勇兵や、北の民への驚異を改めて感じたラシアスの住民には、メディの立ち位置はこの上ない生贄に映ったのだろう。

 若い男さえ始末すれば、あとはオマケまで付いて思いのまま。

 短いながら武具を持ち歩く生活に慣れた男たちは、腰に佩いた刃の切れ味を己が力と思い違いをしていた。


「兄ちゃん、結構なご身分のようだが、分不相応って分かって欲しいな」


「まあ、俺たちがよ、貰ってやる方が彼女たちも幸せってもんだろ?」

 腰の剣をこれ見よがしにガチャガチャさせながら、男たちはアービィの肩に手を置く。


「北の女まで使って、三人でどんなお楽しみしてんだい?」


「俺たちに教えて欲しいんだけどな、お兄ちゃん以外に」


「お姉ちゃんも、こんなガキより俺たちの方がいいぜ?」

 アービィに対しこれ見よがしにルティの肩にも手を掛け、剣を鞘から半分まで抜き、顔の傍に刃を近付けた。


 娼婦として生きていたメディにとって、こんな男たちにでも、職業としてであれば身体を開くことに嫌悪はなかった。

 だが、今眼前にいる男たちには、金銭を介した最低限の契約を交わす意志がない。

 娼婦とはこの世界に於いても人類最古の職業であり、決してボランティアで行うものではなかった。

 ましてや、男の力ずくで行われてよいことでは、決してない。


 メディの目に明らかな侮蔑の色が浮かび、ルティとティアの目が怒りに染まった。

 だが次の瞬間、三人の目は周囲に救いを求める色に染め上げられることになる。


 その元凶であるアービィは笑顔だけは絶やさず、しかし、その目は怒りと狂気を静かに湛えている。

 仲間を侮辱した行為。

 仲間を傷つけとする意志。

 そして何より。


 ルティを汚そうとした。



 爆発したような殺気がアービィを中心に広がり、武芸に心得のある者がまず恐怖を感じた。

 次いで感覚の鋭い者、生来争いを嫌う者と、殺気を感じられる者たちに恐怖が伝染する。

 しかし、何よりも残念なことに、アービィに絡んだストラー出身の義勇兵は、その恐怖の意味するところを理解する能力はなかった。

 国が持つプライドを自らのものと思いこみ、他者は自らに跪くものと勘違いする傲慢さ。

 剣とは自らの尊厳を守る最後の砦であることを理解できず、他者を自らの傲慢に従わせるための道具としてしか認識できない罪と無知。

 アービィが席を蹴ったとき、男たちは自らの思い通りにことが運んだと、内心狂喜していた。


 メディに向けた侮蔑は、南の常識からまだ理解できる範囲だ。

 何よりメディ本人が、事を荒立てたくないという意志を乗せた視線をアービィに送っていた。

 だが、ルティに対して剣を向けた時点で、アービィの自制心は空の彼方へ飛び去っていた。

 わずかに残る理性が、さすがに獣化だけはしてはいけないと分かってはいたが。



 いきなり両側に座った男たちの顔面を鷲掴みにしたアービィは、そのまま店を出ていった。

 慌てたティアが、店主に勘定を頼む。

 もちろん、店を荒らした詫び代と、おそらくはまだ勘定を済ませていない、あの哀れな男たちの分を含めてだ。

 慌てたルティは、メディ引きずって店を出る。

 アービィを放っておいたら、あの男たちは間違いなく死ぬ。

 彼をそんなことのために、お尋ね者にするわけにはいかない。

 止められるのは自分しかいないと、ルティは自覚していた。

 それに、あの状況でメディを店に置いたままにはできるはずもない。

 この状況では悪意に、害意に、殺意に満ちた群衆が、襲って来かねない。

 迅速にこの場を離れる必要があった。

 そして何より、アービィを止めなければならない。



 ルティが店の裏路地でアービィに追い付いたとき、既に事は決していた。

 アービィに顔を掴まれた男たちは痙攣し、正に死線をさまよっている。

 アービィの指がこめかみに食い込み、そこからは血が滴り落ちている。

 慌てたルティとメディがアービィに身体ごとぶつかっていき、男たちから手を放させようとする。

 それでもアービィの指は男たちのこめかみにがっちりと食い込み、離れる気配がない。

 既に聞こえていないだろうが、男たちの脳には頭蓋が軋む音が響いているはずだ。

