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狼と少女の物語  作者: くらいさおら
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第21話

 セラスにとって、悪夢のような夜が明けた。

 読んだり聞いたりした物語には、書かれていないことばかりだった。

 当然のことだが、セラスが読むような子供向けの物語で、死体の詳細な描写を入れるものなど皆無だ。


 無敵の英雄が、敵を薙ぎ倒し、お姫様を救い出す。

 その中にも無数の死が描かれているが、絶対的な悪に描かれたキャラクターは、ただ倒れ伏す。

 敵役は、徹底して狡猾に、冷酷に、憎たらしく描かれ、そのような人物や魔獣に憐憫の情を抱く者などいはしない。


 英雄の慈悲を強調したい場面を除き、無惨に切り捨てられるだけだ。

 しかしそこには血や、簡単な四肢の切断程度の描写こそあれ、ビジュアルに訴えるような、それこそ昨夜の熊のようなはらわたがこぼれ落ちるような描写は、ない。



 セラスは、戦いとはもっと容易いもので、自分は格好良く美しく終わり、周囲からは感嘆や畏怖を込められた賛辞で飾られるものだと思っていた。

 それがどうしたことだ。

 熊に一太刀浴びせることはできた。


 全てが自分の力ではなく、アービィたちが弱らせ、クリプトが前肢を切り落としていたからこそだ。

 だから、自分は無傷で済んだのだ。


 当然、あとはトドメだけという安心感も、トドメを刺す栄誉を得たいという打算があったことも否定できない。

 熊の状態を鑑みれば、残る脅威は牙だけだった。

 美しく、華麗に、造作もなく熊を一刀両断にしたはずだった。セラスの中では。


 それがどうしたことだ。

 太刀筋はいい加減でまぐれ当たりの袈裟懸け。


 当たったから良いようなものの、それでもトドメにはほど遠い。

 アービィが熊の首を落としてなければ、自分は噛み砕かれていたかも知れない。


 その後、目の当たりにした血飛沫とはらわた。

 あんなにグロテスクで吐き気を催すものが、この世にあったのか。

 あろうことか、アービィがそれを指さし、あれは食べ物だと言った。


 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。


 あれが美味しいわけがない。

 皿に乗ってくる料理になるはずがない。

 平民が喰らうものと、私の食べるものを一緒にするなっ!



