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狼と少女の物語  作者: くらいさおら
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第20話

 「クリプトさんっ! レイ様をっ!」

 アービィが叫んだ。


「お任せあれ!」

 クリプトが鋼線を引き出し、レヴァイストルは剣を構える。



「ルティ、ティア、来てっ!」

 三人は無言で走り出した。


「速い……」

 キマイラは蛇の尻尾でセラスを巻き取り、信じられない速度で森の中を走っている。

 アービィたちも必死に追いかけるが、キマイラは樹木などないかのように駆け抜けていく。


 魔獣キマイラ。

 三つ首の狂獣。ライオンと山羊と蛇の頭を持ち、ライオンの四肢、山羊の胴、蛇の尾が合成された不可解な魔獣だ。

 北の大陸で初めて確認され、最近南大陸にも入り込んできたと報告されている。

 地峡要塞で食い止められなくなっているのか、ラシアスの国力の低下を象徴する事例である。



 森の中に突入しているため、既にレヴァイストルたちから姿は見えない。

 セラスからは見えているかもしれないが、少し離れてしまえば樹木が遮ってくれる。

 アービィは今なら大丈夫だと判断した。


「ルティ、ティア、乗って!」

 アービィは瞬時に獣化し、二人は背中にしがみついた。

 風を巻いて走り、一気にキマイラを追い詰める。


──追いついたらヤツを飛び越えるから、その前に飛び降りて追っかけて──

 アービィはキマイラが見えてきたときに、ルティたちに念話で話しかけた。

 二人から了解の返事が来たとき、キマイラのすぐ後まで追い付いていた。


──いくよっ!──

 走る速度を落とした直後、二人の体重が背中から消えた。

 その瞬間、アービィはキマイラを飛び越え、前方に出て振り返る。


 キマイラは、蹈鞴を踏んで立ち止まり、ライオンの頭が低く不気味な唸りをあげた。

 巨狼と魔獣が対峙した。


 一瞬の間をおいて、巨狼がキマイラに走り寄る。

 山羊の頭の突きと蛇の頭の噛みつきは無視し、ライオンの喉笛に食らいつく。

 巨狼を引き剥がそうと、ライオンの腕を叩きつけ、掻き毟るが、巨狼の毛皮に阻まれ傷をつけることさえできない。

 巨狼が首を振りたくると、キマイラは僅かな抵抗しかできず、ライオンの頭は沈黙した。


 山羊の目に、恐怖の色が浮かぶ。

 返す刀で山羊の首を噛み裂いた巨狼は、間髪を入れず蛇の頭を噛み砕いた。

 力なく倒れた胴体が、痙攣し始めセラスを締め抱えていた蛇の尻尾が弛んでいく。


 ルティとティアが素早く尻尾を断ち切り、セラスを確保した。

 セラスは失神しており、巨狼の姿は見ていない。



──今のうちに獣化解くから、着るもの頂戴~──


 情けない念話にルティが巨狼の鼻先にバッグを差し出すと、それを銜えてそそくさと繁みに消えていく。


 ルティと巨狼が近付いたとき、セラスが起きる気配がした。

 ティアは、さりげなくセラスの身体を抱え直してからその頸に手刀を落とし、セラスを再度眠りの淵へと突き落としていた。


「いくらムカつくからって、頸折っちゃだめよ、ティア」


「優しいと言って欲しいなぁ……クライアント様の娘だもん、あんな怖いもの見せらんないでしょ」

 ティアは少しずつ慣れてきたのか、アービィの獣化を見ても、気絶も腰を抜かしたりもしなくなってはいた。

 背中に乗っているときは、振り落とされないようにすることで精一杯で、考える余裕もなかったし、今も危なかったが。



「また、迷惑を掛けてしまったな。娘を助け出してもらって、感謝する」

 野営地に戻ると、レヴァイストルが深々と頭をさげてくる。

 アービィたちにしてみれば、護衛対象を危機に陥れたとして、契約解除されても仕方ない失態だと考えていた。


 しかし、レヴァイストルにしてみれば、娘が護衛の言うことを聞かず招いた余計なトラブルだと考えている。

 散々、馬車や火から離れる際には護衛の誰かに声を掛けるように言われていたが、セラスは深夜こっそり馬車を抜け出したのだ。


 確かに年頃の娘が、例え繁みや岩を隔てたとしても、誰かに見守られながら用を足すなどは恥ずかしくて仕方ないのだろう。

 ましてや相手は気心知れた家人や使用人ではない。

 しかし、分からなくはないからといって、何をしても良いなどということはない。


 家の中や周囲を護衛に固められた領内の集落の中ではないのだ。

 明確な害意、殺意を持って向かってくる魔獣や野盗が相手なのだ。


 貴族の立場を以てすれば、この世の全てが自分の思い通りになると勘違いしている娘には、良い薬になったことだろう。

 もっとも、それは助かったから言えることではあるが。


 もし、あの場でキマイラが少女を攫うと言う行動に出なかったら、いきなり喰らうという行動に出ていたなら、そう考えると幸運を思わずにはいられなかった。……ん? 『攫う』?