 身体から力が抜けきった男を、両手にぶら下げたまま冷たい目で見下ろすアービィと、ルティが対峙した。


 例えば、お互いに胸倉を掴み合ったまま店を出たなら、よくある町中での喧嘩だったろう。

 しかし、アービィの取った行動は、相手の顔面を潰さんばかりに掴み締め、まったく無抵抗になった者を店から引きずり出している。

 いくら男たちに非があるとはいえ、このままでは一方的な殺戮になりかねない。

 周囲はそう見た。

 ここまでなら、身の程知らずの死に損で、官憲がその場に居合わせでもしない限り、アービィを積極的に捕縛することはない。

 だが、店にいた客のアービィに対するやっかみと、メディに対する偏見、そしてあまりにも過剰すぎたアービィの殺気が、何人かの客を官憲への通報に走らせていた。

 一刻も早くこの場を離れる必要があった。


「アービィ、ダメ。もうダメ。それ以上は……」

 震えるルティの声に、アービィの目から狂気が薄れていく。

 ルティの言葉で我に返ったアービィが地面に叩きつけた男たちに、ルティとメディが手早く『治癒』と『回復』の呪文を施し、傷を塞いだ。

 そして、官憲が到着する前には、四人はその場を離れていった。



 宿の一室で、アービィは考えている。

 明日、馬車でここを出るのは危険ではないだろうか。

 さっき通報された件で駅に官憲が張っているかも知れないし、途中で検問があるかもしれない。

 別に自分たちを守っただけで、相手に怪我を残したわけでもないので罪状はないはずだ。

 それでもメディにどんな言い掛かりを付けられるか、分かったものではない。

 できる限り早くボルビデュス領に入りたいところで、余計な厄介ごとにこれ以上巻き込まれている場合ではない。

 アービィは意を決し、それぞれの部屋のドアを叩いた。



 最初は大変だった。

 まず、メディが卒倒した。

 いきなり巨狼が現れるより、目の前で獣化したほうがマシかと思ったのだが、いくら呪術で化け物になっているとはいえ、メディの心は普通の人と変わりはない。

 人狼への恐怖は、北の大地でもそれを神と崇める一部の部族を除き、南大陸と同じだ。


 それがアービィだと判ってはいるが、幼少期より大人たちから言って聞かされ、最早血肉に溶け込んだといってもいい人狼への恐怖は、そう簡単に払拭できるものではなかった。

 メディはアービィの獣化を目の当たりにしたとき、ルティとティアを見比べ、笑い出したかと思った途端に、地面に崩れ落ちた。

 ようやく慣れてきたティアが、鼻をピスピス鳴らすアービィを宥め、メディを介抱する。

 ルティは苦笑いしながら、四人の荷物をひとまとめにしてアービィの背中に括り付けた。



 アービィは馬車で町を出ることで余計な厄介ごとに巻き込まれる危険性を考慮し、フロロー行きの馬車より早い時間に町を出ようと言っていた。

 尚且つ、途中乗車をするにせよ、昨日のうちにグラザナイを出ている馬車に追い付いて、それに乗ろうとアービィが言い出した。

 空きがあるか保証がないとルティは反対したが、そのときはそのときと言ってアービィは譲らない。

 そこへメディが人間として当然過ぎる疑問を呈する。


「どうやって馬車に追い付くの? 夜を徹して歩いたところで、人間の脚が馬に勝てるはずがないじゃない?」

 当たり前過ぎるほど、当たり前な疑問だった。


「うん、厄介ごとを招いたのは僕だから。ひとつお詫びの印に、ね」

 アービィは空きのある馬車に追い付くまで、三人を乗せて走るつもりだった。

 狼の脚であれば、踏破できない山道はない。

 さすがに人目に付くと騒ぎを引き起こしかねないので獣道を行くことになるが、それでも馬車を曳く馬の巡航速度よりは早いだろう。

 それが彼の判断だった。

 そしてその証拠を見たメディは、敢えなく卒倒した。


 雪がちらつく中、巨狼は三人を乗せ、山道を走りだした。

 必死にしがみつくメディの目が、どこか虚ろだったことは気のせいではなかっただろう。



 インダミト王国からベルテロイに駐在している第二皇太子パシュース・バイアブランカと、同様にラシアス王国から駐在する第三王子ヘテランテラ・グランデュローサは困惑していた。