 セラスは、朝が来ても目が覚めなかった。

 起床はしている。

 が、全てが虚ろだった。

 食欲などきれいさっぱり消し飛んでいる。

 朝食は干し肉をかるく炙ったものとパンだが、肉を見た途端に熊の肉の断面を思い出してしまい、また吐き気がこみ上げてくる。



「やり過ぎだったんじゃないの? 肉見た途端、顔色真っ青よ」

 青い顔をして座っているセラスを見て、ルティがアービィを肘でつついた。

「ん? ああ、やっぱり干し肉ばっかりじゃイヤになっちゃうよねぇ」

 ……ぼけ狼……



「セラストリア様、お食事がお気に召さないようなら、少しお体を動かしに行きませんか?」

 アービィは、目でレヴァイストルに同意を求めながら、セラスに話しかけた。


「イヤよ。まだ寝ていたいだけなんだから……」


「そう言わずに行ってくるといい。食事は、また後でも構わないからな。あとは城に着くだけだ。そう時間も掛からん」

 レヴァイストルはアービィの真意を悟ってか、あっさりと許可を出してしまった。

 急いで朝食を胃に納めたアービィは、嫌がるセラスの手を引き、野営地を離れる。


「イヤ、止めてよっ! 平民が気安く触るなぁっ!」

 セラスが必死に文句を言うが、アービィは全く気にせず引きずって行ってしまった。


「ティア~、弓借りるよ~」

 ティアの返事を聞き、御者台に置いてある弓矢を取り、森に消えていった。


 アービィの意図をようやく悟ったルティが、慌てて追いかける。

 ティアも立とうとしたが、税制の件でふと何かを思い付いたレヴァイストルに引き留められていた。



 森に入って少し歩いたところには泉があり、渡りに少し遅れた鴨が数羽水辺を歩いていた。

 セラスに静かにしていて、と言ってアービィは弓に矢をつがえる。


 空気まで引き絞るような緊張感にセラスは息を呑み、ついアービィの指示に従ってしまった。

 アービィが息を止めて狙いを定め、矢を射る。

 弓を離れた矢は狙い違わず、一羽の鴨の腹を貫通した。

 他の鴨が飛び立った後、アービィは獲物を回収した。


 側の木の枝に頭を下にして鴨を吊し、頭を切り落として血抜きをし、羽をむしった。

 セラスは言葉もなく、青い顔で見ている。


「何トドメ刺してんのよっ!? いくらなんでも可哀相じゃない! ただでさえ食事も取れないのよ! 追い打ち掛けてどうすんの!?」

 そこへ到着したルティが、アービィに文句を付け始めた。


「まあまあ、大丈夫だよ。セラストリア様はお強いから。ちょうど良かった。あとひとつ採ってくるからさ、お湯沸かして持って行っててね~」

 ルティの追求を軽くかわし、またセラスの手を引き野営地へと戻る。

 鴨を適当に吊るしておき、今度は川の側まで来て全体を眺めた。


 グラースの支流で、東の海に注ぐ川らしい。

 水深は膝程度と浅いが、水量が多く流れは重い。

 何ヶ所かは浅い瀬になっており、岩が顔を覗かせている。


 アービィは瀬に入り、岩の下を片端から探り始めた。

 瞬く間に数匹のカジカを掴み出し、セラスのいる河原に放り投げてくる。


 皿に乗った調理済みの魚しか見たことがないセラスは、足下で跳ねるカジカを不思議なものを見るような目で見下ろしていた。

 鴨とは感覚が違うのか、先程のような嫌悪感はなく、好奇心に溢れる少女の目に戻っている。


「こんなもんあれば、充分かな。戻りますよ、セラストリア様」



 野営地に戻ったアービィは、カジカを捌き始める。

 セラスはまた血を見るのが怖いのか、その場を離れようとするが、レヴァイストルに止められてしまった。


 アービィは手際よく処理している。

 鱗を剥き、頭を落としてはらわたを引きずり出す。


「ほら、セラストリア様、昨日見た熊のはらわたのミニチュア」


「ひぃっ!」

 小さな悲鳴を上げるセラスに苦笑しつつ、アービィははらわたから胃袋と肝臓だけ取り分け、桶に汲んできた水できれいに洗う。


 ルティはアービィが何を作ろうとしているかすぐに分かったので、火を熾し、鍋に湯を沸かし、岩を灼いていた。

 アービィは悪意でも荒療治としてでもなく、セラスが食事を摂れないのは、単に干し肉が口に合わないか厭きただけだと思っている。

 純粋に善意だけで動いてるからなぁ……止めても無駄だろうし、大好物だし。


 カジカの頭を半分に割り、ぶつ切りにした身と胃袋、肝臓と一緒に強めに塩を当てる。

 そして、お湯が沸くのを待ち、沸騰したお湯で霜を降った。

 この間にルティはタマネギとショウガをスライスしている。

 霜を降ったカジカを沸いた鍋に入れ、白ワインとショウガ、塩を入れ、再度沸騰したところでタマネギを放り込み、煮え立たないように火から遠ざけた。



 アービィは、続いて鴨を捌く。

