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狼と少女の物語  作者: くらいさおら
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エピローグ

 春がようやく来た街道は、汗ばむほどの陽気だった。


 三つの影が並んで進む脇を馬車が通り過ぎ、早足の旅人が追い抜く。

 一つの影はのんびりと歩き、一つはじゃれ付くようにまとわりつきながら歩いている。もう一つの影は、少し離れて歩いていた。

 若い男性一人と女性が二人、楽しげに南へと向かっていた。


 「もうちょっと急ごうよ、ルティ」

 狼の耳と尻尾を持ち、刃渡り30cmほどの短刀を腰に佩いた身長175cmほどの男性が、女性の一人にまとわりつくように言い募る。

 服装は周囲の人から浮かない程度に一版的なデザインで、薄茶色に統一されていた。 くすんだモスグリーンのマントとフードが一体型の外套を羽織り、フードは後ろに撥ねている。 マッチョではないが、充分筋肉が発達した身体で俊敏さが伺えた。

 顔立ちはあどけなさが残るが、少々長い灰色の髪と切れ長の目が精悍さを醸し出し、年上の女性からは可愛がられるタイプと言って差し支えないだろう。


 「うっさいわね、アービィ。

 せっかくいい気持ちで歩いてんだから、あんたも少しのんびりしなさいよ。

 それから、まとわりつくな。犬っ!

 アンタも笑ってないで、何とか言いなさいよ」

 姉がやんちゃな弟を窘めるような口調で言う女性は、身長160cmほど。刃渡り70cmほどある細身の剣を腰に佩き、スレンダーな体型を軽量タイプの革鎧で固めている。鎧の上から少年とおそろいの外套を羽織り、フードを撥ねている。

 年の割りにしっかりした顔立ちで、芯の強さがうかがい知れる。美人と言えるが肩と腰の中間まで伸ばした栗色の髪は、年相応の可愛らしさも引き立たせていた。


 「え、いいんじゃない?

 可愛いし」

 少しだけ憂いを含んだ瞳と、下半身に脚ではなく長大な蛇の尻尾を持ち、小太刀を腰のベルトに差している女性が答えた。

 豊かな胸の主張を隠すように軽量タイプの革鎧を纏っている。しなやかな銀髪は腰まで伸び、一見幼くも見える目元は僅かに垂れ気味で、それと絶妙のバランスを取る鼻梁と口元は、二百年を生き抜いた時の重さを感じさせることはなかった。


 「犬って言うな、犬って

 ティアも可愛いとか言わないでよ」

 アービィと呼ばれた男性が、ふてくされるような口調で答える。


 ルティと呼ばれた女性が、うんざりしたように応じた。

 「はい、はい、狼だもんね、アンタは。

 ティアも調子に乗らせるようなこと言わないの」

 そのせいで途中大変だったんだから、それを忘れるんじゃないわよ、とルティが続ける。


 「だから、いいじゃない。

 可愛いんだし」

 ティアと呼ばれた女性が、笑いを噛み殺しながら言う。


 「反省してるってばさ。

 これからは気をつけるよ」

 本気で済まなそうにしているアービィに、ルティは追い討ちを掛けた。


 「反省って、何回目よっ。

 酒場の女相手に鼻の下なんか伸ばしちゃってっ!」

 「喜んでくれてるんだからいいじゃないかっ」

 アービィが地雷を盛大に踏んだ。


 「どっちが喜んでるのよっ!」

 ちやほやされて喜んで、あたしの身にもなってみなさいと言いながらアービィの耳を引っ張る。


 「やめて~、ルティっ。ごめんなさいっっ。

 伸びる……耳伸びるっ!」


 「だいたいね、あんたは有名人になっちゃってるんだから、少しは自重しなさいよっ!

 狼の耳と尻尾つきで酒場に入ってきたら、誰だってすぐ判っちゃうでしょうがっ!」

  力いっぱいアービィの頭を叩きながらルティが怒鳴る。


 「ちょっ、今ここで、それを大声で言う?