 ルティとティアが、交互に『回復』をセラスに掛けている間、レヴァイストルは深い思考の淵に沈んでいった。


 レイは顔を蒼白に染め上げて、アービィたちの帰りを待っていた。

 ティアに抱えられ、力なく腕を垂らしたセラスを見たときには、心臓が止まるかと思った。

 それでも生きていることを確認できたときには、安堵と共に思わず泣き出してしまった。

 仲違いしているようではあっても、やはり姉妹だった。


 レイは、このできの悪い妹を愛している。

 それ故にだろう、直して欲しいからこそ、口うるさくなってしまうのだ。

 それが却って父の溺愛を呼び込むという、逆効果になっていることにレイは気付いていなかったが。



「なぜ、もっと早く来ないの? あたしに何かあったらどうするつもりっ? お父様、こんな役立たず、早くお払い箱にしてっ!」

 息を吹き返したセラスは、反省の色もなく護衛の三人を詰り始めた。

 さすがにレヴァイストルレヴァイストルも、この物言いには腹を据えかねたようだ。


「お前は……自分が何をしでかしたかもわからず、そう言うのか? 自力では何もできず、助けていただいた方に対し、そのようなことを言っていいと思うのかね? 一声掛けるだけの手間を惜しんで危機を招き、ここにいる全員に迷惑を掛けたという自覚はないのか?」

 それでも声を荒げることなく、諭すようにセラスに言う。


「迷惑だなんて……確かにお父様、お姉様には迷惑を掛けたと思うわ、ごめんなさい。でも、平民どもになんで迷惑なんて掛かるのです? 私はレヴァイストル令嬢です。平民どもが尽くすのは当たり前ではないですか、違いますか、お父様?」

 少し落ち着いたか、父に対しての言葉が丁寧になるが、あくまでも自分は悪くないと言う態度に終始する。

 まだ何か言おうとしたレヴァイストルに背を向け、馬車に乗り込みドアを閉める。

 そのまま毛布に包まって、レイが声を掛けても返事すらしない。


 おろおろする侍女たちにレイが、気にしなく大丈夫、さぁ、寝ましょう、と言ってその場を治めた。

 これ以上の襲撃はないと思われるが、念のためクリプトとティア、アービィとルティのチームで不寝番をすることになった。



 この日の朝、アーガストルにボルビデュス城への異動を申し付けたレヴァイストル一行は、ラガロシフォン城を出発していた。

 アーガストルは納得しがたいという顔だったが、父の厳命とあっては逆らえず、城を明け渡す準備に追われているはずだ。


 セラスは、仲の悪いレイが来るラガロシフォンにいても美味しいことはないと判断し、ボルビデュス領に帰ることをさっさと決め、馬車に便乗してきたのだった。

 馬車の中でも我儘三昧で、平民と同じ場に居たくないと駄々を捏ねたため、面倒になったティアは御者台に移っていた。


 昼食のため立ち寄った川の畔の休憩地でも、やれ天幕がない、テーブルがみすぼらしい、平民の癖に同じところで食事をする気か、と散々であった。

 レヴァイストルはこの末娘に甘いので、済まなそうではあるがアービィたちに少し席を外してもらえないかと言ってきた。


 さすがに残り物を喰えとまでは言うことはなく、食事は別の場所でほぼ同時に摂ることになった。

 テーブルは一組しか持って来ていないので、アービィたちは川原に座って食事することになっていたが。

 可哀相なのは侍女たちで、特段する必要もない給仕をさせられ、といっても後ろに立っているだけだったが、食事は後回しにされていた。



 そんな状態でまともに野営ができるのか、心配していた矢先の魔獣による襲撃だった。

 レヴァイストルは、自分の教育の間違いを思い知らされたようで、かなり打ち沈んだ様子だ。


 アービイたちも腹に据えかねる部分が多いので、どう慰めていいかわからず、黙々と護衛の任をこなしていた。まだあと二泊もあるのね……



 翌朝の出発時、ティアがセラスに言った。

「ねぇ、セラストリア様。領民の皆さんが尊敬しているのは、間違いなく、お父様ですよね? いろいろと民のために頑張っていらっしゃる。だからだと思うんですよ。あなたは、民のために何かなさいましたか? それで、尊敬を得られるとお思いですか? 民はあなたの奴隷じゃないし、税はあなたのお小遣いじゃないんですよ?」