 ビースマックのフィランサスと、ストラーのアルテルナンテから知らされた焦臭い話。

 当然、その日の酒席が終わるや否や、各自は本国に報せの馬を走らせている。

 だが、インダミトはともかく、他の本国の動きは鈍い。

 パシュースはヘテランテラと二人で酒を酌み交わしながら、焦燥感に包まれていた。


「ヘッテ、大陸は割れると思うか?」

 幾杯目かの杯を干し、パシュースは問う。


「パシュー、俺に言わせる気か?」

 ヘテランテラは、質問に質問で返す。


「このままでは、間違いなく割れる。望むのは誰だ? お前の姉御か?」

 パシュースはヘテランテラにとって、最も耳の痛いことを平然と言い放つ。


「いや。あの馬鹿女は、まだ勇者などという夢を見ている。大陸を割るのではなく、併呑するつもりだ」

 あっさりと否定し、身内を貶めるヘテランテラ。


「では、どこだ? 影で糸を引くのは?」

 敢えて問うパシュース。

 幾度二人で飲んでいるだろう。

 当事者を入れるわけにはいかなかった。

 既に二人は、後処理を睨んだ話をしている。

 望むと望まざるとに拘わらず、多大な労力を求められる、二国間の後始末。

 貿易が沈滞すれば、事は二国間のことでは済まない。

 だからこそ、フィランサスもアルテルナンテも、この二人にリークしていた。

 その意味するところは、事後の援助。

 それならば四人で話せばいいことだが、そのためには迷惑を掛けられる当事者同士の同意か共通の見解が必要だった。


 生まれて以来国に篭もり、公式の表敬訪問以外に他国の人間との関わり合いを持たないほとんどの王族と異なり、ベルテロイ駐在の彼らは豊かな国際感覚を身に付けている。

 彼等が将来国政に関与することがあれば、ここで培った感覚や人脈が役立つはずだ。

 もっとも、現時点でそれができているのは、インダミト一国だけだった。

 ラシアスにしろストラーにしろ、ビースマックにしろ、せっかくの国際感覚を身に付けた人材を、政に活かしているとはいえない。

 マ教や他国と戦乱の意志を持たないという証明というか人質のようなものだと、駐在する当人以外は考えていたからだ。


 その傾向は特にストラーで顕著であり、他国から余計な入れ知恵をされてきた者といった扱いを受けている。

 王の代替わりの後は自国に召還されて養子に出されるか、領地を持たない新興公爵に叙爵され、王宮での発言権がほとんどない政務審議官として一生を送るのが常だった。

 アルテルナンテのように王女であれば叙爵されることもなく、政略結婚の駒とされるのが王族に生まれた女の運命だった。


「余程上手く片付けないと、お前の姉御が動きかねん」

 パシュースは、イレギュラーを恐れている。

 既にクーデターの企みは、当事者以外の二カ国にリークされた時点で失敗に終わることは決まっていた。

 ただ、それがどのような形を狙ったクーデターなのかが判らなければ、どう潰すかを決められない。

 ビースマックを占領するつもりなのか、属国化するつもりなのか。

 属国化といっても、王家を追放して新王朝を立てるのか、現在の王家を膝下に納めるのか、それとも貴族の切り崩しにより政治を壟断し、実質的な支配をもくろむのか。


 パシュースは、貴族の切り崩しだろうと睨んでいる。

 新王朝も、現王家に城下の盟を強要するのも、他の二国が承認しない。

 現王家も領土拡張の意志はないが、国や王権を侵されるのであれば、死に物狂いの抵抗を行うだろう。

 そもそもストラーの現王自体に覇権欲がないので、目に見える侵略行為を行う可能性はないと言い切って良い。

 つまり、動いているのは、ストラーのプライドが肥大化しすぎた貴族ども、王家傍流の公爵家を中心とした一派だ。

 その連中が、ビースマックの現王朝に不満を抱く貴族連を焚きつけているのだろう。

 おそらく、宰相を始めとする主要閣僚を君側の佞臣とでも騒ぎ立て、ガーゴイル等を組み入れた軍を挙げて一気に政治を乗っ取るつもりなのだと、パシュースもヘテランテラも読んでいる。