 僕がやったことと大差ないんじゃ?」

 アービィの反撃にルティは口を押さえて辺りを見回し、人が聞いていないことを確認して少々残念な胸を撫で下ろす。


 「ちょっと、うっかり、しただけじゃないの。

 あんたに言われたくないわ」

 「撫で下ろしやすそうな胸でよかったね」

 ルティとティアの胸を見比べつつ、再度アービィは地雷に両足で飛び乗った。


 「やかましいっ!」

 アービィの後頭部にルティの脚が飛び、アービィは道端に昏倒した。


 「ちょっと休憩。休憩よ」

 ルティは伸びてるアービィを道端に蹴り転がし、側にある石に腰を下ろす。



 ルティは道端の石に腰を下ろし、ここまでのことを思い返していた。

 ニムファが灰と化した後、バードンとティアを回復して四人は魔宮を出た。

長い階段を降り、広間を通って扉を押し開け、外に出る。そこで四人は、疲労困憊のメディと相も変わらず意気軒昂なエンドラーズ、そして事の行方を固唾を飲んで見守っていたピラムの民を始めとする最北の民に出迎えられた。

 四人が姿を現したとき一瞬の静寂が広がり、その後熱狂が同心円状に広がった高揚感を、ルティは忘れられない。


 ルティが四人を代表して、中で起きた一部始終を語り始めた。

 誰に言われることもなく、促されることもなかったが、ルティの口からは言葉が迸り出ていた。熱狂の中、一人の声など掻き消されて当たり前だが、ルティの言葉は魔宮前庭に犇めく人々の脳裏に届いていた。その言葉に人々は一人、また一人と耳を傾け、ルティが語り終えて暫くは辺りは静まりかえっていた。やがて潮騒のようにざわめきが広がっていく。

 ざわめきは喧騒に変わり、あちこちから啜り泣きが聞こえ、そして歓喜が爆発した。

 人々の熱狂は、終わる気配を見せなかった。

 集落や部族ごとに喜び合っていた人々が入り交じり始め、さらに驚喜の輪が広がっていく。それまでは呉越同舟といった雰囲気を漂わせていた群衆が、最北の民として一つになっていった。やがて、陽が傾き、風花が舞い始め、人々の熱狂を優しく冷ましていく。

 アービィの念話が、最北の民に届いた。

 ――さあ、帰ろう。


 最北の民が、夜の道をそれぞれの集落目指して帰っていく。

 ついさっきまで、夜は不死者の世界であり、出歩くことは死を意味していた。それが今では大手を振って歩けるようになったのだった。最北の民を見送る間に、不死者の恐怖が去ったことを、エンドラーズが精霊との交感を介し両大陸に伝えた。

 北の大地全体が、どよめいたような錯覚に、アービィたちは捕らわれた。



 ラーニャに戻ったところで、本格的な降雪が始まり、北の大地は雪に閉ざされた。

 普通であれば、そのまま雪に閉じ込められ、帰還は来春になる。だが、アービィの発案で馬車を応用した橇を作り、獣化したアービィがそれを曳くことにした。雪の中で男で三人と、ラーニャに駐屯する部隊が橇を短期間で作り上げた。ルティとエンドラーズが精霊の加護を賜り、橇の中は常に火の精霊が一定の気温を保ってくれる。

 駐屯部隊に見送られ、巨狼が引く橇は雪の中へと滑り出した。


 シャーラで総司令官と互いの労を労い、ターバを目指す。

 ターバでは、北の大地に残るランケオラータとレイ、プラボックに別れを告げ、再会を約して南へ向かった。パーカホを過ぎ、ワラゴの集落で再会を喜び合い、山岳地帯を抜けて二年振りに南大陸へ足を踏み入れた。

 

 ウジェチ・スグタ要塞にパシュースとヘテランテラ、ルムを訪ね、その際にアルテルナンテとフィランサスを紹介された。救国の英雄に、アルテルナンテとフィランサスは篤く礼を述べ、人狼の社会適応施設に南北連合は全力を挙げて協力することを確約した。

 ウジェチ・スグタ要塞は、南北連合の本拠となっているが、平和記念館として一部を一般公開すると決定していた。その展示品の一つとして、アービィがここまで曳いてきた橇を寄贈して欲しいと、ルムが持ち掛けた。この先はラシアスの駅馬車路線があり、北の大地への物資輸送のために整備され、厳冬期の運行も可能になっている。アービィたちに嫌はなく、橇を置いてウジェチ・スグタ要塞を後にした。


