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狼と少女の物語  作者: くらいさおら
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第2話

 春がようやく来た街道は、汗ばむほどの陽気だった。


 二つの影が並んで進む脇を馬車が通り過ぎ、早足の旅人が追い抜く。

 片方の影はのんびりと歩き、もう片方はじゃれ付くようにまとわりつきながら歩いている。

 少年と少女というには少しばかり歳を取っているが、男性と女性というにはまだ若い。


「もうちょっと急ごうよ、ルティ」

 刃渡り三〇センチの短刀を腰に佩いた身長一七五センチほどの少年が、少女にまとわりつくように言い募る。

 服装は周囲の人から浮かない程度に一般的なデザインで、薄茶色に統一されていた。

 くすんだモスグリーンのマントとフードが一体型の外套を羽織り、フードは後ろに撥ねている。

 マッチョではないが、充分筋肉が発達した身体で俊敏さが伺えた。

 顔立ちはあどけなさが残るが、短く刈り込まれた灰色の髪と切れ長の目が精悍さを醸し出し、年上の女性からは可愛がられるタイプと言って差し支えないだろう。


「うっさいわね、アービィ。せっかくいい気持ちで歩いてんだから、あんたも少しのんびりしなさいよ。それから、まとわりつくな。犬」

 姉がやんちゃな弟を窘めるような口調で言う少女は、身長一六〇センチほど。刃渡り七〇センチほどの一般的なブロードソードを背負い、スレンダーな体型を軽量タイプの革鎧で固めている。鎧の上から少年とおそろいの外套を羽織り、フードを撥ねている。

 年の割りにはしっかりした顔立ちで、芯の強さがうかがい知れる。美人と言えるが肩まで伸ばした栗色の髪は、年相応の可愛らしさも引き立たせていた。


「犬って言うな、犬って」

 アービィと呼ばれた少年が、ふてくされるような口調で答える。

 ルティと呼ばれた少女が、うんざりしたように応じた。


「はい、はい、狼だもんね、アンタは」

 そのせいでここを歩いてるってことを忘れるんじゃないわよ、とルティが続ける。


「う~、反省してるってばさ。うっかりしてただけじゃん、これからは気をつけるよ」

 本気で済まなそうにしているアービィに、ルティは追い討ちを掛けた。


「反省って、何回目よっ。朝寝ぼけて出てきて、宿屋を阿鼻叫喚に叩き込んで。満月と新月の度にやらかしてるじゃないのっ」


「月に二回じゃないかっ」

 アービィが地雷を盛大に踏んだ。


「そんだけやってりゃ……充分すぎよっ!」

 自主的な出入り禁止の村を幾つ作るつもり、と言いながらアービィの耳を引っ張る。


「やめて~、ルティっ! めんなさいっっ。伸びる……耳伸びるっ!」


「だいたいね、二尋近い狼が食堂に出てきたら、誰だって驚くでしょうがっ!」

 力いっぱいアービィの頭を叩きながらルティが怒鳴る。


「ちょっ、今ここで、それを大声で言う? 僕がやったことと大差ないんじゃ?」

 アービィの反撃にルティは口を押さえて辺りを見回し、人が聞いていないことを確認して少々残念な胸を撫で下ろす。


「ちょっと、うっかり、しただけじゃないの。あんたに言われたくないわ」


「撫で下ろしやすそうな胸でよかったね」

 再度、アービィは地雷に両足で飛び乗った。


「や~か~ま~し~い~っ!」

 アービィの後頭部にルティの脚が飛び、アービィは道端に昏倒した。


「ちょっと休憩。……休憩よっ!」



 ルティは伸びてるアービィを道端に蹴り転がし、側にある石に腰を下ろす。

 本当になんでこんなことになったのか、二人が育った村での出来事を思い返していた。


 アービィは拾われてから数年後、満月と新月の日の夜中になると姿を消すようになった。

 両親は昼間の仕事の疲れからぐっすりと眠っており気付くことは無かったが、ルティは何度か隣の部屋のドアが開く音に気付いていた。


 朝になるとアービイはベッドにいるのだが、そんな朝は戸口の前に何かしらの獲物が転がっていた。

 だいたいは兎であったり、鴨等の野鳥であったりだったが、年を追うごとに大型の獲物が増えていった。


 最初は気味悪がっていた両親だが、獲物が特に腐敗している様子もなく、暮らし向きも楽ではないため、そんな落し物を楽しみにしている風もあった。

 精霊の贈り物と教会の神父が言い出したことで、村人たちもたまに回ってくるお裾分けや、自分の家の戸口前の落し物を楽しみにしていた。


 ある夜、何かが投げ出される音に目を覚ましたルティが窓から家の前を見ると、巨大な狼がふたまわりほど小さな狼をくわえて来て、家の前に投げ出し森に帰っていくところだった。

