第1話 あの日
とりあえず暇つぶしです。更新はものすごく気まぐれです(笑)
「おいっ、そのパン貰うぞ」
威風堂々。
今にこそそう思えるのかもしれない。右も左も分からないままやってきたはずのこの地で、あいつはそう言った。
「え? あ、ちょっとっ!?」
思い返せば初めから、あいつはまるで暴君がごとく遠慮もない生ける無礼そのものの男だった。
「なんだこれはっ、よくこんなまずいパンが食えるなっ」
買い物帰りだったであろう通行人だ。お互いにまるで知らない赤の他人。胸に抱える袋からはみ出たパンを勝手に奪い、一口齧る時点で既にもう頭の中は大混乱だというのに、あいつはこともあろうに奪ったパンがまずいと憤慨しながら持ち主の袋にそのままパンを戻した。
「ちょっとっ、お前いきなり何なんだよっ」
当然のことだろう。パンの持ち主も負けず劣らず目の前の盗人に言い返す。
「でけぇ声出すなっ、うるせぇんだよっ。金ならあいつが払う」
まるで引け目を感じることなく、何の罪もない持ち主を叱責しながら、あいつは私を指差した。
「おい、お前っ、このまずいパン代くれてやれ」
馬鹿なんじゃないだろうか。そんな疑問はその時はもうなかった。頭がおかしい。関わるべきような人間ではない。そう頭の中で警鐘が響く。
「は? え? え?」
生まれてこの方、お前と呼ばれたことがない私を、あいつは早く来いっと私を叱咤するよう呼びつける。
「あんた、こいつの連れか?」
パンの持ち主が怪訝そうにこちらを見る。
「いや、うん、まぁ……そうなような、そうでないような」
一連の流れを見て、咄嗟に言葉が出ない。
「何を言う。ここに連れてきたのはお前だろう。ならば、パン代くらい俺を助けたようにくれてやれ」
あほなのか? お前はあほなのか!? と口を割りそうになる衝動に駆られるが、私としての理性が、事を荒立てることの不利益になるであろう方向に傾く天秤を均衡に戻す。
「す、すまぬ。私の連れがとんだ迷惑をかけた」
謝罪と共にパンの持ち主に銅小貨三枚を払う。パンであれば銅小貨1枚もあれば十分だろうが、迷惑料として。
「パンはそれ三枚の価値というわけか。安いのか高いのか分からんな」
隣で腕組みしながら首を傾げるあいつに、私の理性の壁から感情という波が少しばかり零れてしまう。
「迷惑料だ、ばか者っ! 人様のものを勝手に奪い、戻す奴があるかっ!」
あいつの頭をはたいた。
「ってぇな、お前っ。誰の頭叩いたのか分かってんのかっ!」
訂正しよう。威風堂々ではない。愚かで無知で短気なのだ、こやつは。自らの悪行を微塵も反省しないばかりか、私に叩かれたことに憤慨する事に頭がすぐ働いてしまうほどに。
「知らぬわっ、そんなことっ! それよりもまずは謝罪をせぇっ!」
だからこそ私も熱くなってしまう。頭では事を荒立てずに済まそうと思うが、こやつはその理性を崩壊させるのを得意としているように私の心をかき乱した。
強引にこやつの頭を掴んで、パンの持ち主に頭を下げさせる。
「もういいよ。あと、これ。もういらないから持って行ってくれ」
パンの持ち主にこやつが齧ったパンを返される。彼もまた面倒くさい奴に絡まれたと思ったのだろう。パンを私に渡すと、背を向けて何かぶつぶつと小言のように文句を言いながら歩いていく。
「なんだ、結局いらんのか。じゃあ返す必要もなかったか」
そう言いながら私の手にあるパンを奪い取り、また一口齧る。
「ほんっと、何なのだお前はっ!」
私の心の中に燃え滾る何かで私の怒りは納まらない。むしろ小さな火種が炎になったようにすら感じる。
「やはりまずい。これはお前にくれてやる」
だが、そんな私のことなどお構いなしと言わんばかりに二口齧られたパンを渡そうとしてくる。
「いらぬわっ!」
私の話を聞け! そう気の高ぶる私は、差し出されたパンを手で払いのけた。
あいつの手からも弾かれたパンは地面に転がると、近くで昼寝をしていた犬の鼻先に辺り、鼻を鳴らした犬がのっそりと起き上がりそれを咥えてしまった。
「食い物を粗末に扱うなと言おうと思ったが、犬に食われてしまったならしょうがない」
運が良かったな、と何故か私が叱責を受けそうになるところだったと言わんばかりにこちらを見て言う。先ほどまでの激情がけろっと抜け落ち、興味をなくしたようにあいつはまた先に歩き出す。
「待てっ、どこへ行く気だ?」
こいつを一人で気ままに行動させてはならぬ。この短時間で私に悟らせるほど、こやつは頭に問題がある。すぐに私は隣に並び、一人歩きさせぬよう警戒する。
「犬の餌では腹は満ちん。何か食い物を出す店へ行くぞ」
「金がないのに、食事を出してくれる店などあるものか」
全く懲りておらん。金がないから他人の買い物の品を奪い、私に弁償させておきながら今度は店で食事をしようとする常識の無さに頭痛がしてくる。
「飯屋なら皿洗いでもすりゃ食わせてくれるもんだ。金などいらん」
そんな私のことなどやはりどこ吹く風。そんな保証すらないのに、こいつは辺りを見回しながら店を探して歩く。
「……とんでもない拾い物をしてしまったな、私は」
気まぐれといえば気まぐれだった。軽い人助けのつもりが、私は何かとんでもない物を、あまりに軽い気持ちで拾ってしまったのではなかろうかと、痛みを覚えていないはずの額を押さえながら、あやつの背を追いかけた。