 手早く解体し、肉は部分に分け、ワインと塩に漬けた。

 レバーや砂肝は、水に晒して血抜きする。

 ティアは、料理の出来が担保だからね、とブツクサ言いつつも水汲みに川へ何度も行っていた。


 ササミの部分は別に取り分け、灼いた石に乗せ、軽く両面に焼き色を入れた。

 血抜きし塩を振ったレバーは、暫く火を通し、砂肝は竹を割いて串を作り、熾火にかざして塩焼きにする。


 焼き色を付けたササミは薄くスライスし、手持ちのショウガとニンニクを潰して刻んだものを添える。

 つけダレは塩レモンだ。


 カジカの潮汁は塩で味を整え、椀にとって出した。

 アービィは、醤油とワサビが存在しないこの世界、おろしがねを持ち合わせていないこの状況を呪った。

 この三つがあれは思い残すことはないのに~



 はらわたを見せつけられたセラスは、昨夜の記憶と生理的嫌悪感が沸き上がり、危うくまた吐くところだった。

 レヴァイストルは、セラスの様子を感じ取り、肩に手を置き力を込める。

 肩から暖かみが全身に伝わるようだった。

 そして、いつの間にか側に来ていたレイに手を握られると、セラスは不思議と心が静まるのを感じていた。


「さぁ、それなりに上手くいったと思いますよ。みなさん、どうぞ」

 躊躇うセラスをレヴァイストルが励まし、食べるように促す。


「イヤ……だって、さっきまで生きてたのよ、この鴨も魚も。可哀相じゃないのっ!」


「セラストリア様。あなたがいつも召し上がっている肉や魚だって、そこに来るまでは生きていたんですよ。ただ、目の前で死んでないだけです。私たちは、生き物を食べないと生きていけないんです。他の命をいただいて生きているんです。可哀相なんて、ただの感傷。食べてください。でないと、この鴨も魚も無駄死になってしまいます。命は続くんです。たとえ死んでも、食べた人の、生き物の血肉になって続くんです」

 ルティがセラスを諭す。


「でも、可哀相なものは可哀相なのっ! あたしは、こんな可哀相なものは食べられないわ。……これからは野菜だけ食べる……」

 まだ抵抗するセラスの言葉に、ティアがついに怒った。


「何甘ったれてるの!? 何が可哀相よ。今まで散々食い散らかしてきたくせに、今度は野菜だけですって? なによ、その思い上がりっ! なんて偏見よっ! 野菜だって生きてるのにっ! ものを言わないだけで、植物だって一所懸命生きてるのよっ! 見て御覧なさい、一本の木で葉っぱが重なる? 自分の身体に、しっかり陽の光が当たるようにしてるの。だから森の植物は光を求めて、他の樹より上に行こうと競争してるのよ。何でだと思う? 生きてるからよっ!」

 まさか叱られるなどとも思っていなかったセラスは、言葉もなく目を見開き、ティアの言葉を聞いていた。

 助けを求めるようにレヴァイストルやクリプトに視線を送るが、返ってきたのは厳しい視線だった。


 まさか、誰も自分の味方をしてくれないなんて……

 お父様まで……



 さすがにティアの言葉に納得できる部分があったのか、黙ってササミのタタキに手を伸ばす。

 賛辞を述べては負けと思っているのか、黙って食べ続けるが手が止まることはない。


 次いで、カジカの潮汁に手を伸ばす。

 椀を覗いたとき、二つに割られたカジカとセラスの目が合ってしまった。


「!」

 声にならない悲鳴を上げたセラスは、椀を落としそうになり周りを見るが、それを責める視線はなかった。


「魚ってすごいですよね。例え全身そのままで出てきても、グロテスクに思わないのって魚くらいですからね~」

 のんびりとアービィが言う。

 確かに、豚や牛、鳥の丸焼きは、人によっては生理的嫌悪感が先に立つかもしれない。

 だが、魚の塩焼きにそれを抱く人は、まずいない。


「目玉の周りと、頬の肉が旨いんですよ。いつも動かし続けてるからかな、いい味なんです。あと、骨周りも旨いんで、食べにくかったら手で持って齧っちゃってくださいね」

 なんだかんだいって、アービィの言うとおりに食べるセラス。

 きれいに食べつくした後、セラスは何も言わず馬車に乗り込んでしまった。

 少しだけ穏やかな表情で。



「アービィはボルビデュス家の専属料理人になるべきよ。うん、給金も期待して良いわよ」

 馬車の中では、アービィを引き留めたいレイとの攻防が続いていた。


 あれから一言も喋らないセラスだが、アービィの作った料理を平らげた後、彼らを見る目には嘲りや見下しは含まれていない。

 態度を崩すことはなかったが、それは彼女の精一杯の抵抗だったのだろう。


 道の彼方にボルビデュスの城壁が見えてきた。

 護衛の旅が終わろうとしている。


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