 しばらく痙攣していた小さな狼は、小さく鳴いてから身を起こすと裏の井戸の方に歩いて行った。


 それを追ったルティが裏に回ると、そこでは擦り傷や切り傷を体中に作って顔を涙と鼻水でぐしょぐしょにしたアービィが水を浴びていた。

 月明かりの中、アービィが素っ裸であることより血まみれの姿に驚いたルティは、とっさに声だけは出してはいけないと判断すると部屋に取って返しシーツを抱えてきた。

 そのままアービィをシーツで包み、家に引きずり込む。


 両親に気付かれないように手当てを済ませ、部屋に叩き込んでドアを閉め、自分も部屋に入り朝を待った。

 翌朝、ルティがアービィの様子を見がてら起こしに行くと、アービィの傷は既に治っており、何事も無かったような一日が始まった。


 それ以降、獲物が転がっている回数は減り、狼が引きずられてくることが増えた。

 ルティの中で疑問が膨らみ、確信に代わった。

 ある満月の夜、ルティはアービィが出て行った後、井戸の前で待つことした。

 何があっても驚かない。何があっても受け入れる。そう決心して。


 数刻後、何かを引きずる音の後、よろぼうような足音がして、狼が姿を現した。

 驚いたように切れ長の目を見開き、ルティを見つめた狼はがっくりとうなだれ、背を向け歩き出した。



 アービィは人狼の子供だったのだ。


 魔獣を村に置いておく訳には行かないという常識と、姉弟として育った情がせめぎ合う。

 ルティの中で情が常識を秒殺した瞬間、ルティはアービィに飛びつき、抱きしめていた。

 しなやかな毛皮に顔を埋め、ルティは泣いていた。


 行かないで欲しい。この秘密は二人で墓まで持っていこう。何も聞かないし、何も心配は要らないとルティは泣いてアービィを朝まで抱きしめていた。


 朝日が昇る前、世界が明るくなり始めるとゆっくりと獣化が解け、ルティがよく知るアービィの姿に戻り、ふたりとも涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を井戸の水で洗い、それぞれの部屋に帰った。