 セラスが顔を真っ赤にして何か言おうとしたときには、ティアは御者台に登ってしまっていた。

 追いかけようとしたセラスをレヴァイストルが止め、馬車は走り出す。

 馬車の中で、セラスはティアについてレヴァイストルに散々文句を言い募る。

 だが、レヴァイストルは既に聞いていない。



 日中は無事に行程をこなし、ボルビデュス領まであと一日という最後の野営。

 セラスは事ここに至ってもいかに自分が優れているか、アービィたちに力説していた。

 話半分以下で聞くにしても、そろそろ疲れが見え、全員の集中力も切れかけていた。


 そろそろ寝る、という時間になり、各自が寝床を設えているとき。

 クリプトから、警戒の声が上がった。

 その時点でアービィは既に短刀を抜き、闇に向かって身構えている。


「いつもながら、お見事ですな」

 クリプトが賛辞を述べ、鋼線を引き出した。


 見上げるような熊が、闇の中から姿を現す。

 いつぞや倒して小遣い稼ぎになった熊と同種のものだ。


 今回もクリプトが鋼線で動きを止め、アービィが切り掛かり、ティアが弓で援護する。

 前回と違い、ルティの剣の腕が上がっているので、倒すことは難事ではない。


 前肢二本を切り落とそうとしたとき、後ろから女の子の叫び声が聞こえてきた。

 別の襲撃かと思い、慌ててアービィが振り向くと、剣を振りかざしたセラスが走り込んできた。

 手柄立てたいんだね~。


 意図を察知したアービィがセラスを通す。

 クリプトが鋼線を引き絞り、万が一にもセラスに攻撃がなされないように前肢を切断した。

 ティアは熊の目を狙い、弓を射掛ける。


 血飛沫が飛び散る中に突入したセラスは、思い切り剣を振り下ろした。

 熊は殴り倒そうとした腕がなくなった勢いで態勢を崩し、セラスの剣を真正面から受ける。


 非力ゆえか、熊の身体を切断するには至らず、肩口から腹部に掛けて深い裂傷を負わせるに留まった。

 反撃を恐れたアービィが、後ろから熊の首を一刀で切り落とした。


 重い音を立てて熊の首が落ち、切断面から血が噴き上がる。

 セラスが切った部分からは腸が零れ落ち、熊はそのまま前のめりに倒れ絶命した。


「あいかわらず、とんでもない切れ味ですね」

 アービィがクリプトに賛辞を送るが、クリプトはそれどころではないようだ。

 見ると、セラスが胃の内容物を吐き散らし、全てを吐き出してもまだ吐き気が止まらないようだった。

 うずくまり、下を向いてえずき、咳き込んでいる。


「どうしたの?」

 アービィが問いかけるが、胃液を吐く音で返された。


「刺激が強すぎましたかな」

 クリプトには判っていた。

 この少女は、敵を倒し、殺すことは、物語や人伝の話の中でしか見聞きしたことがないことを。


「いきなり血まみれになって、はらわたを目の当たりにしてしまいましたからな。ご無理だったのでしょう。早めにお休みいただかないと、心が折れます」

 さすがにクリプトも眉根を寄せ、心配げな声を落とす。

 昨夜の汚名返上を試みたが、やはり命の遣り取りは重荷だったのだろう。


「セラストリア様、大丈夫ですか? 領地が魔獣や野盗に襲われたとき、先頭に立つのが貴族です。こんなことで吐いていては、お父様のように尊敬を得られるとお思いですか? 夢のまた夢ですよ」

 アービィは、セラスを気の毒だとは思ったが、考えていたことを思わず口にしてしまった。


「私が剣を振るうわけじゃない! 私は兵に命令すればいいんだっ! 兵が私の命令どおり動けばいいんだからっ!」

 必死になって言い返すセラス。

 だが、その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。


「でもですね、兵が切った敵を見て吐いちゃってたら、どうなります? その間、命令がなくなっちゃいますよ。その隙に攻め込まれちゃって、まだ吐いてたら、ああなるのはセラストリア様じゃないのかなぁ?」

 アービィは、熊を指差して言った。

 セラスが熊に刻んだ傷口からは血が流れ、毛皮の下の黄色い脂肪層が覗いている。

 その下にはピンク色の肉が見え、間からはらわたが零れ落ちている。


「ひっ!? 早く片付けてっ! そんな気持ち悪いものっ!」

 それをもう一度見て、また吐き気を催したセラスは叫んだ。


「あれ、セラストリア様は、肉をお食べになったことはないんですか? 臓物料理も? あれですよ、あれ。気持ち悪いなんていったら罰が当たります」

 セラスの叫びなどどこ吹く風と、アービィは平然と言い放つ。


「そこまででご勘弁を……」

 見かねたクリプトが慌てて割って入り、その場を取り繕った。



 クリプトがセラスを馬車に送っていく間、アービィとルティ、ティアは、熊の死体を運びやすいように分解し始めた。


「アービィ、よっぽど腹に据えかねてたの? あそこまで言っちゃうなんて、珍しいわ」

 解体の手を休めることなく、ルティが言う。


「へ? 僕は、特になんとも思ってなかったけど。本当に大丈夫なのかなぁって。随分と勇ましいこと言ってたじゃない? このまま兵を率いることになったら、と思ったら、心配になっちゃったんだよ」

 天然、恐るべし。

 この場合、難詰するよりもキツイ攻撃だっただろう。

 プライドの高い人間は、心配や同情を何よりも嫌う。

 解っていてやるなら嫌味な奴とでもいえるが、アービィは純粋に心配していたようだ。


 到着まで、まだひと悶着ありそうね、とルティは思った。 


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