 これであれば、潰すのは最も容易だ。

 それぞれの王にリークするだけで当事者の首が飛び、一族郎党皆殺しにして禍根を断つだけで済む。

 だが、その後に問題がある。

 他国から嫁いだ正妻または側室を持つ家が幾つもあり、その女もクーデターに噛んでいるならともかく、全く蚊帳の外だった場合だ。

 間違いなく禍根を残す。

 当主に殉じさせて無罪の者まで殺せば、親元の国から何らかの報復があるだろう。


 かといって無罪放免にもできず、証拠不充分という名目でクーデターに噛んだ者を野に放つことは、さらに危険だ。

 国内の者同士であれば、疑わしきは罰するが押し通せるが、国同士となるとそうもいかないだろう。

 そして政の重要な位置を占めていた貴族たちがいなくなれば、当然国は混乱する。

 そうなったとき、大陸の覇権に目が眩んだニムファが何をするか分かったものではない。


「俺は、ベルテロイへ来て目が覚めた。以前は姉貴と一緒に、大陸の制覇を夢見たさ。だが、一国が武力で制覇するにはこの大陸は広すぎ、一国の武力だけで支配をするには人が足りなすぎる。あの馬鹿女にはそれが解っていないんだ」

 へテランテラは吐き捨てるように答えた。


 武力で制圧した地域や国が、征服者に対して心酔し臣下の誓いを交わすなどまず期待できない。

 面従背復が関の山だ。

 当然反乱の危険がある地域の統治に、軍は欠かせない。

 南大陸四ヶ国の人口はそれほど大きな差はないと考えられるが、一国が全てを武力で従わせるには統治に当てる軍の規模が追いつかない。


 現在どの国も、常備軍があるとはいえ、それは国家間戦争を意識しての軍備ではない。

 治安維持を主目的とした軍だ。

 国境警備隊も他国の領土侵犯に備えるというよりも、越境する犯罪者を対面する国の国境警備隊と協力して未然に防ぎ、または捕らえるための、どちらかというと警察組織のようなものだ。

 その程度の規模装備で大陸全土を支配するなど、誰が見ても絵空事だと解る。

 自国の産業全てを犠牲にしたうえで国民の青壮年男子全てを軍に入れても、治安維持すら不可能だ。

 ニムファには、それが理解できていない。

 勇者を欲するのも、その威光に縋るためだ。

 勇者の庇護者という名に、大陸全土がひれ伏すと考えている節がある。

 へテランテラには、最早それは滑稽にしか見えていない。


「そういえば、その勇者殿に逃げられたそうじゃないか? 子爵ごときで釣ろうとしたそうだが、随分とお安い勇者様だな。お前の姉御がよく諦めたもんだ」

 パシュースがヘテランテラに、さり気なく探りを入れる。


「見事に啖呵を切られて逃げられた。世界征服の手伝いは嫌だとさ。莫迦女が理解できるとは思えないがね。まだ追っかけてる見たいたぜ。最後は自分の身体でも差し出す気だろう」

 ヘテランテラが吐き捨てる。


「おいおい、王族ともあろう者が下品な物言いだな」

 ドアが開き、フィランサスが入ってくる。

 椅子を逆向きに回し、背もたれに顎を乗せるように跨る。

 人懐っこい笑顔を湛えたまま、無言で杯に手を伸ばす。


「人の杯に手を伸ばすのは、王族らしい振る舞いかしら? そのうえ、その態度。人の発言を下品だなんて、まず我が身を省みられてはいかがかしら」

 続いてアルテルナンテが入ってきた。

 こちらは、執務時間に見せる背筋の伸びた軍人然とした立ち居振る舞いを感じさせない、優雅と言うしかない動作で椅子に腰掛けた。


「まあまあ、ご両所。まずは駆けつけということで」

 パシュースが新しい杯を二人に渡し、強い蒸留酒を注いだ。

 乾杯の声とともに、杯を干す。

 強い酒にアルテルナンテの顔が歪むが、三人は気にも留めずに新しい酒を注いだ。


「アルテの親父殿が勇者の噂を聞きつけたら、どうするもんかね?」

 パシュースが話を向ける。


「そうねぇ、どう考えても頭を下げて、臣下になってくれとは言わないでしょうね。男爵あたりで釣ろうとするんじゃない? ストラーの男爵は他国の公爵以上だ、とか何とか言って」