 そして、そのまま平穏な日々が続いていくはずだったし、そう信じていた。

 半年前までは。



 その日、騎士団の駐屯地は慌しい喧騒に包まれていた。


 隣村が野盗団と魔獣に襲われたという情報が入っていた。

 それぞれが別々の意思で村を襲うことは珍しくなかったが、生き残った人の話では、あきらかに野盗団は魔獣を従えていたという。


 力任せの野党団や、迷い込んだ魔獣など、騎士団の敵ではない。

 しかし、魔獣を従えさせることができる野盗団となると、それなりの統率が取れ、魔術師の存在も疑われる。

 騎士団の人数は決して多くなく、それぞれに連携を取られては村への突入を防げないかもしれない。


 ならば取り得る作戦の選択肢は、多くない。

 王宮への増援依頼。とても間に合わない。

 敵拠点への先制攻撃。拠点は不明。

 敵を懐深く引きずり込み包囲殲滅。理想ではあるが如何せんこちらの数が少ない。


 村の入り口を固め、水際で撃退するしかない。

 村の周囲に垣を築き、村人の避難路はひとつ確保し、防衛の拠点を構築する。

 村の男手が陣の構築に駆りだされ、女手は後方で支援作業を行う。


 アービィもルティも、それぞれができる作業に汗を流していた。

 垣や陣の構築は野盗団の襲撃の前に完了し、村の士気は高まっていた。


 そして何事もないまま、隣村が襲われてから三ヶ月の時間が過ぎた。

 防備を固めた村を強襲することの愚を悟った野盗団は、村人の士気が下がるときを待っていた。


 村の近くまで斥候を出し、軽く挑発し、すぐ逃げる。

 村人たちの神経を、紙やすりで削るような行動を繰り返していた。


 深夜。

 そろそろ夜明けも近くなった頃。

 もっとも人々の集中力が薄くなる時間帯。

 風切音が垣を越えたと思った瞬間、見張りの騎士の首が掻き消えた。

 同時に村の入り口に炎の玉が炸裂し、不運な騎士を吹き飛ばす。

 退路のはずだった道からは手に剣やメイス、弓矢を携えた野盗が雪崩れ込む。


 村の中心に降り立った魔獣は、駐屯地を襲おうと走り出したとたん、何かにぶつかるように足を止めた。


 そこには二メートルを遥かに越えた狼が立ち塞がっていた。


 一瞬のにらみ合いの後、魔獣に飛び掛り、喉を噛み裂いた狼は、雪崩れ込む野盗の群れの中に飛び込むと、手近にいた男からその喉を噛み裂き始めた。

 野盗団に恐慌が起こり、村を蹂躙するはずだった戦いは、自分が生き残るための戦いへと変わった。

 剣が、メイスが、矢が狼に襲い掛かるが、毛皮は全てを弾き返し、片っ端から野盗を噛み殺していく。


 もとは人間だったとは思えない肉塊が転がり、狼以外動くものがいなくなった。

 村の入り口に跳んだ狼の姿を見た魔術師は、移転魔術でからくも脱出に成功。騎士団は数名の犠牲で村の防衛に成功した。


 村の入り口に仁王立ちになった狼は、気が抜けたのか振り向いた瞬間獣化を解いてしまった。

 あっけに取られる村人や騎士団とアービィが向かい合う。

 夜が明け、アービィとルティは村を出た。

 それが三ヶ月前、ふたりが一八歳になってすぐのことだった。



「確かに、村にいて良いって村長も、騎士団も、神父様も言ってくれたんだけどね……」

 村の中だけの話であれば、それでもよかった。

 が、逃げた魔術師からどんな噂が出るか判らない。

 魔獣の住む村。そのような噂が流れては、村はやっていけない。


 他の村や町からの迫害、不売、不買。

 人的交流の拒絶、騎士団の引き上げ、いや騎士団による討伐。

 教会による悪魔指定、聖騎士団による討伐。

 数え切れない不利益が考えられる。


 アービィは、自分が殺されたことにして村を出た。

 放っておけなかったルティは、狼に殺されたことにして村を出た。

 両親は悲しんだが、村の利益を優先するべきというアービィとルティの言葉に、泣く泣く見送ってくれた。


 魔獣を育てたという罪は、娘を殺されたうえ、アービィが人狼であることに騎士団や教会すら気づかなかったということで不問。形だけの村八分を演じることで誤魔化すことにした。


 当面の二人の目標は、四つの国にそれぞれひとつずつある精霊神殿に赴き、全ての魔法を習得すること。

 人狼が人として暮らせる場所を探すことが最重要ではあるが、他人に旅の目的を聞かれたときは呪文の習得ということにしている。


 彼らの育ったフォーミット村があるインダミトの国には、水の精霊を祭る神殿がある。

 神殿はフォーミットから歩いて三〇日ほどの距離にあるフュリアの町にあり、あと数日のところまできていた。

 村を出るときに両親や村人、騎士団からもらった餞別の路銀はとっくに尽き果て、彼らは途中から冒険者ギルドに登録し、カネを稼ぎながら旅を続けている。


 このため、途中で旅が停滞することもあり、三ヶ月も掛かってしまっている。

 水の神殿で精霊と契約後、地、火、風の神殿に行くことになるが、次はどこにするかは全くの白紙だ。


「いいかげん、起きなさいよ」

 ルティに蹴り飛ばされ、アービィは渋々身体を起こす。


「まったく、ルティは手が早いんだから」


「アンタがいけないんでしょ。何のために村を捨てたと思ってんのよ。途中途中で狼騒ぎ起こしてたら疑われるじゃない」

 あまりにももっともなルティの言葉にアービィは返す言葉も無くしょぼくれる。


「ま、いいわ。まだ誰かさんが獣化してるかなんて、誰もそんな発想は無いんだから」

 頼むから神殿の町で獣化だけはしないでよね、と念を押して、ふたりは歩き始めた。


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