 両大陸の行く末を決める五人と、見習いとして側に付いているヌミフとオンポックに見送られ、アービィたちを乗せた馬車は一路ベルテロイを目指す。エンドラーズはストラーへ、メディはビースマックへと帰るため、ここで分かれることになる。

 ベルテロイでは、レヴァイストル伯爵とセラスを伴ったファティインディ伯爵夫人に迎えられた。アービィたちが帰還すると聞いて、ボルビデュス領から出てきていたのだった。



 別れの前夜、ささやかな宴の席での出来事を、ルティは忘れられなかった。


 宴もたけなわとなった頃、突然エンドラーズがルティの前に跪いた。


 「えっ!?

 何をなさってるんですか、エンドラーズ様!?」

 事態を飲み込めないルティが狼狽する。


 「ルティ・バルテリー殿。

 いえ、ルティ・ベルテロイ様。

 我らはこのときを、どれほど待ち焦がれたか。

 お帰りなさいませ」

 エンドラーズが深く頭を垂れると同時に、地水火の最高神祇官から同様の思念が届く。


 「いえ、あの、ちょっと待ってください」

 慌てふためいてルティがエンドラーズの前に両膝を着いた。


 「我らが真祖のご子孫様が、大陸の南におわしますことは以前より判っておりました。

 ですが、大帝国の手を逃れて以来、真祖のご子孫様はお力をお封じになり、我らの前からお姿をお消しになられていたのでございます。

 我ら神官の間には、世界の危機が訪れたとき、真祖が再びご光臨なされるとの伝承がございます。

 五百年前、大帝国が崩壊し、戦乱の世が始まったとき、当時の誰もが伝承が現実になることを願いました。

 ですが、戦乱は五十年の長きに亘り、やはり伝承は我らの期待でしかないと諦めていたのでございます。

 それが現実となり、その場に居合わせることができた我らは、これ以上はない、幸せ者に、ございます。

 よくぞ、お戻り、ください、ました」

 ルティの手を取り、エンドラーズは泣いていた。


 翌朝、エンドラーズとメディを見送った後、バードンが自分の荷物を担いだ。

 

 「ここで、俺は行く。

 ティア、しばし待たせるが、許せよ。

 ルティ殿、ご安心ください、時々伺います。

 ティアを放っておくような真似は、決して致しません。

 アービィ、またな」

 そう言ってバードンはティアを強く抱きしめてから、マ教の総本山を目指し雑踏へ消えた。

 初めてアービィと呼んで。



 爽やかな寂しさの中、三人はフォーミットまで歩くことにした。

 ゆっくりと、これまでの旅路を確かめるように。


 まだ全世界が完全に一つになったわけではない。

 今のところ、北の大地は発展途上だ。南大陸におんぶに抱っこでいなければ、すぐに息切れしてしまう。南大陸が北の大地から収益を上げるのは、まだまだ先のことと思えた。その間、南大陸の各国家は活況に沸き、不況に喘ぐかまだ判らない。北の大地が独立した歩みを始めたとき、南大陸と平等な立場となれるか、覇権を巡って再び争うか、これもまだ予想もできないことだった。ラシアスの国民感情も、まだ北の民を完全に許容はしていなかった。人を喰らう人狼も、まだまだ跋扈している。

 アービィたちが考えている人狼の子供を集めた施設は、まだ端緒にも着いていない。

 まだ、これからやらなければならないことは、山ほどある。



 「いいかげん、起きなさいよ」

 ルティに蹴り飛ばされ、アービィは渋々身体を起こす。


 「まったく、ルティは手が早いんだから」

 ティアが呆れたように呟いた。


 「アービィがいけないんでしょ。

 人の気も知らないで」

 あまりにももっともなルティの言葉に、アービィは返す言葉も無くしょぼくれる。


 「ま、いいわ。

 早く次の町まで行っちゃいましょ。

 日も暮れ始めたし。

 アービィ、完全獣化しちゃいなさいよ」

 既にアービィとティアの正体を隠す必要はなくなっている。


 「そうだね、早く飲みに行こうよ」

 アービィが獣化し、ティアが獣化を解く。


 二人を乗せた巨狼が、地を駆けた。




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