 公爵以上の地位など、王しかいない。

 心底うんざりという顔で、アルテルナンテが吐き捨てた。

 どうしても他国の人間と話していると、自国の情けなさを見せ付けられるような気がする。

 そのせいで誰もが自国の話をする際には、吐き捨てるような物言いになっていた。

 気を付けている筈なのだが、長い時間を共にしている甘えからか、口の聞き方に素の感情が出てしまうことが多くなっている。


 当然、外交に関することになればそれなりに本心を隠して話すが、だいたいこの時間が来ると誰からともなく本心を明かしてしまっていた。

 もちろん、本国もそのようなことは先刻承知で、建前で済むような懸案しか彼らに任せてはいなかったが。


「俺の親父は、勇者殿に見合う剣を作ることができるのは我が国だけっ! とか言うんじゃね?」

 フィランサスの冗談に、全員が笑みを浮かべる。


「うちの狸親父殿も興味を持ち始めたみたいたぜ。ただ、臣下に取り込む気はないようだ。冒険者をやってるらしいからな」

 パシュースは、他国を牽制するように言葉を選ぶ。


「今回のことに、彼らを投入するらしい。レヴァイストルの長女がビースマックに嫁いでるだろ? 彼らに連れ出させるみたいだぜ」

 フィランサスを見ながら、にやりと笑う。


「ああ、それは助かるな。あの家が潰されると国が立ちいかん。現当主には宰相も頭が上がらんし、跡取りはもっと切れる。ただ、次男がな、今回のことに噛んでいるらしい。あの家が欲しいみたいたぜ、分不相応ってものだがな」

 フィランサスが答える。


「できれば、次男以外全部をインダミトに連れ出してくれんかね? あと、目星はつけておくから、今回のことに噛んでいない女子供も」

 まるで子供の使いを頼むかのように、フィランサスはパシュースに頼んだ。


「そんなことしたら、うちの狸の思う壺だぞ? ビースマックがうちに牛耳られていいのか、フィー?」

 パシュースが驚いたように聞き返す。


「構うもんか。国が潰されるよりは余程いい。それに、アーガストルの馬鹿踊りの貸しは、まだ取り立ててないんだぜ?」

 アルテルナンテを見ながら、フィランサスは嘆息混じりに答えた。


「申し訳ないわね、パシュー。うちからもお願いするわ。多分、うちは国内の後始末で手一杯よ。とてもビースマックの後始末まで手伝うなんて無理。本来なら、全てうちがするべきなんだけど……」

 アルテルナンテも同様に答える。


「ただ、二人とも、いいか、あと一年は誤魔化してくれ。アーガストルがやらかした馬鹿踊りの後始末と、ランケオラータを何とかしなきゃいかん。ランケオラータが上手く立ち回れば、北の脅威はぐっと減る。そこでも狸は勇者殿を使うつもりらしい」

 既にスキルウェテリー配下の悪魔祓いが、レヴァイストルに恩を売るため北の大地に潜入している。

 それを追うように、インダミトの密偵もカーナミン卿の協力で神父に化けさせ、ウジェチ・スグタ要塞を通っている頃だ。


 ランケオラータは、レヴァイストルの要請に応えた勇者に救出されなければならない。

 王はそれに対し褒賞を与え、臣下として束縛することなく彼らを優遇し、次の依頼も長女を盾にレヴァイストルにさせるつもりだった。

 他国がアービィたちに関与しようとすれば、密偵を使ってこれを阻止し、インダミトは決して表に出ずに勇者を使役する。

 このためには、レヴァイストルにも気取られずにいなければならない。

 ランケオラータとレヴァイストルの長女ハーミストリアの救出は、勇者をインダミトに繋ぎ止めるためのちょうど良い理由になる。

 だが、さすがに同時進行は厳しい。

 パシュースは、確実に一つずつ片付けるべきだと考えていた。


「じゃあ、うちの莫迦女を止める策を考えなきゃな」

 ヘテランテラが、面倒くさそうに呟く。


「そうしてくれ。その保障があれば、派手にやらせて国の大掃除にする。誰もが納得する名目がなきゃ、そうそう家は取り潰せないからな。だろ、アルテ?」

 フィランサスの問い掛けに、無言で首肯してみせるアルテルナンテ。



 南大陸を四ヶ国が分割統治するシステムは、この四五〇年間それなりに機能してきた。

 しかし、もう古い統治システムだといっていい。

 人の移動や経済が一国の中だけで済んでいた時代なら、それでよかったかもしれない。

 しかし、全大陸規模での人やモノの移動が始まった今では、統一した統治機構が必要となってきている。


 もちろん武力や経済力を背景とした一国支配では、早晩ほころびが出るだろう。

 四ヶ国の共同統治が望ましい。

 例えば、今現在行われているように国の代表者が顔を突き合わせ、それぞれの問題点を忌憚なく話し合えるよう場が必要だ。

 パシュースは、この駐在武官制度を新しい統治システムの叩き台にしようと考えた、父王の意向の元に動いていた。

 大陸は新たな時代のために、痛みを伴う激動期を迎えようとしている。

 そして、当人たちの知らないところで、アービィたちは国家間の思惑に巻き込まれていた。

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